今回の記事は、自分で言うのもなんですが、社会的弱者(と一般に言われている人々)を批判する内容が書かれているので、そういう話題にアレルギーのある人は、軽くスルーしてもらえると幸いです。
以下、本論↓
リタイアメントとは、生活資金の源泉を労働市場から資本市場に移すことをいう。
自分の愛読している橘玲の著書の一つに記述されている言葉です。
see. http://ameblo.jp/researcher/entry-10080729245.html
はっきり言って、厳然たる事実以外のなにものでもないですね。
昨今、後期高齢者医療制度の関連で貧しい高齢者の映像がお茶の間を賑わせているけど、果たして彼等に対する同情は本当に必要なのかと思ったりもします。つまり「アリとキリギリスの寓話」を思い出すのです。リタイアメントに対する準備をキチンとしてこなかった人間に対する施しはしかるべきことなのか少し疑問です。
最近の(っていうか恒常的に)メディアの論調は、(経済的)弱者である高齢者を救うべきだみたいなことを言ってるけど(判官贔屓の国だからね)、ちょっと前までは我が国の個人資産の大半は高齢者が保持してるとか、金を持ってる高齢者をターゲットにした商品開発が重要とか言ってなかったけ?マスゴミは健忘症にかかったのかと他人ごとながら心配してしまいます。
あと高齢者をターゲットにした詐欺事件とかも報道されてますが、けっこうな額のお金が詐欺られてる気がします。けっこうな支払い能力を保持した高齢者もいるということですね。
要は、高齢者には「金持ちの高齢者」と「月並みな高齢者」と「貧しい高齢者」がいるわけで、世相やポピュリズムに棹されて、高齢者の一部分を全ての高齢者の代表と誤解されるかのような報道をするのはいかがなものかということです。
それに弱者は高齢者だけじゃないからね。しかも、高齢者は高齢者となるまでの間に充分な時間(準備期間)があったはず。そして、高齢になれば労働市場からの退出を求められることも十分過ぎるほど分かっていたはずです。世界一豊かな国「日本」で、充分な時間があり、将来起こりうることも明確に分かっていたにも関わらず、漠然と無為な時間を過ごしてきた人達にあまり同情の念は起こりません。しかも、コンキチ達が将来得られないであろう年金を、彼等はしっかりGETしてるし(コンキチは年金が破綻するか、消費税が超絶高くなると思っています)。
リタイアメントに向けた準備を努々忘れぬよう、心していきたいと思います。
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2008年5月24日土曜日
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