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2013年9月1日日曜日

C層の研究 : 民主政は傲慢な暴君である

日本をダメにしたB層の研究」(http://researcher-station.blogspot.jp/2013/06/blog-post_15.html, http://researcher-station.blogspot.jp/2013/06/b.html, http://researcher-station.blogspot.jp/2013/06/b_19.html)の著者、適菜収の新作「日本を救うC層の研究」を読了しました。

この本は構造改革のいかがわしさについての言及は皆無ですが、民主主義のいかがわしさには多くの頁が費やされており、またシンパシーを感じるとともに、説得力もあると思いました。

西側諸国において民主主義というと、それは万能かつ最高の政治形態と思われているフシがあるように感じますが、果たしてそうでしょうか?

民主主義から生まれたヒトラーの独裁や最近話題のアラブの春などについて考えると、民主主義とは必ずしも素晴らしき最上のシステムではないことは明らかで、全ての国家に適用可能なシステムではないこと(民主主義は国家を選ぶ)が分かると思います。まあ、ボク的には贔屓目にみても「民主主義は他のシステムよりマシなシステム」っていう位置付けです。


ところで学校の授業で習ったあの有名なモンテスキューは、政府の形態には共和政、君主政、専制政があり、さらに共和政は人民全体が主権をもつ民主政と、一部が主権をもつ貴族政(代議制)があると宣い、民主政はもっとも傲慢な暴君であると述べたそうです。そして、「低レベルな人間に投票権を与えるな」と制限選挙の必要性を説いたといいます(未成年に選挙権を与えていない現行制度は制限選挙だ)。

さらに、あの有名な「法の精神」で示された三権分立とは、権力が集中した人民の暴走 - 習俗、秩序、自由の破壊 - を抑制するためのシステムとして提唱されたといいます。要は、バカな人民の暴走を防ぐために権力を分散させとけっていうことでしょう。

はっきり言って、民主主義(民主政)の欠点は明白だ。それは、賢者も愚者も同じ一票を持ち、多数決によって物事が決定すること。そして、おそらく賢者は少なく、愚者の方が圧倒的に多いであろう現実があること(著者はこの平等主義はキリスト教に基づくものとして、キリスト教を批判している)。

多数決によって愚者の間違った意見がまかり通る可能性が高い

そういうことでしょ(例えば、肥大化した社会保障システムの維持のために莫大な借金を重ね、その借金の支払いを後の世代に先送りしようとする政策は、愚者の政策にしか思えない)。


それでは、どんな政治システムが好ましいかということですが、著者は、政治を職業として行うプロフェッショナル(倫理的パラドックスを考慮に入れた上で、信念を持って判断を下す)=賢者による議会主義を推しています。但し、そういった賢者をどうやって選出するかについては明確には触れられていませんが、「覚悟(意見を持たない)」、「教養(プロフェッショナルの仕事を尊重する)」、「品性(他人の邪魔をしない)」、「成熟(無駄口を叩かない)」の重要性を訴えています。要は、


バカは黙っとけや

ということです。

ボクも社会に出てしばらくしてから気付きましたが、「バカに限って声がデカい」と思いませんか?

物事の因果関係を示す作業っていうのはとてつもなく難しいのに、声のデカいバカは、たいした根拠なく自説を自信満々に主張するような気がします。で、そういう声のデカいバカも賢者と同等の一票を持っていることは明らかに問題と思います。

先の参院選もそうだったけど、選挙というと、とりあえず投票にいけやっていう人が雨後の筍のように涌いてくるけど、その行為はバカに投票するよう促している危険な行為かもしれない。バカの誘起により、選挙とは多数決という反知性主義の論理によって決定される作業に堕すことになる。

バカは「覚悟(意見を持たない)」を持たなければいけないと思う二流大出の参院選に行かなかったテクニシャン(研究補助員)の読書感想文でした。


ゲーテ「活動的なバカより恐ろしいものはない」

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