2007年7月29日日曜日

侍はいた

構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌」(竹中平蔵著)を読了しました。


以下、徒然なるままに、とりとめもなくまとまりもない感想をメモしてみます↓

我が国で、大臣経験(しかも常に主要な大臣)者であり経済学者である氏の著作というのは非常に価値があると思い、同書を手に取りました(経済学者で大臣は竹中さんと現経済財政政策担当大臣の大田さんしかいないと思う)。

タイトルからも明らかなように、同書は5年5ヶ月に渡る小泉内閣においての氏の仕事を著したものです。内容がコンキチの想像以上に生々しく描かれていて、この手の書籍としては読んでいて珍しく興奮しましたね。で、率直に思ったのは、我が国にも「侍」と呼べるような人物(政治家、学者、経済人、官僚)がいるのだなあと感じ、柄にも無くちょっと胸が熱くなるのを感じてしまいました。

小泉内閣発足時、日本は「失われた10年」などというキャッチ・フレーズに表されるように、これまでの超バラマキによる財政政策の失敗(流動性の罠)によって、経済の閉塞感に覆われていました。実際、小泉内閣発足前夜に就職したコンキチ達の時代は「就職氷河期」などと言われ、労働市場(っていうほどの市場は形成されてないよ思うが)は、企業業績の悪化を背景に空前の買い手市場でもありました。

巨額の不良債問題、巨額の財政赤字といった非常に好ましくない状況の中にあって、敢えて火中の栗を拾おうとし、そして、我が国の経済を回復の方向に向かわせたのが、小泉純一郎内閣総理大臣と竹中平蔵大臣であり、彼等を真剣に支え続けた気骨あるスタッフでだったのだなと同書を読んで改めて感じました。

まあ、本人の手による著作なので、ある程度は割り引いて考えなければならないかとも思いますが.....

小泉内閣発足時から、竹中大臣の語り口は、他の政治家などに比べて、極めて分かり易く、はっきりいって氏は「まともなこと」を言っているように聞こえました。それなのに、「いつか来た道」を繰り返そうと刷るばかりの抵抗勢力のオウム返しのような台詞にはTVの前で辟易させられました。

また、国民の意を得た(ような)場合は「ポピュリズム(衆愚)」と、リーダーシップを発揮するときは「国民不在(ファシスト)」とヒステリックに叫ぶ、そして歪曲報道と掌を返したような発言をし、自分達があたかも正義の使徒であるかのように振る舞うマスゴミの醜悪な姿を忘れることができません。

まあ、反体制的な発言をおもしろおかしく公共の電波で流さないと視聴率が下がりそうだからしかたありませんかね。

ところで、この本を読んでコンキチが一番印象に残ったのは、「官僚の無謬性」という言葉が連呼して使われていたことです。官僚(組織)は、自分達がこれまでに行ってきたことは全て正しいと考え、自己否定することは皆無であるとうことです。で、これまでの行いが正しいのだから、現在・未来の施策もその延長上にあるものしか採用されないということです。これってちょっと(新興)宗教チックなところがありますよね。まあ、宗教に限ったことではありませんが、あるものに自分がのめり込めばのめり込むほどに、(例えそれが間違っていたり、アホアホなことであっても)そこから抜け出せなくなっていくという心理に似ていませんか?このことは、人間は自己を否定することが本質的に辛いということを表していると思います。そもそも、人間は神ではなく、間違いをしょっちゅう犯すのは周知の事実でしょう。となると、自己を否定できる文化を持ち、自己を修正できる組織は強いという結論に達することができるのではないでしょうか(例えば、トヨタとか)。

それから、所謂「政策通」とか「経済通」と言う言葉は、官僚の"冷やかし"用語であって、官僚から見て、自分たちの都合をよく聞いてくれる人、言いなりになる人なのだそうです。思わず「道理でな」と思ってしまいました。

あと、小沢一郎が「豪腕」とかと称されたようですが、ちょっと集金が上手だっただけでしょ。真の豪腕とは、政府主導の改革と意思決定プロセスを成し遂げた竹中平蔵であり、小泉純一郎であるとコンキチは思いました。

PS
コンキチは竹中平蔵教授の著作・訳本を何冊か読んだことがありますが、ホントに人に読ませる文章が上手だなあと思いました。竹中平蔵は政策造らせてよし、(大臣として)人を使わせてよし、本を書かせてよし、火中の栗を拾える剛胆さを持った希有な人材だと思いました。そして、小泉前総理の最大の功績は、小泉内閣の要所要所で、竹中平蔵という優れた才能を内閣のキーポジションで使い続けたことにあると思います。そういう意味で、小泉純一郎もまた希代のリーダーだったと思いますね。

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