裁判員制度が始まりましたね。
で、世間のメディアの論調としては、裁判員制度に対して反対する声が多いような気がします。
a) 曰く、裁判官の責務を国民(一般市民)に押し付けている
b) 曰く、誤判は避けられない
c) 曰く、時期尚早
d) 曰く、迷惑な制度だ
e) 曰く、心理的負担が大きい
f) 曰く、仕事を休まなければならず、迷惑
etc.
とまあ、裁判員制度導入に対する反対意見は枚挙が尽きないような報道がなされている気がします。
で、コンキチの感想↓
a) 曰く、裁判官の責務を国民(一般市民)に押し付けている
→発想の転換をしてみよう。裁判官に判決を押し付けるということは、国民(一般市民)が裁判官に、罪人と疑われている人間を裁くという行為をアウトソースしているということだと思う。仮に裁判で被告人が死刑の判決を受け、その刑が執行されたとすると、裁判官が実行犯で、我々は殺人教唆をしているのに近しいのではないだろうか?「押し付けられる」という発想はいささか傲慢なのではないだろうか?
b) 曰く、誤判は避けられない
→過去に冤罪はなかったのですか?っていうか、完璧な制度(誤判セロ)は理想だろうが、限りなく実現不可能。裁判員制度は一審だけなのだし、白か黒かといった文系的稚拙な二元論は止めて欲しいな。
c) 曰く、時期尚早
→反対派の定番の台詞。あと、議論が尽くされていないとかも同義。機が熟した時期も、議論が尽くされることも永遠にこないでしょう。
d) 曰く、迷惑な制度だ
→ある意味、最も好感が持てる反論です。自分のこころに率直でよろしい。
e) 曰く、心理的負担が大きい
→まあ、心理的負担は多かれ少なかれかかるでしょうね。ただ、ロジカルに考えて結論を出せば耐えられないほどの負担ではないのではないかと思いますが。
f) 曰く、仕事を休まなければならず、迷惑
→あなたはそこまで仕事熱心なのですか?
まあ、もう制度は導入されているんだから、どうすればより良い運用が可能かという建設的な議論をお願いしたいものですな。だって、制度導入によるメリットだってあるでしょうに。個人的に裁判で最もやっちゃいけないのは冤罪だと思います。これだけはやっちゃいけない。真の犯人を無罪にしてしまうより段違いにやってはいけないことと思います。コンキチは重大事件における冤罪の防止の一助に裁判員制度はある程度有効なのではないかと考えています。
っていうか文系の頭でっかち(の裁判官)だけじゃなくて、ロジカルシンクのできる(理系)人材にも裁判にコミットさせることに意義があると思います。
証拠が隠滅(捏造)されたり、大昔の確度の低いDNA鑑定を盲信する人間(っていうか確信犯?)によって死刑宣告されたら、自分は発狂するね。そういったプロセスを評価することに関して、裁判員制度は、これまでの制度より優れているとコンキチ思うのです。
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2009年8月10日月曜日
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