「フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略」を読了しました。
2009年12月30日現在、アマゾンので最も売れている本のようです。
この本の読んでみて、コンキチの感想を一言で言えば、
フリー(無料)とは、マーケティング・ツールだ
ということでしょうか?
<フリー>を活用したマーケティングの歴史は古く、それ自体は目新しいものではありません(この本でも、その歴史が解説されている)。重要なのは、ビット経済において、そのウェイトが、アトム経済とはくらべものにならないほど極めて大きいということに対する認識だと思います。
本書で何遍も述べられている「限界費用がゼロに近いモノは、フリーに近づく」というアイデアには、実際、具現化している事例がかなりある(本書でも例証されている)と思う。で、その中でもコンキチが特に注目したいのは、限界費用=(nearly) Zeroの違法なデジタル・コピーです。
コンキチが院生だったころ、インターネットは比較的黎明期だったと思います。我が国ではブロードバンドなど全く普及しておらず、貧弱な回線だったにもかかわらず、邦楽mp3ファイルがサイバー空間の至る所に並べられていた。法治国家の体裁を成す我が国では、やがて違法mp3ファイルの流通(ダイレクト・ダウンロード)は下火になったが、デジタルデータの違法コピーは、Torrentや中華サイト、韓国サイト、ロシアサイトなどに引き継がれている。ついでに違法コーピーファイルの入手法を指南する雑誌もある(日本で)。さらに細かいところまで数えあげると、多くのWebユーザーはなんらかの形で著作権を侵害している可能性が高い(そういった違法行為が許されるのは、ビットワールドがあまりにも広大で、権利者の対応コストが莫大となり、相当悪質でなければ、親告罪なるが故に黙示の許諾が適用されているに過ぎないのだと思う)。物理的な犯罪にくらべて、著作権にかかるデジタル犯罪に対する人々の罪の意識は極めて低いといわざるを得ないというのがコンキチの実感です。
さらに、非物質的な犯罪においては、損失がはっきりと認識することができず、犯罪や被害のあったことを確認する術もないからだと思います。結果、犯罪の結果として生じる苦痛が具現化しにくく、犯罪としての意識が希薄化しているんだと思います。
コピーが簡単で、犯罪であるという意識の低い違法デジタル・コピーが、<フリー>への道を進もうとするのは、水が高いところから低いところへと流れていくのに近しいほど技術的・心理的障壁がなく、当然の帰着なのかもしれません。
こういった不正コピーを犯罪としての局面から捉えると、著作権者の機会損失のみがフィーチャーされがちですが、本書では不正コピーでさえもマーケティングの一環として捉えるべきであるという画期的が提案されています。つまり、本来の価格では購買意欲の湧かない層にまでリーチすることができ、有効なプロモーションとなりえるというものです。その結果、多くの顧客の需要が喚起され、実は不正コピー品の流通の結果生じるのは機会利益であったなんてこともあるわけです。
感想終了
あと、ここで挙げた話題の他にも、機知に富んだアイデアがこの本の中で展開されており、オススメの一冊に仕上がっていると思います。さすが、アマゾンで一番売れている本と思います。
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