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2006年9月9日土曜日

脱自己実現宣言

「自己実現(self-realization)」なんてくすぐったいような言葉が、ビジネス・パーソン対象誌を賑わせたりしていますが、実際に自己実現できている人間なんていったいどれだけ存在しているのでしょう。

ビジネス(啓蒙)誌の記事の中に登場する「働く若者」「働く女性」「働くミドル」達は、皆快活で、バイタリティーがあり、高いモチベーションを有しており、「自己実現」特集なんかを組んだ雑誌を手に取った日には、「世の中にはこんなにも多くの仕事を楽しむできる人材が溢れているんだ。自分もありたい自分になるべく、彼等・彼女等を見習って精進しなければ。」なんていう錯覚に陥りそうになります。

我が国の就労人口(労働統計要覧記載のH.17年の労働力人口2,750万人)に対して、数十頁の特集紙面に登場する人数の割合を冷静になって考えれば、雑誌インタビュアーが、(その時点で)自己実現している(ように見える)人材を選択的に探し出しているだけなのは火を見るより明らかなのですが…..まあ、TVに映し出される女性(お笑い芸人は除く)は可愛い娘ばかりなのに、僕の周囲には不細工な女性しかいないのは何故だろうか?と悩むのに似ています。

「格差社会」「負け組み」「ニート」「不祥事」といった言葉(それ自体は否定されるものではないと思いますが)が世間を跋扈する昨今、「自己実現」とはかけ離れ、現在の己の境遇を嘆きつつも、我慢して与えられた環境に甘んじている人々の方が大勢であるように思います。

ところで、先日、研究開発部門の担当役員と面談がありました。まあ、雑談みたいなもので、面談の代わりにコンキチの仕事をその役員に手伝ってもらいたいぐらいでしたが.....

1人30分の面接時間のはずだったのですが、

役員 「今の仕事は楽しいですか?」

という問いに、つい

コンキチ 「楽しくありませんねえ」

と応答してしまったら、役員が食いついてきて、話がはずみ50分も談笑してしまいました。けっこう自分もキレてるなあとチョット思ったのですが、まあいいでしょう。

件の役員との雑談で、コンキチのあまりのモチベーションのなさ具合に

役員 「人生の大半を占める仕事にやりがいを見いだせないのは哀しいねえ」

みたいなことを言われたのに対して、

コンキチ 「仕事にやりがいを見いだしている人は、ごく一部分の人だけなんではないでしょうか?仕事は(自分にとって)人生のワン・シーンでしかありませんから。だから、毎日早く家に帰りたいですし。」

という返事に、ちょっと哀しそうな顔をしていました(演技かもしれませんが)。

しかも、だめ押しで、

コンキチ 「上の人間は、下の人間が困っていても助けてくれないということを学習しましたから。もう仕事に掛ける情熱も殆ど残っていませんし。」

なんて言っちゃいましたし(これでもかなり遠慮して発言してたんですが)。

曲がりなりにも上場企業の役員ともなれば、どちらかといわれれば、人生の成功者であり、仕事における自己実現を体現してきた可能性が高い人達でしょうが、コンキチのような人材に上述したようなことを言われて、本心ではどう思っているのかに興味をそそれれますが、まあ、本人のみぞ知るというところでしょうか?

序盤、延々と「自己実現」について述べましたが、自己実現なんて耳触りのいい甘い言葉に騙されちゃいけないと思うんですよね。確かに自己実現を目指して努力する姿や、自己実現している人の姿は素晴らしいと思うし、美しくもあると思います(ちなみにコンキチの嫌いな言葉は「努力」です)。だからといって、それを万人に押し付けたり、社会から洗脳されてもいいというわけにはならないと思うんですよね。

結局、仕事での自己実現なんていう言葉は、成功した人にしか当てはまらない。成功者の存在確率なんて数%なんじゃないでしょうか(想像ですが)。

ゴミ収集車の運ちゃんは仕事で自己実現してるのでしょうか?
岐阜県の職員は仕事で自己実現してるのでしょうか?
スーパーでパック酒の銘柄を一生懸命選んでいるおっさんは自己実現してるのでしょうか?
昔の雪印の社員は自己実現していたのかなあ?
etc.

仕事以外にもやりがいや生き甲斐を見いだすことも、人生における重要な処方箋だと思うのです。

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