「Harvard Business Review 2007年2月号」を読んでみました。特集は「戦略論の原点」ということで、
マイケル E. ポーター
ヘンリー・ミンツバーグ
H. イゴール・アンゾフ
大前研一
アルフレッド D. チャンドラー
C. K. プラハッット & ゲイリー・ハメル
といった経営学の巨匠(と言われる人)達の(過去の)論文が掲載されています。
コンキチの個人的な感想ですが、ポーター教授の論文の切れ味鋭い分析力が一際光っていたと思いました。掲載されていたポーター教授の2論文は、それぞれ、「競争の戦略」と「競争優位の戦略」の中の一章で、上記2冊を未だ未読のコンキチにはいい足慣らしになりました(特に「競争の戦略」は購入済みだがまだ手をつけていない)。
特に「競争の戦略」の第1章である「5つの要因が競争を支配する」というタイトルの論文は、有名なファイブ・フォース・モデルの解説ですね。
5つの競争要因とは↓
1) 新規参入の脅威
新規参入者を撃退できるかは、参入障壁の高さに依存し、
(1) 規模の経済(大掛かりな参入、コスト面での不利の我慢)
(2) ブランド(広告宣伝、顧客サービス、業界No. 1のポジション、製品の差別化)
(3) 資金ニーズ(巨額な投資)
(4) コスト面の不利(額主曲線、経験曲線、独占的技術、etc.)
(5) 流通チャネルへのアクセス
(6) 政府の政策(規制)
といった参入障壁があると述べられています。
2) サプライヤーの交渉力
(1) 少数のサプライヤーが供給を支配
(2) スイッチングコスト
(3) 競合する製品の有無
(4) 川下統合の可能性
(5) 顧客の重要性
3) 顧客の交渉力
(1) 顧客数。購入量。
(2) コモディティ製品かスペシャリティ製品か
(3) 顧客の価格感度(顧客企業の製品中に占めるコストの割合)
(4) 顧客企業製品に与えるインパクト
(5) 川下統合の可能性
(6) 消費者の購買意思決定に影響を及ぼせるか?
4) 代替製品や代替サービスの脅威
(1) コスト・パフォーマンス大の代替製品
(2) 収益性の高い産業が生産している
5) 産業内のポジション争い
競合企業同士の競争で、価格競争、新製品の上市、宣伝といった戦術でポジションが争われる。
(1) ライバルの多さ
(2) 産業の成長率が低い→シェア争い
(3) コモディティ産業(スイッチング・コストを上昇させることができない)
(4) 固定費が高い、製品が陳腐化しやすい→価格引下げのインセンティブが生じやすい。
(5) 生産能力が大規模に増強される→産業内の需給バランスを崩す
(6) 撤退障壁が高い→健全な競合企業の収益性も落ちる
etc.
です。
このファイブ・フォース・モデルは企業のビジネスモデルを分析するのに強力なパワーを発揮すると思います。
あと、買ったけどまだ手つかずの「競争の戦略」も早々に読了したいです。
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2007年9月17日月曜日
2007年9月16日日曜日
Dielectric Controlled Resolution
最近、久しぶりに光学分割(Optical Resolution)に関する論文を読んでみました(一応、コンキチの学生時代の専門は光学分割です)。
で、気が付いたら新しい光学分割手法が開発されていました。開発した研究期間は光学分割の雄「山川薬品工業」です。
新しく開発された手法は、DCR (Dielectric Contrlled Resolution)という名前で、まあ、手法的にはジアステレオマー塩法(diastereomeric salt formation method)と同様の操作なのですが、分割剤(resolving agent)として、一方のエナンンチオマー(enantiomer)のみ使用で、被分割剤の両エナンチオマーを調製可能という点がとってもユニークと思います。
再結晶溶媒の比誘電率をコントロールすることによって、擬多形結晶の形成が制御され、難溶性の塩として析出してくるジアステレオマー塩の種類が溶媒の比誘電率のレンジによって変わるというものです。
この手法はあらゆるケースに適用できるかといったら、全くそんなことはなく、分割剤と被分割剤の立体中心周りがリジッドで、コンホーメーションがフレキシブルに変化し難いものではDCRは起こらないようです。
コンキチの学生時代のい研究でも、分割効率に対する溶媒効果が顕著にでていた例がけっこうあったので、そのうちデータを掘り起こして、溶媒の比誘電率との関係をリサーチしてみようかと思います。
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で、気が付いたら新しい光学分割手法が開発されていました。開発した研究期間は光学分割の雄「山川薬品工業」です。
新しく開発された手法は、DCR (Dielectric Contrlled Resolution)という名前で、まあ、手法的にはジアステレオマー塩法(diastereomeric salt formation method)と同様の操作なのですが、分割剤(resolving agent)として、一方のエナンンチオマー(enantiomer)のみ使用で、被分割剤の両エナンチオマーを調製可能という点がとってもユニークと思います。
再結晶溶媒の比誘電率をコントロールすることによって、擬多形結晶の形成が制御され、難溶性の塩として析出してくるジアステレオマー塩の種類が溶媒の比誘電率のレンジによって変わるというものです。
この手法はあらゆるケースに適用できるかといったら、全くそんなことはなく、分割剤と被分割剤の立体中心周りがリジッドで、コンホーメーションがフレキシブルに変化し難いものではDCRは起こらないようです。
コンキチの学生時代のい研究でも、分割効率に対する溶媒効果が顕著にでていた例がけっこうあったので、そのうちデータを掘り起こして、溶媒の比誘電率との関係をリサーチしてみようかと思います。
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2007年9月5日水曜日
バカだ大学の憂鬱
スレッドというかなり俗っぽい雑誌をちょっと立ち読みしてみました。
読んだ記事は、『「最底辺大学」の憂鬱』という記事で、偏差値44以下の私立大学の学生へのインタビュー記事がメイン。AO入試で半数の学生を採る大学もあるそうで、軽く驚きました。
特に興味深かったのが、東大生と偏差値44以下大生との対談で、両者の認識の隔たりに多いに驚愕させられました。
例えば、将来の就職先についての話題で(以下、コンキチの記憶力の範囲で再現。。かなり適当。)
東大生 「官僚になって国を動かす仕事をやりたい」
偏差値44以下大生 「朝9時から夕方5時の役場仕事はいやだな」
って、東大生が言ってるのは高級官僚のことですから!!!!!奴らは事務次官とか狙ってんだよ!!!!!
偏差値44以下大生 「オンリーワンの仕事がいいよね」
って、オンリーワンってその分野ではNo. 1ですから!!!!!
偏差値44以下大生 「広告業界に興味があって、電○とかいいな」(多分、電通だと思う)
東大生 「難しいと思うよ」
電○は絶対むりでしょう!!!!!
絶対無理と言わない東大生の親心に乾杯です!!!!!
偏差値44以下大生 「まだ卒業まで1年以上あるから、頑張ればなんとかなると思うよ。学力だけじゃなく人間力も求められるから。」
って、あんた高校3年間の成果が偏差値44以下大でしょ。
ついでに、あんたの乙女チックな楽観主義に人間力があるとは到底思えません。
偏差値44以下大生って、なんて夢見がちなのかなと思ってしまいました(っていうかコンキチもそんなに賢くない大学卒だからあんまり人のことは言えないが…..)。
あと、東大生が「勉強は趣味的なもの」だという発言に対して、
偏差値44以下大生 「せっかく大学に入ったんだから、勉強ばっかりは嫌だな。サークルとか趣味とか楽しいこともしたい」
的な発言してましたが、
大学って勉強するところですから!!!!!
人生は日々勉強することだし!!!!!
っていうか、偏差値44以下大の時点であんたこれまで全然勉強してないでしょ!!!!!って、あなた大して勉強する気ないでしょ(意思が弱そう)!!!!!
というツッコミを入れてあげたくなりました。
はっきり言ってこの対談、作ってるんですよねえ。もし、実話だったら偏差値44以下大生って現状認識力がなさすぎですよ。まるでおとぎの国のお姫さま・王子さまくらい楽観的というか、なんというか…..
正直言って、こんなのが大学生かと思うと、背筋が薄ら寒くなってきますね。
まあ、少子化のあおりを受けて、ダメな大学は自然淘汰されていくのでしょうが.....
人のふり見て我がふり直せですね。
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読んだ記事は、『「最底辺大学」の憂鬱』という記事で、偏差値44以下の私立大学の学生へのインタビュー記事がメイン。AO入試で半数の学生を採る大学もあるそうで、軽く驚きました。
特に興味深かったのが、東大生と偏差値44以下大生との対談で、両者の認識の隔たりに多いに驚愕させられました。
例えば、将来の就職先についての話題で(以下、コンキチの記憶力の範囲で再現。。かなり適当。)
東大生 「官僚になって国を動かす仕事をやりたい」
偏差値44以下大生 「朝9時から夕方5時の役場仕事はいやだな」
って、東大生が言ってるのは高級官僚のことですから!!!!!奴らは事務次官とか狙ってんだよ!!!!!
偏差値44以下大生 「オンリーワンの仕事がいいよね」
って、オンリーワンってその分野ではNo. 1ですから!!!!!
偏差値44以下大生 「広告業界に興味があって、電○とかいいな」(多分、電通だと思う)
東大生 「難しいと思うよ」
電○は絶対むりでしょう!!!!!
絶対無理と言わない東大生の親心に乾杯です!!!!!
偏差値44以下大生 「まだ卒業まで1年以上あるから、頑張ればなんとかなると思うよ。学力だけじゃなく人間力も求められるから。」
って、あんた高校3年間の成果が偏差値44以下大でしょ。
ついでに、あんたの乙女チックな楽観主義に人間力があるとは到底思えません。
偏差値44以下大生って、なんて夢見がちなのかなと思ってしまいました(っていうかコンキチもそんなに賢くない大学卒だからあんまり人のことは言えないが…..)。
あと、東大生が「勉強は趣味的なもの」だという発言に対して、
偏差値44以下大生 「せっかく大学に入ったんだから、勉強ばっかりは嫌だな。サークルとか趣味とか楽しいこともしたい」
的な発言してましたが、
大学って勉強するところですから!!!!!
人生は日々勉強することだし!!!!!
っていうか、偏差値44以下大の時点であんたこれまで全然勉強してないでしょ!!!!!って、あなた大して勉強する気ないでしょ(意思が弱そう)!!!!!
というツッコミを入れてあげたくなりました。
はっきり言ってこの対談、作ってるんですよねえ。もし、実話だったら偏差値44以下大生って現状認識力がなさすぎですよ。まるでおとぎの国のお姫さま・王子さまくらい楽観的というか、なんというか…..
正直言って、こんなのが大学生かと思うと、背筋が薄ら寒くなってきますね。
まあ、少子化のあおりを受けて、ダメな大学は自然淘汰されていくのでしょうが.....
人のふり見て我がふり直せですね。
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2007年9月4日火曜日
公共心の欠落
コンキチが毎日Watchingしている(但し、更新頻度は少ない)ブログで、「社会規範の崩壊」について論じている記事があり、それにちょっとコメントしてみたのですが、せっかくなので、このブログに転載しておこうと思います。
何故「昔であれば信じられない怖い事件」が、近年、ニュースを賑わせているか?
コンキチ(私)が勤務する会社(ケミカル・カンパニー)では、ご多分に漏れず5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)活動をスローガンに掲げていますが、「躾」がなってないので、(女性でも)靴をきちんとそろえて脱ぐ人をてんで見かけません(コンキチが幼少の頃は、靴をちゃんと揃えて脱ぎなさいときつく躾られたものですが…..)。(公共心に基づいて)靴を揃えて皆ですっきり気持ちよくなるよりも、「そんなの面倒くせーんだよ。やりたきゃやれば。そんなのチクチク言うヤツはちょっと嫌な感じ」的な雰囲気が社内に蔓延している感じがして、違和感を覚えます。実際、色々な社内キャンペーンは、時間とともに風化して、空虚なスローガンと化すことが多々あります。「会社=公」ではありませんが、自己犠牲というかそんな精神の希薄化を日々感じています。
話が脱線しましたが、「公」を尊ぶ精神が欠落し、「自分さえ良ければいいや」的な発想が世間に広がっているのは、世の中が(物質的に)豊かになっていることと関連しているのではないかとコンキチは考えています。
思うに、
1) 豊かになって物質的に欲しいものが簡便に手に入るようになり、忍耐(我慢)の精神が欠落し、心のブレーキを失った。
2) 経済的に豊かになって「生きること」が容易になり、人々はより高次の欲求を求めるようになった。ただ、自己実現欲求は、より根源的な物質的欲求よりも達成するのが困難。
3) 「生きること」に一生懸命になる必要がなくなり、けっこう暇になった。
その結果、
自己の在りたい姿と現実とのギャップに「俺はこんなはずじゃないんだ」的な考えが頭の中を占める。さらに、暇な時間をもてあましてしまう。そのうち、忍耐が欠落した精神が耐えられなくなり、自分を制御できなくなり「自分さえよければいいや」的な行動をとる(「自分さえよければいいや」的な行動が自己実現の代償行為となる)。
というようなことではないかと勝手に思っています。
豊かになっていく過程で、ある程度(どの程度かは想像不能)のモラルの崩壊というのはつきものなのではないかと思います。
「隆盛」により豊かになった社会が平家物語のように「衰退」に向かっていくのが必定であるとすれば、いささか暗澹たる気持ちになります。今に生きる者として、今後の「衰退」がちょっとした「揺り戻し」であればいいなと思うのは楽観が過ぎるでしょうか?
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何故「昔であれば信じられない怖い事件」が、近年、ニュースを賑わせているか?
コンキチ(私)が勤務する会社(ケミカル・カンパニー)では、ご多分に漏れず5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)活動をスローガンに掲げていますが、「躾」がなってないので、(女性でも)靴をきちんとそろえて脱ぐ人をてんで見かけません(コンキチが幼少の頃は、靴をちゃんと揃えて脱ぎなさいときつく躾られたものですが…..)。(公共心に基づいて)靴を揃えて皆ですっきり気持ちよくなるよりも、「そんなの面倒くせーんだよ。やりたきゃやれば。そんなのチクチク言うヤツはちょっと嫌な感じ」的な雰囲気が社内に蔓延している感じがして、違和感を覚えます。実際、色々な社内キャンペーンは、時間とともに風化して、空虚なスローガンと化すことが多々あります。「会社=公」ではありませんが、自己犠牲というかそんな精神の希薄化を日々感じています。
話が脱線しましたが、「公」を尊ぶ精神が欠落し、「自分さえ良ければいいや」的な発想が世間に広がっているのは、世の中が(物質的に)豊かになっていることと関連しているのではないかとコンキチは考えています。
思うに、
1) 豊かになって物質的に欲しいものが簡便に手に入るようになり、忍耐(我慢)の精神が欠落し、心のブレーキを失った。
2) 経済的に豊かになって「生きること」が容易になり、人々はより高次の欲求を求めるようになった。ただ、自己実現欲求は、より根源的な物質的欲求よりも達成するのが困難。
3) 「生きること」に一生懸命になる必要がなくなり、けっこう暇になった。
その結果、
自己の在りたい姿と現実とのギャップに「俺はこんなはずじゃないんだ」的な考えが頭の中を占める。さらに、暇な時間をもてあましてしまう。そのうち、忍耐が欠落した精神が耐えられなくなり、自分を制御できなくなり「自分さえよければいいや」的な行動をとる(「自分さえよければいいや」的な行動が自己実現の代償行為となる)。
というようなことではないかと勝手に思っています。
豊かになっていく過程で、ある程度(どの程度かは想像不能)のモラルの崩壊というのはつきものなのではないかと思います。
「隆盛」により豊かになった社会が平家物語のように「衰退」に向かっていくのが必定であるとすれば、いささか暗澹たる気持ちになります。今に生きる者として、今後の「衰退」がちょっとした「揺り戻し」であればいいなと思うのは楽観が過ぎるでしょうか?
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2007年8月21日火曜日
盆におもうこと
カミさんと子供たちのみ実家に帰省し(連休が始まる前に帰っていった)、お盆の連休は一人孤独に過ごした、なんちゃって研究員のコンキチです。
さて、連日の猛暑日の中、帰省ラッシュ & U ターンラッシュで、我が国の高速道路網は渋滞の様を呈していたみたいですが、コンキチは、蕎麦を食べにいったり、ビリーズブートキャンプをやったり(一応7日間やった)、近所のショッピングセンターで涼みながら本よんだり、エアコンの効いた部屋でカウチポテトに勤しんだり(DVD 6本観た)とそれなりに孤独の生活をエンジョイしていました。
で、おもったことですが↓
やっぱり人(大衆)と同じことばかりしてたらダメだな
ということです。
しかも、盆と正月のラッシュに巻き込まれることほど滑稽なことはないと思うのです。サラリーマンには「有給休暇」という不労所得があるんだから、それを力一杯有効活用しない手はないと思うのですがねえ。より具体的には、普通の平日にバシッと休みをとって帰省なり旅行なりするということです。
ちなみに、コンキチの勤務する会社では、年間の有給休暇の付与日数は20日で、有効期限は2年(未消化分は翌年まで繰り越せる。買い上げはなし)。調子こきすぎなければ少なすぎるということはないと思います(去年は調子扱きすぎて年間20以上休んだけど) 。
人間とは忘却を得意とする種ではあると思うけれど、毎年2回も衆愚の極み(盆と正月のラッシュ)がデモンストレートされています。しっかりと自分の脳みそにインプリント(imprint)して人(大衆)とは異なる行動をするように心がけていきたいと思います。
それが、自分のエッジを磨くことになると思うから。
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さて、連日の猛暑日の中、帰省ラッシュ & U ターンラッシュで、我が国の高速道路網は渋滞の様を呈していたみたいですが、コンキチは、蕎麦を食べにいったり、ビリーズブートキャンプをやったり(一応7日間やった)、近所のショッピングセンターで涼みながら本よんだり、エアコンの効いた部屋でカウチポテトに勤しんだり(DVD 6本観た)とそれなりに孤独の生活をエンジョイしていました。
で、おもったことですが↓
やっぱり人(大衆)と同じことばかりしてたらダメだな
ということです。
しかも、盆と正月のラッシュに巻き込まれることほど滑稽なことはないと思うのです。サラリーマンには「有給休暇」という不労所得があるんだから、それを力一杯有効活用しない手はないと思うのですがねえ。より具体的には、普通の平日にバシッと休みをとって帰省なり旅行なりするということです。
ちなみに、コンキチの勤務する会社では、年間の有給休暇の付与日数は20日で、有効期限は2年(未消化分は翌年まで繰り越せる。買い上げはなし)。調子こきすぎなければ少なすぎるということはないと思います(去年は調子扱きすぎて年間20以上休んだけど) 。
人間とは忘却を得意とする種ではあると思うけれど、毎年2回も衆愚の極み(盆と正月のラッシュ)がデモンストレートされています。しっかりと自分の脳みそにインプリント(imprint)して人(大衆)とは異なる行動をするように心がけていきたいと思います。
それが、自分のエッジを磨くことになると思うから。
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2007年8月6日月曜日
KYT再び
以前このブログで、KYT (Kiken Yochi Training)に関するアポアポな出来事を書きましたが(see http://researcher-station.blogspot.com/2006/09/blog-post_17.html)、その第2弾です。
「GCの(キャピラリー)カラム交換」というお題で、某マネジャーがこうのたまいした↓
カラムの接続がしっかりできていなかったため、キャリアガスが漏れて酸欠状態になり、めまいがする。
っていうか、カラムがしっかり装着されていても、そうでなくても、キャリアガスっていうか、トータルフロー104 ml/min (にだいたい設定している。)は常に変わらず流れてますから!!!!!
残念!!!!!!!!!!
つまり、カラムが外れた状態でキャリアガス流してても、そのこと自体が原因で酸欠にはならないのです。
コンキチはすぐに気づいたのですが、そのことについて誰も何も言いませんでした。まあ、コンキチが指摘してあげてもよかったのですが、ダークサイドに堕ちてやる気ナッシングだし、その発言した人はちょっと気難しいので、黙秘してしまいました。
空恐ろしい脳みそしか持ってない人たちの中で仕事するのに辟易している某二流国立大卒のなんちゃって研究員の毒づきでした。
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「GCの(キャピラリー)カラム交換」というお題で、某マネジャーがこうのたまいした↓
カラムの接続がしっかりできていなかったため、キャリアガスが漏れて酸欠状態になり、めまいがする。
っていうか、カラムがしっかり装着されていても、そうでなくても、キャリアガスっていうか、トータルフロー104 ml/min (にだいたい設定している。)は常に変わらず流れてますから!!!!!
残念!!!!!!!!!!
つまり、カラムが外れた状態でキャリアガス流してても、そのこと自体が原因で酸欠にはならないのです。
コンキチはすぐに気づいたのですが、そのことについて誰も何も言いませんでした。まあ、コンキチが指摘してあげてもよかったのですが、ダークサイドに堕ちてやる気ナッシングだし、その発言した人はちょっと気難しいので、黙秘してしまいました。
空恐ろしい脳みそしか持ってない人たちの中で仕事するのに辟易している某二流国立大卒のなんちゃって研究員の毒づきでした。
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2007年8月5日日曜日
まっとうな経済学
まっとうな経済学を読了しました。

ちなみに原題は「The Undercover Economist」(覆面経済学者)っぽいです。
この本、著者の元々の文章が悪いのか、訳者の訳文が悪いのか、コンキチの国語の読解能力が低いのか、読み辛かったです。
さて簡単な本書の内容ですが、「希少性」、「外部性」、「情報の非対称性」が基本的なキーワードになっていて、これらに係る要素が市場を規定する的なことが書かれていたと思います。特に、「希少性」が最も繰り返し使われていて、その力の持つ支配力の大きさが力説されていますね。実際、ラグジュアリー・ブランドはその希少性を利用して、割高なプライシングを実現しているというのは周知のことでしょう。
それから、「価格ターゲッティング」というアイデアが興味深かったです。ベースとなる商品と割高なオプションを加えた商品ラインナップし、顧客の価格感度を測り、価格感度毎に顧客を選別するということだと思うのですが、そういう価格戦略は興味深かったです。(価格感度の低い顧客はオプション沢山のプレミア商品を買う。また、プライベート・ブランドはナショナル・ブランドの見せ玉につかわれる。)」
あと、本書で語られている「誘因」は、多分インセンティブのことだと思うのですが、設定された「誘因」により、その「誘因」の支配下にある人々の行動が規定されるということは、「ヤバい経済学 -悪ガキ教授が世の裏側を探検する」と同じ主張のように思いました。ただ、本書ではカメルーンや中国という国家を引き合いにだして説明しうていることが興味深かったですね。
個人的に読むのに難儀しましたが、図書館で借りて読んでも損しないくらいの価値はあると思いました。
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ちなみに原題は「The Undercover Economist」(覆面経済学者)っぽいです。
この本、著者の元々の文章が悪いのか、訳者の訳文が悪いのか、コンキチの国語の読解能力が低いのか、読み辛かったです。
さて簡単な本書の内容ですが、「希少性」、「外部性」、「情報の非対称性」が基本的なキーワードになっていて、これらに係る要素が市場を規定する的なことが書かれていたと思います。特に、「希少性」が最も繰り返し使われていて、その力の持つ支配力の大きさが力説されていますね。実際、ラグジュアリー・ブランドはその希少性を利用して、割高なプライシングを実現しているというのは周知のことでしょう。
それから、「価格ターゲッティング」というアイデアが興味深かったです。ベースとなる商品と割高なオプションを加えた商品ラインナップし、顧客の価格感度を測り、価格感度毎に顧客を選別するということだと思うのですが、そういう価格戦略は興味深かったです。(価格感度の低い顧客はオプション沢山のプレミア商品を買う。また、プライベート・ブランドはナショナル・ブランドの見せ玉につかわれる。)」
あと、本書で語られている「誘因」は、多分インセンティブのことだと思うのですが、設定された「誘因」により、その「誘因」の支配下にある人々の行動が規定されるということは、「ヤバい経済学 -悪ガキ教授が世の裏側を探検する」と同じ主張のように思いました。ただ、本書ではカメルーンや中国という国家を引き合いにだして説明しうていることが興味深かったですね。
個人的に読むのに難儀しましたが、図書館で借りて読んでも損しないくらいの価値はあると思いました。
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2007年7月29日日曜日
侍はいた
「構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌
」(竹中平蔵著)を読了しました。

以下、徒然なるままに、とりとめもなくまとまりもない感想をメモしてみます↓
我が国で、大臣経験(しかも常に主要な大臣)者であり経済学者である氏の著作というのは非常に価値があると思い、同書を手に取りました(経済学者で大臣は竹中さんと現経済財政政策担当大臣の大田さんしかいないと思う)。
タイトルからも明らかなように、同書は5年5ヶ月に渡る小泉内閣においての氏の仕事を著したものです。内容がコンキチの想像以上に生々しく描かれていて、この手の書籍としては読んでいて珍しく興奮しましたね。で、率直に思ったのは、我が国にも「侍」と呼べるような人物(政治家、学者、経済人、官僚)がいるのだなあと感じ、柄にも無くちょっと胸が熱くなるのを感じてしまいました。
小泉内閣発足時、日本は「失われた10年」などというキャッチ・フレーズに表されるように、これまでの超バラマキによる財政政策の失敗(流動性の罠)によって、経済の閉塞感に覆われていました。実際、小泉内閣発足前夜に就職したコンキチ達の時代は「就職氷河期」などと言われ、労働市場(っていうほどの市場は形成されてないよ思うが)は、企業業績の悪化を背景に空前の買い手市場でもありました。
巨額の不良債問題、巨額の財政赤字といった非常に好ましくない状況の中にあって、敢えて火中の栗を拾おうとし、そして、我が国の経済を回復の方向に向かわせたのが、小泉純一郎内閣総理大臣と竹中平蔵大臣であり、彼等を真剣に支え続けた気骨あるスタッフでだったのだなと同書を読んで改めて感じました。
まあ、本人の手による著作なので、ある程度は割り引いて考えなければならないかとも思いますが.....
小泉内閣発足時から、竹中大臣の語り口は、他の政治家などに比べて、極めて分かり易く、はっきりいって氏は「まともなこと」を言っているように聞こえました。それなのに、「いつか来た道」を繰り返そうと刷るばかりの抵抗勢力のオウム返しのような台詞にはTVの前で辟易させられました。
また、国民の意を得た(ような)場合は「ポピュリズム(衆愚)」と、リーダーシップを発揮するときは「国民不在(ファシスト)」とヒステリックに叫ぶ、そして歪曲報道と掌を返したような発言をし、自分達があたかも正義の使徒であるかのように振る舞うマスゴミの醜悪な姿を忘れることができません。
まあ、反体制的な発言をおもしろおかしく公共の電波で流さないと視聴率が下がりそうだからしかたありませんかね。
ところで、この本を読んでコンキチが一番印象に残ったのは、「官僚の無謬性」という言葉が連呼して使われていたことです。官僚(組織)は、自分達がこれまでに行ってきたことは全て正しいと考え、自己否定することは皆無であるとうことです。で、これまでの行いが正しいのだから、現在・未来の施策もその延長上にあるものしか採用されないということです。これってちょっと(新興)宗教チックなところがありますよね。まあ、宗教に限ったことではありませんが、あるものに自分がのめり込めばのめり込むほどに、(例えそれが間違っていたり、アホアホなことであっても)そこから抜け出せなくなっていくという心理に似ていませんか?このことは、人間は自己を否定することが本質的に辛いということを表していると思います。そもそも、人間は神ではなく、間違いをしょっちゅう犯すのは周知の事実でしょう。となると、自己を否定できる文化を持ち、自己を修正できる組織は強いという結論に達することができるのではないでしょうか(例えば、トヨタとか)。
それから、所謂「政策通」とか「経済通」と言う言葉は、官僚の"冷やかし"用語であって、官僚から見て、自分たちの都合をよく聞いてくれる人、言いなりになる人なのだそうです。思わず「道理でな」と思ってしまいました。
あと、小沢一郎が「豪腕」とかと称されたようですが、ちょっと集金が上手だっただけでしょ。真の豪腕とは、政府主導の改革と意思決定プロセスを成し遂げた竹中平蔵であり、小泉純一郎であるとコンキチは思いました。
PS
コンキチは竹中平蔵教授の著作・訳本を何冊か読んだことがありますが、ホントに人に読ませる文章が上手だなあと思いました。竹中平蔵は政策造らせてよし、(大臣として)人を使わせてよし、本を書かせてよし、火中の栗を拾える剛胆さを持った希有な人材だと思いました。そして、小泉前総理の最大の功績は、小泉内閣の要所要所で、竹中平蔵という優れた才能を内閣のキーポジションで使い続けたことにあると思います。そういう意味で、小泉純一郎もまた希代のリーダーだったと思いますね。
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以下、徒然なるままに、とりとめもなくまとまりもない感想をメモしてみます↓
我が国で、大臣経験(しかも常に主要な大臣)者であり経済学者である氏の著作というのは非常に価値があると思い、同書を手に取りました(経済学者で大臣は竹中さんと現経済財政政策担当大臣の大田さんしかいないと思う)。
タイトルからも明らかなように、同書は5年5ヶ月に渡る小泉内閣においての氏の仕事を著したものです。内容がコンキチの想像以上に生々しく描かれていて、この手の書籍としては読んでいて珍しく興奮しましたね。で、率直に思ったのは、我が国にも「侍」と呼べるような人物(政治家、学者、経済人、官僚)がいるのだなあと感じ、柄にも無くちょっと胸が熱くなるのを感じてしまいました。
小泉内閣発足時、日本は「失われた10年」などというキャッチ・フレーズに表されるように、これまでの超バラマキによる財政政策の失敗(流動性の罠)によって、経済の閉塞感に覆われていました。実際、小泉内閣発足前夜に就職したコンキチ達の時代は「就職氷河期」などと言われ、労働市場(っていうほどの市場は形成されてないよ思うが)は、企業業績の悪化を背景に空前の買い手市場でもありました。
巨額の不良債問題、巨額の財政赤字といった非常に好ましくない状況の中にあって、敢えて火中の栗を拾おうとし、そして、我が国の経済を回復の方向に向かわせたのが、小泉純一郎内閣総理大臣と竹中平蔵大臣であり、彼等を真剣に支え続けた気骨あるスタッフでだったのだなと同書を読んで改めて感じました。
まあ、本人の手による著作なので、ある程度は割り引いて考えなければならないかとも思いますが.....
小泉内閣発足時から、竹中大臣の語り口は、他の政治家などに比べて、極めて分かり易く、はっきりいって氏は「まともなこと」を言っているように聞こえました。それなのに、「いつか来た道」を繰り返そうと刷るばかりの抵抗勢力のオウム返しのような台詞にはTVの前で辟易させられました。
また、国民の意を得た(ような)場合は「ポピュリズム(衆愚)」と、リーダーシップを発揮するときは「国民不在(ファシスト)」とヒステリックに叫ぶ、そして歪曲報道と掌を返したような発言をし、自分達があたかも正義の使徒であるかのように振る舞うマスゴミの醜悪な姿を忘れることができません。
まあ、反体制的な発言をおもしろおかしく公共の電波で流さないと視聴率が下がりそうだからしかたありませんかね。
ところで、この本を読んでコンキチが一番印象に残ったのは、「官僚の無謬性」という言葉が連呼して使われていたことです。官僚(組織)は、自分達がこれまでに行ってきたことは全て正しいと考え、自己否定することは皆無であるとうことです。で、これまでの行いが正しいのだから、現在・未来の施策もその延長上にあるものしか採用されないということです。これってちょっと(新興)宗教チックなところがありますよね。まあ、宗教に限ったことではありませんが、あるものに自分がのめり込めばのめり込むほどに、(例えそれが間違っていたり、アホアホなことであっても)そこから抜け出せなくなっていくという心理に似ていませんか?このことは、人間は自己を否定することが本質的に辛いということを表していると思います。そもそも、人間は神ではなく、間違いをしょっちゅう犯すのは周知の事実でしょう。となると、自己を否定できる文化を持ち、自己を修正できる組織は強いという結論に達することができるのではないでしょうか(例えば、トヨタとか)。
それから、所謂「政策通」とか「経済通」と言う言葉は、官僚の"冷やかし"用語であって、官僚から見て、自分たちの都合をよく聞いてくれる人、言いなりになる人なのだそうです。思わず「道理でな」と思ってしまいました。
あと、小沢一郎が「豪腕」とかと称されたようですが、ちょっと集金が上手だっただけでしょ。真の豪腕とは、政府主導の改革と意思決定プロセスを成し遂げた竹中平蔵であり、小泉純一郎であるとコンキチは思いました。
PS
コンキチは竹中平蔵教授の著作・訳本を何冊か読んだことがありますが、ホントに人に読ませる文章が上手だなあと思いました。竹中平蔵は政策造らせてよし、(大臣として)人を使わせてよし、本を書かせてよし、火中の栗を拾える剛胆さを持った希有な人材だと思いました。そして、小泉前総理の最大の功績は、小泉内閣の要所要所で、竹中平蔵という優れた才能を内閣のキーポジションで使い続けたことにあると思います。そういう意味で、小泉純一郎もまた希代のリーダーだったと思いますね。
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2007年7月27日金曜日
GC in CHEMICAL REVIEWS (2)
コンキチは工学部出身です(ほんとは理学部の方がよかった)。で、工学とは実学であると考えています。
先のブログで、Chemical ReviewsのGreen Chemistry特集に触れ、環境志向の高まりを感じた旨を記しました。ただ気になるのは、Green Chemistryとお題目を銘打つと、各々にカテゴライズされた、ぱっと聞いてみてグリーンちっくなテーマにスポットが当たりがちのような気がして、その辺りがちょっと気にかかります。
例えば、
Organocatalystを使ってメタル・フリーな反応を開発しました。でも、CH2Cl2溶媒Death!!!!!(涙)
とか、
イオン性液体中で反応を行うことで、素晴らしい反応性と選択性で反応が進行します。でも、使ってる触媒が超絶高価で有毒なんだよね(テヘヘ)
といった、カテゴリにこだわるあまり、根底にあるコンセプトとの整合性を欠いている論文とかは –勿論そういった新たな知見は有益であるとは思うけれど-果たして実学たりえるのだろうかと思うわけですよ。
あと、
超臨界CO2ってとってもクリーンだよね!でも、当社では設備投資できませんから!残念!!!
というような実行の容易さに係る問題とかが軽視されがちなような気がするのです(そんなこと気にするのは自分だけかもしれませんが…..あんまり勉強してないし)。
あと、コンキチは所謂カテゴライズされたGreen Chemistryに関して、はっきり言って門外漢なので、
例えば、
他品種少量製造を行っていて、扱う化合物の頻繁な切り替えが必要となる場合、イオン性液体なんか使ったときの釜の洗浄ってどうなの?
とか、
何回リユースできるの?繰り返しリユースしてたら、不純物が蓄積して反応に悪影響を与えたりしないの?なんていうことも気になりますね(この辺は要勉強ですかね)。
で、何が言いたいかというと、カテゴライズされたGreen Chemistryでなくても、より実学を志向した、しかも導入が容易な”Green”な反応にもっと光をあててもいいんじゃないの?ということです。
例えば、このブログでも過去に取り上げた↓
「Trialkylzinc(II) ate complex」なんかは、簡便な方法で収率が向上し、精製も容易になり、E-ファクターを低減させ、コスト的にも優位性があそうだし、RMEも向上するでしょう。そして、これまでのやり方を大きく変えなくてもよいというこいとに価値があるとも思いますね(教育も少しですむし、やり方を変えることに伴う心理的バイアスも少ない)。
それからこの論文↓
Trichloroisocyanuric/TEMPO Oxidation of Alcohols under Mild Conditions: A Close Investigation
J. Am. Chem. Soc., 2003, 68, 4999-5001.
プール水処理剤とかに使用されていて安価なTCCA(trichloroisocyanuric acid)を共酸化剤に使って、TEMPOを触媒で回すという反応で、溶媒もアセトン水溶液で取り扱い易い。マイルドな条件でけっこうクリーンな気がします。(アニソール骨格を持つ基質だと、アルデヒドで酸化が止まる。また、オレフィンを含む基質だとジクロロ化も進行するとようです。系内に水が存在しないと、アルデヒドで反応が止まる的な記述もあり、興味深いです)
リファレンスに同じ著者が投稿した「アルコール→カルボニル化合物」というトランスフォーメーションに関する論文(Org. Lett., 2001, 3, 3041.)があるので、チェックしてみたいのですが、Organic Lettersはコンキチが勤務する会社では購読してないのですぐには入手できず残念です。
あと、Jacobsenの開発した、Hydrolytic Kinetic Resolutionなんかは、Chem-Stationで「触媒が安価・無害・空気/水に安定、触媒使用量は少なく(0.5-5mol%程度)回収再利用が可能、基質一般性は高く選択性はほぼ完璧、ほぼneat条件の溶媒量、バルクスケールでも実施可能(実際に本反応はRhodia Chirex社(USA)およびダイソー株式会社(日本)により工業化されている)など、不斉触媒の要請条件をほとんど満たす、現時点では最も理想に近い不斉触媒反応といえる。」と絶賛されています。
ref.
J. Am. Chem. Soc., 2002, 124, 1307-1315.
Org. Synth., 2006, 83, 162-169.
上記反応は、catalysisにカテゴライズされるのかもしれませんが(でもcatalysisはカテゴリ的には極めて広範すぎると思う)、反応を環境調和型にブラッシュ・アップしていく研究っていうのが、もっと大々的にとりあげられてもいいんじゃないかなあと思う次第なのです(コンキチが知らないだけで、既に十分注目されているのかもしれませんが…..)
以上、ダークサイドに墜ちた、某二流国立大でのなんちゃって研究員の呟きでした。
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先のブログで、Chemical ReviewsのGreen Chemistry特集に触れ、環境志向の高まりを感じた旨を記しました。ただ気になるのは、Green Chemistryとお題目を銘打つと、各々にカテゴライズされた、ぱっと聞いてみてグリーンちっくなテーマにスポットが当たりがちのような気がして、その辺りがちょっと気にかかります。
例えば、
Organocatalystを使ってメタル・フリーな反応を開発しました。でも、CH2Cl2溶媒Death!!!!!(涙)
とか、
イオン性液体中で反応を行うことで、素晴らしい反応性と選択性で反応が進行します。でも、使ってる触媒が超絶高価で有毒なんだよね(テヘヘ)
といった、カテゴリにこだわるあまり、根底にあるコンセプトとの整合性を欠いている論文とかは –勿論そういった新たな知見は有益であるとは思うけれど-果たして実学たりえるのだろうかと思うわけですよ。
あと、
超臨界CO2ってとってもクリーンだよね!でも、当社では設備投資できませんから!残念!!!
というような実行の容易さに係る問題とかが軽視されがちなような気がするのです(そんなこと気にするのは自分だけかもしれませんが…..あんまり勉強してないし)。
あと、コンキチは所謂カテゴライズされたGreen Chemistryに関して、はっきり言って門外漢なので、
例えば、
他品種少量製造を行っていて、扱う化合物の頻繁な切り替えが必要となる場合、イオン性液体なんか使ったときの釜の洗浄ってどうなの?
とか、
何回リユースできるの?繰り返しリユースしてたら、不純物が蓄積して反応に悪影響を与えたりしないの?なんていうことも気になりますね(この辺は要勉強ですかね)。
で、何が言いたいかというと、カテゴライズされたGreen Chemistryでなくても、より実学を志向した、しかも導入が容易な”Green”な反応にもっと光をあててもいいんじゃないの?ということです。
例えば、このブログでも過去に取り上げた↓
「Trialkylzinc(II) ate complex」なんかは、簡便な方法で収率が向上し、精製も容易になり、E-ファクターを低減させ、コスト的にも優位性があそうだし、RMEも向上するでしょう。そして、これまでのやり方を大きく変えなくてもよいというこいとに価値があるとも思いますね(教育も少しですむし、やり方を変えることに伴う心理的バイアスも少ない)。
それからこの論文↓
Trichloroisocyanuric/TEMPO Oxidation of Alcohols under Mild Conditions: A Close Investigation
J. Am. Chem. Soc., 2003, 68, 4999-5001.
プール水処理剤とかに使用されていて安価なTCCA(trichloroisocyanuric acid)を共酸化剤に使って、TEMPOを触媒で回すという反応で、溶媒もアセトン水溶液で取り扱い易い。マイルドな条件でけっこうクリーンな気がします。(アニソール骨格を持つ基質だと、アルデヒドで酸化が止まる。また、オレフィンを含む基質だとジクロロ化も進行するとようです。系内に水が存在しないと、アルデヒドで反応が止まる的な記述もあり、興味深いです)
リファレンスに同じ著者が投稿した「アルコール→カルボニル化合物」というトランスフォーメーションに関する論文(Org. Lett., 2001, 3, 3041.)があるので、チェックしてみたいのですが、Organic Lettersはコンキチが勤務する会社では購読してないのですぐには入手できず残念です。
あと、Jacobsenの開発した、Hydrolytic Kinetic Resolutionなんかは、Chem-Stationで「触媒が安価・無害・空気/水に安定、触媒使用量は少なく(0.5-5mol%程度)回収再利用が可能、基質一般性は高く選択性はほぼ完璧、ほぼneat条件の溶媒量、バルクスケールでも実施可能(実際に本反応はRhodia Chirex社(USA)およびダイソー株式会社(日本)により工業化されている)など、不斉触媒の要請条件をほとんど満たす、現時点では最も理想に近い不斉触媒反応といえる。」と絶賛されています。
ref.
J. Am. Chem. Soc., 2002, 124, 1307-1315.
Org. Synth., 2006, 83, 162-169.
上記反応は、catalysisにカテゴライズされるのかもしれませんが(でもcatalysisはカテゴリ的には極めて広範すぎると思う)、反応を環境調和型にブラッシュ・アップしていく研究っていうのが、もっと大々的にとりあげられてもいいんじゃないかなあと思う次第なのです(コンキチが知らないだけで、既に十分注目されているのかもしれませんが…..)
以上、ダークサイドに墜ちた、某二流国立大でのなんちゃって研究員の呟きでした。
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2007年7月15日日曜日
GC in CHEMICAL REVIEWS (1)
CHEMICAL REVIEWSの6月号を見てみたら、「Green Chemistry (GC)」特集でした(表紙の色も緑色)。
目次をながめてみると、所謂グリーン・ケミストリーの範疇でカテゴライズされたテーマ(超臨界CO2とか、aqueous reactionとかionic liquidとかmicrowaveとか) がいっぱい並んでいました。
ChemRev.1冊まるまるGC特集が刊行されるぼどに、世間の環境志向の高揚を(それなりに)感じます。
コンキチが学校を卒業してから8年が経過しましたが、学校教育におけるその辺のことはどのように教育されているのか興味あります。
コンキチが通っていた学校では、コンキチが入学する前年に「応用化学・環境化学工学科」が「応用化学科」に名称が改変されました。教員(教授とか助教授とか)の配置転換があったわけではなく、ドラスティックにカリキュラムが変更された訳ではないようで、環境科学概論なんていう授業とかもありました。
当時としては、「環境」なんてビジネスにならないよ(従って、そんなの勉強して就職できるの?)なんていう空気を感じましたが、翻って現在はどうでしょう?環境ビジネスが隆起してるではないですか。
当時としては「環境」を(多少なりとも)志向した数少ない学科だったのかもしれませんが、先に触れた「環境科学概論」とか「環境アセスメント」などといった環境系の授業の内容は、化学合成プロセスに対してスポットをあてたものではなく、環境科学に焦点をあてた内容でした。なので、その先生の研究室(環境計測研究室とか循環制御研究室とか環境保全研究室とか)の卒論とかは、エアロゾルの話とか河川の環境の話とか人口光合成システム構築を目指したレドックス系の話(だったような気がする)とかでした。
「グリーン&サスティナブル合成研究室」とか、「サスティナブルプロセスデザイン研究室」とか、そんな名称の研究室や講義があってもいいんじゃないかと思うのですが、どうでしょう?(ひょっとしたら結構あるのかもしれませんが)
ちょっとした二流大出のなんちゃって研究員のつぶやきでした。
続く.....
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目次をながめてみると、所謂グリーン・ケミストリーの範疇でカテゴライズされたテーマ(超臨界CO2とか、aqueous reactionとかionic liquidとかmicrowaveとか) がいっぱい並んでいました。
ChemRev.1冊まるまるGC特集が刊行されるぼどに、世間の環境志向の高揚を(それなりに)感じます。
コンキチが学校を卒業してから8年が経過しましたが、学校教育におけるその辺のことはどのように教育されているのか興味あります。
コンキチが通っていた学校では、コンキチが入学する前年に「応用化学・環境化学工学科」が「応用化学科」に名称が改変されました。教員(教授とか助教授とか)の配置転換があったわけではなく、ドラスティックにカリキュラムが変更された訳ではないようで、環境科学概論なんていう授業とかもありました。
当時としては、「環境」なんてビジネスにならないよ(従って、そんなの勉強して就職できるの?)なんていう空気を感じましたが、翻って現在はどうでしょう?環境ビジネスが隆起してるではないですか。
当時としては「環境」を(多少なりとも)志向した数少ない学科だったのかもしれませんが、先に触れた「環境科学概論」とか「環境アセスメント」などといった環境系の授業の内容は、化学合成プロセスに対してスポットをあてたものではなく、環境科学に焦点をあてた内容でした。なので、その先生の研究室(環境計測研究室とか循環制御研究室とか環境保全研究室とか)の卒論とかは、エアロゾルの話とか河川の環境の話とか人口光合成システム構築を目指したレドックス系の話(だったような気がする)とかでした。
「グリーン&サスティナブル合成研究室」とか、「サスティナブルプロセスデザイン研究室」とか、そんな名称の研究室や講義があってもいいんじゃないかと思うのですが、どうでしょう?(ひょっとしたら結構あるのかもしれませんが)
ちょっとした二流大出のなんちゃって研究員のつぶやきでした。
続く.....
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