豆腐をあてに晩酌しているコンキチです。今日は、ちょっと高級な豆腐をチョイスしてみました。
←男前豆腐です。
北海道大豆使用
(株)三和豆水庵
http://www.sanwatousuian.co.jp
感想↓
ねっとりとした独特の触感。舌にからみついて、味が濃厚に感じる。Oily。あっさりした胡麻豆腐のよう。
さて、昨日のブログで大村益次郎の話を書きましたが、今日はその続きです。
司馬遼太郎の「花神」において、大村益次郎は一個の技術者として描かれています。彼が維新の檜舞台へと登場したのは、大村の持つ技術力が時代の要請にマッチしており、しかも他にその能力を代替するに値する人材がいなかったためだで、時代の要請という流れに流された結果だったようです。特に、政略的な意図はなかったようです。
大村の軍事面での才能は卓越しており、あの西郷隆盛でさえも彼の意に大人しく従ったようです(少なくとも司馬遼太郎の小説ではそうだった)。実際、彰義隊の制圧や戊辰戦争において見事な手腕を発揮したようです。
で、そんな大村益次郎は、長州藩に出仕前の江戸に居たときに、
「タクチーキ(戦術)のみを知ってストラトギ-(戦略)を知らざる者は、ついに国家をあやまつ」
と述べたそうです。
幕末期にあって、StrategyがTacticsよりも上位概念であるということを明確に認識していた人間がいたことに驚きです。
さらに、大村は四境戦争の折に、戦力を分散させることは危険で、兵力の選択と集中が肝要であるということを主張していました。
正にストラテジスト。もし彼が現在の世において、経営トップや企業参謀であったなら、いい仕事をしたかもしれません(ただ、大村益次郎はコミュニケーション能力はあまり高くなかったようなので、そういった地位まで上り詰める事はできないかも)。
それから、新政府の軍事でのイニシアティブをとったとき、百姓の出で、しかも長州藩出身で(政治的には薩摩の方が力がある)、しかも突然現れたというのに、自分以外に旧幕府軍の反乱を抑えられる人間はいないということを論拠に敢然とした態度で会議に臨み、目的を達成した彼は剛腕といってよいと自分は思います(司馬遼太郎の「花神」の記述を100%信用した場合ね)。
どこかの国の集金が上手なだけの政治家とはえらい違いです(司馬遼太郎の本では、大村益次郎は技術者として描かれており、政治家として描写されることはなかった)。
大村益次郎に時代から140年を経ようかとおう今日にあって、戦術のみを追求する人や、コングロマリット•プレミアム(非•選択と集中)を標榜する経営トップがいるということにいささか驚きを隠せない二流大出のなんちゃって研究員なのでした。
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