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2008年7月1日火曜日

The Rise of the Creative Class

仕事に対すモチベーション「ゼロ」の賃金奴隷ななんちゃって研究員のコンキチです。


フロリダ教授の「クリエイティブ資本論 (邦題ね)」を読んでみました。

本国では、前訳本「クリエイティブ・クラスの世紀 (The Flight of the Creative Class)」よりも前の本です。なので、両著作をこれから読むぞという人は、

1) クリエイティブ資本論
2) クリエイティブ・クラスの世紀

の順番で読むとしっくりきてよいでしょう。ちなみに「クリエイティブ資本論」の方が硬めで、細かく、情報量も多いですね。「クリエイティブ・クラスの世紀」の方が、よりグローバルな視点から書かれていて、あと読み物として楽しめます。

さて、本作の中身ですが、前訳本同様クリエイティブ経済下での3T(technology, talent、tolelance)の重要性が詳述されているのに加えて、クリエイティブ人材の嗜好やライフスタイル、仕事に対する動機づけなどが詳述されていて興味深かったです。

以下、コンキチが気になったところをメモします。

1) オープンソースは過酷なシステム
梅田望夫氏の著作「ウェブ進化論」というポジティブな本(see http://researcher-station.blogspot.jp/2006/06/web-20.html)をジャブ程度に軽く読んだ程度のコンキチは、オープンソースの素敵な点にばかり目がいっていましたが、オープンソースもそれはそれでなかなか厳しい世界のようです。
なんでも、全体の0.1%未満に当たる開発者でコード全体の4分の3にも上る貢献をしているらしいです。で一方、4分の3近くを占める開発者は、いずれもわずか1件の貢献しかしていないとか。
彼等のドライヴィング・フォースは仲間内からの評価(敬意の念ね)。評価を得る機会が、オープン・ソース・プロジェクトに参加する動機となる。そして、評価を維持・高めたいという欲求がさらなるインセンティブとなる。誰が業績を挙げたかは全員が把握でき、コードは学術論文並みに検査されるといいます。下手なコードを提案しようものなら、これまでの経歴は水泡に帰す程といいます。それでも、彼等は内発的な報酬(仲間内からの賞賛ね)を欲するのです。

2) クリエイティブ経済下では晩婚化が進む
理由は簡単。独身の方がクリエイティブな仕事に没頭することが容易だから。特に女性は物理的に深刻ですね。出産・育児(育児は男性もするけどね)に費やされる時間と、クリエイティブな仕事に費やされる時間は、単純にトレードオフ。
話は脱線するけど、「女性の社会進出を促進する政策」と「出生率のUPを狙う政策」は矛盾を孕んでいると思う。「出生率のUP」は捨てていいと思うけどね、個人的に。何故なら、

1) 四大とか大学院出て、ちょっと働いて、その後家庭に入るというのは、クリエイティブ資本の大きな損失だと思う。
2) っていうか人口が減少するのはそんなに悪いこと?
3) むかしに比べて(色んな意味で)娯楽が増えた(ドラゴン桜にも書いてあったと思うけど、平安時代とかは(現代と比べて)他にやることがなくて、セックスばかっりしていた(確認できないけどね)。でも、今はセックス以外の誘惑が沢山ある。かなり乱暴だけど、そう的はずれでもないと思う。)なので、「出生率のUP」=「結婚促進」は政策としてその有効性を疑うな。
4) あと、医療技術が進歩し、死ぬリスクより、生きるリスクの方が大きくなった現代日本にあって、種を保存する(=子供を沢山生む)というインセンティブが希薄化している。

スティグリッツ教授も、日本には人口増加なき経済成長を期待しているみたいだし(いつだったかの日経ビジネスの付録の冊子に記事が載っていた)、教育に投資して、クリエイティブな就労人口の比率を増やし、クリエイティブ産業を増やす政策を実施すべきと思いますね。

3) 経験の追求
この本では「経験の追求」と題して一章設けられています。で、章の最後の方でこんなくだりがあります。

<引用開始ね>
経験の渇望を満たそうとする企業の試みは、多くの点でなぜか自己矛盾を孕んだものになっている。「ファンタジーキッチン」がわかりやすい例だ。さまざまな設備の整ったわが家のキッチンには、一流のシェフが調理する時に必要なものがすべて揃っているくらいである。もちろん、ほとんど使われることは無い。(中略)彼女は数千ドルかけてファンタジーキッチンにしたが、それは「1000回の食事宅配サービスか、最低600回の高級レストランでの食事」に相当する金額だと書いている。
重要なのは、調理家電や調理器具が実用感覚ではないところで揃えられているということである。これも食に関する経験なのだ。調理家電や調理器具は、経験を提供するために揃えられている。キッチンにそえがあるという視覚的経験、それを所有できる身分であるという経験、あまり回数は多くないと思うが、自分を奮い立たせて実際に夕食をつるくという場面でアジア風、イタリアン、そしてわが家の味を混ぜ合わせた料理を「プロはだし」で調理するという経験。食の経験を新しい極みへと導く「即席グルメ」という経験もある。アメリカの一流シェフの手になる食材のセットを宅配便で取り寄せ、自分の家にキッチンでこの高級料理を「調理する」という経験だ。ここでは経験を欲する私たちに経験が売りつけられ、そのためにかなりの金額を支払っていることに気づくこともある。
<引用終了>


かつては物が売れた(ワーキング・クラスの台頭)。そしてサービスが売れるようになってきた(サービス・クラスの台頭)。そしていよいよ経験が最も高い付加価値を生み出すようになった。それも、物とサービスを小道具にして。そんな気がします(豊かな社会=クリエイティブ・クラスが多い社会では)。


そういえば、堺屋太一(作家にして小渕内閣の経済企画庁長官ね)が経験経済の重要性を自身の著作で述べていたなあ。確か、「東大講義録」という本だったと思う。これからは知価社会が台頭してきて、人々は経験を売る時間産業に対価を支払うようになる的なことを言っていたと記憶しています。

これからは時間(経験)産業の時代だな。


とまあ独りよがりの感想をダラダラと述べてきましたが、この本を読んで受けた最大の感想は↓



俺って完璧賃金奴隷のワーキング・クラスだな



っていうことです(軽く自己嫌悪)。

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