最近よく、年功序列が崩壊して、会社に滅私奉公しても(一生懸命働いても)報われなず(ポストがあてがわれない)、会社に裏切られた的な論調を耳にすることがあります(気のせいだったらごめんなさい)。つまり、椅子取りゲームの椅子の数が少なくなったとうお話。
でもこれってバリバリ文系チックなゼネラリスト志向の人のお話のような気がして、自分自身には殆ど実感がありませんね。だって自分、一応理系のスペシャリスト(志望)だからね。
キャリア•パスが職制を昇り詰めることに集約されている(ようにコンキチにはみえる)椅子取りゲームへの参加のみを考えることは短絡的と感じるのは気のせいだろうか?っていうか、そんなにマネジメントやりたい人で溢れてるの?そんな面倒くさそうなこと、コンキチは願い下げなのだが.....
っていうか、理系になって、知識労働者になって、研究員になって、楽しいことだけやって、シコシコ残業することなく、そこそこの給料貰って、そこそこ滾って、のほほんと生きる(っていっても手を抜くことを言っているわけではくてね)っていうのも悪くないと思うんですがね(それなりにプレッシャーもかかるし、たまに胃が痛くなるときもあるけどね)。
調査したことないからよく分からないけど、賃金の下落が激しいのは代替が非常に容易い単純労働(なんちゃってゼネラリストを含む)で、比較的高いスキルが必要とされる職業(業界)はどこ吹く風のような気がします。
で、結論↓
理系になって、大学院行って、知識労働者になって、比較的アウトソースが困難な職業につくことで、雇用を確保し、経済的不安を取り除きましょう。
そうすれば、そこそこ滾れて人生を謳歌できる確率が高くなるとコンキチは思います。
椅子取りゲームに熱中して、文系が幅をきかせてるどこぞの国のどこが「ものつくり大国」なのか?と思う二流大出のなんちゃって研究員なのでした。
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2009年4月19日日曜日
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