-浜町藪そば メモ-
せいろそば (大盛り) 790 JPY
-RATING- ★★★★★
-REVIEW-
超極細の蕎麦は、食感が良く、コシ強く、力強い味わいで、よく噛んで味わう系。極細なのでのど越しもよく、喉でも蕎麦を存分に味わえる。ツユは辛口でしっかりしたbodyを感じる。しょっぱいだけでなく、優しい甘さも適度にある(辛さの後に甘みがあらわる感じ)。そして、蕎麦とツユがbest much!当初、ツユは徳利無しで提供されたため、いかがなものか思ったが、蕎麦に余分な水分があまり無いため、ツユが水気で薄まるのは気にならないレベルだった。
雰囲気良く、接客も悪くない店と思いました。
閑話休題
先日、橘玲の新作「(日本人)かっこにっぽんじん
」を読了しました。
日本人を括弧でくくるという、いささか人を食ったようなタイトルですが、その内容である日本人の特質の考察は注目に値すると思いました。
一言で言うと、
「日本人は、とっても世俗的で、血縁・地縁を嫌うとっても個人主義的な生き方をしている」
と要約されるようです。
本書では、
日本人の特性というと、「和をもって貴しとなす」といったものが象徴的だけど、それはなにも日本特有のもではないという。そもそも、所謂日本人特有と言われている基質は、洋の東西を問わず、あらゆる農耕社会に共通な特質だといいます。
農耕社会では、その特性上「土地(なわばり)への執着」が生まれます。バブル経済全盛に流行った「土地神話」も日本に特殊な現象ではなく、全ての農耕社会は1万年前から土地神話に呪縛されていたと言います。
また、「島国根性」という言葉も、囲いをつくって敵から土地を守るというという農耕社会の基本原理で(例: 万里の長城)、「開放的な農村」は原理的に存在しないと言います。
そして、農耕社会における最も重要な特徴は「退出不可能性」=「ムラ社会」で、その共同体の一員としてずっとその土地に住み続けなければいけない社会であると解きます。そういった閉鎖空間では、共同体のなかで対立が生じたときに行う政治は、「妥協による全員一致」以外にあり得ず、「身分」=「各自の社会的な役割」の固定(「分」を守って生きる)が起こるそうです。
ちなみに、タイは日本以上にものごとの白黒をはっきりさせることを好まず、面子と気配りを重要視し、政府は日本以上に何も決められず(無責任社会、責任回避社会)、位階(ヒエラルキー)社会だと言います(ラオスはタイに輪をかけてそういった傾向が顕著らしい)。
それじゃあ、日本人固有の特性とはなんなのかというと、それは、世界でも稀に見る高い「世俗性」だそうです(ダントツでNo. 1に世俗的)。これは、ロナルド・イングルハート(アメリカの政治学者)の価値マップから明らかにされたといいます。また、世界価値観調査では、日本人は、ダントツで国にために戦う気がなく、ダントツで日本人としての誇りがなく、ダントツで権威や権力を毛嫌いする特徴を有するという結果が示され、日本人の極端な世俗性と整合します。さらに、日本、中国、韓国、アメリカの四カ国中で、日本は最も個人主義的な生き方をしているという調査結果もあるそうです。
ちなみに著者は、大伴家持の句であったり、オリジナルの仏教を世俗化した日本式インスタント仏教、戦前戦後における日本人の変わり身の早さなどを例に挙げて、日本人の世俗性は伝統的なものだと主張しています。
そして著者は、
a) アメリカニズムは、アメリカが人種のるつぼなるがゆえにグローバルスタンダードとなり世界を浸食していき、その流れはグローバルスタンダードであるがゆえに止められない(例えば、アメリカでは人種、宗教、性別、年齢で社員を差別することは許されない。結果、定年は存在せず、履歴書には生年月日を書く欄も写真を貼る場所もない)。
b) グローバリゼーションは先進国と発展途上国との間の格差をフラッット化する一方で、先進国内の格差を拡張する。
c) よって、先進国はダウンサイジングを迫られることで、国民の「夢」や「希望」がない世界になる。
d) 経済的には行き詰まりを伺わせる先進国だが、ソーシャルメディアの出現により、人は評判獲得競争(評判経済)により参入しやすくなった。そして、人は貨幣より評判を選好する。貨幣経済→評判経済への転換がポスチモダン。
e) 社会そのものは変われなくても、伽藍(ムラ社会, 閉鎖系)→バザール(自由と自己責任が一体, 開放系)への転換は個人としては十分可能であり、バザール世界の住人の増加が伽藍世界を壊す圧力となる。
と続け、
最も世俗的な日本人が、自由な自己表現のできる社会を構築(伽藍→バザール)すれば、徹底的に世俗的(合理的)な人々によって構成される、誰もが自由に自己表現・自己実現できる社会が形成され、ユートピア=(退出可能な開放系の社会である)最小国家のフレームワークが実現できる。
という著者の夢で締めくくられています。
本書でとりあげられたサーベイの有意性や、著者が最近傾倒し、本書の論拠の一部となっている進化心理学のプレゼンスをボクは評価できないけど、これまでの「日本人像の常識」を真っ向から覆す「新たな日本人像」の提案は非常に興味深く、刺激的と思いました。
それから、本書では幾つかの(ボクにとっては)センセーショナルな内容がけっこうまぶされています。例えば↓
・新渡戸稲造の「武士道」は、新渡戸の「日本人の理想像」を創造(フィクション)したものに過ぎない(新渡戸が明治維新を迎えたのは7歳。武士道は歴史研究家でもない新渡戸ななんお資料もないカリフォルニアで書かれたもの)
・「菊と刀」を著したベネディクトの仕事は、日本占領に備えて日本人とアメリカ人の違うところを探すことが前提にあった(日本人の特殊性にのみフォーカスされた)=「日本人論」は輸入品
・温帯ベルト仮説(ジャレド・ダイアモンド, アメリカ進化生物学者)=「農耕文明は気候の違いを超えることができない」→近代以降の世界史の展開にも適用
・日本のサラリーマンはアメリカの労働者よりもいまの職場が嫌いで、会社への忠誠心が低いという社会調査の存在
・福祉国家の試みは破綻した(福祉国家は、人口の少ない寒冷地で、住民が一カ所(首都)に固まって住んでおり、資源に恵まれているような国でしか成功しないモデルである。例えば、
スウェーデンの人口は約1000万人。ちなみに神奈川県の人口は約900万人)
etc.....
この本の著者を、「研究者でもないくせになにを言ってるんだコイツは」と批判するのは容易いし、いろいろとツッコミたいところもあるけど、橘氏の視座というかアイデアはとても刺激的で魅力的にもみえる。読んでみて損はない本ではないかなと思いました。
(彼は、昨年の震災・原発事故以降、センチな論調で未来について語ることが多くなったような気がする。ボク的にはそういった筆致はあまり好きではないが、氏のシニカルな表現はまだまだ健在で、そのセンチさを補ってあまりあるほどと思います。)
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