2008年3月29日土曜日

ナレッジとリテラシー

コンキチがWatchingしているブログにこんな言葉が↓

知っているというのと出来るというのはエベレストとマリアナ海溝くらいの差がある。

凡人コンキチも常々そう感じて生きています。

知識として情報(薄っぺらな知識)を脳ミソにストックしておくことは比較的容易と思いますが、それを腹に落とし込み、自由自在に使えこなせるようにするために、相当の熟練が必要と思います(特に凡人は)。

「天は二物を与えず」ということわざ(だったかな)がその証左だと思います。コンキチ流にこのことわざを解釈すれば、

どんなに才能豊かな人でも、そう多くの分野を生業の基盤とすることは難しいでしょう(特に関連性の少ない分野間では)。我々凡人はなおさらです。例えば、現在の生業をこなせるようになるまで、どれだけの歳月を費やしたことか?

コンキチの場合は有機化学の極々小さい一分野を生業としていますが、初等教育から始まって、高校で化学を選択して、大学と大学院で6年間有機化学の勉強をしてはじめて有機化学を生業とすることを許されるスタートラインに達しました。さらに生業といえるまで専門性を深化させるまでには、さらなる歳月が必要となるのです(ちなみにコンキチは会社で10年仕事に携わって年収たったの560万です)。

それから、表層的な知識だけだったら書籍を鬼の様に読むだけでインプット可能かもしれませんが、実務経験(っていうか実験)を介してしか入手しえない新たな知識であったり、知恵というものがあるように思います。なので、知識とそれを使いこない能力の相互のフィードバックだけが、ナレッジとリテラシーの相互深化を促進させるのではないかと考えるのです。

ナレッジだけではリテラシーは深まらず、リテラシーの深化なくては新たなナレッジは想像され得ない。

以上、二流大出の凡人研究員の寝言でした。


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