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2008年2月22日金曜日

推理小説からの示唆

久しぶりにクリスティーを読んでみました。読んだのはエルキュール・ポアロシリーズの「晩餐会の13人」(創元推理文庫)です(原題は、LOAD EDGWARE DIES (Thirteen at Dinner)で他の出版社からは「エッジウェア卿の死」というタイトルで出版されている)。

密かにコンキチはミステリ好きで(マニアの域には達してません)、けっこう読みます。昔は海外の古典をよく読んでいましたが、最近は有栖川有栖とか綾辻行人の作品を好んで読んでいます。






最近コンキチが読んだオススメミステリ↓

山伏が探偵&語り部となる異色の短編集。









学生アリスシリーズ第4弾(最新作)。設定はバブル期付近。宗教団体の支配する街を舞台にしたクロズドサークル内での犯人当て。主要メンバーが学生なためか、甘酸っぱい気分になります。







綾辻行人の館シリーズ。殺人の舞台はパラノイア的主人がかつて住んでいた屋敷。物語は、ある老人の手記に沿って進んで行く。伏線に次ぐ伏線、錯綜する容疑者の思惑、スケールの大きなトリック。いい仕事してますね。







閑話休題

ところで、コンキチは良質なミステリは最も優れたエンターテイメントだと思っています。その理由は↓

1) お高くとまっていない
2) 「犯罪」という「毒」が絶妙のスパイスになっている
3) 物語の展開が分かり易い (最終目的は犯人当てに収斂している)
4) 欺かれる快感がある

といったところでしょうか。


それから、良質なミステリは優れたエンターテイメントであるだけではなく、社会生活において示唆に富んだ教書でもあるのです(多分)。

例えば、「晩餐会の13人」には次のような記述があります。

自分の主張や意見や、それらの根本的な正しさを確信しているために、こまかな点を問題にしないというのは<中略>とりわけ正直な人間の特徴なのだ。<中略>理性や覚えている事実にもとづいて質問に答えるのではなく、自分の観念にたよって答えるのだ。確証のある証人は常に疑いをもって扱う必要があるのだよ、きみ。
(ポアロのヘイスティングズに対する言葉)

それから、

きみは確信を持っている-いつだって確信だ!きみはわが身を省みて自問することがない-はたしてそうだろうか、とね。疑うことをしない-あやしむことをしない。
(ポアロのジャップ警部に対する言葉)


これって日常的によく目にすることありませんか?コンキチはよく目にします。根拠もないのに、自信いっぱいに話をする人達を。


例えば、ある反応中に生成するこのピークは「コレ」だから…なんていうふうに自信満々に言われて、その後よくよく分析してみると、全然違う化合物なんですけど…なんてことがあったりします。

あと、絶対この化合物は(微量不純物として)できませんから…なんて大して検討してないくせに言う輩がいます。

反応のメカニズムとかから推察することは非常に大事だとは思いますが、Scientific Factなしに、ある種の思いこみに近いことを根拠に力強く断定するのはいかがなものかと思いますね。理論的枠組みからの考察は有用と思いますが、「100%」とか「絶対」ということを科学的事実という裏をとることなしに断言することはあまり価値の無いことであり、そういう輩は科学者としての資質を欠いていると思うのです(まあ、三流研究員の私見なので軽く流して下さい)。

自分、科学者の役目っていうのは実験事実を疑うこととの戦いだと考えています。

なにか見落としはないか?
分析方法は本当に適切か?
その手法の限界はないのか?

みたいに、疑って疑って疑いつくして、それでもなお生き残っている事実を現時点の科学の力の範囲内で確度の高いデータ(科学的事実)として提供するのが科学に携わるものの役割のように思います(トヨタの何故を5回繰り返すってヤツに似ていると思っています)。

そういう意味で、クリスティーの本作品は示唆に富んだものなのではないかと思った次第です。

まあ、三流窓際研究員のたわごとと思って、軽く聞き流してもらえれば幸いです。

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