2008年6月15日日曜日

負け組などいない (日本に)

先日秋葉原で起きた事件で思い出したのだが、何年か前から、巷では「勝ち組」だの「負け組」だのという言葉が氾濫するようになったと思う。

メディアもそれを煽っているように思う。で、あたかも日本国民が「勝ち組」と「負け組」に二極化しているような錯覚を世間にばらまいているように思えてならない。世界的にみたら、日本に生まれたというだけで圧倒的な「勝ち組」だというのに。

日本において、自分は「負け組」だと嘯いている人々は、貧しい国で少数の権力者によって牛耳じられ搾取されて生きている人々に対してどういう気持ちで「負け組」だといっているのか気が知れませんね。

我が国では、世界的にみれば圧倒的にフェアなシステムが構築されていると思う(相対的にね)。教育だって万人が受けることができ、普通にやってれば喰うに困ることはない。スターダムにのし上がるチャンスも充分あると思う。普通にやってれば、餓死することもない。路上に放置プレイされてそのままお陀仏することもない。

豊かな日本では、かつてはブルジョアしか享受することができなかったような財やサーヴィスが、多くの経済階級で利用可能となった。ブログ書いてストレス発散することだって出来る。


我が国では、どんなに貧乏でも大学くらいは卒業できると思う(奨学金とか授業料免除制度とか使う)。善意な人の好意もあるかもしれない(ちなみにコンキチの家はそこそこ貧乏で、大学の担当教官にお金を貸してあげようかと言われたこともあった。丁重にお断りしたが)。ちなみに、学生寮にはいれば、食費を除いて、水光熱費込みで月額8千円くらいで住居を確保することだってできる(当時ね)。

つまり何がいいたいかというと、世界でも有数の豊かさを誇るこの日本において、そんなに一生懸命頑張らなくても、二流ぐらいの大学出て、倒産リスクの低い企業に就職するくらいは、けっこう簡単にできる。それなのに怠惰すぎる生活を送って、自分は「負け組」だなんていっちょまえに嘯いてる奴らは、貧しい国で貪欲に教育を貪る子供達の映像をみて、なんとも思わないのか?ということです。

負け組など、この豊かな日本には誰一人としていないのに

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