気が付けは、先週は久しぶりの13日の金曜日がありました。
(実家が)仏教徒(庶民の宗派曹洞宗)で、かつ宗教を信じていない(但し例外的のバッカスと松尾様だけは信じています)コンキチにはどうってことのない一日でした(但し、迷信はけっこう信じます)。
ところで宗教と言えば、コンキチが日々の通勤に使っている路線には、「霊○の光」の最寄り駅(東京理科大学野田キャンパスの最寄り駅でもある)があり、毎朝信者と思われるオバちゃん達が件の駅で続々と下車していきます。
よく、ビジネスの書籍でロイヤルティーに関する話が出てきますが、宗教に対する帰依の精神というか、忠誠心には目をみはるものがありますね。
冷静に考えれば、宗教なんて弱者(貧しい者)のすがりでしかないとすぐ気付くと思うのですがね.....
だって、神や仏がいたとして、彼等彼女等が現世を肯定しているとすると、彼等彼女等は人間がこの世で行う醜い行為(侵略とか)もまた許容しているということになるでしょう..... それって悪魔の行為じゃない?っていう訳ですよ。つまり、人智を越えた超存在があったとした場合、それは宗教が規定する神や仏ではなく悪魔であって、この論理展開によって宗教の持つ決定的な脆弱性が露になると思うんですがね.....はっきり言って、霊感商法やってる新興宗教の欺術ってちょっと興味あります。
我が国で流行っている土地真理教のように、多くをつぎ込む程にその行為を否定しずらくなるという心理は理解できるのですが、そこに至らせる迄のプロセス(甘い囁き)は具体的にどういったステップを踏むのか?ということです。
一目みてうさんくさい教祖を戴くオウム真理教なんてその典型ですよね。教祖誕生でも借りてみようかなと思うコンキチでした。
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2007年4月16日月曜日
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