2007年12月31日月曜日

Productivity

コンキチの勤務する事業所では、週に一回ノー残業デーがあります。まあ、研究開発部門でそれを励行しているのはコンキチだけですが.....

月当たりの残業時間規制が敷かれたこともありましたが、今やどこゆく風の様相を呈しています。

はっきり言って、残業タイム中にチンタラとまったりトークしている輩とか、「それってホントに今やる必要があるの?」的に残業が半ば習慣化しているような輩をよく見受けるような気がします。

ちなみに、コンキチの過去1年間(2006年12月-2008年11月)の総残業時間は、

91.35時間

月平均7.6時間です。1月20営業日とすると、1日当たり23分くらいの残業ですが。

平たく言えばコンキチは殆ど残業していません。

コンキチの個人的な独断と偏見によると、残業を習慣化している人って、「仕事が忙しくて終わらない」とか言って一生懸命仕事してるフリしてますが、時間外労働(残業)を行ったときの割増賃金狙いの人もけっこういるんじゃないかと思います。

そういえば、以前、会社が賃金処遇制度を能力主義から(かりそめの)成果主義に移行して、実質の賃下げを断行した際、労働組合の反応は、「従来の給与水準を維持するためにはもっと残業しなければならない」的なことを組合幹部が発言していたことを記憶しています。

(普通の残業)の割増率って(確か)25%(コンキチの勤務する会社は33%)ですからね。でかいですよこれは。

コンキチが思うに、残業って

1) 割増された賃金以上の生産性で働く
2) 時間を買う(残業をして早期に仕事を処理することで得られるベネフィットが割増された賃金を上回る)

という2点においてのみ価値があるものと思っています。

で、1)は即却下です。理由は、残業っていうのは通常時間の労働に比べて圧倒的に高コストなんですよね。ただでさえ賃金が割増させるのに加えて、既に8時間くらい仕事をした後(本来へとへとになっているはず)にしている仕事なわけだから、残業タイムには生産性(労働効率)も相当落ちているはずです。

次に2)ですが、これはあり得ると思いますね。ただ、そう頻繁にあるものではないはずと思います(超成長産業だったら定常化するかもしれませんが、コンキチの勤務する会社の業務は超成熟産業に属しています)。つまり、習慣化することはない。っていうか習慣化しているんだったら、事前のプランニングに問題があると思う。あと、管理監督者の管理監督能力の欠如ですかね。

あと、

ホワイトカラー・エグゼンプションが世間の話題にのぼったとき、マジでこの制度が普及しないかなあと真剣に思ったものです。だって、残業代がゼロになったとき、習慣残業してる人達の行動がどう変化するか楽しみだからです。つまり、ホワイトカラー・エグゼンプション導入後も勤務態度が変わらず、バリバリ残業しまくっている人はワーカーホリック。残業を殆どしなくなった人は、割増賃金ゲッターだったという裁断が下るのです。まあ、上司の目をかいくぐって会社に存在しているだけで残業代が支払われる制度の下でのうのうと生きている人間にとっては、従来の圧倒的に優位な既得権が侵される訳ですから、何が何でも反対して、ホワイトカラー・エグゼンプションが日の目をみることはないように思いますが。

裁量労働制という別のツールもあるので、研究員は全員裁量労働にして欲しいと思うのですが、コンキチの勤務する事業所では、何年か前から適用対象社がいなくなってしまいました(理由は測りかねますが) 。

割増賃金ゲッター(生産性の低い従業員)の峻別の瞬間は当分みれそうにないようで残念でなりません。

2007年12月26日水曜日

研究員の品格

なんちゃって研究員のコンキチです。はっきり言って自分、研究員として三流だと思っています。まあ、研究員としてかなり下流の部類っていうことですね。ただ、研究員としての品格だけは、一応、持ち合わせているつもりです。

で、研究員といして三流という自覚のあるコンキチとしては、自分より下流(四流、五流)の研究員っていうのは存在しないと思っていました。

が、よく考えてみたら、自分の身近にいました。さらに下流の研究員が。以下に例を挙げます。

1) ドラフトの外で臭素を使っていた
コンキチは社内で虐げられているので、デスクワークをする居室(事業所に入場してすぐのところにある)と(居候させてもらって)実験をする部屋(事業所の一番奥にある)が事業所内で最大距離にあります。で、居候先の実験室の先輩社員が臭素を使って反応をしていました。ドラフト外で、ついでにオープンエアで(ドラフトは回ってたけど)!!!っていうかマジ勘弁して欲しいです。ベーパー吸っちゃうかもしんないジャン!

2) 水銀が散乱しています
しばらくデスクワークが続いたコンキチが、久方ぶりに上述した居候先の実験室なで実験を始め2週間くらい経った日のこと、水銀が散乱しているのに気が付きました。っていうかなんで真の室員じゃないコンキチが気付いちゃうの?っていうか、なんでこぼしたヤツはちゃんと水銀を回収しないの?っていうかコンキチはまだ健康障害に陥りたくありません。

3) HPLC用の溶媒の蓋あけっぱなしだし
また居候先の実験室での話なんですが、液クロ用のアセニトの蓋が開けっ放しなんですよ。1日以上(コンキチは人が悪いのでちょった観察してました)。コンタミとか気にならないの?

4) オープンエアのMg
アセニトの蓋開けっ放しの先輩社員が、こんどはMgの蓋を開けっ放しで放置プレイです。もう、手がつけられません。

5) 臭い化合物を窒素シールして、部屋中に臭気をまき散らす
化合物名は言えませんが、グラッシー系のかなり臭いのキツい刺激的な香りのする化合物をドラフトの外で窒素シールしている先輩社員がいました。当然、その臭気は実験室中に広がります。で、コンキチは咳き込みました。これと全く同じことが数回起こりました。さすがにたまりかねて、「ドラフトの中で窒素シールしてもらえませんか?」と(一応先輩なので)下手にお願いしました。その後は改善されたのですが、こちとら何回も咳きこんでるのが気付かねーのかよ(怒)。っていうか軽い嫌がらせなのかと思いました。

etc.

とまあ、研究員として最低限持っていなくてはならない「安全意識」=「研究員の品格」さえも持ち合わせていない人がいることにマジであきれるとともに。身の危険を感じましたね。そのうちなにかに巻き込まれそうで怖いです。

いずれ(近い将来)何らかのアクションをとろうかと思っています。

2007年12月25日火曜日

土地真理教

土地真理教というクエリでI'm Feelig Luckyすると、こんなウェブ・サイトに飛びます↓

http://www.alt-invest.com/pl/opinion/tochi.htm

コンキチの愛読書である「ゴミ投資家シリーズ」や橘玲で有名なAIC(Alternative Investment Culb)のホームページです。

コンキチは5年半前から住宅ローンを組んで集合住宅に住んでいます。理由は↓

1) カミさんの虚栄心を満たすため & 超高い物件をおねだりされる前にこの辺(2,500万位)で手を打っておくか。

2) 金利も低いし、税金の優遇措置(住宅借入金等特別控除)もあるし。

3) 集合住宅だから、なんかあったときの訴訟は集団で対応できる。

4) インターネットやり放題。

等です。

まあ、正直上記見通しというか思惑は、はっきり言って甘かったことがAICの「人生設計入門」を読んであきらかになりましたが.....

平たく言えば、住宅ローンを組んだのは、コンキチの人生最大の失敗と思います(機会費用の発生とか、持てるリスクとか、集合住宅ならではのマジョリティーの意見に従わざるを得ない)。残念かな、「ゴミ投資家シリーズ」に出会ったのは、ローンを組んだあとでした。

さて、コンキチの軽い身の上話はこの辺にして、本題に入りたいと思います。

先日、コンキチの勤務する会社の同期が住宅の購入を検討しているそうです。で、その理由なんですが、

「もう30半ばだし、子供(2人いる)の部屋を用意したいし、庭付きの家で犬を飼いたいし、まあ、そういう年になってきたよ。」

というものでした。で、そんなメルヘンな理由で高い借金しちゃっていいの?ちなみにその理由に異を唱えるものなどいようはずはありません。


真剣恐ろしいですよ、土地真理教!


ここまで世間に広く根深く浸透しているとは!実際、他の先輩社員をはじめとする同僚達は、ご多分に漏れず「俺のマイホーム」についてちょっぴり誇らしげに話します。そして、それがあたかも万人の成功スキームの1プロセスのように。


正に洗脳


そう思いました。しかも、極自然に浸透しているところが凄いです。

まあ、確かに人はなんらかの思想に多かれ少なかれマインド・コントロールされていると思います。我々が生活している現在の文明や文化は先達達の歩んだ長い道程の礎の基に成り立っているわけです。1から全てを構築するなんていうのは、不効率だし不可能です(言語の構築とか一人じゃ絶対無理でしょ)。で、我々は、偉大な先達の積み重ねてきたツールを拝借して浮き世を渡っているわけで、人として生を受けた以上は、先達達が(勝手に)構築した規範・規制・道徳に強制的に従わされて生活することを余儀なくされます。そういうのが幼少の頃から行われるので、多分全ての人類はそれなりに洗脳(マインド・コントロール)されていると思います。

ただ、マインド・コントロールの全部が全部悪いとはコンキチは思っていません。例えば、「人を(みだりに)殺してはいけない」&「殺しちゃったらそれ相応の罰則が待ってますよ」というインプリントは、我々が円滑な社会生活を送る上で有効に機能していると思います。それから善悪という(人間が勝手に決めた)概念とかもかなり有効に機能していると思う。

しかしながら、オウム真理教とかの新興宗教といったマイノリティーにありがちな洗脳を、所謂善良な市民といったマジョリティーは好みません。

ちょっと長くなってきたので、強引にまとめたいと思います。

a) 全ての人間はマインド・コントロールされている。

b) 洗脳にはマジョリティーのマインド・コントロールとマイノリティーのマインド・コントロールがある。

c) マイノリティーのマインド・コントロールは積極的にマインド・コントロールと呼ばれたり(マジョリティーのマインド・コントロールはマインド・コントロールとは呼ばれない)、洗脳と呼ばれる。

d) 日本人の(ウサギ小屋のような)持家信仰(土地真理教)は、マジョリティーの洗脳(マインド・コントロール)であり、夢(Dream)と称されることもある。

こんな感じなのではと思います。で、我が国に於ける土地真理教(持家信仰)は、完璧なマジョリティーのマインド・コントロールと思います。しかも軽く有害な。

2007年12月24日月曜日

利他主義 vs 利己主義

先日、週間東洋経済(2007 12/15増大号)を読んでいたら、行動経済学に関する特集記事が組まれていていました。で、その中の一記事に「利他主義」は得をするというのが有りました(北大大学院の教授が担当)。古来から伝わる「情けは人の為ならず」っていうやつです。

記事の内容ですが、「人間は必ず合理的で利己主義的な行動をとる」という経済学の前提が誤りであり(っていうか、株式市場の短かいスパンでの乱高下が、投資家は必ずしも合理的でないということをとうの昔に例証していると思うが.....)、人間は利他的な行動をたくさんとるという反証がたくさんでてきたそうで、利他的な人にだけ利他的に行動する「選択的利他性」を、ある割合以上の人々が持っている限り、利他主義者の利益は利己主義者の利益を上回ることがよく知られているそうです。

まあ、短絡的・短期的利益に基づいた自己の利益のみをベースに行動することは、社会システムが許しませんがね。
(例えば、金が欲しいからといって窃盗とかしてばれると、お巡りさんに捕まえられる。あと、面倒くさいからといってコミュニティーの決まりに従わす、調子こきすぎると村八分とか、場合によっては提訴されたりするかも。)

人生を長期に渡って謳歌しようと思ったら、ある程度は周囲と足並みを揃えなければならないということは、感覚的に納得するところではあります。自他共栄ってやつですね。

逆に完全に利他的というのも現実的ではないような気がします。誰しも自我(欲望)があると思いますからね。

故に、人は利他主義と利己主義のバランスをとって、時にはトレードオフの選択をして生きているのでしょう。

さて、ここで利他主義と利己主義を会社生活にてはめてみたいと思います。一般的な会社員は自分の他に先輩社員(上司)、同輩社員、後輩社員がいることと思います。さらに、各カテゴリーの社員には「良い(つかえる)社員」と「悪い(つかえない)社員」がいるはずです。で、コンキチの感触では、これらの社員ミックスに対して以下の様に接するのが良いのではないかと思っています↓

a) 良い(つかえる)先輩社員
希有な存在ですが、もし見つけたら積極的に利他主義光線を発して、濃密にコミュニケイトすべきでしょう。

b) 悪い(つかえない)先輩社員
けっこう繁殖しており、ついでに厄介な存在でもあると思います。コンキチの場合、彼等に対しては徹底的の利己主義を貫きます。自分の利益を守るというのが基本と思います。組織内での利害関係が強い場合は、「さかわらす いつもニコニコ 従わず」的スタンスで接するのがベターかと思います。積極的にけんかを仕掛けるのは得策ではないと思います。むしろ、所詮上司も組織の一歯車なんだから、慇懃のちょっとだけ困らせてやろう的な気構えが良いのではないかと思いますね(コンキチはそうしています)。それから利害関係が比較的希薄な先輩社員に対しては、「(必要最低限のやりとり以外は)無視」と「慇懃無礼」をタイプによって使い分けるのがよいと思います。より具体的には、傍若無人タイプには「無視」で、普通タイプには気分に応じて「無視」&「慇懃無礼」が良いと思います(傍若無人に慇懃無礼やったら火に油注いじゃいそうですからね)。まあ一言で言うと、こういうタイプには心を滅すということでしょうか。機械的に対応するということです。バカな上司や先輩にまともに対応することくらいアホくさいことはないということを、コンキチは社会に出て学びました。それから、情けを与えても(利他的に接しても)、情けの見返りが全く期待できない人間にあいもかわらず情けを与え続けるのは、労力と時間の無駄でしかありません。フリーライダーを懲らしめるのは当然のことです。

c) 同輩社員
密かに、コンキチは同輩とのつきあいが苦手ですね。っていうかより具体的には「同期のよしみ」っていうのが苦手です。なんでたまたま入社時期が偶然一緒だっただけなのに、「同期のさくら」とか「同期のよしみ」的雰囲気が勝手に醸成されるのが嫌です。あまり深入りしてトラブルに巻き込まれたときに、人情に訴えかけられると嫌なので、つかず離れずのスタンスで付き合うのがベターかと個人的に思っています。正直言って、コンキチは、入社したのが一緒だっただけの人間を友達とは考えていませんね。ドライなようかも知れないけれど、なにかしらの共有体験がある訳でもないし。当然、うわべの良さは必要かつ重要と思いますが。

d) 後輩社員
つかえるつかえないに関わらず、先輩は後輩を育成する立場なので積極的にコミットし、社内のリソースも出来る限り優先して融通してやるできと思います。後輩に対しては完全利他主義で接するべきでしょう。先輩に利己的に接せられたら、きっと彼等彼女らも利己的になるんじゃないかなあ。あと、後輩に対して利己的だと、はっきり言って弱いものいじめだから。それは美しい生き方じゃないよね。

以上がコンキチ流「利他主義と利己主義の使い分け」ですね。

利他主義には利他主義を。
利己主義には利己主義を。

と言ったところでしょうか(ハンムラビ法典みたいですが)。その方が精神衛生上もいいと思います。利他主義に対して利己主義で返したら相手にされなくなるし(コンキチならそうする)、(筋金入りの)利己主義に利他主義っで答えたら、こっちの精神が疲弊します(精神科に行かないといけなくなるかも)。

2007年12月15日土曜日

DEPT

先日、NMRをとっていたときのことです。

とある化合物のDEPT90のスペクトルを解析していると、CH2のシグナルがなぜか検出されているではありませんか(CHとは逆の位相で)

NMRスーパー初心者級のコンキチは、

Why? That's not acceptable!

ってな気持ちになりました。

で、どうにも気になって仕方がなかったので、

「DEPT NMR」というクエリーで、軽くI'm Feeling Luckyしてみると.....

見事ヒットです。北大のWeb SiteのNMR解説ページに飛ばされて、見事コンキチの疑問に答えてくれましたよ↓
http://www.agr.hokudai.ac.jp/ms-nmr/nmr/dept.htm

なんでも(以下引用)
DEPTはCH, CH2, CH3, C(四級)の区別をパルス幅βによっておこなっているため、1JCHがふぞろいでも影響は少ないが、それでも1JCHが極端に大きなメチレンはDEPT90スペクトルにピークを与え、DEPT135では強度が弱くなる。下図は、大きな1JCH(173Hz)が知られているメチレンジオキシを有する化合物(セサミン)のDEPT90(下段),DEPT135(上段)スペクトルである。メチレンジオキシ由来のシグナルがDEPT90においてかなり強くでており、DEPT135では強度が小さい。

なんだそうです。実際、コンキチの測定したDEPT135のCH2の強度はこころなしか小さかったです。

はっきり言って、言っている意味は哀しいくらいチンプンカンプンチンプンカンプンイェーイ!といった感じなのですが、そういうことがあるんだと脳ミソにはインプットしておきました。

やっぱNMRとかのプロは、理系の文系と揶揄される化学の世界にあっては異彩をはなっているなと思うなんちゃって研究員のコンキチでした。

2007年12月14日金曜日

堕落

なんちゃって研究員のコンキチです。

先日、とある先輩社員がソリティア(フリーセル?)をやっていました。残業時間中に
オイオイ。それって服務規律に違反してるでしょ。勇気あるなあ。っていうか、仕事さぼるにしてもやりかたってもんがあるよね。せめてゲームはやめて欲しい(バカっぽいから)

あと、残業時間中にゲームするのはやめてほしいな(1万歩譲って割増賃金がつかない時間帯にさぼってよね)。どうせさぼるなら、仕事と関係性の薄い(趣味の)文献読むとか、本とかを読んでサボタージュしてほしいな。

ゲームやって残業代もらうところまでは堕ちたくないなと思うコンキチでした。

2007年12月8日土曜日

研究開発職はクリエイティブか?

香料会社で有機合成やってるコンキチです。

さて、今回のお題は、

「研究職って皆が皆、クリエイティブ(クリエイティブ・クラス)な訳?」

というものです。

ズバリ、コンキチは受託合成やってるのですが、業務フローはフレームワーク化(というほどでもないですが)しています(少なくともコンキチはそう思っている)。

より具体的には、

1) 顧客企業がラボで開発した合成スキームを、プラントで動かせる条件を設定する。
2) 資材の使用量について検する。
3) 反応温度について検討する
4) ワークアップを最適化する
5) 精製条件を検討する

っていう感じで、ルーティーン(定型的な作業)を幾つか組み合わせた労働集約的な業務です。

正直言って、JACSとかJOCの新着記事とかを読んでも、役に立ったことは皆無です。ッ自分で言うのもなんですが、深い思考・思索・考察が完璧に欠落しているんですよね。
(なので、雑誌読んでると少し空しくなります)

実際、合成香料は、かなりやり尽くされた感があり、残されているのは、軽微なプロセス改善を継続的に実施していくことと、不斉合成領域における破壊的イノベーションを期待することぐらいではないかとさえ思われます。合成香料に大きな伸びしろがないから、化成品受託合成に多角化して行くのでしょう。

で、何が言いたいかというと、コンキチは肩書きこそリサーチャーですが、ルーティーン・ワーカーなのだということです。実際、あんまり頭使ってませんし。

(そんな環境の中にいると、自分がゆっくりと緩慢に腐れていくような気がします。)

で、研究開発職というとクリエイティブ・クラスの代名詞的な響きがあると思いますが、実際は必ずしもそんなことはないということです。

2007年12月2日日曜日

クリエイティブ・クラスの世紀

という本を読みました。著者は、リチャード・フロリダ。今年の春のダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビューで彼の特集やってたと思います。


一応、コンキチは企業で研究員をやってるので、クリエイティブというタームに興味をそそられ(研究員だからといって、必ずしも仕事がクリエイティブなわけではありませんが...)、この書を手に取ってみることにしました(ちなみに市立図書館で借りました)。

で、氏の主張するところは、昨今、世界では工業化社会からクリエイティブ社会へとパラダイム・シフトしていると言います。また、クリエイティブ経済の発展には、三つのT(テクノロジジー、タレント、トレランス)が重要であると主張しています。その中でも、「トレランス」の重要性を重点的に取り扱っています(新しい主張だからかな)。そして、クリエイティブ経済(頭脳労働がベースとなる経済)下では「都市」が重要なユニットになると言います。

平たく言えば、あらゆる人種、思想、民族、あとゲイに寛容な都市は、才能ある人材(クリエイティブ人材)を引きつける(クリエイティブ人材を排除しない)からだそうです(多分)。で、国策としてクリエイティブ人材を引きつける都市を多く造りだすことが、その国の発展につながると主張しているようです。

具体的には、クリエイティブな社会資本への投資、っていうか教育システムへの投資が重要です(クリエイティブ人材の底上げになる。あと、魅力的な大学は優秀な人材を吸い寄せる)

クリエイティブ経済の基本ユニットが「都市」なのは、多分、クリエイティブ経済を牽引するのはクリエイティブ人材を多く輩出する可能性の高い「大学」ベースで考えているからだと思います。仮に日本で考えてみた場合、我が国最高の頭脳が集積する東京大学がカバーできる地域は、東京であると考えるのが妥当なような気がします。

あと、格差の過度な拡大は、クリエイティブ経済に悪影響を与えると言います(著しい格差は経済成長阻害するという研究成果がけっこうあるそうです。賃金・給与の平準化が購買力のある中産階級(クリティカル・マス)を台頭させる。)。著しい格差社会下では、下層階級の子供は充分な教育をい享受できす、階層間の移動(下層階級→クリエイティブ・クラス)がより困難になり、それが教育の機会が与えられていればなりえたであろうクリエイティブ人材の機会損失につながるからのようです。(そういった観点から考えると、戦後の日本の復興も理解しやすいような気がします)

一方、クリエイティブ経済の創世記(現在)においては、所得格差が進み易いそうです。理由は、経済を牽引するであろうクリエイティブ人材の大規模な移動によるもので、クリエイティブ人材を引きつける地域(高所得の労働者を集めている)とそうでない地域(低所得の労働者を集めている)での地域間格差が進行するから。それから、クリエイティブな地域内でも格差が進行しているそうです。クリエイティブだからといって、クリエイティブな産業のみでは地域社会がなりたちませんからね。多分、非クリエイティブなサービス業とか小売業とかに従事している人(マックの店員とか)もそれなりにいるからでしょう。

まあ、ユニフォーメーションな社会は気持ち悪いけど、格差のバランスをはかっていかなければならないということでしょうか?「中庸」ですね。

本書では、国のクリエイティビティを計測する指数は幾つか開発されているらしいのですが、その中でグローバル・クリエイティビティ・インデックス(著者らが開発した)とううのがあって、グローバル・クリエイティビティ・インデックスを基にした国別のランキングは↓

1位 スウェーデン
2位 日本
3位 フィンランド
4位 アメリカ
5位 スイス
.
.
.

ということでした。正直、我が国が第2位にランクしているのには驚きました(完璧予想外でした)。だって、三つのTのうちテクノロジーんは光ってるかもしれないけど、タレントはイマイチでトレランスに至っては、かなり偏屈なのではないかと思っていたからです。

ただ、ダメダメだと思っていたトレランスについては、
a) 移民政策に対して否定的。
b) 前例主義的。官僚主義的。
c) 実益よりも儀式を重んじるところがある。
d)エスタブリッシュメント(っていうか頭の堅い爺さん)が幅を効かせている。

といったマイナス要素に

a) 宗教に対して寛容(っていうか関心がない?)。
b) 世界に冠たるオタク文化がある(最近富みに市民権を得てきたと思う)。
c)過去においては大陸からの文化を柔軟に吸収してきた。
d)気が弱く自虐的なせいか、他国の人と激しく対立しない(=仲良くなる確率が上がる)。和を持って尊しとなす。
e) 原爆を落とした国とも仲良く出来る。

的なプラス要因を加味すると、日本もそれなりに寛容性がある国家なのかもしれません。

2007年11月26日月曜日

JAL

JALがまたやらかしてくれました。ダメダメなのは経営陣だけではなく、労組もなのですね(複数の労組があるようですが)。コンキチも人(他社)のことばかり言えませんが、ダメな会社っているのは、負のスパイラルにハマっているように思いますね。そのような現象は、企業毎の風土、つまり企業文化に根ざしたものであるとコンキチは考えています。

例えば、トヨタをエクセレント・カンパニーたらしめているのは、その優れた生産システムではなく、企業風土にあるということです(コンキチの個人的な見解)。つまり、生産システムが優れているのであれば、それを模倣することでライバル企業もそれなりにトヨタに肉薄することができるかと思います。しかしながら、トヨタは圧倒的に一人勝ちしている状態(コンキチはそう思う)を、高効率なオペレーションだけでは説明するのは困難と思います。そこで、企業風土が登場すると思うのですよ。「継続的カイゼン」を真に励行する企業文化こそが、真のトヨタの強みでありコア・コンピタンスかと思います。

2007年11月17日土曜日

CIFファイル

先日、とある文献を読んでいて、Supporting Informationをみようとおもったときのことです。PDFファイルに加えて、拡張子が”.cif”なるファイルを発見しました。軽くググってみたところ、

Crystallographic Information File

ということで、結晶の3次元構造とか、粉末X線回折とかのデータがつまっているようです。

結晶工学をやってる人には常識的なもののようですね。コンキチのような有機合成の研究に携わっている(なんちゃって)研究員も、(論文とか読んで)有機結晶に関する考察に触れる機会は頻繁にあるというのに、今まで気づかなかった不勉強さ加減に反省の一言です。

で、CIFファイルのViewer(Mac対応)のフリーソフトを探してみたら、

Mercury
http://www.ccdc.cam.ac.uk/products/mercury/

というソフトをみつけました。アイコンは、その名を示す「Hg」です。

早速、Mercuryをインストールして、ダウンロードしたCIFファイルをダブルクリックしてみると、無事ファイルが開き3Dビューが目の前に広がりました(3Dビューって意味もなく、童心というか遊び心をくすぐりますよね)

あと、結合距離とか結合角とかのデータも入っています。コンキチは学生時代に光学分割の研究に従事していたにも関わらず、結晶学の知識はほぼ皆無に等しく、恥ずかしい限りなのですが、(暇があったら)Mercuryを使い倒して(希望的観測)、少しはお勉強してみたいと思います。

2007年11月10日土曜日

ユニフォーメーションの呪縛

コンキチの勤務する会社では、労働組合(=大日本賃上げ教)がけっこう幅をきかせていて、微視的なユニフォーメーションの布教(洗脳)活動がさかんです。

先日行われた退職金(企業年金)制度の席でもそのパワーは存分に発揮されました。
人事部長からの説明が一通り終わって質問タイムに入るや否や、組合役員が得矢継ぎ早に(どうでもいい)質問を発しました。

(ちなみに現行の退職金制度は、基本的に皆そんなには変わらない(はずの)制度です。)

曰く、
既存制度と同等の給付額は確保されるの?
(っていうか、ポイント制で利率変動するし、確定拠出も混ざってるんだから分かるわけないでしょ)

曰く、
改定後のモデルは現実的でないのでは?既存制度から移行する場合、モデルの何処に当てはまるか分からない。
(っていうか、ポイント制で利率変動するし、確定拠出も混ざってるんだから分かるわけないでしょ。あと、モデルっていうのは程度の差はあるでしょうが、あくまで勝手な想定ですから)

曰く、
高卒なんですが、昇級が遅れて(年収のみならず)、退職金が減る人が増えそうで不安です。
(っていうか使える人材になれば問題ないでしょ。つかえない人材にも使える人材と同等のCashを与えることを悪平等というんですよ)

曰く、
「先がつまってるから昇級させられないんだよ」と言われたんだけど、そういう説明では納得できない。(退職金(年金)にもかかわってくるし)
(っていうか、上司の評価能力なんでそんなものです。逆にあんたは的確に他人の成果や能力を評価できるの。あと、ボーナスと昇格時における評価基準のあるべき相違を的確に説明できるの?そんなに自分に自信があるの>?会社からみたら従業員の80%は目くそ鼻くそです(とコンキチは思う))。

とりあえず、既得権を守りたいんでしょうね。どこぞの国の国民(群衆)と全く一緒です。

大の大人が既得権にしがみつく姿は、醜いのでそろそろやめて欲しいものです。

2007年11月9日金曜日

企業年金に思う

先日、コンキチが勤務している会社の退職金と企業年金制度の説明会が催されました。適格退職年金の廃止に伴う移行措置の説明ですね。

移行策は概ね固まっていて、

退職金 → 確定拠出年金
適格退職年金 → ハイブリット(キャッシュバランスプラン)

という移行schemeのようです。

それにつけても、確定拠出と確定給付を両方導入するなんて、いたずらに手数料が高くなるような気がするんですが?(素人考えですが)

確か、確定拠出って従業員への投資教育が義務づけられているでしょ?コンサルティング料とかぼったくられそうな気がします。

あと、確定給付の方の基準利率は直近1年の10年国債利回りの平均だとか。はっきり言って、これには怒りを通り越して、呆れてしまいますね。なにが哀しくて、リスクフリーレートで運用しなくてはいけないの?ちょっとくらいプレミアムのせろよ(怒)ってな感じです。正直、リスクテイクして運用するなら5%は欲しいと思うんですが。っていうか何も考えずにインデックス投資(所謂、ノーベル賞経済学者推薦の投資法)してればそれくらい行くんじゃないの?

あと、以前(何年か前)、「企業年金にポイント制は導入するの?」っていう質問をしたことがあるんですが、その時は「年金にはそういうのは導入しない」って言ってたんですが、ポイント制が導入されるとのことです(ちなみに担当者は同じ人です)。どうでもいいですが。

まあ、会社のやることには期待してませんが…..

2007年11月3日土曜日

宗教ビジネス

娘の七五三で神社にお参りに行ってきました。件の神社は、全国区ではありませんが、コンキチの居住地域内ではそこそこメジャーな神社で、本日その周囲はけっこうな渋滞を醸し出していました。

勿論、境内も人だかりの山。コンキチ一家的には、神社でなんとなく賽銭して、写真とってさっさと帰宅というスキームを思い描いていたのですが.....

一緒に行ったお義母さんのススメでお祓い(金5,000円)まで受ける羽目になっていsまいました。で、お祓いなんですが、狭い拝殿に大勢がすし詰め状態で、神主さんのお祈りはなんか長いし、ありがたみはないしで、ちょっぴり辟易してしまいました。

で、七五三を通して思ったのが、

宗教ビジネスって美味しいなあ

ってことです。

宗教ビジネスなんていう俗っぽい言葉を聞くと、新興宗教の壷なんかを売りつける霊感商法的なものを想起しがちかと思いますが、我が国でトラディッショナルな宗教である仏教とか神道の方がある意味さらにたちが悪いと思います。生臭坊主とかありがたみにない神主が、儀式と称する式典や祭典で高額なFeeを要求してきますからねえ。メチャクチャ粗利益率高そうですよ。

素人考えですが、堅牢な檀家を囲い込んでいる寺とかブランド力の高い神社なんかは広告・宣伝費は限りなくゼロに近いんじゃないですかねえ(初詣期はプレミアクラスがCNM出してますが)。超絶長い歴史がそのままブランド力になるから、広告・宣伝は殆ど無意味。

まあ、超過疎地とかの神社・仏閣は衰退の一途かもしれませんが、ある程度の人口が常に確保されて、域内での格がそこそこあれば、もう完全に有料ブリッジビジネスですよね。しかも、仏教と神道には、かつて国策として利用された歴史があるからうさん臭さもナッシングですし。

余談ですが、カミさんが以前勤めていた幼稚園って仏教系っていうか寺の住職が園長の幼稚園で、住職夫婦は二人とも糖尿病だそうです。

宗教ビジネスのNo. 2なって(教祖は人の目が気になりすぎるので)、一山あてたいなあと妄想するコンキチでした。

2007年11月2日金曜日

不祥事は何故起こる?

最近、企業の不祥事がお茶の間を賑わせています。まあ、今に始まったことではありませんが…..報道番組のキャスターが、したり顔で自説(?)を軽薄に垂れ流していく姿にうんざりする今日この頃です。

「どうして不祥事は後を絶たないのでしょうか?」

なんて言って時世を憂う(ふりをしている)人もテレビでよく見かけるような気がしますが、コンキチはそんなの当たり前じゃんって思いますね。

だって、この世に生きる人達って、そんなに高潔でもなければ、賢くもないし、誠実でもないって思いません?

例えば、

あなたは常に公正(フェア)ですか(どんな小さくても、不正を働いたことはないか)?
あなたはあらゆる知識を十分に持ち合わせていますか(自分の無知を言い訳にしたことはないか)?
あなたは常に誠実ですか?

なんていう問いに「YES」と回答できる人って皆無に等しいでしょ(少なくともコンキチはそういう人にお目にかかったことがない)。

清貧を尊び、賢明で、滅私の精神で生活している人だけだったら、こんな世の中じゃないでしょう。少なくとも、詐欺にだまされる(強欲な)人くらいはいなくなるんじゃないでしょうか?

(まあ、そんな人たちばかりなら、この世から「毒」が全く無くなってしまい、味気ない世の中になってしまいそうなので、願い下げですが…..)

人は利己的で、自己愛が強く、ずる賢い。で、あんまり調子こいてると、コミュニティーから全く相手にされなくなって困ってしまうので、周囲とのバランスを取る生き物なんじゃないですかね。

例えば、地球環境の汚染が大変とか言ったって、化石燃料や石油製品の恩恵にあずかることを止める人って見たことないでしょ。とりあえず、環境問題を語って、デモ行進とかして良い気分に浸りたいひ人は、電気や化石燃料で動く交通機関とは決別して、化学繊維でできた服を捨てて、鎌で稲刈りしてから出直してきて欲しいです。

閑話休題

で、企業から不祥事が無くならない話ですが、要するに企業ってある種の宗教だと思うんですよね。

a) 従業員を社員教育と称して、会社が使い勝手の良い人材に洗脳していく。
b) 雇用の維持とか賃金の支払いによる生活の安定という救いを与えて、忠誠を誓わせる。

宗教チックじゃないですか?で、従業員は会社に馴化していく。

ところで、企業の目的というかレゾン・デートルの一つは利潤の追求であるというのは周知のことと思います。で、どの辺まで調子こいてウハウハ儲けたいかというのが、企業風土・文化(会社の教義)なんだろうとコンキチは考えています。で、かなり調子こいてる会社っていうのもある一定数あるんだろうと思います(全くの憶測です)。

さて、宗教も企業も階層組織であると思います。で、ヒエラルキーの下の方の人たちは、ヒエラルキーの上に位置する人たちの言うことを聞かなければなりません。そうでないと、組織から追い出されてしまいます。

それから、人にはある程度の自己実現欲求というのがあると思います。在りたい自分を追い求める欲求ですね。「自分探し」みたいな。

で、上位ヒエラルキーからの命令が、下位ヒエラルキーの人間の自己実現欲求を大きく毀損するものであった場合、その下位ヒエラルキーに位置する人はどうなるのでしょう?

あんまり度を超すと反逆するのではないでしょうか?企業の場合、転職して逃げるなんていう手もあると思いますが、転職もままならず干され続ける使えない人材は、自分が傷ついてもヤツらに一泡ふかせてやりたいと考え、内部告発という伝家の宝刀を抜くかもしれません。

こうして、世間に(法を犯す)不祥事が発覚して、寝耳に水の社長が会見で無様な姿をさらすのではないでしょうか?


とりとめのない話を長々と記してきましたが、何が言いたいかというと↓

1) 企業(組織)は多かれ少なかれグレー乃至ブラックなこと恒常的にしている。
2) その程度は企業風土・文化(企業の教義)によりマチマチ
3) 不祥事が世間にばれるのは、冷や飯くわされて腑煮え繰り返している使えない人材が沢山いる会社

じゃないかなということです。つまり、不祥事は常に起こっているのです。

なんて、今回はけっこう毒を吐いたので、けっこうスッキリした二流大出のなんちゃって研究員でした。

2007年11月1日木曜日

大学のこれから?

先日久しぶりに我が母校(大学)のホームページをみたら↓

a) 卒業研究が必修になった(っていうかコンキチが在学中の自分は、卒研が授業の単位で振り返られるへたれた学科だったのです)
b) 3年の10月から研究室に配属されるようになった。

ということが書かれていました。まあ、良い傾向と思います。

特の3年次から研究室に配属されるというのは結構なことです。まあ、もっと早く配属させても良いくらいと思いますがね。

研究室配属前は、勉強に対する目的意識が希薄で、勉強の効率が悪いと思うからです。自分の研究テーマに係ることであれば、必死になって勉強するのでしょうが、目的意識が希薄な状態では勉強に対するモチベーションは維持し難いと思うからです(コンキチはそうでした)。あと、研究を進めていくほど、より広範囲深い知識が求められてくるので、より多くの知識を摂取することが可能でしょう。

そんなことじゃ知識が偏りすぎるんじゃないの?という人もいるかもしれませんが、帝大とかの俊才ならいざ知らず、果たして一般教養とか、自分のコアな専門分野以外の授業で習ったことをちゃんと覚えている人ってどれぐらいいるのでしょうか?ちなみにコンキチはきれいさっぱり忘却してしまいました。

特に、学校の授業って社会で役に立たないなんていう、白痴的発言しているひとは要注意です(役に立つことはけっこう沢山あります)。

そもそも、人間は意志があまり強くない生き物と思います。特にコンキチの母校のような二流大学にしか入れない人材はなおさらでしょう。できるだけ、研究室への配属する時期を早めるのがよいかと思います。

まあ、所詮、二流大出のなんちゃって研究員の戯言ですけど。

2007年10月17日水曜日

育児アウトソーシング

夕方TVを見ていたら、

学童保育が崩壊寸前

的番組がやっていました。

共稼ぎで学童を使用している主婦が、「働くのをやめるか、子供を生むのをやめるか選択しなければならない」的な発言を、あたかも自分が被害者であるように宣っていました。

正直ちょっと不愉快になりましたね。

子供を生んだのはあなたの欲望。働きたいのもあなたの欲望。その欲望を両方満たすために、子育てを金払ってアウトソースしてるんでしょ、あなたは! そんな単なる経済活動をしているだけなのに、被害者面して欲しくないですね。

学童に対する補助金なんて全部無くして、プライシングを考え直すべきじゃないかと個人的には思っています。そうすれば、そのうちバランスするんじゃないでしょうかね?

仮に、手取り30万で、学童に 月謝3万しか払ってないとしたら、差引27万GETなんていう美味しい取引してるんから、当然学童は混み混みになるのは必定ではないかと思いますね。

・学童保育は育児受託事業である
・育児受託事業はその市場に全てを任せる(よけいな補助はしない)

ということを念頭において、レッセフェールするのがフェアな姿なんじゃないかなと思います。

自治体からの補助を受けてるなら、学童の運営コストの一部は、一般市民が負担しているのですから!

なんでもかんでも福祉と声高に叫べば同情・共感してくれるという考えかたは卑しいとコンキチは思います。

セーフティーネット的な福祉は必要だと思うけど、共稼ぎの子育てのアウトソースってセーフティーネットなの?単に沢山キャッシュ・フローをGETしてウハウハしたいだけじゃないの?あなたダウン・サイジングっていう言葉知ってる?前の衆院選で自民党に投票した人っって政府のダウン・サイジングを望んだんでしょ?

人の欲望は膨張しこそすれ、収縮することはない」という教訓を学んだ二流大出のなんちゃって研究員でした。

2007年10月10日水曜日

学歴について思う

久しぶりに俗っぽい雑誌「PRESIDENT」を読んでみました。

です。

で、(読んだやつの)特集は↓

「学歴格差大図鑑」

メチャクチャ俗っぽいテーマです!!!

まあ、いろいろと大学毎にランキングをつけるという企画なんですが、その中で(日本の大学で)1流、2流、3流の境目はどこ?ってな感じの企画がありました。

このブログで二流大出身と嘯いているコンキチの言葉に偽りがないかどうかドキドキしながらみてみたら、

この雑誌的には

力強く二流でした。
(ホッと一安心です)

なんか巷では学歴偏重はけしからんなんていう輩もいるようですが、その意見にコンキチはこう反論したいです。

まあ、そうかもしれないけど
a) 学歴以外に何で判断するの?(業種によっては「顔」っていうのもありだと思う)
b) っていうか難しい大学に入ったという実績と努力は評価に値するでしょ!
c) っていうかコンキチが知ってる(数少ない)東大出身者はマジ、リスペクトするほど頭いいですが.....
d) っていうか大学の教授って東大をはじめとする賢い大学出身者に牛耳られてるでしょ?
e) コンキチが勤務してる会社の工場勤務の人達って、パチとかの話とかしかしなくて、正直ついて行けません。(ちなみにプレジの「学歴別未婚率」っていう企画で、結婚相手の学歴は重視しないが、結果的に同じような学歴(っていうか東大の人の話)がパートナーになる的な記事がありました。理由は低学歴者とは話のレベルが合わないというもの。)

って感じです。

ちなみにコンキチは二流大卒で、はっきり言って学歴コンプレックスがありますが、偏差値の高い国立大出身者にはけっこう敬意の念を持ってますね。っていうか、奴らはマジけっこう頭がいいと思う(ただ、私大出身者はたとえ早慶出ててもけっこうバカにしていたりしますが。だって、高い金払って私立に行くメリットが見出せないから。もうその時点で異次元)。

とりあえず結論ですが、

適度な学歴偏重は大いに結構

っていうことで.....

以上、プレジお墨付き(って全然うれしくない)の二流大出のひねくれものの戯言でした。

2007年10月9日火曜日

イグノーベル化学賞

気がつけば、今年のイグノーベル賞の受賞が行われたようです。で、今年のイグノーベル化学賞は国立国際医療センター元研究員の山本麻由さんの研究が受賞しました。受賞対象研究は、「牛糞からバニラの芳香成分vanillinの抽出」で、香料化学関連分野であるにもかかわらず、コンキチ(一応、香料会社勤務)はノーマークでした。ちょっと同僚に聞いてみたところ、その筋ではけっこう有名な研究なのだそうです。一見すると、臭いだけな研究が気がしますが、研究カテゴリーは「バイオマス」でけっこう遠大(?)なテーマです。牛糞を亜臨界水熱処理することで、vanillinが生成するそうです。
受賞の場面をTVでやっていたのを目にしたのですが、牛糞からGETしたvanillinを使って作ったバニラアイスクリームを、審査員方々苦笑いしながら食べてたのは、ちょっと笑えました。

世の中、色んな研究があるのだなと改めて感じた今日この頃でした。

ref. AROMA REAEARCH No.27 (Vol.7/No.3 2006) 258-261.


cf. イグノーベル賞(Ig Nobel Prize)とは、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられる賞である。
ノーベル賞のパロディ的な賞で、1991年に創設された。イグノーベルの名は、「ノーベル賞」に反語的な意味合いの接頭辞を加えたもじりであると共に、「卑劣な、あさましい」を意味する"ignoble"と掛けている。

2007年10月1日月曜日

SIPr・HCl

ある文献↓

Iron-Catalized Selective Biaryl Coupling: Remarkable Suppression of Homocoupling by the Fluoride Anion
J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 9844-9845.




(Grignard試薬と塩化アリールのカップリング反応。脱離基が重要で、-Clが一番いい。-Brと-Iはホモカップリングが増え、-Fは不活性で、-OTfは反応性が低い)

を読んでいたら、化合物の分からない略号があったので、サーチしてみました。

分からないタームというのは、「SIPr・HCl」なのですが、軽くググってみたら、


1,3-bis(2,6-diisopropylphenyl)imidazolinum chloride


の様です。

もう10年ほど前のことですが、学校の授業で、「化合物の略号が氾濫しすぎていていかがなものだろうか」的な話をされたことを思い出しました。

例えですが、「CD」は

1) Compact Disk
2) Cyclodextrin
3) Circular Dichroism
4) Cost Down

と色んな意味があるので気をつけた方がいいでしょう(笑)

2007年9月17日月曜日

ポーター教授

「Harvard Business Review 2007年2月号」を読んでみました。特集は「戦略論の原点」ということで、

マイケル E. ポーター
ヘンリー・ミンツバーグ
H. イゴール・アンゾフ
大前研一
アルフレッド D. チャンドラー
C. K. プラハッット & ゲイリー・ハメル

といった経営学の巨匠(と言われる人)達の(過去の)論文が掲載されています。

コンキチの個人的な感想ですが、ポーター教授の論文の切れ味鋭い分析力が一際光っていたと思いました。掲載されていたポーター教授の2論文は、それぞれ、「競争の戦略」と「競争優位の戦略」の中の一章で、上記2冊を未だ未読のコンキチにはいい足慣らしになりました(特に「競争の戦略」は購入済みだがまだ手をつけていない)。

特に「競争の戦略」の第1章である「5つの要因が競争を支配する」というタイトルの論文は、有名なファイブ・フォース・モデルの解説ですね。

5つの競争要因とは↓

1) 新規参入の脅威
新規参入者を撃退できるかは、参入障壁の高さに依存し、
(1) 規模の経済(大掛かりな参入、コスト面での不利の我慢)
(2) ブランド(広告宣伝、顧客サービス、業界No. 1のポジション、製品の差別化)
(3) 資金ニーズ(巨額な投資)
(4) コスト面の不利(額主曲線、経験曲線、独占的技術、etc.)
(5) 流通チャネルへのアクセス
(6) 政府の政策(規制)
といった参入障壁があると述べられています。

2) サプライヤーの交渉力
(1) 少数のサプライヤーが供給を支配
(2) スイッチングコスト
(3) 競合する製品の有無
(4) 川下統合の可能性
(5) 顧客の重要性

3) 顧客の交渉力
(1) 顧客数。購入量。
(2) コモディティ製品かスペシャリティ製品か
(3) 顧客の価格感度(顧客企業の製品中に占めるコストの割合)
(4) 顧客企業製品に与えるインパクト
(5) 川下統合の可能性
(6) 消費者の購買意思決定に影響を及ぼせるか?

4) 代替製品や代替サービスの脅威
(1) コスト・パフォーマンス大の代替製品
(2) 収益性の高い産業が生産している

5) 産業内のポジション争い
競合企業同士の競争で、価格競争、新製品の上市、宣伝といった戦術でポジションが争われる。
(1) ライバルの多さ
(2) 産業の成長率が低い→シェア争い
(3) コモディティ産業(スイッチング・コストを上昇させることができない)
(4) 固定費が高い、製品が陳腐化しやすい→価格引下げのインセンティブが生じやすい。
(5) 生産能力が大規模に増強される→産業内の需給バランスを崩す
(6) 撤退障壁が高い→健全な競合企業の収益性も落ちる
etc.

です。

このファイブ・フォース・モデルは企業のビジネスモデルを分析するのに強力なパワーを発揮すると思います。

あと、買ったけどまだ手つかずの「競争の戦略」も早々に読了したいです。

2007年9月16日日曜日

Dielectric Controlled Resolution

最近、久しぶりに光学分割(Optical Resolution)に関する論文を読んでみました(一応、コンキチの学生時代の専門は光学分割です)。

で、気が付いたら新しい光学分割手法が開発されていました。開発した研究期間は光学分割の雄「山川薬品工業」です。

新しく開発された手法は、DCR (Dielectric Contrlled Resolution)という名前で、まあ、手法的にはジアステレオマー塩法(diastereomeric salt formation method)と同様の操作なのですが、分割剤(resolving agent)として、一方のエナンンチオマー(enantiomer)のみ使用で、被分割剤の両エナンチオマーを調製可能という点がとってもユニークと思います。

再結晶溶媒の比誘電率をコントロールすることによって、擬多形結晶の形成が制御され、難溶性の塩として析出してくるジアステレオマー塩の種類が溶媒の比誘電率のレンジによって変わるというものです。

この手法はあらゆるケースに適用できるかといったら、全くそんなことはなく、分割剤と被分割剤の立体中心周りがリジッドで、コンホーメーションがフレキシブルに変化し難いものではDCRは起こらないようです。

コンキチの学生時代のい研究でも、分割効率に対する溶媒効果が顕著にでていた例がけっこうあったので、そのうちデータを掘り起こして、溶媒の比誘電率との関係をリサーチしてみようかと思います。

2007年9月5日水曜日

バカだ大学の憂鬱

スレッドというかなり俗っぽい雑誌をちょっと立ち読みしてみました。

読んだ記事は、『「最底辺大学」の憂鬱』という記事で、偏差値44以下の私立大学の学生へのインタビュー記事がメイン。AO入試で半数の学生を採る大学もあるそうで、軽く驚きました。

特に興味深かったのが、東大生と偏差値44以下大生との対談で、両者の認識の隔たりに多いに驚愕させられました。

例えば、将来の就職先についての話題で(以下、コンキチの記憶力の範囲で再現。。かなり適当。)


東大生 「官僚になって国を動かす仕事をやりたい」

偏差値44以下大生 「朝9時から夕方5時の役場仕事はいやだな」


って、東大生が言ってるのは高級官僚のことですから!!!!!奴らは事務次官とか狙ってんだよ!!!!!


偏差値44以下大生 「オンリーワンの仕事がいいよね」

って、オンリーワンってその分野ではNo. 1ですから!!!!!



偏差値44以下大生 「広告業界に興味があって、電○とかいいな」(多分、電通だと思う)

東大生 「難しいと思うよ」


電○は絶対むりでしょう!!!!!

絶対無理と言わない東大生の親心に乾杯です!!!!!




偏差値44以下大生 「まだ卒業まで1年以上あるから、頑張ればなんとかなると思うよ。学力だけじゃなく人間力も求められるから。」


って、あんた高校3年間の成果が偏差値44以下大でしょ。

ついでに、あんたの乙女チックな楽観主義に人間力があるとは到底思えません。



偏差値44以下大生って、なんて夢見がちなのかなと思ってしまいました(っていうかコンキチもそんなに賢くない大学卒だからあんまり人のことは言えないが…..)。

あと、東大生が「勉強は趣味的なもの」だという発言に対して、

偏差値44以下大生 「せっかく大学に入ったんだから、勉強ばっかりは嫌だな。サークルとか趣味とか楽しいこともしたい」

的な発言してましたが、


大学って勉強するところですから!!!!!

人生は日々勉強することだし!!!!!

っていうか、偏差値44以下大の時点であんたこれまで全然勉強してないでしょ!!!!!って、あなた大して勉強する気ないでしょ(意思が弱そう)!!!!!



というツッコミを入れてあげたくなりました。

はっきり言ってこの対談、作ってるんですよねえ。もし、実話だったら偏差値44以下大生って現状認識力がなさすぎですよ。まるでおとぎの国のお姫さま・王子さまくらい楽観的というか、なんというか…..

正直言って、こんなのが大学生かと思うと、背筋が薄ら寒くなってきますね。
まあ、少子化のあおりを受けて、ダメな大学は自然淘汰されていくのでしょうが.....

人のふり見て我がふり直せですね。

2007年9月4日火曜日

公共心の欠落

コンキチが毎日Watchingしている(但し、更新頻度は少ない)ブログで、「社会規範の崩壊」について論じている記事があり、それにちょっとコメントしてみたのですが、せっかくなので、このブログに転載しておこうと思います。

何故「昔であれば信じられない怖い事件」が、近年、ニュースを賑わせているか?

コンキチ(私)が勤務する会社(ケミカル・カンパニー)では、ご多分に漏れず5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)活動をスローガンに掲げていますが、「躾」がなってないので、(女性でも)靴をきちんとそろえて脱ぐ人をてんで見かけません(コンキチが幼少の頃は、靴をちゃんと揃えて脱ぎなさいときつく躾られたものですが…..)。(公共心に基づいて)靴を揃えて皆ですっきり気持ちよくなるよりも、「そんなの面倒くせーんだよ。やりたきゃやれば。そんなのチクチク言うヤツはちょっと嫌な感じ」的な雰囲気が社内に蔓延している感じがして、違和感を覚えます。実際、色々な社内キャンペーンは、時間とともに風化して、空虚なスローガンと化すことが多々あります。「会社=公」ではありませんが、自己犠牲というかそんな精神の希薄化を日々感じています。

話が脱線しましたが、「公」を尊ぶ精神が欠落し、「自分さえ良ければいいや」的な発想が世間に広がっているのは、世の中が(物質的に)豊かになっていることと関連しているのではないかとコンキチは考えています。

思うに、

1)    豊かになって物質的に欲しいものが簡便に手に入るようになり、忍耐(我慢)の精神が欠落し、心のブレーキを失った。

2)    経済的に豊かになって「生きること」が容易になり、人々はより高次の欲求を求めるようになった。ただ、自己実現欲求は、より根源的な物質的欲求よりも達成するのが困難。

3)    「生きること」に一生懸命になる必要がなくなり、けっこう暇になった。


その結果、

自己の在りたい姿と現実とのギャップに「俺はこんなはずじゃないんだ」的な考えが頭の中を占める。さらに、暇な時間をもてあましてしまう。そのうち、忍耐が欠落した精神が耐えられなくなり、自分を制御できなくなり「自分さえよければいいや」的な行動をとる(「自分さえよければいいや」的な行動が自己実現の代償行為となる)。

というようなことではないかと勝手に思っています。

豊かになっていく過程で、ある程度(どの程度かは想像不能)のモラルの崩壊というのはつきものなのではないかと思います。

「隆盛」により豊かになった社会が平家物語のように「衰退」に向かっていくのが必定であるとすれば、いささか暗澹たる気持ちになります。今に生きる者として、今後の「衰退」がちょっとした「揺り戻し」であればいいなと思うのは楽観が過ぎるでしょうか?

2007年8月21日火曜日

盆におもうこと

カミさんと子供たちのみ実家に帰省し(連休が始まる前に帰っていった)、お盆の連休は一人孤独に過ごした、なんちゃって研究員のコンキチです。

さて、連日の猛暑日の中、帰省ラッシュ & U ターンラッシュで、我が国の高速道路網は渋滞の様を呈していたみたいですが、コンキチは、蕎麦を食べにいったり、ビリーズブートキャンプをやったり(一応7日間やった)、近所のショッピングセンターで涼みながら本よんだり、エアコンの効いた部屋でカウチポテトに勤しんだり(DVD 6本観た)とそれなりに孤独の生活をエンジョイしていました。

で、おもったことですが↓

やっぱり人(大衆)と同じことばかりしてたらダメだな

ということです。

しかも、盆と正月のラッシュに巻き込まれることほど滑稽なことはないと思うのです。サラリーマンには「有給休暇」という不労所得があるんだから、それを力一杯有効活用しない手はないと思うのですがねえ。より具体的には、普通の平日にバシッと休みをとって帰省なり旅行なりするということです。

ちなみに、コンキチの勤務する会社では、年間の有給休暇の付与日数は20日で、有効期限は2年(未消化分は翌年まで繰り越せる。買い上げはなし)。調子こきすぎなければ少なすぎるということはないと思います(去年は調子扱きすぎて年間20以上休んだけど) 。

人間とは忘却を得意とする種ではあると思うけれど、毎年2回も衆愚の極み(盆と正月のラッシュ)がデモンストレートされています。しっかりと自分の脳みそにインプリント(imprint)して人(大衆)とは異なる行動をするように心がけていきたいと思います。

それが、自分のエッジを磨くことになると思うから。

2007年8月6日月曜日

KYT再び

以前このブログで、KYT (Kiken Yochi Training)に関するアポアポな出来事を書きましたが(see http://researcher-station.blogspot.com/2006/09/blog-post_17.html)、その第2弾です。


「GCの(キャピラリー)カラム交換」というお題で、某マネジャーがこうのたまいした↓

カラムの接続がしっかりできていなかったため、キャリアガスが漏れて酸欠状態になり、めまいがする。

っていうか、カラムがしっかり装着されていても、そうでなくても、キャリアガスっていうか、トータルフロー104 ml/min (にだいたい設定している。)は常に変わらず流れてますから!!!!!


残念!!!!!!!!!!

つまり、カラムが外れた状態でキャリアガス流してても、そのこと自体が原因で酸欠にはならないのです。

コンキチはすぐに気づいたのですが、そのことについて誰も何も言いませんでした。まあ、コンキチが指摘してあげてもよかったのですが、ダークサイドに堕ちてやる気ナッシングだし、その発言した人はちょっと気難しいので、黙秘してしまいました。


空恐ろしい脳みそしか持ってない人たちの中で仕事するのに辟易している某二流国立大卒のなんちゃって研究員の毒づきでした。

2007年8月5日日曜日

まっとうな経済学

まっとうな経済学を読了しました。


ちなみに原題は「The Undercover Economist」(覆面経済学者)っぽいです。

この本、著者の元々の文章が悪いのか、訳者の訳文が悪いのか、コンキチの国語の読解能力が低いのか、読み辛かったです。

さて簡単な本書の内容ですが、「希少性」、「外部性」、「情報の非対称性」が基本的なキーワードになっていて、これらに係る要素が市場を規定する的なことが書かれていたと思います。特に、「希少性」が最も繰り返し使われていて、その力の持つ支配力の大きさが力説されていますね。実際、ラグジュアリー・ブランドはその希少性を利用して、割高なプライシングを実現しているというのは周知のことでしょう。

それから、「価格ターゲッティング」というアイデアが興味深かったです。ベースとなる商品と割高なオプションを加えた商品ラインナップし、顧客の価格感度を測り、価格感度毎に顧客を選別するということだと思うのですが、そういう価格戦略は興味深かったです。(価格感度の低い顧客はオプション沢山のプレミア商品を買う。また、プライベート・ブランドはナショナル・ブランドの見せ玉につかわれる。)」

あと、本書で語られている「誘因」は、多分インセンティブのことだと思うのですが、設定された「誘因」により、その「誘因」の支配下にある人々の行動が規定されるということは、「ヤバい経済学 -悪ガキ教授が世の裏側を探検する」と同じ主張のように思いました。ただ、本書ではカメルーンや中国という国家を引き合いにだして説明しうていることが興味深かったですね。

個人的に読むのに難儀しましたが、図書館で借りて読んでも損しないくらいの価値はあると思いました。

2007年7月29日日曜日

侍はいた

構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌」(竹中平蔵著)を読了しました。


以下、徒然なるままに、とりとめもなくまとまりもない感想をメモしてみます↓

我が国で、大臣経験(しかも常に主要な大臣)者であり経済学者である氏の著作というのは非常に価値があると思い、同書を手に取りました(経済学者で大臣は竹中さんと現経済財政政策担当大臣の大田さんしかいないと思う)。

タイトルからも明らかなように、同書は5年5ヶ月に渡る小泉内閣においての氏の仕事を著したものです。内容がコンキチの想像以上に生々しく描かれていて、この手の書籍としては読んでいて珍しく興奮しましたね。で、率直に思ったのは、我が国にも「侍」と呼べるような人物(政治家、学者、経済人、官僚)がいるのだなあと感じ、柄にも無くちょっと胸が熱くなるのを感じてしまいました。

小泉内閣発足時、日本は「失われた10年」などというキャッチ・フレーズに表されるように、これまでの超バラマキによる財政政策の失敗(流動性の罠)によって、経済の閉塞感に覆われていました。実際、小泉内閣発足前夜に就職したコンキチ達の時代は「就職氷河期」などと言われ、労働市場(っていうほどの市場は形成されてないよ思うが)は、企業業績の悪化を背景に空前の買い手市場でもありました。

巨額の不良債問題、巨額の財政赤字といった非常に好ましくない状況の中にあって、敢えて火中の栗を拾おうとし、そして、我が国の経済を回復の方向に向かわせたのが、小泉純一郎内閣総理大臣と竹中平蔵大臣であり、彼等を真剣に支え続けた気骨あるスタッフでだったのだなと同書を読んで改めて感じました。

まあ、本人の手による著作なので、ある程度は割り引いて考えなければならないかとも思いますが.....

小泉内閣発足時から、竹中大臣の語り口は、他の政治家などに比べて、極めて分かり易く、はっきりいって氏は「まともなこと」を言っているように聞こえました。それなのに、「いつか来た道」を繰り返そうと刷るばかりの抵抗勢力のオウム返しのような台詞にはTVの前で辟易させられました。

また、国民の意を得た(ような)場合は「ポピュリズム(衆愚)」と、リーダーシップを発揮するときは「国民不在(ファシスト)」とヒステリックに叫ぶ、そして歪曲報道と掌を返したような発言をし、自分達があたかも正義の使徒であるかのように振る舞うマスゴミの醜悪な姿を忘れることができません。

まあ、反体制的な発言をおもしろおかしく公共の電波で流さないと視聴率が下がりそうだからしかたありませんかね。

ところで、この本を読んでコンキチが一番印象に残ったのは、「官僚の無謬性」という言葉が連呼して使われていたことです。官僚(組織)は、自分達がこれまでに行ってきたことは全て正しいと考え、自己否定することは皆無であるとうことです。で、これまでの行いが正しいのだから、現在・未来の施策もその延長上にあるものしか採用されないということです。これってちょっと(新興)宗教チックなところがありますよね。まあ、宗教に限ったことではありませんが、あるものに自分がのめり込めばのめり込むほどに、(例えそれが間違っていたり、アホアホなことであっても)そこから抜け出せなくなっていくという心理に似ていませんか?このことは、人間は自己を否定することが本質的に辛いということを表していると思います。そもそも、人間は神ではなく、間違いをしょっちゅう犯すのは周知の事実でしょう。となると、自己を否定できる文化を持ち、自己を修正できる組織は強いという結論に達することができるのではないでしょうか(例えば、トヨタとか)。

それから、所謂「政策通」とか「経済通」と言う言葉は、官僚の"冷やかし"用語であって、官僚から見て、自分たちの都合をよく聞いてくれる人、言いなりになる人なのだそうです。思わず「道理でな」と思ってしまいました。

あと、小沢一郎が「豪腕」とかと称されたようですが、ちょっと集金が上手だっただけでしょ。真の豪腕とは、政府主導の改革と意思決定プロセスを成し遂げた竹中平蔵であり、小泉純一郎であるとコンキチは思いました。

PS
コンキチは竹中平蔵教授の著作・訳本を何冊か読んだことがありますが、ホントに人に読ませる文章が上手だなあと思いました。竹中平蔵は政策造らせてよし、(大臣として)人を使わせてよし、本を書かせてよし、火中の栗を拾える剛胆さを持った希有な人材だと思いました。そして、小泉前総理の最大の功績は、小泉内閣の要所要所で、竹中平蔵という優れた才能を内閣のキーポジションで使い続けたことにあると思います。そういう意味で、小泉純一郎もまた希代のリーダーだったと思いますね。

2007年7月27日金曜日

GC in CHEMICAL REVIEWS (2)

コンキチは工学部出身です(ほんとは理学部の方がよかった)。で、工学とは実学であると考えています。

先のブログで、Chemical ReviewsのGreen Chemistry特集に触れ、環境志向の高まりを感じた旨を記しました。ただ気になるのは、Green Chemistryとお題目を銘打つと、各々にカテゴライズされた、ぱっと聞いてみてグリーンちっくなテーマにスポットが当たりがちのような気がして、その辺りがちょっと気にかかります。

例えば、

Organocatalystを使ってメタル・フリーな反応を開発しました。でも、CH2Cl2溶媒Death!!!!!(涙)

とか、

イオン性液体中で反応を行うことで、素晴らしい反応性と選択性で反応が進行します。でも、使ってる触媒が超絶高価で有毒なんだよね(テヘヘ)

といった、カテゴリにこだわるあまり、根底にあるコンセプトとの整合性を欠いている論文とかは –勿論そういった新たな知見は有益であるとは思うけれど-果たして実学たりえるのだろうかと思うわけですよ。

あと、

超臨界CO2ってとってもクリーンだよね!でも、当社では設備投資できませんから!残念!!!

というような実行の容易さに係る問題とかが軽視されがちなような気がするのです(そんなこと気にするのは自分だけかもしれませんが…..あんまり勉強してないし)。

あと、コンキチは所謂カテゴライズされたGreen Chemistryに関して、はっきり言って門外漢なので、

例えば、

他品種少量製造を行っていて、扱う化合物の頻繁な切り替えが必要となる場合、イオン性液体なんか使ったときの釜の洗浄ってどうなの?

とか、

何回リユースできるの?繰り返しリユースしてたら、不純物が蓄積して反応に悪影響を与えたりしないの?なんていうことも気になりますね(この辺は要勉強ですかね)。

で、何が言いたいかというと、カテゴライズされたGreen Chemistryでなくても、より実学を志向した、しかも導入が容易な”Green”な反応にもっと光をあててもいいんじゃないの?ということです。

例えば、このブログでも過去に取り上げた↓

Trialkylzinc(II) ate complex」なんかは、簡便な方法で収率が向上し、精製も容易になり、E-ファクターを低減させ、コスト的にも優位性があそうだし、RMEも向上するでしょう。そして、これまでのやり方を大きく変えなくてもよいというこいとに価値があるとも思いますね(教育も少しですむし、やり方を変えることに伴う心理的バイアスも少ない)。

それからこの論文↓

Trichloroisocyanuric/TEMPO Oxidation of Alcohols under Mild Conditions: A Close Investigation
J. Am. Chem. Soc., 2003, 68, 4999-5001.

プール水処理剤とかに使用されていて安価なTCCA(trichloroisocyanuric acid)を共酸化剤に使って、TEMPOを触媒で回すという反応で、溶媒もアセトン水溶液で取り扱い易い。マイルドな条件でけっこうクリーンな気がします。(アニソール骨格を持つ基質だと、アルデヒドで酸化が止まる。また、オレフィンを含む基質だとジクロロ化も進行するとようです。系内に水が存在しないと、アルデヒドで反応が止まる的な記述もあり、興味深いです)

リファレンスに同じ著者が投稿した「アルコール→カルボニル化合物」というトランスフォーメーションに関する論文(Org. Lett., 2001, 3, 3041.)があるので、チェックしてみたいのですが、Organic Lettersはコンキチが勤務する会社では購読してないのですぐには入手できず残念です。

あと、Jacobsenの開発した、Hydrolytic Kinetic Resolutionなんかは、Chem-Stationで「触媒が安価・無害・空気/水に安定、触媒使用量は少なく(0.5-5mol%程度)回収再利用が可能、基質一般性は高く選択性はほぼ完璧、ほぼneat条件の溶媒量、バルクスケールでも実施可能(実際に本反応はRhodia Chirex社(USA)およびダイソー株式会社(日本)により工業化されている)など、不斉触媒の要請条件をほとんど満たす、現時点では最も理想に近い不斉触媒反応といえる。」と絶賛されています。

ref.
J. Am. Chem. Soc., 2002, 124, 1307-1315.
Org. Synth., 2006, 83, 162-169.

上記反応は、catalysisにカテゴライズされるのかもしれませんが(でもcatalysisはカテゴリ的には極めて広範すぎると思う)、反応を環境調和型にブラッシュ・アップしていく研究っていうのが、もっと大々的にとりあげられてもいいんじゃないかなあと思う次第なのです(コンキチが知らないだけで、既に十分注目されているのかもしれませんが…..)


以上、ダークサイドに墜ちた、某二流国立大でのなんちゃって研究員の呟きでした。

2007年7月15日日曜日

GC in CHEMICAL REVIEWS (1)

CHEMICAL REVIEWSの6月号を見てみたら、「Green Chemistry (GC)」特集でした(表紙の色も緑色)。

目次をながめてみると、所謂グリーン・ケミストリーの範疇でカテゴライズされたテーマ(超臨界CO2とか、aqueous reactionとかionic liquidとかmicrowaveとか) がいっぱい並んでいました。

ChemRev.1冊まるまるGC特集が刊行されるぼどに、世間の環境志向の高揚を(それなりに)感じます。

コンキチが学校を卒業してから8年が経過しましたが、学校教育におけるその辺のことはどのように教育されているのか興味あります。

コンキチが通っていた学校では、コンキチが入学する前年に「応用化学・環境化学工学科」が「応用化学科」に名称が改変されました。教員(教授とか助教授とか)の配置転換があったわけではなく、ドラスティックにカリキュラムが変更された訳ではないようで、環境科学概論なんていう授業とかもありました。

当時としては、「環境」なんてビジネスにならないよ(従って、そんなの勉強して就職できるの?)なんていう空気を感じましたが、翻って現在はどうでしょう?環境ビジネスが隆起してるではないですか。

当時としては「環境」を(多少なりとも)志向した数少ない学科だったのかもしれませんが、先に触れた「環境科学概論」とか「環境アセスメント」などといった環境系の授業の内容は、化学合成プロセスに対してスポットをあてたものではなく、環境科学に焦点をあてた内容でした。なので、その先生の研究室(環境計測研究室とか循環制御研究室とか環境保全研究室とか)の卒論とかは、エアロゾルの話とか河川の環境の話とか人口光合成システム構築を目指したレドックス系の話(だったような気がする)とかでした。

「グリーン&サスティナブル合成研究室」とか、「サスティナブルプロセスデザイン研究室」とか、そんな名称の研究室や講義があってもいいんじゃないかと思うのですが、どうでしょう?(ひょっとしたら結構あるのかもしれませんが)

ちょっとした二流大出のなんちゃって研究員のつぶやきでした。

続く.....

2007年6月24日日曜日

シャドー・ブランド戦略

「Harvard Business Review 2007年2月号」の記事です。

この記事では、あえて商品やサーヴィスの闇の部分(Dark Side)に焦点をあてることによって成功した広告戦略を紹介しています。

以下、事例↓

1) リプトンの<カップ・ア・スープ>

当初(70年代以前)、「やさしいママとにこにこ笑う子どもたち」というイメージで売られてきたが、現在の常識に照らし合わせれば、当該商品は塩分が高く、栄養価も低いというのが実態で、当初のコンセプトとは明らかに異なる性質の商品となってしまっていた。

そこで、「オフィスで食べるスナッック」と位置づけ、<スニッカーズ>や<コカ・コーラ>の代替商品としてプロモートすることにより、20%の値上げにもかかわらず、売上げが60%伸びたそうです。



2) ユニリーバのパスタ・ソース<ラグー>

ライバルとの競争の過程で、パスタ・ソース全般がどんどん濃厚な味になっていたが、<ラグー>はライバル商品ほど濃厚ではなく、味わいも貧弱だったといいます。

そこで、濃厚スープは大人にはいいかも知れないが、子供には向かないという視点から、「ボリュームたっぷりで食べ応えのあるソース」に見せかけるのをやめ、「子どもたちが大好きなパスタ・ソース」というポジショニングで販促を展開したそうです。

結果→10年に渡って落ち込んでいた売上げが一転して上昇↑



3) ロサンゼルス市警の警察官募集広告

輝かしいキャリアや優れた技能、子どもたちの憧れといった要素をいっさい排除し、「警察官の仕事がいかに困難か」ということを遡及したという。

その結果、応募者は殺到し。広告を見たグループでは、警察への尊敬の念が高まったという。

誰もが進んではやりたくない、それでいて誰かがやらねばならない仕事を粛々と遂行する警察官の姿をアピールすることにより、リアルな警察官の崇高な姿がブランドとして遡及した結果だといいます(あと、社会的インセンティブから道徳的インセンティブへのインセンティブの移転を起こした例だと思う)。


商品やサーヴィスの良い点(明るい点)ばかりにスポットを当てたプロモーションに消費者は辟易しているといいます。筆者は完全無欠は独自性に欠けると述べています。。少なくとも、商品の性質を的確に表した広告でなければ、消費者はいずれそのウソに気が付き、その商品から離れて行くのでしょう(少なくともコンキチは、そういう商品に出会ったら、二度と買わないリストにランクインさせます)。

当たり障りの無い、ステレオタイプの単に商品を褒めたたえるばかりで、その商品に実が伴っていない場合、所謂誇大広告は、長期(中期)的にみて、解約率(そっぽを向かれる率)が上昇し、その商品が市場から駆逐さてしまうことを示唆しているように思いました。

商品特性に合ったセグメントをターゲットにすべしということなのでしょう。

2007年6月19日火曜日

誤謬の発現

先日、「5Sの誤謬」と題したブログを書きましたが、その誤謬が現実の現象としてどのように反映されるかをコンキチの身の周りで起きることを例にとって示したいと思います。


1) 使用して洗ってないガラス器具を1ヶ月くらい放置プレイ
2) 洗浄済みのはずのフラスコにMgっぽい金属粉が付着していた
3) ガラス器具にマジックでなんか書いて、そのまんま
4) 劇毒物だって机の上に放置プレイ
5) 長期間使用しないHPLCカラムもバッファーが入ったままで放置プレイ
6) こぼした試薬は拭き取りません
7) 報告書にGC分析条件が詳述されてない(カラムの種類しか書いてないとか)
etc.

これって研究者としてというより、人としてどうなんですかね。上記事例が頻発するので、コンキチは(他人が洗った)ガラス器具は、自分が使う前に洗ってから使用しますから。

コンキチは自他ともに認める神経質なので、上述したようなことは、コンタミとか分析の再現性とか気になって気になって仕方が無いのですが.....

正直、自分の勤務する部門の研究開発力の低さ(ちゃんと洗いものとか装置のメンテがでいない輩は、研究開発能力に長けているとは思えない)に自分で辟易して哀しくなってしまいます。

学生時代、師匠(コンキチが研究室に配属された時D1だった)から、「使った器具はその日のうちに洗ってから帰れ」と指導されたものですが.....


他社さんはどんな感じなんですかね?
最近、転職の「テ」の字が頭をもたげる、某二流国立大卒のなんちゃって研究員のコンキチの戯言でした。

2007年6月18日月曜日

Freakonomics

ヤバい経済学」を読了しました。

若干ふざけたタイトルと感じるかもしれませんが、はっきり言って良書と思います。著者の一人のスティーブン・D・レヴィットはジョン・ベイツ・クラーク・メダルを受賞した気鋭の経済学者らしいです。

で、レヴィットが経済学というか、人々の行動を支配し規定するもの、その結果具現化される世界の有様の根底にある最も主要なものは、




インセンティブ



であると言います。


<以下引用>


インセンティブは現代の日常の礎である。そして、インセンティブを理解することが-おうおうにして壊してしまうことにもなるけれど-凶悪犯罪からスポーツの八百長、出会い系サイトまで、どんな問題もほとんど解決できる鍵になる。


<引用終了>



コンキチも同感ですね。正と負のインセンティブ(飴とムチ)の与奪こそが、人の行動を制御すると常々感じています。

で、本書で最もコンキチの心に残った事例は、保育園の事例でしたね↓

親が午後4時に子供を迎えにこなければならないという決まりの保育園があり、親達はよく遅れてくると言う。で、10分以上遅れた場合は、その親には毎回3ドル(子供1人あたり)の罰金をとることにしたところ、


週に8件の遅刻が20件に増えた


そうです。


それからもう1例。

献血をした人に小額の奨励金を払ったところ、献血は減る傾向がある。

さらにもう1例。

売春と戦っているアメリカの街には、売春した男と売春婦の写真をWebで晒していることろがあるという。

最後にもう1例。

レヴィットの娘(当時2歳)がおまるを使わなくなった時、おまるでおしっこをしたらチョコレートをあげることにしたといいます。最初の2、3日は思惑は達せられミッション・コンプリートの様相を呈してたそうです。がしかし、4日目になると、娘は数滴おしっこしてはチョコをせしめ。またすぐにおしっこしたいといっては数的しかおしっこをしなかったと言います。


さて、インセンティブには下に示す4つのインセンティブがあると言います。

1) 経済的インセンティブ

2) 社会的インセンティブ

3) 道徳的インセンティブ

4) インセンティブの暗黒面(ダークサイド)


保育園の例は、罰金3ドルが安すぎるというプライシングの問題と、道徳的インセンティブから経済的インセンティブへのインセンティブの転移が起こったことが、現実の結果を誘起した例。

献血の例も、道徳的インセンティブから経済的インセンティブへのインセンティブの転移の例。但し、プライシングがより高額になれば、インセンティブの暗黒面が発現して輸血ビジネスのブラックマーケットが生成するかもしれない(本書でも言及している)。

売春の例は、負のインセンティブを罰金という経済的インセンティブから「晒し者」の刑という社会的インセンティブに移転した例で、Web上で晒された写真が家族や知人に見つかったら超はずかしいという恐怖に訴えた抑止策の例。

そして、レヴィットの娘の例は、インセンティブの暗黒面(ダークサイド)の発現の例。


ですね。


人は常に日々の生活を送る上で裁定取引を行っていると思います。経済性、道徳、社会性を考慮して最も自分に有利な選択肢は何か? とうことを考慮して行動に移すわけです。個々人の(経済性、道徳、社会性に対する)価値観は、必ずしも一致する訳ではないので、一見すると「なんでそんなアホなことするの?」という疑義が発生するかもしれませんが、当人にとっては、インセンティブのトレード・オフをはかりながら(一般的にはそうではにかもしれないけれど)それなりの合理的な判断をした結果なんだろうと思います。


かなりまとまりがなくなってきましたが、要は



インセンティブの支配



こそが現世で人々の行動を規制するの最も重要な事柄なのではないかなということです。

2007年6月17日日曜日

5Sの誤謬

企業の研究員のコンキチです。

企業に就社すると、研究員に限らず、誰しもが安全教育の一環と称して「5S」を励行するようにというふうに指導を受けることと思います。

周知とは思いますが、「5S」とは、整理、整頓、清掃、清潔、躾のことで、職場環境の維持改善活動のようです。ご多分に漏れず、コンキチの勤務する会社でも「5S」というスローガンが声高に謳われていますが、はっきり言っておべんちゃらで、実行が伴っていません。

コンキチは幼少の時分に、「挨拶をしっかりすること」と「脱いだ靴は揃えて並べること」を強く躾られてきました。なので、現在でもこの2点だけはしっかり励行しています。

で、「5S」を声に叫ぶ会社では、挨拶もろくに出来なく、靴なんて変な方向に脱ぎっぱなし(女性社員であってさえ)です。靴が並んでないのは気になるので、その都度気付けばコンキチが揃え直しておくのですが、そのことに関して言及されたことは一度もありません。

別に、労いや感謝の言葉が欲しい訳ではありませんが、仮にも「5S」活動を活発に実施していると嘯く会社にしては、なんともお粗末と言わざるを得ず、その無頓着ぶりにはいささか辟易させられてしまいます。

さて、本ブログタイトルの「5Sの誤謬」ですが、整理、整頓、清掃、清潔、躾があたかも並列の関係であるかの如く記されているのがそもそもの間違いなのだとコンキチは考えています(ついでに、順番も納得いかない)。

だって、従業員を躾て、清掃させることによって、整理がなされ、整頓という状態が具現化し、清潔な環境が保たれると思うから(「躾」→「清掃」→「整理」→「整頓」→「清潔」)。

なので、躾こそが「5S」の要諦中の要諦であり、「躾なくして他の4S無し」と思います。はっきり言って、「5S」なんてまどろっこしいことを言ってないで、徹底的に「躾」るべきと思います。「躾」がなってないから、いろんな不祥事が起こったり、犯罪が起こったりするのではないでしょうか。モラルが躾けられていないの一語に尽きると思います。

そして、躾のなってない組織というのは、礼節をわきまえた怖い(指導力のある)大人(上司)がいないからだと思います。

でも、

1) 真の礼節を備えた人が圧倒的に少ない
2) 組織(会社)に対する強烈なコミットメントがなければ、そこまで御節介じみた行為は面倒臭すぎる
3) 魅力ある組織でなければ、フルコミットできない。

なんていう理由で「躾」を伝播する礼節をわきまえた怖い(指導力のある)大人(上司)の圧倒的に存在しないのかなというのがコンキチの考えです。

また、コンキチの勤務している会社に限って言えば、人を育てるという哲学の欠如も「躾の無い文化」に拍車をかけているのだろうと思います。


会社は社会の公器


という言葉が懐かしく感じられる、今日この頃の二流大出のなんちゃって研究員でした。

2007年6月3日日曜日

有機化学の書

有機化学美術館へようこそ ~分子の世界の造形とドラマ [知りたい★サイエンス]」を読了しました。


コンキチもシクロアワオドリンには腰が砕けました(笑)

さて本書の中身なのですが、 有機化学界のホットなトピックスが網羅的に記載されていて、「一般の人にも有機化学をもっと良く分かって欲しい」という想いが感じられました。やっぱり、時代の先端を進む話題はエキサイティングで、興味を引きつけますからね、そして、(有機)化学の専門知識があまり無い人に対しても理解が進むように、できるだけ分かり易い表現を試みていて非常に腐心しているなあと思いました。それでも初学者には理解しづらいところ(専門的な概念)もあると思いますが、インターネットが発達した今日にあっては、Web上での検索で相当程度は解決されるのではないかと思います。

あと個人的には、超分子化学や不斉配位子、デンドリマーといったトピックスは、読んでいるうちに自分の学生時代が想い起こされ、少し胸が熱くなってしまいました。

ちなみにコンキチの学生時代の研究テーマはClassical Resolutionで、まあはっきり言ってローテクですが、超分子化学的要素(Chiral Discrimination)もある訳で、なんとか超分子的なコンセプトで修論を構成できないかと、超分子化学の入門書であるレーンの「超分子科学」なんかを読んでみたりたものです。

また、扱っていたのがキラル化合物であり、かつ同じ講座の隣の研究室では、C2対称の不斉リン配位子の研究とかをやっていたので、不斉合成なんかは多少は勉強したものです。

あと、コンキチの担当教官から独立して隣の学科の助教授になった先生の研究室ではデンドリマーをやってたりして、今後どういう風に研究が展開されていくんだろうかと、興味深い想いで発表を聞いたりしたものでした。

コンキチの学生寮の友達は、 カリックスアレーンを使った不斉比色認識とかの研究をやっていて、同じ学科の隣の講座ということも幸いして、呑みながら化学の話をしたりもしたものです。

cf. Y. Kubo, et al., Nature, 1996, 382, 522.

そういえば、授業でタキソールの全合成の雑誌会もやったなあ(ダニシェフスキーとニコラウのグループのを)。

研究室の夏合宿のとき、先生が若い頃、ウッドワード研に留学してビタミンB12の全合成のプロジェクトに参加して、クロロメチル化のステップが採用されて。「King of Alkylation」と言われたといって喜んでいたなあ。

………

化学に憧れ、焦がれ、心棒していた、熱い鉄のような情熱を持っていたあの頃の自分が想い起こされ、柄にも無く少し目頭が熱くなるのを感じてしまいました。企業という大学以上に制約があり、政治が跋扈する組織で、自分が化学に対してどういうスタンスで向き合って行くのが良いのだろうかということに想いを馳せるこの頃です。

とまあセンチな話はこれぐらいにして、「有機化学美術館へようこそ ~分子の世界の造形とドラマ [知りたい★サイエンス]」は紛れも無い良書であるので、幅広い層に広く読まれればいいなと思います。

2007年5月31日木曜日

GSC-oriented Indices

近年、GSC (Green Sustainable Chemistry)が注目を集め、Atom Economyであったり、ソルベント・フリー、有機分子触媒、イオン性液体、超臨界流体、フルオラスソルベント、相間移動触媒、Aqueous Reaction、マイクロリアクター、リサイクルといったGSCを志向した論文が日増しに増えてきているように感じるコンキチです。

一昔前までは、全合成を完遂するため、高い選択性や週率を出すためなら、どんな手段をも駆使するぞといった感じの論文が主流だったように思うのですが、いよいよアカデミックな世界でもパラダイムが回り始めたのかと感じる今日この頃です。 

とまあ、環境調和志向が台頭してきたことは良しとして、そのグリーン性はどの程度のものなのかということを表す指標が必要な訳で、著名なジャーナルでそのような環境指標を用いてプロセスの評価を定量化した論文というのはあまりないように思います。ということで、一応プロセス化学を生業とするコンキチが、巷で噂の環境指標を下記にまとめてみました。

(「医薬品のプロセス化学」を多分に参考にしました)


(1) Atom Economy (原子経済)、Atom Efficiency (原子効率)
Barry M. Trostによって提案された指標。トランスフォーメーション自体のグリーン性を評価する指標でる。

Atom Economy (%) = 目的物の分子量÷化学反応式左辺の全原子量×100

ref
. B. M. Trost, Science, 254, 1471 (1991).


(2) RME (Reaction Mass Efficiency)
Glaxo Smith Klineの研究者によって提案された指標。試薬の使用量や収率が加味され、実際の合成プロセスにより即した指標といえる。

REM (%) = 目的物の原子量÷実際の使用当量を乗じた原料の分子量の和×100

ref.. A. D. Curzon, D. J. C. Constable, D. N. Mortimer, V. L. Cunningham, Green Chemistry, 3, 1 (2001).


(3) E-factor (E-ファクター)

Sheldonによって提案された指標で、生成物1 kg当りの廃棄物の重量(kg)。E-ファクター100とは、1 kgの目的物を得るのに100 kgの廃棄物が発生するという意味。反応に直接関与する原料以外の溶媒、触媒、シリカゲル、中和に使う酸・塩基等も考慮される。より製造プロセスを意識した指標といえる。

E-ファクター (kg) = (原料の総重量-目的物の重量)÷目的物の重量

ref
. R. A. Sheldon, Chem. Ind., 7 Dec., 903 (1992).


(4) EQ (Environmental Quotient)
E-ファクターに環境に与えるインパクトの大きさを表す係数Qを乗じた指標。例えば、同じ廃棄物1 kgでも食塩と重金属では環境に対するインパクトが全く異なる。こうしたインパクトを加味した係数Qを各廃棄物量の乗じてE-ファクターを計算し直したもの。Sheldonが提唱。

ref
. R. A. Sheldon, Chem. Ind., 7 Dec., 903 (1992).


以上4つ程指標を挙げてみましたが、これ以外にもDowの「Eco-Efficiency」、Bayerの「Eco-Check」、BASFの「Eco-efficiency analysis」といった企業毎の環境マネジメントがあるようです。

上述した環境指標のリファレンスを見てみると、考案された年代は意外と古く、1993年4月から1999年3月まで大学に在学していたコンキチとしては、Ecologyという哲学に対して無頓着であったことに恥じ入るばかりです,,,,,

ISO14001といった環境マネジメントシステムを導入している企業も多いかと思うのですが、単に社会的な流れだからという理由で認証取得しているという企業も多々あるのではないかと思います(想像)。コンキチの勤務する会社でも認証取得していますが、化学プロセスの環境評価に費やされる時間は少なく、環境指標を用いた管理は皆無で多分に定性的な議論のみが行われています(っていうかISOのコンサルタントにしてもそれくらい指導して欲しい)。全ての化学会社は、最低でも上記環境指標による管理を行うべきと思います。それが、化学会社の最低限のCSRかと思います。

PS. RMEのリファレンスについては、RSCのWeb Siteからダウンロードできるので、そのうちじっくり読んでみたいと思います。

2007年5月29日火曜日

経済財政諮問会議の戦い

経済財政諮問会議の戦い」を読了しました。

この本の著者は現経済財政担当相で。密かにコンキチが在学中にコンキチの母校で助教授をしていたらしく、ちょっぴり親近感がわきます(この本を読んでみた感じでは、その手腕も期待できそうです)。 

さて、本書の内容ですが、著者が事務方として役所にいたときのお話で、正直、所謂「よみもの」好きなコンキチにとって、読み易い文章ではなく、感想を一言で述べれば、「民主主義(もどき)の政策決定プロセスって鈍牛の歩みの如し」だなあというのを改めて感じたというくらいです。 

それから、経済財政諮問会議の資料ってかなりオープンに公表されていることにちょっと驚きました(反省。これからはできるだけ積極的に資料でも読もうかとと思いました)。 

あと、コンキチがこの本で一番感銘を受けたのは、本書の本題とは全く関係ないのですが、諮問会議の民間議員の1人であったトヨタ自動車の奥田会長(当時)の発言の引用が印象的でした。氏曰く、 「・・・私たちも、効率化を図るときに、例えば、一割削減というと少々汗をかく程度で達成できるということがあるが、三割削減というと、仕事そのものの見直しをしないと達成できないことが多く、真の改革が必要になる。(後略)」 だそうです。ちなみに、「工程表」の導入を進言したのも奥田会長だったとか。 (トヨタの全てを素晴らしいというつもりはありませんが)トヨタウェイの哲学の強さ・深さを物語る発言だったと思いました。

2007年5月13日日曜日

Five Forces in Process Chemistry

先日3年ぶりくらいに仕事でPowerPointを使いました。久々だったので、資料作成が楽しくなって、止まらなくなってしまいました。

部署全員(20人位?)の昨年度の研究成果のプレゼンをやることになり、その資料作りというわけです。

持ち時間は10分/人ということなので、7枚(表紙込)を半日くらいかけて作成終了です(まあ、細かい修正とかする予定なので、98%完成というところでしょうか)。

合成化学の門外漢もけっこういるので、スライドの一つにこんな感じの↓をつくってみました。


プロセス化学における5つの要諦という感じで、ポーター教授ののファイブフォースモデルをヒント(というか真似して)に考えてみました。

1) Capability/ 既存設備で対応できるか
2) Safty/ 安全性ですね
3) Repeatability/ 実機でも再現性の高いプロセスデザインか?
4) Sustinability/ 近年注目のGreen Sustinable Chemistryを志向した環境調和型のプロセスか?
5) Economy/ 利潤を追求することが目的の企業では、経済性を無視することはできません。

コンキチはアウトソーシング引受部隊なので、ストーリー的には上記5つのポイントからユーザー提示のラフなプロセスを見直し、その全てを改善したという感じにする予定です。

2007年5月8日火曜日

国士 武田國男

落ちこぼれタケダを変える」を読了しました。


本書は、武田薬品工業
の会長である武田國男氏の著作です。

コンキチが武田國男氏に興味を抱いたのは、「成果主義」ブームが巻き起こった数年前に、自分なりに企業の処遇制度に関する書籍を読み漁っていた折、「ここが違う!「勝ち組企業」の成果主義―対話と個の確立をめざして」と題した武田薬品の事例を記した書籍を手に取ったことが発端でした。その後、「わかりやすい人事が会社を変える―「成果主義」導入・成功の法則」も読んだのですが、これらの本では武田薬品の人事・賃金処遇制度の構造改革が元人事部長の手によって描かれています。

その構造改革たるや、巷に蔓延る人件費カットのみを目的としたなんちゃって成果主義とは全く異なる、飽くなきアカウンタビリティーの追求を志向するもので、はっきり言ってコンキチの心は強く揺さぶられました。

まあ、元人事部長の手によって著された本ですから、いくらか割り引いて読む必要があるとは思いますが、日本経済が失われた10年といわれた時にあって、粛々と改革を続け、現在も進化し続け、しかも結果(業績)も伴っているという現実を鑑みると、非常に希有なまれに見るあっぱれな構造改革と言わざるを得ません。

で、1993-2003の10年間、社長としてその構造改革を指揮したのが武田國男氏(現会長)というわけです。前置きが長くなりましたが、武田國男氏が自分のこれまでの生い立ちを綴ったのが本書なのです。話は武田國男氏の幼年期から始まり、会長職に就く(退く)までに至り、氏のざっくばらんな語り口で、お上品なエリートにはちょっと言い難い


本当のこと

が語られているように思います。
氏の経歴は決してエリートとは言い難いものですが、社長として振るった手腕は凄いと心から思いますね。改革初期にはマスゴミからけっこう叩かれたようですが、初志貫徹で有言実行してしまうところが凄い。本書の中でしきりに繰り返されている「行不由径(行くにこみちによらず)」の精神で、

「選択と集中」

「アカウンタビリティーの徹底」

企業風土改革

をやりとげましたからね。正に建設的なリストラクチャリングですよ!!!

特に「企業風土改革」が素晴らしいですね。はっきり言って風土改革はパラダイムシフトですから。で、パラダイムとは変え難いからこそパラダイムなわけだと思うのですが、それを転換するというエナジーは賞賛に値します。だって、パラダイムシフトは率直なところ自己批判な訳で、周囲の不特定多数は絶対反対に決まってる。だから、どこかの国の与党のように抵抗勢力がうじゃうじゃ湧いてくる。それを押して改革を進めるのは、不退転の精神と滅私なのかなとコンキチは思います。あと、創業家の出自というのが、滅私(先祖伝来の会社のために)にプラスに働いているのかなという印象を受けました。

しかも、業績が良いときにやったのが素晴らしい。

(確か、キヤノンも業績が順風の折に成果主義を導入したんですよね。業績が良いときにそういう改革を行うことで、後ろ向きになるがちなところを抑制できて、総原資をUP↑して処遇できるから受け入れられ安いというメリットがあると御手洗社長が言ってたような気がしました。)

結果、業績はさらに飛躍して、業界屈指の平均給与です。

武田薬品工業と武田國男をしばらくWatchingしてみようと思っています。

2007年4月25日水曜日

深化

「お仕事: プロセス化学」のコンキチです。

直近2回のブログでちょと毒を吐いたので、今回は少し真面目な話を

さて、プロセス化学とは平たく言えば、「企業化の化学」です(少なくともコンキチはそう思う)。つまり、商業ベース(儲かることが前提)で、実機で製造可能な製造プロセスを構築する作業です。コンキチはそんなプロセス化学に一翼を担っているなんちゃって研究員なのであります。

例えば、スペシャルな合成パスを経てターゲットを合成するというアカデミックな世界では極めて評価の高い論文があったとします。でも、

それって「中間体が(潜在的に)爆発性じゃない?」(不安全)
っていうか「ハロゲン系の溶媒は避けたいよね?」(環境問題)
「(ジエチル)エーテル」は危険だよ!!!」(不安全)
「溶媒エンメチですか?」(環境問題)
「(大スケールだと)その反応危なくない?」(制御不能)
「その試薬は変異原性あるんじゃないの?暴露したらどうよ?」(催奇性)

なんていうのがあったらそのままでは社会に許容され難いでしょう。リスクに対する便益の度合いを考慮して、なんらかのモディファイが必要になることが必死であると思われます。

で、少なくとも「ベネフィット>リスク」となり、かつ儲かる条件で実現可能な合成反応をデザインするのがプロセス化学なのです(少なくともコンキチはそう思います)。

そんなプロセス化学において、「深化」というのが一つのキーワードになるとコンキチは思っています。

「一つ一つの合成ステップに関してより深い理解を蓄積していく作業」がプロセス化学において非常に重要性を帯びてくると思われます。

選択性を左右する因子は?
溶媒効果は?
additiveの効果は?
濃度依存性は?
禁忌条件は?
使用試薬のバリエーション(同族体)による影響は?
使用試薬、溶媒、中間体、Targetの安全性は?
既存装置で対応可能か?
発熱量は?
etc.

といった具合にプロセスを構築するにあたって、色々な疑問というかクリアしなければならない事柄が湯水のように溢れ出てきます。

で、可能性としては無数に存在する条件を、如何に効率よく如何に少ない試行で設定・確定するかということがプロセス化学の要諦であると思います。

そして、(文献とかレポート等で)既に明らかになっている情報を集積すると共に、新たに発見した知見を蓄積し共有してゆくシステム(ナレッジ・マネジメント)こそが、プロセス設計を強力に支援するツールになるんだろうと思います。

で、この蓄積のスパイラルが深化をさらにたらしめ、プロセス設計R&Dの速度を加速させるのです(多分)。

残念ながら、コンキチの勤務している会社では、セクショナリズムが台頭し、情報や知識の囲い込みが横行し、ナレッジ・マネジメント(深化のシステム)とは逆行しているように感じられます。はっきり言ってコンキチは哀しい。腐ってます。

でも、それじゃあ人生あまりにもつまらないと思うので、「深化の自分最適」という自分で言っていてよく分からないそんなフレーズをスローガンに人生を謳歌する方策を模索していきたいと思う二流大出のなんちゃって研究院のちょっとセンチな日記でした。

2007年4月21日土曜日

選挙戦に戦略はあるのか?

コンキチの居住する自治体では、今度の日曜に市長選挙と市議会議員選があります。というわけで、各候補者が選挙活動を展開していて、選挙カーから鳴り響く拡声器の音が五月蝿い今日この頃です。

でこの選挙カーなんですが、これって有効な活動なんですかねえ?だって、候補者の名前を声高に叫んで、「お願いします」を連呼するだけでしょ。はっきり言ってバカっぽくないですか?

(1) 特に、選挙カーで集合住宅の敷地(私有地)に乗り入れてきて、そこの管理人さんに怒られている立候補者とか、

(2) 選挙公報に抽象的な自分の心情を、小学生が原稿用紙に作文を書くかの如く、ひたすた綴りまくるだけの市長候補者とか、

(3) 暗くなってからも(8時前ではあるけれど)、選挙カーで聞きたくもない拡声器を通したでかい音を周囲にまき散らす候補者とか、

(4) 主張するのは、福祉と周辺住環境のインフラ整備だけという共産党候補者(結局は狭い地域への利益誘導でしょ、これじゃ自民党を批判できませんよ)とか、

っていった候補者なんてその最たるものでしょう。自分で自分のセルフ・ネガティブ・キャンペーンをやってるだけですから。

選挙って一種のマーケティングだと思うんですよね。もっとROIの高い選挙活動をやるべきなんじゃないのかなと思いますね。

2007年4月16日月曜日

Friday The 13th

気が付けは、先週は久しぶりの13日の金曜日がありました。

(実家が)仏教徒(庶民の宗派曹洞宗)で、かつ宗教を信じていない(但し例外的のバッカスと松尾様だけは信じています)コンキチにはどうってことのない一日でした(但し、迷信はけっこう信じます)。

ところで宗教と言えば、コンキチが日々の通勤に使っている路線には、「霊○の光」の最寄り駅(東京理科大学野田キャンパスの最寄り駅でもある)があり、毎朝信者と思われるオバちゃん達が件の駅で続々と下車していきます。

よく、ビジネスの書籍でロイヤルティーに関する話が出てきますが、宗教に対する帰依の精神というか、忠誠心には目をみはるものがありますね。

冷静に考えれば、宗教なんて弱者(貧しい者)のすがりでしかないとすぐ気付くと思うのですがね.....

だって、神や仏がいたとして、彼等彼女等が現世を肯定しているとすると、彼等彼女等は人間がこの世で行う醜い行為(侵略とか)もまた許容しているということになるでしょう..... それって悪魔の行為じゃない?っていう訳ですよ。つまり、人智を越えた超存在があったとした場合、それは宗教が規定する神や仏ではなく悪魔であって、この論理展開によって宗教の持つ決定的な脆弱性が露になると思うんですがね.....はっきり言って、霊感商法やってる新興宗教の欺術ってちょっと興味あります。

我が国で流行っている土地真理教のように、多くをつぎ込む程にその行為を否定しずらくなるという心理は理解できるのですが、そこに至らせる迄のプロセス(甘い囁き)は具体的にどういったステップを踏むのか?ということです。

一目みてうさんくさい教祖を戴くオウム真理教なんてその典型ですよね。教祖誕生でも借りてみようかなと思うコンキチでした。

2007年4月10日火曜日

儲かる顧客のつくり方

儲かる顧客のつくり方を読了しました。


顧客ロイヤルティに関する論文が8報掲載されている本です。で、印象に残った点をメモしてみたいと思います。


1) 顧客ロイヤルティの高い企業は顧客を選別している。
例えば、バンガード (Vanguard, インデックスファンドの雄)にとって理想的な顧客は、価格感度が高く、長期投資志向の強い裕福な顧客だといい、たとえ残高が多くても、長期的に投資しそうにない顧客は敬遠されるそうです。ある機関投資家は4,000万ドルを投資しようとして断られたという事例があります。その理由は、この投資家が2-3週間でファンドを転売し、その対応に伴うコスト上昇を、ロイヤルティの高い既存顧客がかぶることになると考えたからだそうです。コンキチは、この逸話が同社のブランド価値を高めるのに資する話だと感じました。

インデックスファンドは最もローコストオペレーションが可能な金融商品であり、長期投資家は売買コストも低く、税金面でもメリットがある。正に、インデックスファンドに特化したバンガードと長期投資家のカップリングはWin-Winの組み合わせでしょう。バンガードは投資信託業界で最も高いロイヤルティを誇る企業なのです。

効率的市場仮説を盲信しているわけではないですが、コンキチも同社に対して高いロイヤルティを抱いています。


2) 顧客ロイヤルティの高い企業のトップはネガティブフィードバックを引き出すのに腐心している
バンガードのCEOであるジャック・ブレナンは

a
) 定期的に自社のコール・センターを訪れ、顧客からの質問や苦情に対応したり、

b
) 社内のカフェテリアで従業員たちを集めて昼食(各自1つずつ真剣な質問や不満を持ち込むことがッ参加条件)を共にする(CEO自ら手書きの書簡でフィードバックする)

といいます。

また、インテュイット(会計ソフト)のスコット・クック(創立者)も同様なアプローチ(昼食会)を実施していて、部下が意見しやすいように無記名の情報検索カードに質問を書いてくるように頼んでいると言います。


3) 顧客満足度の調査結果の誤解
顧客満足度の調査結果が

5 (完全に満足している) 48%
4 (満足している) 34%
3 (不満でも満足でもない) 10%
2 (不満である) 5%
1 (完全に不満である) 3%

であったとき、

「82%の顧客がおおむね満足しており、企業と顧客の関係は強固である」と判断するのは誤りであるといいます。

「5 (完全に満足している)」と「4 (満足している) 」の間には大きな隔たりがあり、「5 (完全に満足している)」と回答した顧客のみが高い顧客ロイヤルティを示し、「4 (満足している)」「3 (不満でも満足でもない) 」と回答した顧客は簡単に他社に切り替える可能性の高い顧客であるという調査結果が報告されています(業種にもよる)。

つまり、完全な満足のみが顧客ロイヤルティの構築につながるわけで、上記調査結果を手にした経営者は危機感を募らせなければならないわけです。超絶、目から鱗の事実を目の当たりにした気分でした。顧客満足度と顧客ロイヤルティの相関は線形ではなく、指数関数的であるということですね。


4) eロイヤルティ
eコマースにおいてこそロイヤルティが重要になってくるといいます。もっぱらサイトにアップされている画像や文章のみを頼りにしなければならないWeb上での商取引では、実際に取引を行うか否かの判断はそのサイトのが信用力にかかっている訳です。得体の知れないサイトには、個人情報やクレジット・カード番号を入力するわけがないという理屈です。Webの買い物客に、「eコマース小売業者にとってビジネスを展開するうえで最も重要と思われる要素は何か」と聞いたところ、「よく知って信頼できるWeb Site」という回答が、「安さ」や「品揃え」等のその他の要素を大きく引き離してトップだったそうです。無機質なWeb上では「信頼性=ロイヤルティ」という方程式が成り立つのでしょうか。

このロイヤルティに関する書籍を読んでみて、コンキチの頭にフッと浮かび上がってきた日本企業があります。日本食研です。以前、バラエティークイズ番組で同社を取り上げていたのですが、日本食研では、ステークホルダーの一角を担う従業員のロイヤルティを高めることで、労働効率を高め、失われた10年と言われた時代にあってさえ、増収増益を達成し続けたと報じられていました。社内恋愛目安箱のようなものまであり、同社の職場結婚率と従業員の定着率は群を抜いているらしいです。

まあ単純に、従業員に「この会社にいれば安心だ」と思える安心感を与え、ロイヤルティを高めれば、従業員は会社のために(それが自分のためにもなる)身を粉にして働くだろうし、離職率も少なくなり教育研修費というものが無駄にならないでしょう。

あと、結婚しても女性社員が会社に残っていられる環境というのも社内に蓄積された知の流出を抑制できていいような気がします。

本書にも書かれていますが、1993-2000年4月までUSAA(会員制金融サービス)のCEOだったロバート・ヘルスは「井戸にコインを放り込んで、いつまでたっても水音が聞こえない-そんな印象を従業員が持ってしまったら、いずれコインを投げ込むのをやめてしまう。従業員に努力してもらいたい、きちんとコミュニケーションを計っていきたいと思うならば、我々はしっかり君たちの声を聞いていて、それに沿って行動を起こす、ということを示さなければならない」と述べているそうです。

国は違っても、

人は城 人は石垣 人は堀(なさけは味方 あだは敵なり)


の精神は一緒なんだなと感じた二流大出のなんちゃって研究員でした。

2007年3月30日金曜日

この書籍、凶暴につき

香料会社で、有機合成を生業としている、なんちゃって研究員のコンキチです。

今、「有機化学実験の事故・危険?事例に学ぶ身の守り方」という本を読んでいます。


まだ、途中までしか読んでいませんが、はっきり言って良書です。内容は、有機化学実験にまつわる事故事例集です。しかも、内容が濃いです。リファレンスは充実しており、化学物質の危険度に関するデータ(許容濃度とか爆発限界とか変異原性とか)もふんだんに記載されています。コンキチは、有機化学に携わるようになってから11年を数えますが、自分が取り扱っている(または今後取り扱う可能性のある)化学物質についての理解が、如何に浅はかだったかということを思い知らされましら。

そして、


真剣に有機合成をやめたい

と思ってしまいました。

こういったおもいはかねてから多少なりともありました。だって、使う試薬とかターゲット分子や中間体は安全とは言い難いし(っていうか危険)、コンキチの場合、ハロゲン系溶媒も結構良く使いますからねえ。でも、もの本を読んで加速しましたね、やめたい度合いが。(まあ、今すぐやめるというわけではないですが)

いくら注意したって、完全なる暴露の回避は不可能だし、何らかの障害を受ける確率が高くなることは間違いないでしょう。

ただ、ヘビースモーカーだからといって、皆が皆が早死にする訳でもないのと同様に、有機化学者が皆早死にする訳ではないこともまた事実ではあるでしょう。

しかしながら、コンキチが爺になった時に、常人並みに食べ物や酒を堪能できるだけの体力と味覚や嗅覚を維持できるのだろうかとういことえお考えた場合には、はなはだ心もとない気持ちになってしまいます(データはありませんが)。人間、喰いものに対する情熱が無くなったら終わり(=人生枯れている)と思ってますから。

まあ、個人的な余談はさておき、この本は(少なくとも国内では)希有な白眉の一冊といって過言ではないと思います。大学とかで、反応や化合物に関する性質や危険性の調査の仕方は習いますが、そうやって得た知識だけで危険に関する情報は十分に得たと考える科学者は皆無でしょう。それと同様に、この本を1冊読んだからといって、危険に関する知識はバッチリだぜということにはなりませんが、系統だってラボでの有機化学実験に関する危険を学べる書籍は和書ではこの本以外は皆無だと思うし、間違いなく危険を察知するというか想定する感度は高まることは間違いないと思います。

コンキチは企業にはいってから、KYT(KikenYochiTraining)という実にくだらない儀式に毎月参加しています。cf.http://researcher-station.blogspot.com/2006/09/blog-post_17.html


そこでは、分かり易い&面倒くさいという理由だけから、毎回毎回代わり映えしない危険にまつわるお題で、しょうもない話し合いが繰り広げられています。まあ、しょうもないお題も全く役に立たないとは思いませんが、ある一定周期で代わり映えしないお題を繰り返し設定するというのは、いささか安直で白痴的であるとコンキチは思います。

はっきり言って、コンキチはこう思います↓

有機化学実験の事故・危険?事例に学ぶ身の守り方」を1冊づつ各研究員に配り、その輪講をすべきである!!!!!

と。

どうでしょうか、化学系企業の研究所長(部長)さん、安全管理者さん、工場長さん?以上、所詮二流大出のなんちゃって研究員の戯言でした。

2007年3月29日木曜日

人事考課の季節

年度末です。コンキチの勤務する会社では、MBO(目標管理)を(一応)採用しています。ということで、年度末は半期に一度の面接(半年前に立てた目標の検証)季節なのです。

でも、

コンキチの目標って本日決まりましたから~!!!!!


そして、

面接も今日です。

はっきり言って目標も評価もお任せで構わないので、コンキチをそっとしておいて欲しいです。

そもそも、MBOをキーツールとして用いる、成果主義(もどきも含めて)という処遇制度は、(従業員の生産性を高める為に)従業員のロイヤルティーを高めることが目的であるはずです。その場合、考課者(管理職である上司)の力量が問われるわけで、彼らは部下に納得性の高いメンテナンスを提供しなければならないのです。当然、部下とのコミニュケーション、部下の育成、部下の評価といったことにかける時間は増大するはずです。
しかし、現実はどうでしょうか?真のデキル上司とは、自身がハイパフォーマーとして働くことではなく、自分がマネジメントする組織(システム)をハイパフォーマーにすることだとコンキチは考えています。一人で出来る仕事には限界があります。

次は(万年)五月病の季節かなと思うなんちゃって研究員のコンキチでした。

2007年3月25日日曜日

犯罪商社.com

犯罪商社.Com」を読了しました。


この本は、違法取引が如何に 巨大なネットワークを介して、かつ世界をまたにかけて、 広く万延しているかということを説くとともに(まあ、極論すれば、著作権を犯したことのない人って、多分日本では殆ど存在していないと思うし)、それに対する国家の抑止策が如何に矮小なものであるかということを記しています。

はっきり言って、コンキチの価値観は大きく揺らぎましたね。

勿論、強制を伴う(人権を蹂躙する)違法な取引というものは、唾棄すべきものだと思いますが、それ以外の「自由意志に基づく経済活動(基本的の他人に直接的な迷惑をかけない)」は、果たして国家間で必ずしも統一基準が存在するわけでもない「法」によって裁かれるのは「是」であるのかとも思いました。つまり、国家による取り締まりの範囲というのは、越権である部分も含んでいるのではないか。矛盾を孕んでいるのではないかということです。

例えば、タバコというものはある種のけっこう危険な合法ドラックと言えると思います。ある種の麻薬よりも常用性が高く、毒性(発ガン性とか)も高いという話も耳にします。巷では、最近になって分煙であったり、公共の場での喫煙が抑制されるようになって来ましたが、まだまだ無法地帯といった感が否めません。まあ、ガンは発症するのに長期スパンが必要なようなので、記憶力の良くない我々白痴な現代は、その危険性の大きさに気付きにくいというのと、既得権のために放置されている(キツくは取り締まわれていない)のでしょうか?

あと、人間が何らかの行動を起こす際の「動機」というものの重要性が非常に重要であると感じられました。人をコントロール(管理)するのに、如何にインセンティブの与奪がクリティカルであるかということを、会社社会の中に埋没してしまった、所謂管理職の人には、この本を読んで深く認識して欲しいと思いました。

2007年3月22日木曜日

アラサーのメランコリー

先日、他部署の後輩(女性)が会社を去っていきました。4月から別の会社で働くそうです。どこの会社でどんな仕事をするのかと聞くのは(いやらしいような気がして)憚られたので 、何をするのかはさっぱり分かりませんが、「別の道で頑張っていく」そうなので、これまでやってきた仕事とは違った仕事にTRYするのだろうと思います。

会社を去る日の彼女の表情は、晴れ晴れと快活でした。そんな彼女の決断力と行動力、それから若さに羨望の念を抱かずにはいられないコンキチであります。

ここで簡単の転職を決めた後輩とコンキチのProfileを書きます↓

後輩
性別/ 女性 (ウチのカミさんってけっこう美人なんだけど、もっと美人)
年齢/ 28歳(推定)
最終学歴/ 修士
その他/ 未婚、扶養家族為し

コンキチ
性別/ 男性
年齢/ もうすぐ32歳
最終学歴/ 修士
その他/ 既婚、扶養家族3人、二千数百万の住宅ローン有り


正直、持てるリスクをひしひしと感じる今日この頃です(身軽さがなくなった)。

「仕事が面白くないから」とか「上司との人間関係に難有り」とか「このままでは自己実現できない」といった理由で、会社を潔くスパッと辞めるには、失うものが大きくなりすぎた感があります。

転職したからといって、新しい職場で行う仕事に満足できる保証はないし、年収だって下がる可能性が高いかもしれません。新しい職場でも嫌なやつも相変わらずいるかもしれないし、転職すればいままでの嫌だったこととか、物足りなかったことが全部解決されると楽観することはコンキチには憚られます。

少々のことには目を瞑って、嫌なことは出来るだけ避け、周囲からのバカっぽい指示とか雑音とかはバシッと無視して、自分の趣味に没頭しつつ、会社にしがみついて生きていくという選択もあながち悪いものではないかもしれないと考えています(かなりネガティブですが)。

あと、コンキチの場合、

「コンキチさんは何(仕事)をやってらっしゃるんですか?」

という問いに、

「香料会社で研究員やってます」

と答えられることに、なんていうんでしょうか、ちょっとした優越感を感じたりしていて、これが会社を辞すことを思いとどまらせる一要因にもなっています。

それから、会社で自己実現できないからといって、人生で自己実現できないとは限らないわけで、特にIT革命以後の今日にあって、個人が社会に対して情報を発信することが極めて容易になり、やりようによっては、会社外ライフの方が充実する可能性が広がっているように思います。

現在、コンキチは残業を殆どせず、会社はキャッシュ・マシーンであると割り切って生きています。仕事はあいかわらずあまり脳みそを使わなくても良い仕事ばかりですが、給料は、まあそこそこでるし、会社所蔵の専門的な書籍や雑誌は読み放題だし、一応社歴は8年を数えるので、会社で誰かに邪魔されることのない自分時間を創出することもある程度できるようになりました。そんなメリットを考えると、前述の後輩のようにスパッと会社を辞めてしまうのももったいないかなとも思うのです。

転職した後輩の身軽さと若さには、ある種の嫉妬のようなものを感じますが、自分は自分で老獪さのようなものを身に着けていきたいと思います。

転職していった後輩には新しい職場で意気揚々と仕事をして新たなキャリアを築いて欲しいと思うと共に、コンキチも自分の人生を最適化し、人生を謳歌するため、日々研鑚を重ねて生きたいと思いました。


「自分道」そんなものを究めたいと思います。

以上、某二流国立大出のなんちゃって研究員の、ちょっぴり感傷的な独白でした。

2007年3月12日月曜日

無党派ブームなのか?

宮崎県知事選を皮切りに、無党派ブームなんていう言葉がマスコミを席巻している今日この頃です。東京都知事選が真近ですからね(ちなみにコンキチは千葉県民ですが)。

で、「無党派ブーム」なのでしょうか?本当に?

っていうか、国政選挙は、議院内閣制をしいている我が国「日本」において、構造的に政党政治にならざるを得ないというか、それしか選択肢が無いと思います。

翻って、地方選挙は国民投票(っていうか該地方自治体構成員の直接投票)だし、首長の権限も強いらしいから、政党という組織の強みは、国政に較べて相対的に小さいものにとどまるのは自明の理ではないかと思います(議会を上手く仕切っていく必要はありますがね)。

つまり、国政と地方行政を一概に論じるのは、あまり意味がないことなんだろうということです。

あと、国政選挙において、無党派を気取るのははっきり言って無責任だと思いますね。というのは、

a) 国政は政党政治である
b) 国政は国の根幹を為すものである
c) 従って、支持政党を持たない無党派は、国家の行く末に対するビジョンを持たない無責任な人々である

と思うからです。


まあ、既存政党が必ずしも自分の考えと100%マッチするという訳ではありませんが、コンキチは最低限守って欲しい政策(国防、外交)を(できるだけ)堅守する政党を支持するようにしています(現実とはグレーなのです)。

間違っても、烏合の衆や批判することのみにエクスタシーを感じている政党には票を投じないように気をつけたいと思うコンキチでした。

2007年3月11日日曜日

Google Patent Search

なんちゃって研究員のコンキチです。

Google Patent Search (BETA)というサービスを発見しました。「Search the full text of US Patents」ということらしいです。

またGoogleが素敵サービスを考えついたらすいですね(New!という表示が付いていたので比較的最近導入されたのでしょう)。

上記サービスについてちょっと興味を刺激され、どこかのサイトが紹介していないかと思って軽くググってみたら、

グーグル、特許検索サイト「Google Patent Search」を公開

という記事を発見しました(2006年12月15日付けです)。

ここ数年は、アウトソーシング引受部隊として働いているため、殆ど脳ミソを使っておらず、仕事で各種文献を読む機会も激減していますが(趣味で多少文献Watchしていますが.....)、一応研究員のはしくれとして、このようなサービスに気付かずにいたことに対して羞恥の念が湧いてきます(反省)。

米国特許明細書を積極的に読む必要性はなんとなく感じていたので、これを機に、上記サービスを使い倒して(願望)、使用感を後日レポートしてみたいと思います。

2007年3月2日金曜日

インセンティブ・マネジメント

以前スクラップしていた雑誌の記事を整理(処分)しようとしていたら、こんな記事を発見しました↓

膿を出し、人を活かして「前倒し」を断行せよ!
(PRESIDENT 2004.8.2, 60-61)

日本電産の永守社長の記した記事です。この記事の中で氏は、人はどうして怠けるのかといえば、頑張っても怠けても結果が一緒だからですよとのたまっています。

具体的な事例として、

a) 社用車を購入するときに価格交渉(値切る)をしなかった。
理由→値切っても誰も喜ばないし、値切らないと業者がお中元やお歳暮を沢山くれる

b) コストダウン実績はボーナスにかかわるようにした

c) ガラリと変わった。

ということが挙げられていました。さらに、リターンはお金だけではなく、昇進、褒め言葉もあり、これが大事だと説きます。

至極当たり前のことのように聞こえるのですが、これがなかなか実社会(っていうかコンキチの勤務する会社)ではおぼつかないんですよね、何故か。

上司は自分が偉くなったと勘違いして、部下に何かをさせようとするときに、上述したインセンティブなどお構いなしに、権威ある声で指示を出せばいいと思っている節があるように見受けられます。

正のインセンティブ(あめ)と負のインセンティブ(ムチ)を上手く使い分けて部下をコントロールする(生産性を上げる)機微が上司の要諦だと思うのですがノ..驕っているんですかね?

以上、二流大卒のなんちゃって研究員の雑記でした。

2007年2月17日土曜日

知財を志向してみる (3)

2月13日, 14日と日本知的財産協会主催の知財セミナーに参加してきました(勿論業務です)。

まあ、会場の近くに旨い蕎麦屋があるという情報をキャッチしたので、会社に交通費を出してもらって、噂の蕎麦の味を確かめてやろうじゃないかというのがメインの目的だったのですが、最近流行り(?)の知財に関しても造詣を深めておこうかなという気持ちもあったので参加してみたのです(コンキチの勤務する会社では、社内で人材を教育するという思想が、まあ殆どないので)。

1日目は「発明のまとめ」と題した特許に関する講演を、2日目は「発想法・思考法」と題したワークデザインに関する講演を受講してきました。

で、折角なのでセミナーに参加して思ったことをメモかたがたチョット綴ってみようかと思います。

1) 「発明のまとめ」
講師は帝人の知財センターに勤務する方で、えらい話の旨い人(女性)でした(ただ、ちょっと話がはやいか)。この講演では、特許のカテゴリー(物質特許、製法特許、用途特許、パラメーター特許)と、特許の新規性・進歩性を中心とした解説が行われ、特許(の知識)初心者級のコンキチにはけっこういい勉強になりましたね。
a) 「強い権利行使を可能とするにはどのようにクレームすればよいかというケーススタディー」
b) 「特許出願時における拒絶理由への対応」
c) 「権利行使の可否」
d) 「先行技術との違いをどう出すか」
ということが、事例を交えてポイントを抑えた解説をしていただきなかなか有難かったです。

で、コンキチがこの講演を聴いて一番思ったことは、

やっぱり製造特許(化学)の権利侵害を立証するのって、難しいんだなあ

っていうことです。講師の先生も、CSRとか、コンプライアンス経営とか、ばれたときのリスク(社会的信用の喪失)が侵害の抑止力になるといっていました。

つまり、モラールの無い(または低い)企業が、ばれなきゃO.K.的発想で勝手に、かつ内緒で特許を使われたらどうしようもないということでしょう(やり得)。

アメリカではディスカバリーという情報開示の制度があり、ハードルが高いようです。まあ、国内だけでなく、大きな市場がある(またはこれから期待される)外国の特許法にも精通することも、特許戦略上重要なのだろうと思いましたね。気が向いたら、その辺のところもちょっと勉強してみたいです。

ちなみに推薦図書は、

特許〈化学〉明細書の書き方」 (室伏良信 著)

だそうです。

2) 「発想法・思考法」
ワークデザインというG. Nadlaerによって提唱されたシステム設計技法に関する講演を聴講しました。

ワークデザインの得意領域は、「ビジネスモデルの設計や改良」「新しいビジネスモデルの構想」「製品や部品の提案や改良」「問題解決」だそうです。

で、ワークデザインでは機能(システムの目的, 役割, 使命)を重要視しており、今回の講演ではワークデザインの中核である「機能展開」の解説と、機能展開を利用したビジネスモデルの構築・設計・改良に関する解説がなされました。
 機能展開とは、下位の機能(例えば、荷造り作業を例にとると「必要な荷物を梱包する」)に対して、「その機能によって何をしようとしているのか?」とい問いを繰り返すことによって、上位の機能(客が移動先の環境下で不都合無く家庭生活を営み、労働し、買い物をし、教育を受け、楽しむ活動をたすける)へと展開していくといった作業で、けっこう細かく展開していかなければならないそうです。
これをビジネスに応用した場合、上位の機能から顧客の潜在ニーズを見出し、そのソリューションを提案することでビジネスモデルを構築・設計・改良するのに役立てるとコンキチは理解しました。

ただこの機能展開がちょっとクセものだとコンキチは思いましたね。機能展開の例として、黒板消しの機能展開の例がよく用いられているようで、

(1) 黒板の表面をふく
(2) 黒板に付着したチョ−クの粉を落とす
(3) 黒板の表面に書かれた字を消す
(4) 黒板に次に書くスペ−スをつくる
(5) 黒板に次々と字や絵を書く
(6) 限定されたスペ−スを用いて目で見える情報を次々と伝える

というように機能の展開が為されていき、「限定されたスペ−スを用いて目で見える情報を次々と伝える」を顧客の潜在ニーズと考え、プレゼンソフトみたいイノベーションが創出が期待されるのでしょう。上位概念の機能を志向するという方向は間違っていないと思うのですが、その途中のステップってホントに必要?と思いました。
(学術研究としての価値というか重みを出すために、敢えて必要ない機能をつらつら並べているだけのようにも思えます)

経営学系の書籍を紐解くと、顧客ニーズをより広い概念まで広げて考えるというアプローチはけっこう頻繁に解説されているように思います。

a) シルク・ドュ・ソレイユ: サーカスの一段上の概念であるエンターテイメントショーという視点で演出を設計し、大成功を納めている(「ブルー・オーシャン戦略」)。シルクにとっての競争相手は、サーカスだけでなく、エンタメ事業者全てなのです。独走的なエンターテイメントショーが、「ショーを楽しみたい」という顧客ニーズを満たしたのでしょう。

b) カセラ・ワインズ: イエロー・テイルというワインのヘビーユーザー以外のアルコール愛好家(ビールとかカクテル)も楽しめるワインを設計・販売し、メガヒットを達成した(「ブルー・オーシャン戦略」)。「人々が楽しめるワイン」の上位概念である「人々が楽しめるアルコール飲料」という視点で商品設計し、ワインのヘビーユーザー以外の顧客ニーズを発掘している事例だとい思います。ちなみにコンキチもイエロー・テイル好きです。

c) サウスウエスト航空: 航空会社という位置づけではなく、より上位の概念である輸送業として自社をとらえ、スピードと便数に特化した戦略で低料金を実現して競争優位を築いた。他の航空会社以外に自動車による移動という代替輸送手段もライバルと見立て、両者にない価値を提供している。ラウンジとか機内食とかの輸送以外サービスはそこそこでいいから、スピード(移動時間)を重視したいという顧客ニーズをとらえているのでしょう。それでいて、料金は自動車(スピードは遅い)と競合するくらいの低料金ですから(「ブルー・オーシャン戦略」)。

d) ホーム・デポ: ホーム・センターという視点ではなく、ホーム・インプルーブメントというより上位の視点で、DIYという膨大な潜在ニーズを掘り起こした(「ブルー・オーシャン戦略」)。

e) BBA(Bush Boake Allen): 「顧客のニーズに合致した香料を売る」から「顧客の抱えている問題を解決する」という一段高次の視点から、新しいビジネスモデルを構築した(「製品開発力と事業構想力」R&Dを顧客に転嫁する事業モデル)。
cf. http://researcher-station.blogspot.com/2007/01/blog-post.html

f) 製造業→サービス業への転換: see http://researcher-station.blogspot.com/2007/02/blog-post.html(「ビジネスモデル戦略論」「脱」コモディティ化の成長戦略)

機能展開なんて仰々しいことをやらなくても、上位概念での顧客ニーズを検討すればいいんじゃないの?という気がします。

あとそれから、この機能展開なんですが、さらに展開をつき進めて行くと、

(6) 限定されたスペ−スを用いて目で見える情報を次々と伝える
          ・
          ・
          ・
(n) 人の情報の授受をスムースにするのは、理知的でいきいきとした生活を送らせるためであり、それは、人々を幸せにするため

というような感じで、なんか良くわかりませんが、最終的には「人々を幸せにするため」的なものに収斂するようです(なんかこの辺りは宗教的な感じがします)。

で、「企業の利益にため」という方向には展開してはいけないそうです。講師の先生は、「利益を上げさえすれはなにをやっても良いのか?」言っていました。でも、利益を上げることってそんなに悪いことですかね?

企業が利益を多くあげることにより支払われる高額な税金により、公共インフラを整備し、人々が快適に暮らせるようにする

とか

企業が継続的に利益を挙げることにより、ゴーイング・コンサーンたる企業体は、人々の雇用を拡充し、給与を上げ、人々の経済活動を豊かにする

的な発想も有りだとおもうのですが.....。

それに、「人々を幸せにする」と言ったって、幸せの定義は曖昧であるし、利便性を向上させることによって幸せを達成するということであれば、「利便性さえ向上させれば、何をやっても良いのか?」ということも言えるのではないかと思います。

さらに、株式会社が出来た歴史を鑑みれば、会社は利益を上げることが目標であることに疑いを挟む余地はありませんよね(TOCでも会社のゴールは(反社会的な行いをすることなしに)利益をあげることですよね)。

チョットGoogle(日本)でググッてみたけど、「(学問としての)ワークデザイン」のヒット数はイマイチでした。思考の方向としては間違ってないのでしょうが、ちょっと仰々しいかなという気がしました。

大野耐一氏の逸話に触れていたのですが、それが今回の講演で一番ためになりましたね。

講師の先生がとある工場で段取り時間を短縮するアドバイスをしたそうです。でも、受け入れられなかった。しばらく後、その工場の様子を伺ったところ、かつて行った提案通りの作業が行われ、段取り時間が短縮したという。で、先生は「私の言った通りでしょ」的なことを言ったらしいのですが、件の工場の人は「いいえ違うんです」と宣った。

何が違うのかと言うと、あの大野耐一が「俺が責任を取るからやってみろ」と宣うことで、改善策が実際に行動に移されたということなのだそうです。

講師の先生も、「アイデアなら出せるけど、責任はとれませんから」的なことを言っていました。

改革には豪気なトップの存在が必要

なのでしょう。

部分最適でも全体最適でもなく、自分最適を目指す二流大卒のなんちゃって研究員の徒然なる日記でした。

2007年2月10日土曜日

知財を志向してみる (2)

知財・特許業務マニュアル〈下巻〉」を読破しました。



法律とかそういった決まりごと関連の書籍は、正直退屈ですね。でも、興味深い内容もあったので、少々メモしてみたいと思います。

1) パテントマップ
特許戦略の本なので、特許情報をビジュアル化したものである「パテントマップ」に関してけっこうな頁が割かれています。

で、特にコンキチが興味を覚えたのが、この本の著者(有機化学系)の1人が現役時代にちょっとした遊びで作ったものらしい、メタロセン触媒によるオレフィン重合のパテントマップです。
x軸にモノマーの種類
y軸に触媒の中心金属
z軸に特許件数
を3次元プロットしたパテントマップなのですが、マッピングしてみた結果以下のことが分かったそうです。
 
a) エチレン、プロピレン、スチレンをモノマーに使ったものが多い。
b) エチレンの重合で使われる金属は、TiとZrが多い。
c) プロピレンの重合で使われる金属は、TiとZrが多い。
d) スチレンの重合で使われる金属は、Tiが多い。Zrはゼロ

で、ここで見えてくるのが

「スチレンの重合にはなんでZr cat.が使われてない訳?」

ということです。

本書では、この話題に関する詳細な追跡の記述もなく、またコンキチも専門外なので、実際上述したような「気づき」から具体的にどういった展開が可能かはよく分かりませんが、技術の視覚化によって、第三者がまだ気付いていない何かを見出すツールとしてはかなり有益かと思いました。

企業戦略、企業規模、ビジネスモデルによって上記リサーチは、ROIが必ずしも良いとは言い難い場合もけっこうあるかと思いますが、考え方としては見習いたいですね。

2) 特許出願戦略
コンキチは所謂化学工業というセクターに属する仕事に携わっています。で、そこで製造される製品というのは、パソコンとかTVとか車といった、はっきりとした、それ固有の形状を有さないものなのです。ジュースとか酒とか砂糖とか塩といった、言われてみないとそれとは認識しがたい物質が製品よして製造されてくるのです。しかも、B to Bビジネスしか営んでおらず、エンドユーザーが手にする製品の中に微量しか入っていない場合もあったりします。

で、そんなセクターに属する会社が、新規製造技術を開発してそれを守ろうとした場合、どういった方法がベストかということを考えさせられましたね。特許化を目指すべきなのか? それともノウハウとして保護し、隠密に先使用権は確保しておくという戦略の方が良いのか?ということです。

しかもプロセス・イノベーション的な発明の場合、果たして競合他社の特許侵害を見抜くことがどれほどできるのかはなはだ疑問があります。

企業のモラールにかけるだけでは、いささか白痴的ではないかということです。

今までコンキチは、上述したようなことをあまり考えたことがなかく、はっきり言って素人ですが、少しづつ勉強して行きたい気持ちは芽生えました。

3) 「筋の良い」テーマ
本書では、「筋の良い」テーマを生み出すためにはということにも言及していて、

イマイチくんな(研究)テーマが多いのは、

考える時間、そしてその前に、構造化(解析された情報が整理されている状態)された情報を準備することの重要性を組織としてあまりにも軽視してきた。考えごとをするのも、そのための材料を準備して下ごしらえをするのも、仕事ではない、対価を払うべき価値のある生産活動ではないとみなされてきた。だからこれまでわれわれは、筋の良いコンセプト(研究テーマ)を生み出すための投資、つまりは調査研究への投資をわずかしか行ってこなかった。

と断じています。

正直、この本はとても良いとは言い難いと思いますが、上記主張はコンキチと全く同意見ですね。TOCにもちょっと通じるところがると思うし。

本来知識集約型であるべき研究開発活動を労働集約型活動と見なしてきたことにそもそもの間違いがあるんだろうと思います。こういうパラダイムの転換を達成できた企業のみが、研究開発型の企業として生き残って行くのだろうなと感じています。


以上、コンキチの心にとまったことを幾つかメモしてみました。まあ、コンキチは二流大卒のしがないなんちゃって研究員なので軽く流し読みして下さい。