2010年9月11日土曜日

小沢一郎の器

最近、烏合の衆(民主党)の代表選が世間を賑わせているようですね。そんな折、こんな本を読んでみました↓

1993年に上梓された小沢一郎の著作「日本改造計画」です。

なんか巷では、この本の評判が結構良いらしいですが、はっきり言って基本的に駄本と思いましたね、コンキチは。確かに評価できる部分もあます。例えば、冒頭の「グランドキャニオンの柵」の話とか、自由貿易推進、法人税減税、規制緩和、官邸機能強化、労働市場の流動化(規制をかければ下々の者は、100%お上にひれふすことを前提にして制度設計しようとしている点も現実的ではないように思いました)、個人の税制、あと、一応「小さな政府」を標榜しているところでしょうか。但し、その他はちょっと思いつきの域を出ないような気持ちでいっぱいになります。

特に最悪なのが、地方分権及び地方の活性化策と思います。『全国を三百の「市」に』とかいって三百に市を基本自治体(市部と郡部、農業と工業、生産地と消費地、労働の場とレジャーの場、職場と住居を包含する)とするとかいう思いつきです。はっきり言って、それじゃー細切れにしすぎと思います。ついでに、東京の一極集中はもう限界とか言ってるけど、東京以外にも、大阪=名古屋、九州北部、広域札幌圏っていう経済圏があると思うんですが(確かに東京の集積度はピカイチだけど)。で、各地方に産業活動の分散をはかるそうです。危ういね。ポーター教授の産業クラスターの話とかフロリダ教授の都市社会学の話をお勉強した方がいいと思いました。大前研一も言うように、道州制の導入こそが望ましいと思うんですけど。あと、国立大学を地方に移すことも考えるべきとか言ってるけど、当時から各県に最低一つは国立大ってありますから。

それから、国連の指揮下にはいる国連待機軍とか、核を国連管理とかいう夢物語もやめて欲しいです(国連が絶対的正義になれるとでも思ってるんでしょうか)。

挙げ句の果てには、
ある著名なアメリカ人の識者が「私たちは日本人のようになりたくない」といっていた。そのときはムッとしたが、冷静に考えれば、当たり前だと思う。
とかいう自分の勝手な思い込みを前提に、日本人の豊かさはかりそめだみたいなこと言うのも止めて欲しいですね。
(っていうか、コンキチは日本の生まれてラッキーと思ってます)

あと、この本では、一見、「小さな政府」を志向しているように見えますが、必ずしもそうではないと思います。だって、地方への公共投資で内需拡大とか言ってるし、あと学校の教員を国家公務員に丸抱えしようとしてるし、そもそもの制度設計が破綻している年金制度(賦課方式)を強化しようとしているところもトリップしちゃってますから。

とまあ、ここまでは1993年という昔に書かれた本の内容に軽くツッコミを入れてみました。翻って、今現在の小沢一郎は何を言っているのか↓

a) 農家への戸別所得補償制度といった保護主義に走ったり
b) 地方自治体へは追加の徴税権ではなく、一括交付金の支給だという
c) 子供手当は満額支給で高速道路は完全無料化ですか

気がつけば、いつの間にか小沢一郎は「大きな政府」推進派に宗旨替えしてしまったようです。って本当か?コンキチの解は「否」です。ここでちょっと「日本改造計画」の上梓された時期をチェックしてみましょう↓


1992年   経世会の会長争い(権力闘争)で小渕恵三に敗れる
1993年5月 「日本改造計画」上梓
1993年6月 宮沢内閣不信任案が可決(羽田・小沢派ら自民党議員39名が賛成、16名が欠席する造反)→衆議院解散
1993年6月 自民党を離党し、新生党結成


どうですか?要は、小沢一郎は権力闘争に敗れて自民党の傍流となってしまった。そこで、自身のプレゼンスを高めるためのマーケティング•ツールとして、反対圧力が高くて自民党主流派が打ち出す事が難しいまたは実現困難な政策をあえて無責任に掲げた「日本改造計画」を上梓したとは考えられませんか?

そう仮定すると、小沢一郎は権力フェティッシュで、権力奪取のためには手段を選ばないという「解」がコンキチの脳裏に浮かび上がってきます。だから、「小さな政府」から「大きな政府」への転換も宗旨替えではなくて、プロモーション上そっちの方が都合がよさそうだっていうだけだと思います。

で、コンキチの結論です。小沢一郎の器は一国の宰相に器にあらず。でも、菅直人の器が小沢一郎以上とも思えないし、凄ぉくちっちゃな器と思われる宰相(宇野宗佑、海部俊樹、細川護煕、村山富市、森喜朗、安倍晋三 etc.)も沢山いましたからねえ。

まあ、どちらにせよ、カタストロフの足音が近づいてきたっていう印象を受けますね、コンキチは。

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