2006年12月25日月曜日

安全と効率はトレードオフ

前回のブログで、

「安全の確保っていうのは、効率と対立するものではなくて、効率向上に資する素材の一つだと思う訳です。」

と言っておきながら、舌の根の乾かぬうちにこんなタイトルです。

広い視野で見れば、安全と効率は共存する関係だと思いますが(前回のブログで述べた通り)、狭義ではトレードオフの関係にあると思っています。

1) 良くある話?
ある作業を行うにあたって、そこに何らかの危険因子があったとして、その危険因子を取り除くために安全確認作業を加えたとします。で、この安全確認作業を加えたものを新ルールとすると、

新ルールの作業時間=旧ルールの作業時間+安全確認作業時間

となるでしょう。つまり、単位時間当たりにこなせるタスクが減少することになります。これは、効率が下がったということではないでしょうか?

2) かなり極端であり得ない話

a) 企業の行う活動には常になんらかの危険が伴う(歩いて通勤していたら、通りすがりの車に突っ込まれたなんいうのもありますから)

b) 危険因子は全て取り除かなければならない(仮定の話です)

c) 企業としての活動を全て止めてしまえば、危険は全てなくなる

d) 会社を解散しますか?

上記2例から、コンキチは安全と効率はトレードオフの関係にあると強く主張したいと思います(当たり前ですが)。

で、ここでもう一つ言いたいのが。

A) (全くの同一作業において)安全活動が持続するものであれば、安全確認作業は増え続ける(=単位時間当たりにこなせるタスクが減少)
B) 既に現場が過去のものとなって久しい管理監督者は、過去の基準によって判断する(=安全確認作業を織り込んでいない)
C) A+B→管理監督者は、部下がトロトロしていると感じ、部下にプレッシャーをかける
D) プレッシャーをかけられた部下は、過負荷状態に陥る
E) 最後に過負荷状態に陥った部下は、そのうちなんかやらかしてしまう(カモ)

ということで、災害は起きるのではないかとコンキチは思います。一個人の所感ですが、(コンキチの勤務する会社や関連会社の)災害事例をみると、 その何れもが、過去に何度も起こっていて、対策も口が酸っぱくなる程繰り返されているものばかりなのにも関わらず、同じような原因で事故が発生しているように感じます。

安全、安全と口で言うのは容易いですが、

i) 「安全と効率はトレードオフ」ということを認識し、
ii) 安全確認は企業を健全に運営して行くための共通費用であると考え、
iii) 作業効率の向上は、合理化によって成し遂げる

ということを、より上位職位の方々には強く励行して欲しいと思う二流大卒のなんちゃって研究員のとある師走の一日でした。

cf.トヨタ張りにタクトタイムを測定するのもいいかもしれません

2006年12月19日火曜日

Safety?

今日も化学工場で爆発事故が起きたようです。
(密かにコンキチの勤務する会社も10年以上前に爆発事故で死人が出たそうです。)

で、何故このような事故が起こるのかというと、結局は、

安全を疎かにしている

からっでしょう。だって、面倒臭いから。

コンキチの勤務する会社でも、前の工場長が、「安全第一とは言っているが、実際には、効率を重視しないと.....」的な発現をして、「このこことは議事録には書かないでね」って言ってましたから~。残念!!!

口では安全、安全と連呼しながらも(っていうか連呼してるだけ)、その実、プレッシャーをかけ続ける。で、事故(とか問題)が起こってからオロオロする。正直、笑えます。

プレッシャーをかけることで、労働密度が上がる

同一作業にかけられる時間が減少する

でも、同様の結果が求められる

ちょっとくらいならと、本来とらなければいけないちょっとした面倒な作業をショートカットする

エスカレート

爆発事故(in 化学工場)

事故ってこんな感じで発生するんだと思うんですよね。茨城県のJOCの事故もそんな感じでしたよね。

結局、単にプレッシャーをかけることで見かけの作業効率をUP↑させることは合理化ではないということを経営者や管理監督者が分かってないんでしょうね。あと、今日大丈夫だったから明日も大丈夫だ的な発想で、安全にかかるリスクマネジメントを軽視してるのでしょう(とりあえず、マニュアル作って安全に気を付けてと言えば責任を果たしたと思っている)。

マネジメントというのは、

1) 非社会的なことをせず、
2) (自分の管理下にある)システムの生産性を上げること。

とコンキチは考えています。

で、安全の確保っていうのは、システムの生産性を上げるのに資すると思うんですよね。

企業の目的は利潤を追求することだから、効率第一といいたい気持ちは分かるし、実際そうだと思いますが、安全の確保っていうのは、効率と対立するものではなくて、効率向上に資する素材の一つだと思う訳です。

例えば、ある不安全行動により問題が生じた場合、(程度にもよるでしょうが)生産性(nealy効率)は毀損することでしょう。対策を立てたり、賠償をしたり、信用を失ったりと。

安全っていうのは、生産性の中にビルトインされているということを、より上位職位の方には肝に銘じておいて欲しいと思います。

以前読んだ雑誌に、キャノンは研究開発部門を徹底的に整理整頓することで、生産性を上げたという話が書いてありました。

「汚くったって成果さえ出せばいいんだ」と反論される人もいるかもしれませんが、「汚い空間で平気でいられるセンスの持ち主にCreativeな発想ってできるの?」とコンキチは逆に聞きたいです。あと、汚い空間では、器具とかもつかいっばない、やりっぱなし、どっかいきっぱなしなんじゃないんですかね?明らかに機会損失が発生していると思います。あと、機会損失=非効率です。生産性を害しているのは明らかです。「自分の使ったものを放置しても、その間もっと生産性の高い仕事をしてるんだからいいんだよ」という人もいるかもしれませんが、そういう人には、あんたの生産性が機会損失を考慮してなおどれくらいあるのかを数値で示してもらいたいぐらいです(っていうか、お茶飲んだり、タバコふかしたり、意味の無い会議資料つくってる間に片付けをして欲しい)。

まあ、かくいうコンキチの勤務する会社も偉そうなことは言えませんが(だから、極力自分の身は自分で守ります)。

以上、二流大出のなんちゃって研究員のひとりよがりな独白でした。

2006年12月15日金曜日

マネロン入門

最近発売された、橘玲著「マネーロンダリング入門」を読了しました。

本書では、近年発覚したマネロン事件の内幕が、門外漢にも分かりやすく、スリリングに展開されていて、この手の本にしては、めずらしく興奮してしまいました。

密かにコンキチは、橘氏の著作や、氏と関連の深い「海外投資を楽しむ会」の著作(「ゴミ投資家シリーズ」、「小富豪シリーズ」とか)を読み漁っています。

それらの本には、(特に橘氏の単独名義のものには)声を大にして放言するにはいささかはばかられるような「本当のこと」が赤裸々に描かれているようにコンキチには思えます。

例えば、本書は著者あとがきは、

「いつの時代でも、理想や正義を声高に語る人の後をついていくとろくなことはない。この本に書いたのは、たとえば、そんな単純な真理である。」

という言葉で締めくくられています。

コンキチはこのフレーズに、人生におけるリアルを感じざるをえません。

「正義」、「理想」、「宗教」といったものは、結局は我々人類が(勝手に)生み出した幻想に過ぎないと思うし、政治は所詮妥協の技術に過ぎないと感じています。

「自由」なんていう言葉も、この世に生を受けた時点で、その国に束縛される現実を鑑みると、空虚な響きがします。

高邁な理想を声高に謳うのは気分がいいかもしれませんが、そういうヤツに限って二律背反する事象を、口当たりのいいフレーズにのせて喋っているだけで、矛盾を孕んだ幻惑の呪文を詠唱しているように感じてなりません。

コンキチがぶつぶつ文句を言いながらも、(一応)研究員を続けているのは、虚構の蔓延るたまゆらなこの世界にあって、少しでも真実らしいものを見出したいからなのかもしれません。

今日はちょっと沈んでいます。

2006年12月8日金曜日

サラリーマン処世術

「さからわず いつもニコニコ 従わず」
by 初芝電算(株) 新入社員 亀淵(だったと思う)

イブニングで連載している「ヤング島耕作」中ででてきた台詞。

この言葉を初めて目にしたとき、頭を雷に打たれてような気持ちになりました。

だって、言い得て妙ですから!

そもそも、上司という存在は(例えば、有機化学とかの世界だったら)、既にロートルなんですよね(コンキチの勤務する会社では)。

理由↓
a) もうオペレーションからは足を洗ってる訳だし、(本人による)リアルな発見はもうない
b) 年中忙しい症候群にかられていて、ちゃんと(有機化学の)勉強してますか(管理職じゃないけどコンキチはしてない)
c) 過去の実績がそれなりに認められて現在のポジションにいるわけなんでしょうが、それゆえ過去の成功体験に思考が引きずられて、新しい着想がでてこない。枕詞は「経験を積めば.....」。(経験だけじゃサイエンスとはいえませんよ)

なんていうことがとりあえず頭に浮かんできます。

奴らは管理職(マネージメントをまともに勉強したことがあるのかは定かではない)なので、ザコキャラ(部下)に色々と(ロジックが破綻している)指令を出す訳です。

で、今回の「座右の銘」はそんな時に効果的なんですよね。

1) さからわず→命令に従った(フリ)ということ
2) いつもニコニコ→(いかにも)上司の言うことは全くもってその通りですよ(というフリ)
3) 従わず→上司に(訳の分からない)注意されたら、「以後、気をつけます」「はい、分かりました」ととりあえず言っておく(だけ)

↑こんな感じで。

それにつけても、俺ってホントに心が病んでるなあと思う今日この頃の二流大卒のなんちゃって研究員でした。

2006年12月6日水曜日

パテントの秘密?

コンキチは学生時代、担当教授が産学共同好きだったので、企業からの頼まれ研究(共同研究とも言う)で、特許明細書の実施例(実験項ですね)を書かされたことがあります。そして、会社に就社してからも、明細書を仕事で書きました。あと、他社が出願した公報を見たりもします。

で、上記二つの世界を垣間見て思ったことなんですが↓

1) 学生の名前が発明者の欄に記載されないことがある
先生から1万か2万円くらいお小遣いをもらってそういうことになった。実益重視でいけば文句はなかったのですが、明らかに間違ってると思いますね。

2) 企業はデータに下駄をはかせるのがお好き
上司に収率のかさ上げを強要された。進歩性を高めたかったのかな?入社1-2年くらいのときの話です。正直、心が痛みました。もう2度とこういうことはしません。

3) 企業は空想がお好き
やってもいない実施例を付け加えたり、トレースしてもNo Reaction Death!!!!!というのがあった。腕が悪かっただけかもしれませんが。

4) 学生は嘘つかない
嘘を書く合理的理由が無いですから(少なくてもコンキチの周りはそうでした)

こんな感じです。

まあ、コンキチが携わった特許で登録されたものはまだありませんが.......なんか書いてて哀しくなってきました。

実際問題として、特許って論文のreferenceにもなっていたりするのに、こんな体たらくではどうしようもありませんよ!
(そういえば。JOCでトレースしても全然上手くいかなかった論文があったなあ。experimental sectionのNMRのアサインもめちゃくちゃだったし。確かアラ○マ大だったかな。コンキチの腕がダメだっただけかもしれませんが)

我が国もプロパテント化を標榜するなら、
企業がCSRを重視するなら、
特許くらい正直に運用してほしいと思います


2006年12月3日日曜日

知財を志向してみる

知財・特許業務マニュアル〈上巻〉」という本を読んでみました。


社会に出て、企業の研究員として働き始めてから7年半。恥ずかしながら、この間コンキチは知的財産権に関して殆ど無知であり続けました。まあ、ここしばらくアウトソーシング引受隊として働いているので、知価を生み出すようなことは全然していないからという言い訳はありますが、仮にも研究員である者がこんな様ではいただけません。

ということで、ちょっと知財について勉強してみますかということで、上記書籍を読んだという次第です。

で、この本の感想なんですが↓
1) あんまり上手い文章ではない(っていうか意味が通じない箇所もある)
2) 結構誤植がありますね
3) 戦略的なノウハウの保全(先使用権の確保)が重要
4) 発明(によってもたらされる製品)のマーケットボリュームの予測、製品寿命の予測が大事
5) 他社の知財を戦略的に有効利用すべき
6) 他社の特許権侵害は把握できるか?ということを考えるのは重要

構成は2部構成で、第1部は特許権の基本的な約束事の説明で、第2部はより実務的手続きの解説になっています(第2部の続きが〈下巻〉に続きます)。

第1部は退屈な文章が延々と続いていきますが、第2部はちょっと戦略的な話も入ってきて少し楽しめます。コンキチはこういった類いの本を読んだことが皆無であるので、なんとも評価し辛いところがあるのですが、はっきりいって読む価値はあったと思います。

とりあえず、「〈下巻〉」も買って読んでみようかと思っています。

2006年11月29日水曜日

幸せってなんだっけ

細木数子が嫌いなコンキチです。

さて本ブログにおいて、日頃の愚痴だけではなく、コンキチの心に残ったフレーズについても言及していこうかと思います。
で、第1回目の言葉はこれ↓

「幸せっていうのは他人を羨まないことだろう」
by 盛田昭夫
(「小説 盛田昭夫学校」より)

誰もが切望してやまないもの。それが「幸せ(な人生)」なんだとコンキチは思います。そして、この言葉は「幸せな生き様とは何ぞやら」という問いに対する一つの解なんだろうと思います。

出典の「小説 盛田昭夫学校」を読んだのは結構前なので、どういった文脈ででできた言葉かは失念してしまったのですが、ソニーの偉大な創業者である盛田昭夫の素朴(とコンキチは感じた)な言葉が胸に響いてなりません。はっきり言って何故か涙がこぼれてしまいました。

他人を羨まないという境地とはどんなものなのか?シンプルなんだけれど、決して単純ではないと思います。

我々が住むこの世界では、上を見ればきりがなく、下をみてもきりがない。飽食の我が国「日本」に生を受けた我々日本人は、存在自体が全世界的にみれば圧倒的に恵まれた存在であるといって良いでしょう(国内における格差なんてハナクソです)。それでも犯罪は絶えず、モラルは喪失し、差別や欺瞞は無くならず、絶えず何かに渇望していような気がします。

物質的には十分恵まれているはずなのに、いったい何が足りないというのか?あんたはビル・ゲイツやウォーレン・バフェットになりたいわけ?

追求してみたいです。羨まない人生を。

2006年11月22日水曜日

醜悪な政治屋の姿

ダメダメな政党「民主党」よりも、ダメな政党「自民党」を応援するコンキチです。

さて、本日も郵政民営化に反対した、元自民党造反議員の復党問題がニュースを賑わせています。やっぱり復党したいんでしょうな、彼等は。

なんか会社にしがみつく窓際族みないな印象を受けます。

ちょっと格好つけて自分の意思を貫いてるぞというスタンスをみせたんだけど、お母さんに「オイタしちゃダメよ!」と怒られて物置に閉じ込められた(離党させられた)子供が、家の中に入れてくれ(復党させてくれ)と許しを請うている(宗旨替している)みたいです。

美しい姿とは言い難いですな

所詮、政党に寄生し、しがみついていなければ何もできない政治家の哀愁を感じます。

2006年11月18日土曜日

製薬業界のラスト サムライ

わかりやすい人事が会社を変える」という本を読了しました。


この本は「勝ち組企業の成果主義」の姉妹本(とコンキチは思っている)です。著者は武田薬品工業の元人事部長(専務まで上り詰めた)で、タケダの十余年に渡る構造改革を記した著作です。

出版された順番は、「わかりやすい人事が会社を変える」(2001年5月)→「勝ち組企業の成果主義」(2003年6月)なのですが、コンキチは逆の順に読了しました(「勝ち組企業の成果主義」は2年くらい前に読了済み)。

勝ち組企業の成果主義」は紙面の全てを成果主義のあり方=従業員の処遇制度に費やしていますが、「わかりやすい人事が会社を変える」は、武田薬品の構造改革への道程が綴られていて、興味深いものがありました。

特に、本書では、当時の社長である武田國男氏(現会長)に関するエピソードがけっこう出てくるのですが、その部分に最も興味をそそられましたね。武田國男社長(現会長)の「意志の強さ」、「業績が悪くないときのも危機意識を持つというセンス」、「遂行力」、「理念」がひしひしと伝わってきました。失われた10年と揶揄される時代に、武田薬品が地道に粛々と改革の種を育てることができたのも、武田國男社長のなせる技だったのだと思います。コンキチが不勉強なだけかもしれませんが、武田國男会長が名経営者としてフォーカスされたことが印象に(全然)亡いのですが、本書を読んで、はっきり言って名経営者だとコンキチは思いました。

高い地位にあって、自らを率先して律することのできる、希有な人物だという印象を受けましたね。探せば、ひとかどの人物とはまだ世の中にいるのだなあと久しぶりに素直にフレッシュな気持ちになったコンキチでした。

まあ、本書は経営サイドから見たものなので、その点を割り引いて考えなければならないと思いますが、そういった部分を差し引いて武田國男はひとかどの人物だと思います。そして、自社の改革の内幕と、人事制度改革のノウハウを世に広くさらけだすことを許す武田薬品は懐の広い会社だと感じました(っていうかノウハウだけ知っても到底真似できませんが.....)。

同書をコンキチの会社の社長をはじめ、役員、管理職に読ませたいと思う、二流大出の窓際研究員でした。

2006年11月16日木曜日

年末調整の季節

会社から、
a) 給与所得者の保険料控除申請書 兼 給与所得者の配偶者特別控除申告書
b) 給与所得者の扶養控除等(異動)申告書

が配布され、今年も年末調整の季節がやってきました。

毎年思うことなのですが、サラリーマンの源泉徴収システムってホントに良くできたシステムだなあと思います。

1) 納税手続きの簡素化(という餌をまき)

2) 納税意識の希薄化(を促し)

3) 安定した税源を労せず確保(天引きで税金ラクラクGET)

さすが、我が国の俊才、東大卒のお役人さんが構築したシステムだけのことはあります。

とりあえず、コンキチは今年も確定申告(医療費控除編、配当所得、雑所得、株の損益通算)して少しでも節税に励みたいと思います。

2006年11月12日日曜日

GCショック!

某香料会社で(なんちゃって) 研究員として働くコンキチです。

コンキチの勤務する会社では、(何故か分かりませんが)二流大卒の研究員が殆どで、そのためか信じられ無いことが起こってけっこう楽しいです(笑)。

で今日は、コンキチが主に仕事(=実験)をしている部屋で最近起こった出来事をお話してみます。

コンキチ(達)は仕事柄GC(Gas Chromatography)という分析装置を汎用しています。で、コンキチが仕事を行っている部屋では、キャピラリーとパックドカラムのダブル・インジェクションの(特注?)GC装置を使っています(コンキチが入社する前からあった)。

で、コンキチが使っているGC装置は、キャピラリーカラムとパックドカラムには同じキャリアーガスが流れる仕様になっていて、キャリアーガスの選択は、GCのキャリアーガスが流れるラインに接続しているHeとN2のバルブの開閉によって制御しています。

一般的に、キャピラリーカラムで分析するときはキャリアーガスにHeを、パックドカラムで分析するときはN2を使用すると思います。で以下事実↓

木曜日(11/9)
1年上の先輩が上記GCでパックドカラムで分析をしていた。で、なんか良く分からないけど、HeとN2の両方のバルブが開いているのをコンキチが発見。先輩に指摘。先輩はちょっとしまったというニュアンスをみせつつも、そのまま両方のガスをキャリアーガスとして流しながら分析を続行。

金曜日(11/10)
(同じ)先輩が昨日に引き続きパックドカラムで分析を実施。なんかよくわかんないけど、今日もキャリアーにHeとN2の両方を使用していた。まあ、自分が最近とったデータとの整合性を気にしたためかもしれませんが、分析条件をどういう風に書いて報告るつもりなの?と思うコンキチでした。っていうか、あんた社歴9年目なのに装置の仕様ぐらいしっかり覚えとけよ!!!っていうか普通考えるよねってな感じです。

まあ、GCに限らず、「その使い方違うんじゃないの?」っていうのを結構みかけますがね。で、へんてこな使い方して出したデータって本来出るべき数値と違う結果になることがあるので、本質を良く理解することが重要なのだとコンキチは思います。

久しぶりに「人の振り見て我がふり直せ」って重要だなと改めて感じた二流大出のなんちゃって研究員コンキチでした。

2006年11月5日日曜日

固めるテンプル

昨日、WBSJohnsonの「固めるテンプル」の話をやっていました。

当初投入された製品は、スポンジ状のモノに油を吸わせるタイプのもの(=吸わせるテンプル?)だったそうです。で、この商品、少量の油を処理するのには適していたようなんですが、(天婦羅とかを揚げるのに使う)大量の油を処理するためには、大量に必要になるというデメリットがありました。

で、植物(唐ゴマ)抽出の天然油脂系脂肪酸を使った、油を固める方式の製品である「固めるテンプル」の製品化にとりかかったそうです。で、このとき競合他社(多分ライオン?)も同様の製品を開発しており、市場投入時期も決定しているという情報をJohnsonは入手したそうです。

製品開発を急ぐとともに、Johnsonの対策↓
1) 他社に先んじて製品を市場投入(事前に小売店の陳列スペースを確保)
2) 環境を志向した広告(CM)戦略

こうして、ブランド・エクイティーを構築したという話でした。

で現在のマーケット・シェアは↓
固めるテンプル/ 50%
(多分)油っ固/ 3%(うろ覚え)

最後に女性キャスターが

女性キャスター 「営業の勝利ですね」

と言っていたが、そんなことではないでしょう?

マーケティング戦略の勝利でしょう

2006年11月4日土曜日

知の集積(2)

企業で生み出された知価の集積っていうのは、他の会社ではどのように行われているか興味があります。

コンキチは転職経験が無いので、自分が今勤務している会社しか知りません。ちなみに、コンキチの勤務する会社では、研究開発活動によって生み出された知価は、垂れ流しするだけで、集積されていないように見えます。

で、何故「知の集積」が進まないかを考えてみました↓

1) セクショナリズム
生み出した知価を、そのセクション内で囲いこんでしまう。自分の部署でだけ把握しておけばいいという発想なのでしょう(っていうか、その部署内でも必ずしも把握できてないと思いますが)。逆に、他部署の成果なんて(柴田強兵ばりに)「関係ないね」という無関心っぷりもあいまって、知価の普及が進みません。

2) 年中忙しい症候群
仕事(=実験と言う名の肉体労働)が忙しいから、報告書とか書く暇なんかない(上司の場合は、意味の無い会議とか、会議の資料造りとかが忙しくて、部下の挙げた報告書に目を通してる暇なんてないよ) とか言って、報告内容が(松田優作ばりに)「なんじゃこりゃー」となる現象。
研究員の仕事とは「思考して知価を創造すること」だとコンキチは考えています。なので、会社に行ってする「いわゆる仕事」とは、自分アイデアを単に具現化するだけのことであって、はっきり言って、頭なんか全然使わなくたっていい作業です(ある意味ルーチィンです)。しかしながら、とりあえず勤務時間に何か実験やって、(たとえそれがあまり意味を成すものでなあかったとしても)なんらかにデータを出した方が、「おっ!仕事してるな」というこなる。昔ながらの、とりあえず手を動かせという安直な発想が、研究員を年中忙しい症候群に駆らせ、本来の仕事である知価の創造と集積を怠らせているのだと思います。「○○君は遅くまで熱心に仕事をして関心、感心」なんて宣う上司がいたら要注意でしょう。(裁量労働でない場合)残業時間は法定で25%の割増賃金を支払わなければなりません。つまり、残業とは割増分を加味した効率で仕事をするか、割増分と同等以上の価値の時間を買う価値がなければ、生産性の低下を招くことでしょう。
ちょっと話が横道にそれましたが、分かり易い忙しさのために、本来の任務である「知価の集積」を怠ってしまうという現象ですね。

3) インセンティブの欠如
暗黙知をわざわざ形式知化するインセンティブがない。
a) わざわざ暗黙知を形式知化するという面倒な作業をしたからといって、それを十分に評価するシステムがない
b) 自分の強みである暗黙知を皆に開示してしまうと、自分の競争優位を失ってしまうという矮小な考え

4) インフラの欠如
形式知として知価を効率的に集積するツールがなかった。

以上のようなことが起こっているのではないかとコンキチは考えています。

上記1)-3)は企業風土に起因するものだとコンキチは考えています。数冊の書籍に目を通してみると(例えば、「なぜ会社は変われないのか」、「わかりやすい人事が会社を変える」、「ここが違う!「勝ち組企業」の成果主義」、「内側から見た富士通「成果主義」の崩壊」、「トヨタ式最強の経営」、「トヨタはいかにして「最強の社員」をつくったか」、「トヨタ生産方式、一応、「トヨタの労働現場」)、停滞した企業風土を改革するのにいかにトップの強い意志と、多大な労力を必要とするかが記述されていて、コンキチの勤務するような、社長が親会社から2期4年の任期で送り込まれる会社では、おそらく望むべくも無いこでしょう(予想)。

で、4) については、最近個人的に。「社内ブログ」や「社内Wiki」等の活用が問題解決につながると思います。ちょっとググッてみたところ、社内ブログに関しては、企業の導入例がけっこうあるようで驚きました。

社内ブログに関して言えば、ブログの持つインタラクティブ性やカテゴリ、時系列の把握の容易さといった特性が「知価のログ」として蓄積するのがとても容易になるんだろうと思っています。実際にブログ運営しているブロガーの方なら容易に理解してもらえると思うのですが、ブログの持つ情報集積機能というのはとてもスゴイです。

ただ、ブログを書く(自発的に情報発信する)ためには結構なエナジーが必要だと思うし、(特にトップに)新しいものを受け入れる精神がなければ社内導入されることもないえしょう。

しかも、社員(研究員)にブログを書かせるインセンティブ(評価システム)や、利用上のガイドラインを整備しなければ社内ブログが活用されることはないでしょう。

ブログを書く時間があれば、仕事(=実験と言う名の肉体労働)をっしていた方がいいという障壁を打破しなければいけません(きっと)。

古い記事ですがGoogleの社内ブログに関する記事を発見しました↓
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0411/19/news086.html

ただ、Googleがブログを有効に活用できるのは、画期的サービスを生み出していという20%ルールに代表されるように、グーグラーという人種は極めて高度に自律的に働くことができるからなのだと思います。で、ここまで高度な自律を具現化する環境は、はっきりいってGoogle特有の企業風土なのだと思います。

何事にも保守的で、他社追随型の経営を指向し、博士研究員を満足に使いこなすことができない(とコンキチは思っている)(コンキチの勤務するような)日本企業には夢のまた夢の制度なのだと思います。

トヨタを礼参する訳ではありませんが、常時「カイゼン」を促す企業風土がなければ、古典的産業を営む企業が「社内ブログ」のような新しいことトライし、成功を勝ち取ることは難しいと思います。

で、結局は、4)を補完するツールが出現したとしても(っていうか出現しているとおもう)、それを活かす企業の文化が醸成されていなければダメだと思うんですね。つまり、「仏(ハード)造って魂(ソフト)入れず」ではダメなんじゃないの?ということです。で、ソフトとは自律的な企業風土であって、その独自のカルチャーを造り出す人なんだろうと思います。

人は城 人は石垣 人は堀(なさけは味方 あだは敵なり)

なんだろうと思う二流大卒のなんちゃって研究員の戯言でした。

2006年11月1日水曜日

知の集積(1)

某香料会社に勤務しているなんちゃって研究員のコンキチです。

先日、コンキチが唯一先輩風を吹かすことのできる後輩が、試薬を探しているのを目撃しました。で、

コンキチ 「PTCなんか探してなにやるの?」

後輩 「○×反応に使います」

コンキチ 「何種類も探してるみたいだけど、PTCって値段がけっこう違うし、工業化されてないのもあるかもよ。あと、PEGもPTCになるって知ってる?あとN系以外にもP系のPTCもあるよ。それから、値段によっては一番安いヤツを沢山使うっていう手もあるよ。ついでにいうと、その検討って▲△さんが前にやってたような気がするんだけど.....知ってる?」

後輩 「.....」

コンキチ「昔、値段調べたから、その時の値段でよかったら気が向いたら探しとくよ。あと、■▽会社の~ログもみてみる?持ってるから。でもちゃんと値段を問い合わせないとダメだよ。」

後輩 「ありがとうございます」

という訳で、コンキチが昔書いた月報と、▲△さんの書いた月報(報告書になっていなかった)と製品カタログを見つけて、後輩に持って行ってあげました。

っていうか、

ちゃんと以前の検討結果を調べてから指示だせよ!上司!!

もしこのまま(コンキチが唯一先輩風を吹かすことのできる)後輩がそのまま検討を始めたら、かなりの機会ロスが生じたのではないでしょうかねえ?その責任って誰がとるの?

(一応)研究機関は知の集積こそが最大のミッションだと思うのですが、コンキチの勤務する会社では、残念ながらそれがなされていないようです。

以前コンキチも、(当時の)上司に.とある香料化合物を合成して、その香気を確認してみようという指示を受け、ターゲット化合物を単離・精製して、香気を評価してもらったのですが.....

その直後に、

上司「なんか前にそれ香気評価したことがあって、イマイチだったからそれ月報に書く必要ないから」

コンキチはちょっと(というかけっこう)ムッとしちゃいましたね(心の中で)。

<以下、心の叫び↓>
コンキチ「部下の気に入らないところを怒るクセに、自分のミスはお咎めなしかよ(怒)」
<心の叫び終了>

ついでに言うと、現在コンキチの会社の有機合成セクションは

(上司1人+部下1人)×3グループ

です。

しかもグループ間で研究内容の交流は全くありません(上司達は部門会議とかで概要は聞くのでしょうが)。月報とか回覧してないし。

これってどう思いますか?セクショナリズムもここまでくるとある意味気持ちがいいですよ。

世の愚かな人々って、昇格すると(職責が変化しただけなのに) 偉くなったと勘違いして、自分が気持ちいい世界で仕事できる自慰空間を構築しようとっする傾向があるとコンキチは思います。外野にピーチク・パーチク干渉されるのを避けるためにセクショナリズムに走る。

職位が上がるにつれて、より全体最適を志向し、権限が及ぶ範囲で、そのワーキング・グループが効率的に利益を創出するシステムを構築しなければならないと思うのですが.....

結局、人はユルい存在だから、ストイックに全体最適(企業の利益を創出)するよりも、ダークサイドに堕ちて自分が気持ちいい自慰空間を確保したいんでしょう(セクショナリズム、ROIの低い気持ちいいグッズを買う、自前主義、情報の囲い込み)。そして、そういった自慰空間が「知の集積」を阻害する一要因なのだと思います。

実る程、頭を垂れる稲穂かな。そういう上司に私は会いたい

今日もひねてる、某二流大卒のなんちゃって研究員でした。

2006年10月28日土曜日

世界史未履修問題

なんか最近高校で、必修科目である「世界史」を履修させていかかったという問題が世間を騒がせていますが、詳細はよく知りませんがちょっと思ったこと↓

1) 高校って大学受験の為にあるわけじゃないでしょ?
2) 世界史なんて勉強したってすぐ忘れちゃうんだから
3) 日本人なら日本史を必修にすべきでは(っていうかどうせ受験専用だから意味ないか?)
4) とりあえず、校長の給料カットして欲しい(プロなんだから)
5) っていうか社会って必修にするほど役に立つの?むしろ数学(微分・積分、確率.....)とかを文系にも必修にすべき(絶対社会に出て役に立つ)
6) あと、高校って勉強するところっていうよりも、部活をするところでしょ?っていうか、コンキチは授業中、他のことしてたし。
etc.

あと、保護者は自分の子女が「時間が足りないといって、一生懸命時間をつくって勉強してるのに可愛そう」なんて言っているのが報道されてますが、そんなにガリガリ勉強したって良いことないと思うのですが.....そんなんじゃ楽しくないでしょ。

二流大しか入れなかったコンキチが言うのもおこがましいかもしれませんが、学問ってパスルだと思うんですよね(たとえ文系科目であっても)。パズルを解く感覚でやらないと役に立たない。そう思います。そうじゃなかったら面白くないでしょ。 好きこそもののなんとやらっていう諺もあるし。

それから、首都圏の某二流国立大程度でよければ、そんなに勉強しなくても余裕で入れますよ(最も大学受験生が大いと言われた14年前でも)。

あと、学生諸氏はこれから補習とかあるんでしょうが、今回の問題は完璧に学校サイドに問題があるんだから、とりあえず補習さえ出てれば絶対単位くると思いますよ。そのヌルい補習時間に自分の(たとえ最前列の席でも)やりたいことやってれば帳尻あうんじゃないですが?受験に向けて。意思の弱い生徒にとっては、むしろ、強制的に机に向かう時間が増え、勉強機会が増えてラッキーじゃないんですかねえ。

どうでしょう?

2006年10月23日月曜日

Trialkylzinc(II) ate complex

今回は有機合成化学の話です。

ちょっと真面目に有機合成化学の論文を読んでみました。
読んだのは、

Highly Efficient Alkylation to Ketones and Aldimines with Grignard Reagents Catalyzed by Zinc(II) Chloride
M. Hatano, et. al.
J. Am. Chem. Soc., 2006, 128, 9998-9999.」

コンキチ的には、なかなかスマッシュ・ヒットなペーパーでした。

Grignard試薬とケトンの反応で、ZnCl2を加えて反応を行うと、Grignard反応に特有の副反応である、β-ヒドリド還元やエノール化を効果的に抑制することができるという話です。しかも、ZnCl2は触媒量の使用でも良いというのが凄いです。

こういった、エノール化を抑制するのに有効なadditiveは、CeCl3なんかが有名ですが、高いし、化学量論量使わなければならないというのが最大のネックだとコンキチは思っていました。

本報ではイントロで、CeCl3以外にLiCl、LiClO4、FeCl2、LnCl3・2LiClの化学量論量の添加や、R3MgLiの使用(RLiが1~2eq.必要)も有効であると言及しています(不勉強なコンキチは知らなかった)。

で、本報のなにが凄いかというと、繰り返しになりますが、安価なZnCl2触媒量使用するだけで、大きな効果が得られるということでしょう。しかも、反応性の低いアルジミンに対してのエンハンス効果も認められています。

既にやられていそうなアイデアですが、画期的な効果だと正直思います。Grignard反応は有機合成化学の世界にあって、最も汎用性の高い反応の一つであり、Grignard反応を使って生み出される化学製品は数多に渡ることは間違いありません。その反応の効率を高めることは、目的物の精製を容易にし、RMEを高め、エコ・フレンドリ-な合成の実現につながります。社会的意義が高い!!!

ちなみに、ベンゾフェノン(結構還元され易い)とEtMgCl(結構塩基性高い)の反応では、ZnCl2の添加なしで反応を行うと、アルキル化が25%、β-ヒドリド還元が72%で進行するのに対して、10mol%のZnCl2を添加して反応を行うと、アルキル化が84%、β-ヒドリド還元が15%と大きな改善がみられています。この反応はZn(II)アート錯体「R3ZnMgCl」が反応活性種であると考えられます。

Supporting Informationをみると、THF中Grignard試薬に触媒量のZnCl2を加えた後、ケトンを加えるという手順で実験が行われていますが、ZnCl2とケトンのmixtureにGrignard試薬を滴下していったらどうなんだろうとか、溶媒効果とかはどうなるのだろうとかという興味が湧いてきます。

シンプルでスマートないい論文だなーと思いました。個人的に絶賛ですね。

あと、β-ヒドリド還元やエノール化といった副反応は、Grignard試薬の塩基性と求核性、ハロゲンの種類、基質の還元され易さとか、溶媒の塩基性とかに依存し、結構気になる場合があります。特の低分子量のGrignard試薬(EtMgXとか)を使って上記副反応が深刻だと、可燃性ガスが大量に発生することになって、安全上の問題も発生します。

Grignard反応は、普通の教科書だと意外と単純な反応としてかたづけられてしまいがちですが、以外と奥が深いんですよねえ。
コンキチ的にはこんな本で勉強するこがいいんじゃないかと思います↓


以上、二流大出のなんちゃって研究員の感想でした。

2006年10月10日火曜日

企業が魅力的であるために

Harvard Business Reviewのバックナンバー

「P. コトラーのマーケティング論」
(2004年2月号)

を読んでいます。

その中で、マネジメントの父と呼ばれるピーター F. ドラッカー(Peter F. Drucker)の表題の論文が載っていました(ちなみにコンキチはドラッカーの著作を読んだことはありません)。

発表時期は1965年11月と(とっても)古いのですが、その中で論じられていることは、21世紀が到来した現在にあっても、考えさせられること請け合いだとコンキチには思われました。

例えば(左:ドラッカ−の論文の小見出し、右:コンキチが現在の企業に思うこと)

1) 昇進の制限→先がつかえていると昇進できない。昇進待ちの人間のためにポストをつくる。
2) 手応えに欠ける仕事→大学院(我が国の最高学府)をでているのに、さして頭をつかわない仕事しかしていない現実。
3) 研修制度の陳腐化→会社の用意した研修で役に立った試しなし(良質な本を読んでた方が全然まし)。
4) 知的幻滅→ロジックよりも、いわゆる「いつか来た道」が大事。

等々

最近愚痴っぽい、二流大卒のなんちゃって研究員の独白でした。

2006年10月8日日曜日

ロードレースに学ぶ会社の不思議

今日は、コンキチ(31歳)が居を構える某県某市のロードレース大会に参加してきました。約1,500人の老若男女が参加したこの大会におけるコンキチの成績は↓

タイム/ 49分8秒(10 km)
一般男子(18~39歳)の部/ 190位/379人
総合順位/ 695位/約1,517人

ダメ夫Death!!!!!(シクシク涙)

だからといってその結果を受け入れないわけではありません(っていうか当たり前)。

明らかに60歳過ぎの爺ちゃんや、良い年こいた中年のオバちゃんに追い抜かれもしたコンキチは、自らの修行の足りなさを反省するのでありました。そして、自分のふがいない結果を甘んじて受け入れ、次への糧へとする所存なのです。そしてこの、「世代を超えてあるがままの結果を受け入れる姿勢」という心情は、コンキチのみならず、ロードレース大会に参加した皆が当然の如く受け入れるものであるに違いありません(だって事実だから)。

翻って、会社に勤めるサラリーマンの身の処し方というか、内なる心情はどうでしょうか?
上述した大会では、結果は全てオープンにされ、評価は誰が観ても公正(ドーピングしてたら別ですが)、そして出された(厳然たる)結果には誰しもが従う。

それに対してコンキチの勤める会社では、

1) 評価を下すものは評価能力が皆無(考課者訓練は0.5回/年以下)。つまり、評価結果は密室で決定される。
2) 労働組合は結果平等(という共産主義的な評価)を求める。つまり、とりあえず給料で差をつれるのは止めてくれということ。
3) 個人は自立できない(文句は陰で言うばかり)
4) 年功的な給与、属人的な手当がバシッとあるのに「成果主義」といって憚らない誤謬
5) 一応成果主義ということでMBOによる管理をしようということになっているのに、コミットメントラインはいいかげん、RESULTのフィードバックはフィードバックになってない。
6) 大して仕事もしてないのにビッグマウスな人々。
7) 亀の甲より単なる年の功が決定的に支配的。
8) 上司や先輩社員は、より上位になるほど奢り高ぶる

という現実をコンキチは感じています。

評価も不透明なら、自信過剰な人々は提示された成績(給料)にプンプン。

いささか、日本人の美徳である謙虚な精神が欠如しているように思います。

コンキチは無駄な努力はしない主義なので、上記のような事柄には関与せず、「いかに自分がDominatorたることができるか」ということを志向して行動するようにしていますが.....

-今日思ったこと-

人間、金がからむと感情的になり易い


以上、二流大卒なんちゃって研究員の愚痴でした。

2006年10月2日月曜日

「ものづくり」の戦略モデル

業種/製造業の会社に勤務する、なんちゃって研究員のコンキチです。

最近、コンキチが購読している某メルマガの影響でHarvard Business Review(以下HBR)を読み始めています。

同雑誌に対するコンキチの率直な感想は↓

かなりレベルが高い

と思います。

以前は、
日経ビジネスAssocieや、日経ビジネスPRESIDENTといった雑誌を読んでいたのですが、HBRとは内容に天と地程の開きがあると思いました(広告が多すぎで、矮小な内容も多く、変にライターの個人的思想を刷り込むような内容が鼻につくんですよね)。

とまあ前置きはこれくらいにして本題に入ります。


先日HBRの8月号を読了したのですが、その特集が製造業のイノベーションでした。一製造業会社員として感じることがあったので、そのメモがてらブログってみたいと思います。

1) コネクト・アンド・ディベロップ(C&D)戦略
P&Gが展開するコネクト・アンド・ディベロップ(Conect & Develop)戦略という、系統だった、コラボレ−ションからインベーションを生み出すシステム。アイデアを生み出しても、自社にそのアイデアを実現するだけのリソースが(完全には)無い場合、それを補完するリソースを外部に求め、開発コストと時間を節約するイノベーション・モデル。自社に足りない技術的リソースを見つけ出すことを常態化しているところが凄いと思いました(といっても社内のイノベーションを疎かにしているわけではない)。

そういえば、何年か前に読んだ「キヤノン高収益復活の秘密」にも似たようなことが書いてあったような気がします。確か、昔のキャノンはなんでも自前主義でやろうとしていて、研究開発費が嵩む割には利益につながらなかった。で、「何でも自前主義」を改めることで(他社の技術的リソースを導入)、製品開発の速度が上がり、高収益体質になったというようなことが書いてあったと思います(うろ覚え)。


P&Gはそういった行動をシステムに組み込んでいることが凄いのだと思いました。

あと思ったのが、こういうC&Dが有効に機能するのは、P&Gが強力な財務基盤を擁していることに加えて、B to Cビジネスにおける強力な販売チャネルをおさえている(牛耳っている)からかなと思いました。つまり、

a) 強力な財務基盤が無いと、こいういったシステムを構築しようと思う心の余裕が出てこないと思う
b) 製品は結局P&Gの商品として上市されるわけで、P&Gを介さなければ製品を販売しCASHを回収することは不可能だし、P&Gというブランド力は絶大(だと思う)。しかも、プロジェクトはP&G発であり、圧倒的に主導権を握り易い立場にあると思う。

ということです。研究開発型の企業であっても、企業の目標は、技術の自己満足(自慰行為)ではなく、利益を生み出すことなのだとしみじみ感じた論文でした。

2) イノベーション・エコシステム
定義は

「複数の企業がそれぞれ持てるものを提供し合い、一つのソリューションにまとめて顧客に提供するコラボレーション」

だそうです。本論文の言葉を借りれば、

「ガソリンや高速道路(といった補完的イノベーション)が整っていないことろにフェラーリ(というエクセレントな技術
を備えた製品)を売り込むことはできない」

ということで、

本論文でのアップル・コンピュータiTunes Music Storeの例が分かりやすかったかなと思います。

デジタル著作権の管理に対するソリューションやブロードバンドネットワークのいった補完的イノベーション普及を待つという「機が熟すのを待つ」戦略が成功をもたらしたという話です。

相互補完関係を必要とする技術を売るときは、補完関係にある他社技術の普及・整備がクリティカルになる場合があるということです。良い技術であれば売れるというわけではなく、その技術を活かす基盤が整備されていなければ、顧客はその技術を買っても、宝の持ち腐れとなるばかりになるということで、技術の独りよがりは禁物ということでしょうか。

3) スマート・サービス
ITを駆使してハードにネットワークを組み込み、様々なサービスをタイムリーに提供する機会をとらえ、顧客を囲い込む戦略。はっきりいって、コンキチの従事する化学工業には適用不可な戦略だと思いますが、製造業であっても「サービス」で利益を挙げるという考えが興味深かったです。

こんなところが、一製造業の研究員がちょっと思った所感です。

化学の本ばかり図書館に揃えすに、こういった一流の経営雑誌を購読した方が、研究員の利益に資する効率的研究に役立つのではないかととても思う最近のコンキチです。

(でも、殆どの人は読まないでしょうけれど)

以上、二流大卒のなんちゃって研究員の独白でした。


2006年9月28日木曜日

BASF BORON CONFERENCE II

昨日、一昨日と有給休暇をとってBASF(超デカイ化学会社)主催の「BASF BORON CONFERENCE」(有機ホウ素のレクチャー)に行ってきました(参加費無料。今年で2回目らしい)。

場所は品川の東京コンファレンスセンターという(普段田舎で仕事をしているコンキチが行くことは無いであろう)洒落た施設。田舎者のコンキチはちょっと緊張してしまいました。

この催物は、「鈴木-宮浦カップリング」の話がメインで、鈴木、宮浦両教授の講義とともに、Academia, Industryの有機ホウ素化学の係るトピックスが展開されました。

演題はこちら↓
http://www.inorganics.basf.com/p02/CAPortal/en_GB/portal/Boron_Conference/content/Produktgruppen/Borane_und_andere_Borverbindungen/Boran_Conference

個人的には、

広栄化学の人の「Pd(0)/C, Pd(II)/Cが触媒する鈴木カップリング」と「広栄化学らしい基質にピリジン誘導体を使った鈴木カップリング」の話。あと、住友化学の人の「Niと2座窒素配位子を使った鈴木カップリング」の話が興味深かったです。

ところで、今回の講義は殆どが英語 Death!!!!!(シクシク涙)
日本語と仙台弁しか満足に扱えないコンキチにはかなり厳しいものがありました(脳ミソがとろけました。と同時に劣等感もひしひしと感じました)。まあ、コンキチは有機ホウ素にかなり疎いので、いい勉強になりましたが.....

今回も「ちょっと英語の勉強頑張ろうかな」という気持ちになりましたが、コンキチは意思が弱いので、多分(また)やらないと思います。

P.S.
このCONFERENCEでは、
1) ドリンクフリー(エビアン、おーいお茶、コーラ、オレンジジュース、ホットコーヒ、etc.)
2) ランチ(ビュッフェ形式のレストラン)も無料
3) Boron Reagents in Process Chemistry: Excellent Tools for Selective Reductions (Chem. Rev., 2006, 106 (7), 2617.)の別刷りをくれた。
4) あと、こんなのも貰った↓


それにつけても、BASFは懐の深い会社だなあと思った二日間でした。

さすがは、グローバル・カンパニーです。

2006年9月17日日曜日

「ルアーロック」ショック

今日はちょっとした化学ネタです。

製造業にカテゴライズされる企業に就社すると、KYT(KikenYochiTraining)という、危険予知訓練を行うことになります。職場単位で定期的(コンキチの勤めている会社では月1)に行われることとなるであろういこの訓練では、

第1R (危険作業の列挙) / どんな危険が、ひそんでいるか
第2R (絞り込み) / これが、危険のポイント
第3R (具体的な対策樹立) / あなたなら、どうする?
第4R (行動目標設定) / 私たちは、こうする

という4つのラウンドを順に行って行きます。

はっきり言って意味のある作業とは思いませんが、こういう活動を(一応)やっておかないと

「当社は安全第一をモットーに.....」

なんていうことが言えなくなってしまいますからやっているのでしょう(本気でこんな活動が役に立つと思っている人がいたら、かなりセンスがない人だと思います) 。

さて、先日上述したKYTを行ったのですが、その時のお題が

「ブチルリチウムとかのようなセプタム・キャップつきに試薬瓶から試薬を秤量する」

というものだったのですが、

第2R (絞り込み)

ブチルリチウムをルアーロックタイプのシリンジ(注射針)で秤量中に、ロック針がはずれて試薬がこぼれ薬傷する

というのが(多数決で)ピック・アップされました。っていうかロック針ってどうやったら外れるの?という疑問がコンキチの脳裏に浮かび上がりました。だって、外れないのがロック針でしょ!でも、実際にプレイング・マネジャーの先輩社員が最近起こした実話だそうだったので取り上げられることになりました(普通、第1Rは想定なのです)。

で、第3R (具体的な対策樹立) で出た意見は、
1) しっかりとはめる
2) ロック針の接合部分をビニールテープで巻く     以上

オイ!ピンセットの腹を使って、キュイってキツく締めればロック針って外れないんじゃないの?とコンキチは心の中で50回くらい叫んだのですが、誰もそのことについて言及せず、怖くなって発言を控えてしまいました(だって、目上の人間は、目下の人間の正しい意見を封殺する傾向が強いですから)。

最終的に、第4R (行動目標設定)

ルアーロックタイプのシリンジを使って、試薬を抜き取る際は、ビニールテープを巻いて針を固定する。ヨシ!

になりました。

これって、かなりセンスが無いと思うのですが.....

あんたらホントにこれから、シリンジにテープまくの?

後で、コンキチが唯一先輩風を吹かせることができる後輩に、

コンキチ 「ロック針ってピンセット(の腹)使って締めてる?」

後輩 「いいえ、手でやってますけど」

コンキチ 「手で締めてたら、はすれるかもしれないよね。ピンセット使えば絶対はずれないよ。ほら」

とピンセットを使ってロック針を締めたシリンジを手渡してみると、

後輩 「ホントに(手では)はずれませんねえ」

コンキチ 「(針の締め方って)教えてもらったことないの?」

後輩 「会社に入るまで(シリンジ)を使ったことありませんでしたから」

といった感じでした。おそらく、コンキチの予想ではみんな手締めでシリンジに針をセットしているとみました(そうでなければ、ビニールテープで固定するっていうアホな発想が出てきませんよ)。

-CONCLUSION-
センスのあるヤツは自分で判断して危険を回避していく
どんなに御大層なマニュアルを作ったり、どんなに形だけのトレーニングをしたり、どんなに口を酸っぱくして注意したりしても、
センスの無いヤツは絶対なんかやらかす
そう思います。


どうでしょうか?

2006年9月10日日曜日

群衆心理

久しぶりに、読んでいると超絶眠くなる本を読みました。その本の名は「群衆心理」。ここまで眠くなったのは、平野啓一郎の「日蝕」以来です。何故こんな本を読んだかというと、コンキチがWatchingしているWeb Siteでこの本を紹介していて、ちょっと興味をそそられたからです。

さて、この「群衆心理」という本は、群集の愚かさを謳った書籍で、

群衆の精神は種族性に大きく支配されている
群衆は付和雷同する
群衆は暗示を受けやすく、白痴的
群衆は理屈よりもイマージュ(心象)に影響される
群衆は支配されることを望んでいる
群衆こそがムーブメントを起こす

といったことがひたすら述べられています(多分)。ただ、著者がフランス人で、フランスを中心としたヨーロッパの歴史的事件を引き合いにだして群集の行動を述べているので、世界史の勉強など殆どしたことのないコンキチには、イメージの湧きにくい内容でした。それから、かなり古い本なので、訳文が現代人には堅いかなと思いました。Scientificな例証がなされていなかったりするような気がするのですが、直感的に「それって、あるある!」と感じることは多々ありました。

コンキチのような会社勤めのサラリーマンは、会社組織の中で形成される様々な群衆に気が付くでしょう。例えば、会議中に、労働組合の中に、プロジェクトの中にに、あなたの職場に。そして、これら群衆は時として「何故?」と言いたくなるほど白痴的でおまぬけな決定を行いませんか?

本書を読むことによって、そういった事象を「群衆だから仕方ないよね」といった感じで、鷹揚な大きな気持ちで許してあげることができるようになるでしょう。

とりあえず、眠れない夜には、富に有効性を発揮する本であることは、身をもって体感することができました。



2006年9月9日土曜日

脱自己実現宣言

「自己実現(self-realization)」なんてくすぐったいような言葉が、ビジネス・パーソン対象誌を賑わせたりしていますが、実際に自己実現できている人間なんていったいどれだけ存在しているのでしょう。

ビジネス(啓蒙)誌の記事の中に登場する「働く若者」「働く女性」「働くミドル」達は、皆快活で、バイタリティーがあり、高いモチベーションを有しており、「自己実現」特集なんかを組んだ雑誌を手に取った日には、「世の中にはこんなにも多くの仕事を楽しむできる人材が溢れているんだ。自分もありたい自分になるべく、彼等・彼女等を見習って精進しなければ。」なんていう錯覚に陥りそうになります。

我が国の就労人口(労働統計要覧記載のH.17年の労働力人口2,750万人)に対して、数十頁の特集紙面に登場する人数の割合を冷静になって考えれば、雑誌インタビュアーが、(その時点で)自己実現している(ように見える)人材を選択的に探し出しているだけなのは火を見るより明らかなのですが…..まあ、TVに映し出される女性(お笑い芸人は除く)は可愛い娘ばかりなのに、僕の周囲には不細工な女性しかいないのは何故だろうか?と悩むのに似ています。

「格差社会」「負け組み」「ニート」「不祥事」といった言葉(それ自体は否定されるものではないと思いますが)が世間を跋扈する昨今、「自己実現」とはかけ離れ、現在の己の境遇を嘆きつつも、我慢して与えられた環境に甘んじている人々の方が大勢であるように思います。

ところで、先日、研究開発部門の担当役員と面談がありました。まあ、雑談みたいなもので、面談の代わりにコンキチの仕事をその役員に手伝ってもらいたいぐらいでしたが.....

1人30分の面接時間のはずだったのですが、

役員 「今の仕事は楽しいですか?」

という問いに、つい

コンキチ 「楽しくありませんねえ」

と応答してしまったら、役員が食いついてきて、話がはずみ50分も談笑してしまいました。けっこう自分もキレてるなあとチョット思ったのですが、まあいいでしょう。

件の役員との雑談で、コンキチのあまりのモチベーションのなさ具合に

役員 「人生の大半を占める仕事にやりがいを見いだせないのは哀しいねえ」

みたいなことを言われたのに対して、

コンキチ 「仕事にやりがいを見いだしている人は、ごく一部分の人だけなんではないでしょうか?仕事は(自分にとって)人生のワン・シーンでしかありませんから。だから、毎日早く家に帰りたいですし。」

という返事に、ちょっと哀しそうな顔をしていました(演技かもしれませんが)。

しかも、だめ押しで、

コンキチ 「上の人間は、下の人間が困っていても助けてくれないということを学習しましたから。もう仕事に掛ける情熱も殆ど残っていませんし。」

なんて言っちゃいましたし(これでもかなり遠慮して発言してたんですが)。

曲がりなりにも上場企業の役員ともなれば、どちらかといわれれば、人生の成功者であり、仕事における自己実現を体現してきた可能性が高い人達でしょうが、コンキチのような人材に上述したようなことを言われて、本心ではどう思っているのかに興味をそそれれますが、まあ、本人のみぞ知るというところでしょうか?

序盤、延々と「自己実現」について述べましたが、自己実現なんて耳触りのいい甘い言葉に騙されちゃいけないと思うんですよね。確かに自己実現を目指して努力する姿や、自己実現している人の姿は素晴らしいと思うし、美しくもあると思います(ちなみにコンキチの嫌いな言葉は「努力」です)。だからといって、それを万人に押し付けたり、社会から洗脳されてもいいというわけにはならないと思うんですよね。

結局、仕事での自己実現なんていう言葉は、成功した人にしか当てはまらない。成功者の存在確率なんて数%なんじゃないでしょうか(想像ですが)。

ゴミ収集車の運ちゃんは仕事で自己実現してるのでしょうか?
岐阜県の職員は仕事で自己実現してるのでしょうか?
スーパーでパック酒の銘柄を一生懸命選んでいるおっさんは自己実現してるのでしょうか?
昔の雪印の社員は自己実現していたのかなあ?
etc.

仕事以外にもやりがいや生き甲斐を見いだすことも、人生における重要な処方箋だと思うのです。

2006年9月4日月曜日

「香りの本」でライバル発見?

「香りの本」というマニアックな雑誌があります。日本香料協会が出している季刊の雑誌で、その名の通り香料業界関係者が執筆した記事と業界各社の広告から構成される雑誌なのですが、広く衆人の目に触れるのは殆ど皆無といっていい雑誌かと思います。

余談ですが、コンキチは学生時代に学校の図書館の地下(書庫)でこの雑誌をはじめて発見しました。最新号でさえ地下室に直行してしまう、何のために購読しているのか分からない雑誌だったのですが、香料会社の広告が沢山載っていたので、当時香料業界を志向していたコンキチは就職資料請求の葉書を送る時に重宝しました。

さて、この雑誌には化学系英文誌に掲載された香料関連論文の概要を抄録したコーナーがあるのですが、今回はそのコーナーにまつわる話です。

合成香料の仕事からはずされて5年半、今ではすっかりファインケミカルズのアウトソーシング引き受け部隊になったコンキチではありますが、就社以来7年半ずっと、「香りの本」の抄録の原稿を執筆する任を受けています。この抄録のコーナーは、香料会社各社にWatchingする雑誌が割り振られており、その雑誌の中で香料に関連している論文をピックアップして、概要を紹介するといったものです。

天然香料、合成香料、食品香料、分析法、その他の5つにカテゴライズされて、コンキチのJOBは(一応)有機合成化学なので、当然合成香料の抄録を担当しています。ちなみに、この抄録の原稿料は1本1,111円(税引前)。コンキチの能力はあまり高くないので、時給換算したらかなり割に合いません(でも、業務なので勿論勤務時間内にやっているのでプチダブルインカム状態です)。他の執筆者達は面倒くさがって1~2本くらいしか執筆しないのが常なのですが、コンキチはお小遣い稼ぎの為&こうでもしないとなかんか新着文献を読むための動機付けとして、できうる限り沢山投稿するようにしています(といっても6~8本くらいですが)。

ということで、コンキチは自分が、香料抄録コーナーの投稿数No.1を独走中だぜと勝手に思っていたのですが.....

先日、久しぶりに雑誌「香りの本」を眺めていたら、そうでないことが発覚してしまいました。複数のカテゴリーにまたがって10本超の抄録をUPしている輩が!!!コンキチは自分の担当の合成香料の項しかあまりチェックしていなかったので気付くのが遅れてしまいました。

この人物に対してコンキチの(勝手な)ライバル意識が超燃えてきました。明日から、気合いを入れ直して、バリバリ執筆活動に励みたいと思います(勿論業務なので勤務時間中に)。

2006年8月31日木曜日

BASF BORON CONFERENCE

昨日、月曜日(28日)の日経テレコン21内の日経産業新聞の記事に目を通していたら、

「BASFジャパン、ホウ素化学コンファレンス(短信)」

という記事が飛び込んできました。

9/26, 27に開催される有機ホウ素を用いた反応に関するイベントで、鈴木-宮浦カップリングの鈴木、宮浦両先生も講演予定です(参加費無料)。

コンキチは大の学会嫌いー特に日本化学会の年会は大嫌いーなのですが、こういった催しはけっこう好きです。

今回は、

a)) テーマがしぼられていて、じっくり話しを聞けそう
b) Academyの世界だけでなく、Industryの視点からの話も盛り込まれていること
c) コンキチ鈴木先生を見たことが無い(コンキチは自称著名科学者Watcherです。ノーベル賞受賞者を3人も見たことありますから、って全然威張れません)

という理由から参加を決意し、本日メールで参加を申し込んでみました(密かに〆切は今日までだったようです。定員に空きがあったら鷹揚に対応してくれるかもしれませんが)。
あと、最近有機化学の勉強を全然してなかったので、ちょっくら時間をかけて、合成化学のレクチャーでも聴いて気合いをいれようかなという思惑もあります。

とりあえず、9/26, 27は有給とって品川(会場)まで行ってこようかと思います。

BASF JAPAN Web Siteはこちら↓
http://www.basf-japan.co.jp/apw/Japan/Japan/ja_JP/portal

2006年8月27日日曜日

ブラコンのススメ

今回のお題である「ブラコン」とは、「ブラザー・コンプレックス」のことではありません。「ブラック・コンピテンシー(Black Competency)」の略です。各企業が今流行の成果主義を導入するなかで、目標管理(Managemnt By Objective)とともに注目を集めている(とコンキチは思う)コンピテンシー(Competency)のダークサイド版です。

コンピテンシー(Competency)とは、一言で言えば、「ハイパフォーマーの行動特性に準拠した評価モデル」であり、我が国で最も成果主義導入に成功していると思われ、誰もが認める勝ち組企業の雄である武田薬品工業でも取り入れられている人事評価モデルです。詳しくは「ここが違う!「勝ち組企業」の成果主義」や「正しいコンピテンシーの使い方」を読んで下さい。



ちなみにコンキチの考えるブラック・コンピテンシーを一言で表すならば、
「就業時間を自分の思うがままに支配できる人の行動特性」です。ひらたく言えば、「やりたいようにやらせていただきますと部長(くらい)に言える力」(社長とかに会う機会がないので)であるとコンキチは定義しています。

コンキチがブラック・コンピテンシーに出会ったのは、NIKKEI NET内の悪魔の処世術という記事でした(この内容は「社バイブル」という本のまとめられていますが、WebSiteを見れば充分です)。でも、コンキチに言わせればその内容はまだまだなまぬるいです。件のWebSite及び書籍の記事は、主に上司とに関わりあいについて、上手く立ち回る方法を紹介していますが、コンキチは「会社に対して戦いを挑む」ことを志向したブラック・コンピテンシーの構築を目指しています(笑)。

一昔前(もっと前?)に、「企業戦士」、「エコノミック・アニマル」、「猛烈社員」なんていう言葉がはやったような気がしますが、自分の人生を謳歌する上でそんな標語はいったい何の役に立つというのでしょうか?所詮サラリーマンは大なり小なり会社の歯車でしかありません。

突然襲いかかってくる人事異動、マネジメント能力のない上司からの不条理な指示、ロートル上司との噛み合ないディスカッション、劣悪な労働環境、不毛なセクショナリズム、等々.....自己実現動機やモチベーションの低下を引き起こす因子は枚挙にいとまがありません。

会社に忠誠を誓えば、会社が全ての面倒を見てくれるという思考停止に陥り、会社に滅私奉公するよりも、自分の人生をいかにより良く生きるかということに注力する方が精神衛生上健全であるとコンキチは考えます。

自分の人生をたかが会社ごときにいいように蹂躙されるのにあなたは耐えられますか?コンキチは無理です。

コンキチも大学を卒業して就社した当時は、研究開発部門に配属されたことに感謝し、象牙の塔とは違って、企業というより社会にリンクした場で研究できることの社会的意義に心を踊らせ、社内で着実にキャリアを重ねていうことが是だと思っていました。
しかしながら、しばらく社内での生活を観察してみると、大の大人が挨拶もろくにできず、5S(整理、整頓、清潔、清掃、躾)を励行といいつつ靴を揃えて脱ぐことも出来ない大勢の人々、ダブル・スタンダードが蔓延り、上司は気分屋。「いつか来た道」という経験ばかりを最重要視する気風にうんざりさせられ、目標設定のコミットメントは反古にされ、物理的に不可能な指示。より上位の権力を持つ者のミスはスルーされるのに、弱者もミスは糾弾される。研究開発部門なのにディスカッションは1乃至2分の口頭で終了。こんなうんざりするようなことばかりが目につくようになりました(コンキチが神経質なだけかもしれませんが)。

こんな組織の中で真面目にやっていくのがバカくさくなって、コンキチは自分のブラック・コンピテンシーを志向するようになりました。
そして、その具体的な行動目標は、
1) 残業は1日1時間以内→0でもいいのですが、それではあまりにも露骨なので...自分の時間を大切にしましょう。ちなみにコンキチの7月の残業時間は11.5 hrでした。勿論、サービス残業などという愚挙は決してしてはいけません。
2) 毎月1日は会社を休んで映画を観に行く→毎月月初は朝礼があるのですが、くだらない話を起立して聞くより、1,000円で映画を観に行った方が、精神衛生上有利だし、経済合理的かと思います。9月は「UDON」を観に行きます(既に有給取得すみ)。
3) 有給休暇は使い切る→有給休暇はサラリーマンの唯一の不労所得です。有効利用しない手はありません。
4) 文献をよく読む→なかなか励行できていませんが、趣味で文献を読むようにしています。最近は、Journal of Agricultural and Food Chemistryを重点的にWatchingしようと考えています。
5) 会議は自分の想像力を駆使する時間と心得る→(くだらない)会議(という名の報告会)はその場に存在しさえすれば給料をGETできるという極めて属人的な報酬支払いタイムです。特に大人数が参加する会議は何をやっていてもバレることは皆無に等しいので、エンペラーな時を過ごすことが出来ます。
等です。

さて、ここまで色々と勝手なことばかり述べてきましたが、一つ気をつけなければならないことがあります。それは、あまり調子ばかりこいていると、「あいつは何やってんだ(怒)」ということになりかねないということです。それを回避するには、自分の力を高めることに尽きるとコンキチは考えます。つまり、一目置かれる存在になるのです。そうすれば、「あいつはけっこう調子こいてるけど、きっちりやることはやるからな」ということで、マイナス部分はかなり相殺されます。

高度に知的武装することが大切なのです

それも、自分の専門分野(コンキチの場合は有機化学)にみならず、税金、年金、法律、社会のシステム等といった普通のサラリーマンが面倒くさがって敬遠しがちなことに関して造詣を深めることが有効であると思われます。そして、会社が執り行う、労務管理や年金にかかるセミナーが行われた場合には、積極的に(まともな)質問をすることも、周囲に「こいつは一味違う」と思い知らせるのに有効です。このような行動をとることにより、「一目置かれる」ようになり、発言の重さが増していきます。発言の重みは会社ライフを円滑に送るのに資するのです(多分)。そして、最終的には自分の社内での周辺環境のある程度の部分を支配することができるようになります。そう、支配者(Dominator)になるにが、コンキチのブラック・コンピテンシー道なのです。

どうっですか? 皆さんもブラック・コンピテンシーを志向してみませんか?

以上、所詮二流大出のなんちゃって研究員の独り言でした。

2006年8月12日土曜日

EXECUTIVEがやってきた

先日、コンキチが勤務する事業所において、BIGな会議が実施されました。

総勢50人強(因みに当社の従業員数は285名)
役員全員参加
会議に要した時間はほぼ終日

の研究部門の会議です。

先日行った会議の拡張版です(内容は殆ど一緒)。

中間管理職の役員に対する発表会だったわけです。コンキチのような末端の研究員は、この会議を権威付けする為のギャラリーでした。コンキチが参加するこいとで得られる実務的なメリットは皆無といってさしつかえありませんでしたが、「エアコンのいい感じに効いた薄暗い部屋で、しっかりと休養をとるように」というサービスなのだと好意的に受け取りました(コンキチの隣に座ったおっさんは目つむってましたよ)。

それにつけても、中間管理職のプレゼン資料には辟易させられますね。

辟易ポイント1 文章だけで作成したPowerPointのスライド(っていうか、口頭でいうだけで済むのでは?折角のPowerPointが泣いてます)

辟易ポイント2 エクセルでプレゼン(超ー見づらい)

以上、平たく言えば、無駄な会議だったように思うのです(だって社長にお伺いをたてる報告会ですから)。ついでに言わせてもらえば、上記プレゼン資料しか作れない部下に何も言わない役員のセンスもちょっと疑ってしまいます。

でも、社長の言葉だけは参考になりました(1点だけ)。

以下、参考になった台詞

社長「・・・・した方がいいんじゃない?強要するわけじゃないけれど」

はい、力強く強要してますね。「自分は専制君主じゃないんだぞ」ということをさりげなくアピールしつつ、自分の意思を強制するテクニックなのかなと思いました。

こういった言葉の機微といものは重要ですからね!参考になります。親会社で本流に残れなかったとはいえまがりなりにも社長になる人間は、細かいことにも気を配るんだなと思いました(笑)

2006年7月31日月曜日

中村修二という生き方(2)

先日図書館で借りた、「中村修二の反乱」という本の感想の続きです。
(注: 著者は中村さんではありません。ただの物書きです)

この著書の中で、中村氏のとある講演が取り上げられていて、
氏は、
1) 学校教育(とりわけ我が国の大学受験に係るシステム)と大学の有り様がダメダメ
2) 日本の社会の至る所に蔓延している政治力に辟易。
3) 研究者の待遇もダメダメ。

という主張をしています。

氏の専門分野は応用物理学らしいですが、コンキチの(一応)専門である有機化学でも同様のことに心当たりがあります。以下、コンキチが企業の研究員となるまでの道のりを中村氏の主張と、なんとなく、オーバーラップさせながら展開していきたいと思います。

1) 教育
学校教育には、受ける側、カリキュラム、教える側(教師)のそれぞれに大きな問題があるとコンキチはみています。

a) 受ける側の問題:
「我が子にはよりSteadyな道を歩ませたいという親のエゴ」と、「いい大学(旧帝大)→エリート(生活は安泰)」といった神話とが相まって、いい大学に入ることが最大の目標になってしまったことに学生の質の低下に係る問題があると思いますね。所謂学歴至上主義でしょうか?この流れが受験戦争やお受験なんていう不毛なモノを生み出してしまったのだと思います。これで、大学に入学することが目的化しちゃって、入学後のキャンパスライフは遊び惚けちゃうんですよね。受験で燃えつきちゃうんですよ、多分。で、卒業できる程度の必要最低限の努力しかしない。その結果学生のレベルが下る。でも。ある程度卒業させてやらないと後はつかえるし、学校の評判にも影響するので、卒業の審査を甘くして大体は卒業させてやる。こんな感じで、なんの専門性も持たない人材が世に輩出されていくのです。この現象は特に文系に多いように見受けられます(教育学部は教員免許取得したいというドライビング・フォースがあるのでまだマシです)。コンキチが在籍していた大学では、経済学部と教養学部があったのですが、それぞれ「ヒマ経」、「無教養学部」と揶揄されていました。
あと、受験戦争熱は、特に無学な親にこの傾向が強いとコンキチは感じています。今でこそ大学全入時代なんて言われてますが(くだらない私大が結構ありますが)、コンキチの親の時代なんかは、まだまだ大卒者は少なく、自分が苦労しているのは学が無いからだという、幻想に近い学歴コンプレックスがあるんだろうと思います。話を聞いてると、大学を出てない人(夫婦)は、子供の教育に熱心ですから。単純な費用対効果を考えれば、大学への過剰な期待は禁物だと思うのですがね。
純粋な中村氏は、こういった点については言及していませんでしたが、けっこう由々しい問題だと思います。

b) カリキュラムの問題:
我が国の高校、大学のカリキュラム設定はかなり最悪です。なぜなら、社会生活に必須という訳でもなく、自分が全く興味のない科目でも、ある程度履修しなければ先に進めない仕組みになっているからです。例えば、高校で習う古文・漢文。コンキチは古文&漢文の勉強したことはZEROでした(中間・期末テストは教科書ガイドを丸暗記していました)。  あと、理科もくせ者です。高校理科は「物理」「化学」「生物」「地学」から構成されていますが、それぞれの関連性は必ずしも高くはありません(特に地学は皆無)。にも関わらず、大学受験で「理系」の学部を狙う場合は、複数の理科科目を選択しなければならない学校が多々あります(少なくともコンキチが受験生の頃はそうでした)。ちなみにコンキチは応用化学科卒ですが、「物理」「生物」「地学」はさっぱり分かりません(こんなのばかりだから大学生の学力低下が問題になっているのかもしれませんが)。そして極めつけは社会ですね。特に歴史なんかは、メジャーな出来事の名称、年号、偏った歴史観という愚にもつかないことを教えられ、あまり有益とは言い難いです(はっきり言って「花の慶次」を読んだ方が為になります)。
また、逆もありきで、経済学部で数学が受験科目に無いのも気にかかります。だって、経済に数学は必須でしょ? (しかも、数学は実社会で役に立つ数少ない科目ですし)。
ここまでは、大学以前の話ですが、大学のカリキュラムもなかなかの腐敗っぷりです。まず、一般教養とうのがクセものです。自分の進んだ学部・学科の専門外(全然関係ない)の授業をある一定数以上を履修しなければならないという制度です。まあ、専門だけに偏らす、より視野を広げましょうという感じのお題目で、そのような制度が存在するのだと思うのですが、そんなのはおべんちゃらですね。中村氏も、大学に入れば自分の好きなことがおもいきりできると思っていたのに騙された、とこの制度には辟易していたようです。理想を掲げるのは勝手ですが、ひとりよがりなお題目を強要するのはよくないと思いますね(別に自由意志で専門外の科目を履修するのは良いと思いますが)。自分に全く興味のないことを強要されることとで、ある一分野で尖った才能を持つ人材がやる気がそがれるようなことがあれば、それは重大な機会損失ですよ。そもそも、より多くの知識を広く吸収しようなんていう高邁な精神を持った学生はそんなにいないと思うし(きっと)。

c) 教える側(教師)の問題:
理科離れをなくす法(化学篇)でも述べましたが、(特に)小学校や中学校の先生は皆文系です(かなり独断と偏見がはいってます)。ということは、数学と理科が嫌いな(できない)人間が、チビッコに数学と理科を教えることになります。あなたは、自分が嫌いなものの楽しさを他人に教授することができますか?このことは、我が国の科学技術戦略上の重要な欠陥であるとコンキチは切に思います。さらに、あなたの子息・子女を教えている担任が、数学嫌いだったら目もあてられません。よく数学は四則演算さえできれば社会に出て不自由しない。四則演算以外は実社会に必要ないという発言を耳にしたことがありますが、それは全くのウソです。少なくとも数列はファイナンス(借金)の初歩の初歩で必ず必要になります。最近巷では、住宅ローンの借り換えなんかが流行っていますが、excel等のSpreadsheetと簡単な数列の知識さえあれば、借り換えによる効果を簡単にシミュレートできます(但し、手数料等は別途確認が必要でうが)。最もファンダメンタルな学問であるmathematicsが苦手だなんていう教師予備軍には免許を与えないようにしまければ、青少年の未来は拓けません。

2) 政治
社内政治に関しては、ビジネス書や島耕作なんかに譲るとして、学術の政治について書きたいと思います。
中村氏が国内のJournalに論文を投稿しようとした際、ずっとはねられ続けたそうです。というのも、レフリーがそのスジの所謂"大家"だったらしく、中村氏が論文中で大家の論文をリファレンス(参考文献)として参照していなかったので"大家"がへそを曲げてRejectし続けたということらしいです。アメリカ至上主義という訳では決してありませんが、我が国にこういった非常に稚拙な事例が我が国に存在することは残念です。しかも、これと似たようなことは、他の学術分野にも、程度の差こそあれ存在します。
コンキチが身を置く有機(合成)化学の世界では、二大勢力があります(少なくともコンキチはそう思っている)。一方はノーベル化学賞を受賞した 野依良治先生率いるの「野依派」。もう一方は日本でいち早くタキソールの全合成に成功した向山光昭先生の「向山派」。ちなみにコンキチは、一応「向山派」です(研究内容はかなり亜流といわれていましたが)。で、コンキチが今就社している会社に「向山派」の同期(こちらは正統派です)がいるのですが、彼の出身研究室では、雑誌会である学生が野依先生の論文を発表したら、超怒られたという話を聞きました。コンキチの研究室ではそこまで露骨なことはありませんでしたが、コンキチの指導教授は野依先生のことをあまり快く思っていませんでした。
このように、あらゆるフィールドで村意識を発揮するのは、日本人の特性であり、我が国のお国柄といってしまえば簡単ですが、物事の本質からかけ離れた政治に労力を消費するのは非建設的であるばかりで、研究員のモチベーションを低下させることにしか役立ちません。

3) 「研究」の価値
よく「賃金は労働の対価」という言葉を耳にします。で、コンキチが勝手に思っているだけかもしれませんが、「研究員の労働とは知価を創造すること」であるのに対して、「世間一般の労働とは(ルーチンワークに費やした)労働時間」であるように感じます。まあ、研究の価値なんて愚鈍な一介のマネジャーなんかには評価できないし、こと企業に関しては、研究の成果は、その成果を基盤として造った製品が利益を出すことによってはじめて認識されるのでなかなかリアルタイムに報いることは難しくなります。あと、分業化が進んでいる昨今、研究→製品化プロセス構築→生産→販売といったパスを経るうちに、元の研究の成果のインパクトは希薄化してしまいます(つまり、あんた一人で利益をあげたわけではないでしょということ)。
あと、如何に優秀な研究員といえども、種々の要因によって、目覚しい成果を挙げることなく研究員生活を終えてしまうというリスクが伴います。「じゃ、あんたはあんまりぱっとした成果を挙げれなかったから給料もちょとだけしか支給しないね」というのでは、人生安心して生活できません。
以上、研究成果の評価が難しいことに加えて、研究成果と給料をあまりにリンクさせすぎると、成果ZEROだったときは給料が激減しちゃって生活できないよぉという不安が相まって、「じゃあ給料は安定支給するから、その額はほどほどにね」ということになったんじゃないかとコンキチは考えています(っていうかそこまで複雑じゃなく、ただなんとなくっていうのが本当のところかもしれませんが)。だからといって、コンキチの勤務している会社のように、我が国の最高学府を出ても、歳が同じなら、給料もだいたい一緒というのでは、実際モチベーションは上がりませんがね。

以上はコンキチの個人的な体験と偏見に基づいたものですが、中村氏も上記みたいなことに辟易してアメリカにぴゅーんって行っちゃったみたいです。

世界でも希有な才能を持つ一人の科学者が、日本独特の慣習に基づくしがらみを断ち切って、新天地(アメリカ)で新たな研究に取り組という人生のスタイルは、清々しささえ感じます。一人の力(自分の才能)を信じ(実際、中村氏の場合は実力も裏打ちされていますが)、飄々と生きていくという姿は、凡人には眩しくい映り、自分も斯くありたいと痛切に思います。はっきり言ってカッコいいですよ。しかしながら、そういった生き方を許されるのは、才に明るく、不断の努力を怠らない、ついでにちょっと運がいい人間に限られます(偏見ですかね?)。

某二流大出の二流研究員で、やる気も下降曲線で、研究よりもスコッチが好きというコンキチには望むべくもありません。

でもちょっとここで考えてみて下さい。

我が国「日本」は、世界第2位の経済大国にして、治安も優れ、伝統があり、豊かな四季を持ち、食を文化と語り、ロジスティクスも発達している世界で最も豊かな国です。

そんな恵まれた国に生まれた我々日本人が、

言葉の壁を越え、不味いメシに我慢し、不慣れな習慣や慣習に慣れていかなければならないという苦行を乗り越えてまで海を渡るモチベーションが湧いてきますか?

まあ、普通の人はそんなリスクを犯さないでしょう。当然、日本酒が世界で一番ウマい酒だと信じ、日本人は肉なんか喰わないで、世界で一番ウマい魚だけた食べていればいいと(かなり本気で)思っているコンキチは愛する日本を離れる気は皆無なのです。

ということで提案です。
コンキチのようにやる気を無くし、モチベーションが低下しまくった、そこそこの専門性を持った研究員は、
1) 会社を自分の知的好奇心を満たす場として活用し、
2) サラリーマンの不労所得である有給休暇を力強く活用し、
3) 必要最低限の労力のみを仕事に費やし、
4) 精神を豊かにする文化的なものと親しみ
人生を謳歌する施策の構築に励みましょう。

コンキチは
酒(全般)、読書(ミステリ)、証券取引(知的ギャンブル)、育児(我が子は可愛いんです)、下駄(ジャパニーズ・トラディショナル・シューズ)、腕時計(趣味です)を楽しみ、毎月1日(映画の日)は会社を休んで劇場で映画を観ることにしています(1,000円で観れます)。

以上、本日も他愛のない二流大出のなんちゃって研究員の戯言でした。

2006年7月22日土曜日

中村修二という生き方(1)

先日図書館にコンキチの愛読雑誌であるプレジデントを借りにいいった折、


中村修二の反乱」という本が偶然コンキチの目に飛び込んできました。

中村修二・・・高光度青色LEDを世に送り出した希代の科学者

分野も全く違い、彼は天才、コンキチは
盆栽
凡才ではありますが、希有な研究者を題材にした書籍に、同じ自然科学に携わるものとして、一抹の興味を持つことを禁じざるを得ません。

ということで、借りちゃいました。
で、読んでみた感想はというと、
1) 中村修二の講演内容が少々
2) 大半は著者の感想
といった内容で、ダメダメな本ですね。

中村修二の講演内容は、彼が直接語った事柄で、何かをやり遂げた者が持つ、含蓄や言葉の重さ、真理が感じられてとてもGOODでした。
でもそれはこの本のほんの一部分で、大半は、単なる物書きの感想文といった感じにしかコンキチは受け取れませんでした。

ということで、自腹を切って買う価値無し!図書館等で借りたり、アマゾンマーケットプレイスやBOOK OFFで格安で購入するのがベターでしょう。

でも、中村修二の語った部分だけま読む価値があります。

そして、中村氏の主な主張は

1) 学校教育、とりわけ我が国の大学受験に係るシステムと大学の有り様を批判しています。
2) 日本の社会の至る所に蔓延している政治力に辟易しているようです。
3) また、研究者の待遇にも言及しています。

なんちゃって研究員のコンキチも彼の主張にはある種のシンパシーを感じました。

実感として、大学受験が目的化していることはかなり覆すことは難しいように思うし(だから合格すると勉強しないで遊んじゃうんだよね)、象牙の塔や実社会にも学閥や横並び意識や必要以上に人を立てるということが間々あるように思いますし、我が国の最高学府を出た研究員もそこいらのブルーカラーやホワイトカラーと給料一緒ですから。モチベーションが上がりませんよ、はっきりいって。

あと、中村修二の本を読むんだったら、氏自らが著した



の方が断然オススメだと思います。

今日は疲れたので、後日続きを綴りたいと思います。

2006年7月16日日曜日

理科離れをなくす法(化学篇)

昨今我が国では、青少年をはじめとする国民の「科学技術離れ」「理科離れ」が指摘されている
(文部科学省Web Siteより)

ようです。

コンキチは、個人的には、「理科離れ」なるものは憂慮に値するとは考えていません。だって、量より質が大事ですから。「理科がお気に入り」程度の使えない人材を多数世に輩出したところで、科学技術立国なんて夢のまた夢ですよ。

コンキチが就社している企業は所謂「化学」に分類されるセクターに属する企業なので、化学系研究員(理系)が沢山います。しかも、使えないのがいっぱい(はっきりいってコンキチも使えません)。だから先進的な1流の研究はおろか、2流の研究(普通の研究)さえもできていません。R&DはPDCAサイクルを回すことが重要だと思うのですが、コンキチの所属する会社ではDO! DO!!DO!!!のみキック(とりあえず実験しろっていうスタンスです)で結果オーライ(3流の研究)です。

あと、化学系の学部や大学院(修士)を出ても、フリーターや異業種で働いているヤツ(大学の同期とか)も結構います。こういった現象は、インプットの数に対してアウトプットの数が足りてないことの証左ではないでしょうか?

さて、身も蓋もない話はこれくらいにして、以下どうすれば「理科離れ」を解消することができるかについて考えてみましょう。

ところでそもそも論なのですが、「理科離れ」は実際に進行しているのでしょうか?コンキチは現在31歳ですが、コンキチが若いころも文系優勢な学校環境だったように思います。「理系」「文系」が顕在化するのは(少なくともコンキチの世代は)高校です。で、コンキチが高校生だったころ、1学年は全部で6クラスあって、その内「文系」4クラス、「理系」2クラスで力強く文系優勢な環境でした。このことから、「理科離れ」が進行しているのではなくて、元来理科系より文科系の方が優勢で、今も変わらず続いているのではないかというのがコンキチの独断と偏見による意見です。

「理科(自然科学)離れ」の進行の真偽はあやしいとコンキチは睨んでいますが、今回はおいておきます。とりあえず理科系は少数派であるという(多分)事実は存在しているようなので、どうして人々は理科(自然科学)に興味(好奇心)をあまり示さないのかということについて考えてみたいと思います。以下、思いつくままにその要因らしきものをコンキチの独断と偏見により二、三挙げてみたいと思います。

まず第1に思い浮かぶのが、学校の先生は皆「文系」だからダメだということです。チビッコに理科(自然科学)の楽しさを伝え、理科に対する興味を喚起することが、将来の理系人口を増やすために有効であるというなら、教師(特に初等教育に携わる)は、チビッコに理系の楽しさを享受できる絶対的な役割を果たすことになります。となると絶望的な現実が目の前に現れます。それは教員養成課程なんていうのは理系の人間が行くところではないからです。そこは、自然科学とは無縁な or 興味のない or ついていけない文系の園なのですよ。つまり、理系の楽しさを理解できない文系教員は、理系の魅力をチビッコに伝導することはできないのです。
修士号以上の学位を持つ教師を増やすなんていう策を提言する輩もいるようですが、教育学部の修士なん所詮文系なんだから意味ありません。

次に理科に必要な論理思考は面倒くさいというのも人々を理系から遠ざける要因であるようにコンキチは思います。
コンキチが社会に出てから(会社に就社してから)感じたことですが、社会は論理思考よりも感情を優先するきらいがあるようです。典型的な理系思考である論理思考は、データを集め、読み、再構築し、新たな着想を創造しなければならず、ちょっと面倒です。はっきりいって、感情で適当に判断して意思決定する方が、時間もかからず楽チンです(その正否は保証されませんがね)。水が高きより低きに流れる様に、人も面倒くさいことから楽チンなことに逃れようとするのが大勢でしょう。となると、論理思考を要求される理系を人々が敬遠するのは自然なことなのかもしれません。

我が国の行政は、「科学技術・理科大好きプラン」と称して、効果のあやしい施策を行っているようです。コンキチはこんなうっとおしい企画はさっさと止めた方がいいと思いますが、政府も、世間で騒がれている「理科離れ」に対して、何らかの施策を施しているところをアピールしなければ、世間の風当たりが強くなるのでいたしかたないのかもしれません。
そもそも、「理科に対して興味を持たせる」という発想がダメダメだと思いますね。文部科学省のWeb Siteでは、

「科学技術に対する志向を高めていくことが重要」
「理科好きな児童生徒を増やすため」
「科学技術・理科に対する関心を高め」

なんていうことが謳うわれていますが、

「科学技術に対する志向が(自発的に)高まっていくこがと重要」
「理科好きな児童生徒が(自発的に)増える」
「科学技術・理科に対する関心が(自発的に)高まる」

ことが重要なのだとコンキチは思います。
志向・興味・関心を高める(増やす)ためにはどういう施策をぶつかというのではなく、
志向・興味・関心が高まる(増える)ような環境をどう用意すればいいか
なのだと思うのですが.....

あまりウマく言えてないですが、人からあーだこーだ言われてやらされるのではなく、自らの自由意志に基づいて興味を持たなければ意味がないと思うのです。他人から与えられたかりそめの意識の高揚は、持続性があまり期待できず、長期的にみて消失してしまうのがオチではないでしょうか?人からヤレっていわれたことを、あなたは長く続けられますか?

さて、以上まとめると、
1) 「文系人口 > 理系人口」これを「文系人口=理系人口」くらいにしたい(?)
2) 学校の先生は皆「文系」だからダメダメ
3) 理系は論理思考が必要。でも面倒くさい
4) 自発的に理科に興味を持つことが大事

とりあえず、理系人口を増やしたいけど、学校の教員に期待するのは無理そうで、社会も理系思考を素直には受け入れ難い状況。自発的に理科(自然科学)に興味を持たせるにはどうしたらいいの?っていうところでしょうか。

こうなると、解決策は
チビッコが自発的に手に取ってみたくなるような分かりやすく、興味深い、良質な書籍に頼るしかないとコンキチは考えます(「わたしは本を読まないけどどうしてくれるの?」なんていう戯けた人は本質的理系に向いてないと思うので却下します)。

こと化学に限って言えば、

日本化学会化学・意表を突かれる身近な疑問

こいつ↑を小学校の適当な時期に一人一冊配ってやれば、政府の施策なんかよりもよっぽど多くのチビッコ達が理科に食いついてくるに違いありません(この本に食いついてこないチビッコは、本質的に理系には向いてないと思うので、そういう児童には心置きなく文系に進んでもらいます)。

さて上記本のコンテンツは
1) 台所の疑問
2) 食卓の疑問
3) 身近な道具の疑問
4) 部屋まわりの疑問
5) 街の疑問
6) 自然界の疑問
7) からだの疑問
8) 身づくろいの疑問
9) 外食・おやつの疑問
10) あやしい話への疑問
という10章からなり、息子(推定小学生)の疑問にお父さんが答えるとういう形式で話が進んで行きます。
具体的には、

「コンビーフの缶詰は、なぜあんな形なの?」(台所の疑問)
「黒鉛筆は消しゴムですぐ消せるのに、色鉛筆はなぜ消しゴムで消しにくいの?」(身近な道具の疑問)
「昆布はなんでダシが海水に溶け出さないの?」(食卓の疑問)
「お酒を飲むとなんでラーメンを食べたくなるの?」(外食・おやつの疑問)

といったチビッコが疑問に思いそうなトピックスに対して、お父さんがScientificにバシッと回答していきます。一見子供っぽいお題ではありますが、けっこう本格派です。
はっきりいって、

大人も買いです!

2001年ノーベル化学賞受賞の野依良治先生も(多分)激賞です。
(帯にコメント書いてたし。2002年度の日本化学会会長だし。この本は日本化学会編だし。)

少しでも興味をもった方は、まあ騙されたと思って買ってみて下さい(ちなみに上記画像をClickして購入していただけると、コンキチはAmazon.co.jpからお駄賃をGETすることができます)。あなたの子息・子女は明日から理系になること間違いなしです(結果は保証いたしかねますが)。

以上、「理系の文系」と揶揄される化学系研究員のコンキチの讒言でした。


2006年7月12日水曜日

研究員のプレゼンテーション

先日、久しぶりに(部内)会議がありました。

参加人数/ 28人
所用時間/ 2.5 hr
発表者/ 6人(グループチーフ)
質問者/ 1名(部門長)
ギャラリー/ 21人(=28-6-1)

内容は、各グループのチーフが中期の研究開発ロードマップを部門長にお話するというもの。従業員(正社員)数285人の企業の会議としてはかなりBIGな規模です。まあ、大勢のギャラリー(下々の者)の前で、グループリーダー(家臣)がお殿様(部門長)に、計画のお伺いを立てるといいった儀式(Ceremony)ですな。大名行列にも似た時代錯誤の自慰行為です。だって、ただの報告会ですから。資料を部門長にメールで送ってfinishで何の問題もないと思いますよ。

しかも、
1) 会議の内容は事前に知らされてない
やる気あるの?

2) レジメはチーフと部門長&副部門長のみで、一般研究員(下々の者)は無し。
僕たちってこの場に必要ですか?

3) プレゼンはプロジェクターを使い何故かエクセルで。エクセルのセルに記入された文字は細かくて見えません。阿部ちゃんがやってる参天製薬の目薬のCM並みです。しかも文字だけ。
いやがらせですか?

ついでに、薄暗くて、いい感じにエアコンが効いていて、とろけそうなくらい眠くなりました。一応コンキチは読書にいそしんでいましたが.....

それにつけても今回のプレゼンは、コンキチ史上最低でしたよ。
プレゼンの基本は

More Simple!
More Visualize!!
More Graphical!!!

だと思っているコンキチには、受け入れ難いものでした。しかも、クリエーティブなセンスが求められる研究員が、エクセルのセルの虫眼鏡で見ないと分かんないような文字を棒読みでは芸が無さ過ぎです。

でも、コンキチはこんな社内の無駄なイベントが大好きです。だって、目的は自慰なんだから、下々の雑魚キャラ研究員は"その場"に存在していさえすればいいんですから!
ある意味自由時間です。

若干薄暗くて目が悪くなりそうですが、読書にはもってこいですよ!!!!!

ちなみにコンキチが件の会議で読んでいた本は、

統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門」でした。

下手なプレゼンよりよっぽどためになります。
会議ときたら暇つぶしグッツ(おすすめは本)は必ず携帯していきましょう。有意義な時間を過ごせること
「間違いない」
です。

2006年7月9日日曜日

全国安全週間という儀式

7月3日から7月7日は全国安全週間でした。全国安全週間は、企業の自主的な労働災害防止活動の推進と、安全意識の高揚と安全活動の定着を図ることを目的として展開される、1年のうちに1週間(より正確には5日間)だけ実施される安全意識高揚週間です。

コンキチが在籍する事業所でも毎年やっています。具体的にどういうことをするかというと、

1) ラジオ体操を始業前と15:00のに2回やる(通常は始業前の1回)。
→何故年に5日間だけ2回やるの?ラジオ体操の有意性はコンキチも認めるところなんですが、5日間だけ2回やる意味はパフォーマンス以外にあるの?因みに、研究部門の副部門長は、始業前の日々のラジオ体操さえもしないときもあるよ。因みにコンキチは小学生の時分、児童会会長をやっていたことがあって、朝のラジオ体操を(校長先生とかが校庭で挨拶するときとかに上る)台の上でやっていたことがありました。だから、ラジオ体操(第一)には一家言あるのですが、皆やる気なさそうにやってますよ、体操を。足の曲げと開きが全然ダメですね。

2) 週初に各職場における安全目標を設定し、最終日にcheck。
→主に整理整頓系の目標が設定されるのですが、最終日に軽く掃除&片付けをやって終わりです。目標を最もよく達成した職場は、なんか商品が貰えます。イマイチくんの職場は、ちょっと注意されるだけで特に制裁はありません(だって、激しく追求しすぎたら、いつか自分にも厳しい追求が回ってきますから)。
ちなみに、コンキチは学生時代にドクターコースの先輩に、「使った器具はすぐ(できるだけその日のうちに)洗え」ということを叩き込まれました。しかし、会社では「器具は暇なとき(最大1週間~1ヶ月は放置O.K.)に洗え」と教えられました。5S(整理、清掃、清潔、整頓、躾)を励行しろと宣う会社が5Sを否定する指導をするのです。正直笑えました。そもそも、上司がたまに実験することがあるのですが、使った器具は当然放置プレイです。コンキチはその器具が使いたいので(あと放置しっぱなしだと汚れが落ちにくくなるので)、「洗いますけど」というと、上司は「あー、自分でやる」と言ってまた放置プレイです(笑)。まあ、多くは結局コンキチが洗うことになるのですが.....
コンキチが居る職場の目標は「実験台の整理整頓」で毎年同じです。なかなか出来ないとか、難しいとか、永遠のテーマとかいってる人もいますが、要は「出来ない」のではなくて「(めんどくさいから)やらない」だけです。
幼少のころに親や学校の先生から「すぐ片付けなさい」と指導されたことをもう一度思い出した方が良いでしょう。

3) 安全ビデオの上映
→反復による刷り込みの有用性は認めますが、無味乾燥なビデオです。睡眠誘因に効果的です。不眠症の方はどうぞ。(因みにコンキチはパスしました。必須じゃないし) 。

4) 産業医とのメンタルヘルス相談
→鬱の相談なんか、産業医なんか、しかも社内でできませんよ。噂になったらイヤだし。しかも、産業医ってメンタルヘルス系の専門じゃないでしょ(きっと)。意味あるの?といった感じです。
etc.

以上、こんな感じです。

ちなみに、この運動は、

・主唱者/ 厚生労働省中央労働災害防止協会
・協賛者/ 建設業労働災害防止協会陸上貨物運送事業労働災害防止協会港湾貨物運送事業労働災害防止協会林業・木材製造業労働災害防止協会鉱業労働災害防止協会
・協力者/ 関係行政機関、地方公共団体、安全関係団体、全国安全会議、地方安全会議、労働組合、経営者団体
・実施者/ 各事業場

という感じになっていて、自主的な労働災害防止活動の推進というより、とりあえず世間様に向けた安全パフォーマンスのためにやっとけといった感じでしょうか(地味だけど)?そんな気がします。つまり、なんとなく整理・整頓して、安全に気を配っているフリをしとけってことですね。だって、安全って1週間やそこら安全活動を重点的にやりますって宣言してやるものじゃないでしょ?常に高い安全レベルを維持しなきゃいけない訳ですよ。ということは安全週間なんていう儀式(Ceremony)をやって満足していてるのはヌルすぎです。どうせ、すぐだれだれになるんだから。

まあ、安全は(建前上)企業活動における至上の金科玉条ですから。特にコンキチの従事する化学工業は、一歩間違えば大惨事(平たく言えば、爆発事故)が発生するので、口が裂けても対外的には、少しでも安全を疎かにする発言はできません。せいぜい自分が危険に巻き込まれないように気をつけましょうか。

今年の全国安全週間のポスターのモデルになっている井上和香が可愛いなと思うコンキチの戯言でした。

2006年7月5日水曜日

研究員のCSR

最近、コンキチの勤務する会社で、CSR(Corporate Social Responsibility)の啓蒙活動が行われるようになりました。

例えば、「顧客との電話対応」なんていうお題で、「CS(Consumer Satisfaction)を向上させるためにはどうすればいいいか?」とか。

親会社からの指示であることがミエミエです。こういう活動は、自発的に湧き出てこなければ、おべんちゃらでおわるだけだと思います。だって、親会社に言われてやるもんじゃないでしょ?こういうのは。でも、「活動してます」と親会社にアピールしなければならないので、形だけは取り繕っていくのでしょう。こういうのを「仏つくって魂いれず」というのかなと思いました。

そもそも、CSRなんていうのは、突然降って湧いたものではなくて、元来あったものを(格好いい)横文字に置き換えただけで、格別ありがたがることもないでしょう。

日本人が好きな、


会社は社会の公器


ってやつでしょう?

押し付けられたくだらないCSRなんてものはゴミ箱に捨ててしまって、我々は(化学工業に係る)研究員なんだから、研究員らしいCSRを追求すべきだと思います。

例えば、
1) Green Sustainable Chemistry(GSC)とか
→GSCは、化学工業のLOHASそのものズバリといった感じではないでしょうか?近代化学において、有害物質の流出を抑制することは社会的な義務です。各種法令による規制がありますが、企業が自発的により高度な規制を設けGSCを志向することこそがCSRなのだと思います。
GSCは、アセスメントが重要になるとともに、収率(Yield)や製造コスト(経済性)による評価のみならず、

a) Risk=Hazard×Exposure (特にオペレーターに対して)
b) E-factor(ratio in weight of byproducts/main products) (溶媒がメインターゲットか)
c) Atom efficiency (資源を有効に使う)

といった指標が重要になってきます。これらの環境指標を使うことで、プロセス全体のGreenさやSustainabilityを定量的に評価することが可能になるでしょう。しかも、プロセスの環境評価が容易になるとともに、簡単に導入できます。でも、コンキチの勤務する会社では、ISO14001を認証取得しているにも関わらず、上記評価尺度を使用する気配はNothingです。「収率が○○%UP↑」したとか「廃棄物が○○%削減できた」とか、「溶媒の使用量を減らした」なんてことは、(ISO対策として)単発的にジャブ程度にやっていますが、プロセス全体を定量的に評価・概観したり、環境指標を用いた継続的な管理なんてことはやりませんね(コンキチはめんどくさがり屋さんなので、上記提案は決していたしません)。

2) 画期的製品の開発(プロダクト・イノベーション)とか
→利便性の高い、画期的な製品は、人々の物理的・精神的営みを圧倒的に豊かにします。従来は不可能だったことが可能になるという、ある種魔法のような効果が期待できるでしょう。
例えば、元祖三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)や3C(カラーテレビ・クーラー・カー)、そしてデジタル三種の神器(デジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型テレビ)、新三種の神器(食器洗い乾燥機、IHクッキングヒーター、生ゴミ処理機)のような画期的な製品の登場が庶民の暮らしを圧倒的に快適にしたことは想像に難くないでしょう(因みにコンキチ家ではDVDレコーダー、薄型テレビ、食器洗い乾燥機、IHクッキングヒーターはありませんが.....)。
化学界で言えば、薬とか農薬とかプラスチックとか(サーモダイナミック)液晶とかが画期的な製品の部類に入るんじゃないかと思います。医薬品は人々の健康を担保し、農薬は作物の育成を促し、プラスチックは世の中のあらゆるシーンで使われているし、目に優しいLCDはパソコンとか薄型テレビに使われてますね。コンシューマー指向のCSRですね。

3) (コモディティ)製品の圧倒的に安価(効率的)な製造プロセスの開発(プロセス・イノベーション)とか
→生産性の(圧倒的な)向上です。
例えば、庶民から愛されている1個100円の製品Aを1個50円で売っても同様の利鞘を稼げる製造プロセスを構築できたとします。すると、庶民の製品Aに対する購買力は倍に高まり、生活水準は実質向上します(50円分を他のことに使える)。とっても素晴らしい立派な社会貢献だとおもいませんか?。

4) あと、適正なルールに基づいて(反社会的行為をせずに)ガッツリ利益を出し続ける仕組みを作るとか
→とっても重要ですね!!!(とコンキチは思います。)利益こそが、企業をゴーイング・コンサーン足らしめるわけですから。税金(社会に還元)、配当(株主に還元)、内部留保(企業の活動を維持)の源泉は利益です。
そして、研究開発型の企業(研究員を雇っている企業)では、研究開発活動を通じて、画期的製品の開発をしたり、製品を圧倒的に安価(効率的)に作り出す製造プロセスの開発したりすることこそが、利益を生み出し続けるための仕組みなのです。製品が社会に受け入れられ(沢山売れて)、利益が生み出される(ガッポリ儲かる)のです。
(反社会的行為をせずに)ガッポリ金儲けをする企業は、税金もガッポリ払っていて、多くの公共インフラの整備のための源泉を世に供給している立派な会社なのです。

どうでしょう?

まあ、コンキチは現在勤務する会社で、既に終わっている存在なので、CSRを志向するよりも、マイペースで生きて行きます。

2006年7月2日日曜日

M:i:IIIに学ぶ研究員の心構え

昨日(7月1日、映画の日)、M:i:IIIを鑑賞してきました。ご存知、トム・クルーズ主演のスパイ映画の第3弾なわけですが、期待を裏切らない面白さで、コンキチは超満足でした。

主人公のイーサン・ハントは、IMF(Impossible Mission Force)の超腕っこきのエージェントで、絶対無理だろっていう任務を次々とこなしていきます(フィクションなんでなんでもありです)。時には超絶ピンチに陥ることもしばしばですが(アクション映画にピンチはつきものですから)、その都度不死鳥の様に復活を遂げ、大逆転劇を演じ、最終的には勝利を掴み取ります。

さて、何故彼は幾多に渡る過酷な任務を常に全うし、成功し続けることができるのでしょうか?

「主人公なんだから(最終的に)勝つのは当たり前じゃん」なんて身も蓋もないことを言ってはいけません。そこには成功に至る迄の重要なエッセンスが隠されているのです。そして、そのエッセンスはおそらあく研究員が研究活動に従事し、成果を導きだすサクセス・ストーリーにも通じるところがあるのです。

エッセンス1_努力
成功の陰には必ず努力が存在します。あまりに成功の光の部分が強すぎると、努力なんていうドロくさいものは見えなくなってしまいがちですが、「成功とは厳然たる努力の賜物」なのです!!!
例えば、イーサンは、人を欺く変装技術を身につけていますが、これは超緊張状況下(バレたら殺される)での強力な演技力が要求されます。生半可な鍛錬では身に付くものではないでしょう。圧倒的な体術は、気の遠くなるほどの研鑽と反復練習が無ければ、超緊張状況下のイザというときに力を発揮することは出来ないでしょう。銃器を扱うテクニックも同様です。さらに、読心術や多言語にも精通し、物理学にも深い造詣を持っています。メチャメチャ勉強しているハズです。こういった常日頃からの努力・研鑽が、実践でモノを言うのです(きっと)。但し、膨大な鍛錬の成果が発揮されるのは、ほんの僅かな時間でしかありません。そのため、「努力すんのはメンドクセーなあ」なんて思う人のいるかもしれませんが、努力無くして何も為し得ることはできません。
我々研究員も、不断の知の蓄積を怠らずに継続していくことによって、膨大な知が集積させます。その集積から、一握りの綺羅星たる成果が導きだされるのです。知の蓄積の無い者に、知価を創造することは決してできません。
不断の鍛錬を怠ったエージェントには死が訪れ、知の蓄積を怠った研究員は何の成果も出せずに仲間内から馬鹿にされるのです。

エッセンス2_信頼
人類の作り出した最も偉大な発明の一つが「分業」です(おそらく)。いくら超人的な人間であっても、個人で身につけらえる能力というのは限界があるし、一人で一度に出来るタスクも限られています。よって、それぞれの専門的な特殊技術をもつ複数の人間がタスク・フォースを組んで協同的にタスクに取り組むことにより、効率的・補完的にタスクを遂行することができ、スペシャリストのシナジーが発揮されることでしょう。M:i:IIIでも、イーサンをリーダーとするスペシャリストチームが、それぞれのメンバーの持つ一流のスキルを駆使してイーサンを的確にサポートして、不可能ミッションを完遂していきます。ただここで注意しておかなければならないことがあります。そこには強烈な「信頼」関係が存在しているということです。チーム内に信頼関係がなければ、自分に命運を他人に預けなければならない不可能ミッションにおいては、心に動揺が生まれ、心に隙ができます。隙が露になれば、そこを敵に突かれます。
研究活動においても、タスクチームのメンバー内で、信頼に足る能力・データ・人間性が十分に担保できなければ、ちゃんとやっている人のモチベーションが低下します。ついでに、信頼できないデータがプロジェクトの根幹部分に組み込まれてしまった暁には、目も当てられない状況に陥ることは火を見るより明らかでしょう。また、信頼できない上司の下では、部下は十分なモチベーションを維持することは困難になるでしょう。モチベーションの低下は業務効率の低下を意味します。
タスクフォース内に信頼関係を醸成できないエージェントには死が訪れ、信頼関係を構築することのできない研究チームは、業務効率が低下し、仕事が遅々として進まず、他部署から馬鹿にされるのです。

エッセンス3_精神
最後の最後まで絶対に諦めない精神。これが、任務必達成の必要条件です。「不撓不屈の精神」というヤツです。諦めたらそこでTHE ENDですが、諦めなければそこから道が開ける可能性はZEROではありません。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という捨て身(自暴自棄ではありません)の精神が、死中に活を見いだすチャンスを作るのです。 要は信念と覚悟が重要だということです。
研究活動においてもこの精神は重要です。諦めることを知らない飽くなき探究心こそが、新たな発見を生み出す原動力となるのです。
諦めたエージェントには死が訪れ、諦めた研究員は何の成果も出すことができず、仲間内から馬鹿にされます。

勿論、間違った努力や無駄な努力は全く意味を成しませんし、人を見る目が無ければ、信頼しても裏切りの憂き目にあうこともあるでしょう。そして、最後まで諦めない精神を具備していたとしても必ず成果がえら得るとは限りません(自然科学に従事する者は、自然の法則には逆らえませんから)。

物事の是非を判断する的確な目を養うことも、努々忘れてはなりません。

以上、昨日まで、作中のIMFを「International Monetary Fund(国際通貨基金)」だと思っていたお馬鹿な二流大卒のコンキチの日記でした。

2006年6月29日木曜日

WEB 2.0

いつもネガティブなBlogばかり書いているコンキチですが、たまにはポジティブな話題を.....

コンキチが普段Watchingしている複数のWeb Siteで激賞されている本があったので読んでみました。



ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる

です。

久しぶりに、こういうビジネス書系の本で興奮してしまいました。Webの膨大な可能性が垣間見える凄い本です。

コンキチがインターネットにはじめて触れたのは、10年前の1996年。大学4年のときで研究室に配属された年です。Windows3.1から飛躍的にGUIが向上したWindows95(といっても所詮Mac OSの模倣ですがね)発売の翌年で、我が国でパーソナル・コンピュータなるものがコモディティ化する潮流が目覚め始めたころだったと思います。
コンキチがいた大学は首都圏の(二流)国立大学(余談ですが、300MHzのNMRが東大のお下がりだった)だったのですが、当時としてはかなり充実した通信インフラが整備されていましたが、それでも現在に較べて通信速度は死ぬ程遅く、10年でここまでインターネットの使い勝手、サービスが進化するとは夢にも思っていませんでした。

そこから10年、Webの世界でも「ムーア時間」で時間が流れ、インターネットの通信インフラが指数関数的に整備されるとともに、情報までの到達速度が驚異的に速まり、その取得コストが著しく押し下げられ、Webを介した知の集積がじわじわと展開されているように思います。そして、集積された知を効率よく取捨選択するツールがGoogleなのかもしれません。

本書ではWeb 1.0からWeb 2.0へとWebサービスが進化していくプロセスが描かれており、
Web上ではREAL世界とは異なった特有の現象が存在することが詳述されています。

例えば、「ムーアの法則」「ロングテール現象」「チープ革命」「オープンソース」とか

あと、REALな世界では技術(テクノロジー)や知価(情報)の囲いこみにより、収益を確保するのに対して、
Webの世界では技術(テクノロジー)や知価(情報)の開放により、爆発的にリーチを増やし、薄く広く収益を確保するビジネスモデルが成立することに、正直驚きを隠せませんでした。

そして、Web 2.0時代のtoolとして、「Blog」「SNS(コンキチはSNSにはやや懐疑的)」「Wikipedia」「AdSense」「AWS」が紹介されています。

そして、インターネット空間では情報を取得するのみならず、個人が世界に情報を発信する障壁がゼロになっているという現実と、ビジネスのローコストオペレーションが可能になると説きます。

多分間違っていると思うのですが、コンキチは、
Web 1.0→Webを利用した、囲い込みによるサービスの提供
Web 2.0→ロングテールの追求。Web上での知の集積(共有)をベースにして、そこから新たな知価を創造するためのサービスー(nearly無限大)×(nearlyゼロ)=広く薄く=Somethingーの提供
なのかなと感じました。

ちなみにコンキチはGoogleの提供する以下のサービスを利用しています。
Google Spreadsheets(限定テスト)
Google Calendar
Blogger

このいずれもが、Web上での情報(知)の共有を前提に設計されており、知の共有によるシナジーを期待させるサービスであるように思います(但し、コンキチは全然使いこなせていませんが)。

はっきりいって、Googleのガリバーっぷりがいやでも際立ちます!!!

さて、万年五月病で、常に(仕事に対して)ヤル気Nothingのコンキチですが、一応、化学に携わっているモノの端くれで、お仕事は化学工業です。力強くREAL世界に存在する化学工業(製造業)では、サイバー空間の無限の恩恵をあまり活用できそうにありませんが、限定的であっても

「知の集積と、その集積された知を利用した新たな知の創造」

くらいはなんとかできるんじゃないかと考えています。

例えば、OrganicSynthesesの記事検索・閲覧サービスや、 PubMedの文献検索サービスなんかの無料サービスは、Web上で集積された(化学に関する)知を引き出す有効なtoolになっていると思います(無料だし)。そして、最近使い始めたのですが、Google Scolar、これ結構凄いと思います(特に日本語で検索すると結構PDFがヒットしてくる感じ)。

でも、コンキチの周囲では、STNみたいな有料検索サービスは良く使っているんですが、上記サービスを活用している人は見かけないので、まだまだminorityな存在なのかなあとちょっとガッカリです(無料なのに&けっこう使えるのに。しかもSTNよりユーザーフレンドリーだし)。

あと、WikiとかBlogとかを社内(ローカル)で構築できたら、けっこう凄いtoolになると思います。(社内の)色々なキャリアを持っている人の「知」が集積されますから!あくまでも知の創造は、REALな実験を通して最終的に確認されますが、WikiとBlogの相互徹底利用は新たな「知」を創造する為のseedsを育てるプラットホームになり得るんじゃないかなんて思ったりもします(理想論ですかね?)

でも、これって社内の大勢が「自発的に情報を発信してやろう」っていう強烈なモチベーションが前提に無いと上手く機能しないように思いますけどね(っていうか、立ち上げることさえ難しいでしょう)。結構めんどうくさいし。

特に保守的な環境では、こういった比較的新しい試みを導入するのは困難かもしれませんね(研究員は新しいモノを創造するのが仕事のハズですが。ちなみにコンキチは超保守的です)。

でも、グローバルにWeb 2.0の潮流が展開して、いづれはネットの「あちら側」を介したインタラクティブな仕組みが世間に広く受け入れられることを期待してやみません。

以上、某二流大学出の貧乏研究員の寝言でした

2006年6月24日土曜日

労働組合という名の宗教

コンキチの勤務している会社は労使間でユニオン・ショップ協定を締結しています。つまり、基本的に「管理職以外の従業員は皆組合員」でなければならないということです。これは入社と同時に強制的に労働組合に加入させられることを意味し、「組合に加入しない権利」を侵害しているとも思うのですが、ウィキペディアで軽くリサーチしてみると、「憲法は団結権の保障に特別の意味を与え、個々の労働者の組合に加入しない自由よりも労働者の生存の基盤となる組合を強化することを優先していると見るべきであるから、労働協約や労働法制においてユニオンショップ制を採用しても憲法に違反しない」ようなので、これを覆すのは不本意ながらかなり難しいと思われます。

ということで、労働組合嫌い(多分、世界一組合嫌いかも)なコンキチも、やむなく組合員をやっています。当然、目を付けられたくないので、表面上は従順な組合員を演じていますが.....

そもそも何故コンキチが組合嫌いかというと
宗教的
全体主義的
共産思想
に侵されているからです(キット)。

コンキチには労組という集団がカルト宗教的にしか見えません。

コンキチの思う労組の気持ち悪いところ
1) 自己批判は皆無。「自分達(執行部)の思想はは全てにおいて正しい」ということが前提で成り立っている。→これって異常じゃないですか?あなたは自分が100%常に正しいと言えますか?

2) 強制的に組合費を巻き上げる→ユニオン・シュップ協定により、給与天引きで自動的に私有財産を没シュートすることができます

3) (労働)組合の素晴らしさを皆で教育する。組合があるから、賃金UP↑や労働条件の向上が実現すると盲信し、その思想を刷り込む。洗脳ですか?→交渉力のある人間や、ハイパフォーマー、人生を達観している人には無用の長物でウザイだけ。団体交渉権の存在意義は全否定しないが、それをユニオン・シュップ協定により、全ての非管理職に強要するのが怖い。低能な人材を分不相応に高級取りにしてしまう

4) 組合員は皆(結果)平等。年功主体のヒエラルキーにより、給料が規定される。→完璧にモチベーションが下がりますね(年功制もそれなりに合理性があることは全否定しませんが)。「賃金は労働の対価」と唱える組合自体が、その原則を否定しています

5) 上部団体(UIゼンセン同盟)へ収める会費をちょろまかしている。そのクセ、高邁なお題目を唱える。→自分達の組織の繁栄(?)の為なら、何をしてもいいという思想が垣間見えます。

6) 赤いハチマキの着用強制→どこぞのカルト集団の白装束のユニフォームに通じるところがあって怖い。組織の一体感を醸成するためにやるんでしょうな

まあコンキチに言わせれば、労働組合はさしずめ日本賃上教といったところです。賃上げを至上命題として、いかなる状況下でも、手を変え品を変え、ただひたすら賃上げ要求を断行します。

インフレ下では、インフレ率(物価上昇率分)だけベースアップして賃金を上げろと宣い、
好業績下では、組合員の頑張りで業績が良くなったんだから、給料を増やせ!!!とおっしゃります。
さらに、デフレ下では、賃金は生活維持・向上のために安定絵的に支給されるもの&組合員は頑張っているんだから、頑張りに見合う分だけ賃金UP↑を要求します。
あげく、業績が悪かった場合は、その責任は経営サイドのせいにして、組合員は会社に協力してるんだから、その協力分を給料に上乗せすることを求めます。

「いかなる場合も賃上げ」

節操がなくて、マジ恐ろしいです。
これじゃあまるで、「他人のモノは俺のモノ、自分のモノも俺のモノ」と嘯く
ジャイアンですよ!!!
これがいい年こいた大人の行動かと思うと、その良識を疑わざるを得ません。日本人の美徳と揶揄されることもある自省という観点が完璧に欠落していますから。

もしあなたが良識のある人間でユニオン・ショップ制の労組がある会社に就社した場合は、その労働組合の思想に毒されないように気をつけましょう。但し、あからさまに労組を嫌悪する感情をおもてに表してはいけません。その後の人間関係に影響を及ぼしますから。

(この文章は、某二流大出のしがない貧乏サラリーマンの視点で記述されているので、あまり気にしないで下さい)

2006年6月20日火曜日

MONEY GAME

流行ってますねえ。(Share, Srock)

でも、株式インデックスは力強く下落している今日この頃です。

最近巷では、M&Aコンサルティング(村上ファンド)や福井総裁ネタが紙面やお茶の間をにぎあわせているようで、沢山儲けるとマネー・ゲーム扱いされてしまうような勢いです。

福井総裁がM&Aコンサルティングに1,000万円投資して、7年で2,470万円(内270万は途中で払い戻した?らしいですが、簡単のため)になって儲け過ぎだ!!!みたいなことが報道されていますが、これって年率13.8%で運用したってことですよね。(確かに年率13.8%は凄いけど)これってバッシングされるほどのことなのでしょうか?赤提灯に入り浸ってそうな顔の福井総裁をあまりいじめないで欲しいなあ。

ついでに言わせてもらえば、某政治家が、「庶民感覚とは違和感がある、かけ離れている」なんて宣っているようですが、
 
「あんたには庶民感覚があんのか?」と言いたいですねコンキチは。

世間では、リスク資産(主に株式)にお金を預けて(投資して)、(沢山)儲けるとマネー・ゲーム のレッテルを張られるようですが、そうであるならば市場に株券を供給している全株式公開企業はマネー・ゲームの一翼を担っていることになりませんかねえ?社員の平均年収が1,567万円のフジテレビジョン<4676>、平均年収1,462万円の日本テレビ放送網<9404>、平均年収1,443万円のTBS<9401>、平均年収1,357万円のテレビ朝日<9409>のマスゴミ各社の社員の方々は、何を思って報道に携わっているのでしょうか(見識を疑いたくなります)?資本主義(株式市場)を否定するんですか?(日本は社会主義国かもしれませんが)

一般サラリーマンの皆様だって、あなたの年金の一部は株式で運用されているんですよ。じゃなけりゃ、虫眼鏡で見なければわからないような低金利下で、年率5.5%の運用益なんて出せる訳無いでしょ(もっとも最近ではうまく運用できていないようですが...だから、積立て不足があったり、確定拠出年金やハイブリットプランが台頭してくるのです)。

因みにコンキチの勤務する会社では、厚生年金基金(東京薬業厚生年金基金)、適格退職年金、退職一時金といった退職後の
オプションがあります。この中で、厚生年金基金の資料が一番アクセスしやすいので、それを例にとってみると、東京薬業厚生年金基金の年金資産の基本資産配分は、
国内株式/ 25%
外国株式/ 20%
国内債券/ 30%
為替ヘッジ外国債券/ 25%
となっています。
つまり、年金試算の45%(半分弱)が株式で運用されているといった計算になります。

株で儲けて(運用益を出す)ことがマネー・ゲームだったら、一般サラリーマンは、マネー・ゲームを利用して年金をGETしようとしているに他なりません!!!

つまり、
あなたも立派なマネー・ゲーマーです!!!

貧乏人が金持ちを妬む気持ち、僻む気持ちは分からないでもありませんが、自分の立場をわきまえた発言をするのが社会人というものです(ブツブツ文句言うヤツは、株の含み損があるヤツかなあって気がしますが)。

(コンキチは、所詮しがない二流大学出の貧乏サラリーマンなので、上の発言はあまり気にしないで下さい。)

2006年6月18日日曜日

歯車となるも、犬となるなかれ

コンキチはサラリーマン(研究員)です。
サラリーマンとは、己が労働力 or abilityによって創造される知価の供与と引き換えに会社からお金をGETする商売です(とコンキチは考えています)。

よく巷では、
「会社の為」とか
「私の会社」といった
会社に力強く人生をフルコミットするような発言をよく耳にします。

堺屋太一流に言えば、そこには堅牢な「職縁社会」が形成されており、会社は”従業員のもの”といった根拠薄弱(というか全く無い)な主張が垣間見えます(株式会社の場合、その発生の歴史や仕組みを鑑みれば、どう考えても理屈では会社は株主のモノ以外の何者でもないでしょう)。

その様な環境では、
a) 「会社の(利益の)為」なら(バレなきゃ)法を犯してもいい
b) 仕事が期日までに終わらないので(「会社の為」に)遅く迄残業します。
さらには、
c) 「私の会社」の繁栄のために、仕事をお家に持ち帰り、サービス残業致します。
みたいなことが生じることでしょう。だって、会社は人生の一部になってしまっているのだから、そりゃー(逮捕されない程度に)何だってやると考える輩も出てくるでしょう。

事実、コンキチの就社している会社では↓
i) 土日も出勤してくる(気難しい)上司がいます。
ii) 会社で使っているソフトウェアを不正コピーしまっくっていました。
iii) 自発的にサービス残業してる人もいます。
iv) お仕事お持ち帰りも、(一応、会社資料は持って帰れない決まりなので)会社には内緒で、見かけますね。

でもコンキチはそんな所行にはっきり言って吐き気がしますね、気持ち悪くて。
ゴーイングコンサーンたる企業はにとって、従業員はほんの一時の取り替え可能な歯車でしかないのに、自分勝手な誠意が会社に通じるなんていう保障はどこにもないにもかかわらず、「会社の為に」 と勝手に称して「企業戦士」、「モーレツ社員」ぶるのは変質的のようにコンキチには感じられます。しかも、そういう人達はその行為が自分の労働力を安売りしていることに気付いていないのです。

いいこちゃんになる気はさらさらありませんが、
まずaによってあげた利益はズルしてあげた利益です。はっきりいってズルは卑怯です。反社会的です。
次に、bに関しては
無能な
サラリーマンの自己満足(自慰)に過ぎませんね。しかも割増賃金ドロボウです(低い効率で高い時間給を得ている)。
そしてc「自分の時間を犠牲にして(無給で)そこまでしますか?」とあきれます。ズバリ、マゾヒストですね。

上述したような方々は会社のですね。自我を捨て去り、己が精神の全てを会社に捧げる大日本会社教の信者の如しです。カルト宗教の信者が宗教に(ありもしない)自分の支柱を見いだすのに似ている気がします。まるで、会社こそ我が人生(の全て)とでも言い出しそうです。ちょっと異常な感じがしますが、でも、意外とこういう人って周囲にけっこういませんか?(気のせいだったらスミマセン)

そもそも人間の追い求めるものは、「自分の人生を如何に楽しく謳歌するか」ということに尽きるとコンキチは思います。コンキチには、会社にフルコミットすることが必ずしも人生を豊かにするとは思えません。リタイアした後、やることがなくなり、人生の目的を見失い、生気を失って一気に老け込むオヤジにはなりたくないものです。

「サラリーマンとは、己が労働力 or abilityによって創造される知価の供与と引き換えに会社からお金をGETする商売」(よく労働組合=大日本賃上教とかは賃金は労働の対価であるという)なのですから、「会社の為に頑張る」のではなく。「提供する労働力 or abilityによって創造される知価と給料の金額をバランスさせることに注力する」ことが正しい人々の姿だとコンキチは思います。それが健全な経済活動だと思います。

人の人生は短く、一生の中で個人が出来ることは非常に限られていると最近富みに思います。大方の人は、現状の生活を維持する為の日銭をGETする為に、サラリーマンとして自分の時間の多くを消費していることとと思います。ただでさえ、多くの時間を会社で費やしているのですから、必要以上(労働力=給料)に自分の時間を会社に捧げる行為は、経済合理的でないばかりか、人生を謳歌するために与えられた時間を無為に浪費することに他なりません(とコンキチは思います)。

「会社の歯車となるも、犬となるなかれ」

コンキチはこう思いますね。

2006年6月15日木曜日

オセロな人々

人間だれしも、社会に出てゆけば不合理な場面に出会う機会にはことかかないでしょう(多分)。

勤め人ともなれば、より権力を掌握している上位職位の人々(上司)からの
訳分からない
指示に右往左往することは日常茶飯事かもしれません。

しかし、それを嘆いてはいけません。だって、サラリーマンの仕事は
「正しいことをする」のではなく、
「上司が満足することをする」
ですから。

以前、こんなことがありました。

<以下回想>
秋は夕暮れ。酒宴の席での話。

コンキチの勤務する会社には、超意味の無いな研究会(という名の報告会)があって、酒の席で、コンキチは部長に

コンキチ 「だれも何も(意見を)言わないし、部門長に研究テーマの進捗状況を報告するだけで超意味ないじゃないですか。そんなの月報読んでもらえば事足りるじゃないですか。そんなくだらない無駄なものは止めて、もっと建設的なディスカッションができるテーマで会議をしましょうよ。例えば、実機(工場)で流れているtraget moleculeの製造プロセスを解剖して、工程改善(プロセス・イノベーション)の議論をしましょうよ」

部長 「ん~、研究会(という名の報告会)は(人事考課の)査定に使ってるから止めれないんだよ」

コンキチ 「唖然」&馬鹿かテメー(心の中の叫び)

<回想終了>

「会議=査定の場」なんですって。この話を聞いた時は正直言って、そのアホさ加減に笑えましたが、しばらくして、「俺の勤務してる会社ってそんな下んないことに悠長に時間を使ってるアホアホな会社なんだ」と思い背筋がちょっぴり涼しくなりました。

おい部長!会議って(何らかの)意思決定の場だろ!!
査定をしっかりしたいなら、MBOとCompetencyで管理してくれ!!!

それから半年後。「無駄な会議を見直せ」という社長の指示が社内を駆け巡りました。
ほどなく、件の研究会(という名の報告会)は無くなりました。

しかも、無くなる時に言い訳が傑作です↓

「プレゼンテーション技術の向上のために研究会を実施してきましたが、(皆さんのプレゼンスキルも上がってきたので)その役目は十分果たせたと思います。よって、今後研究会を取りやめます」
(プレゼンに関するレクチャーなんて無かったし、ヘタクソはヘタクソのままだよ。)

みたいな内容のメールが配信されました。

まあ、

「研究会(という名の報告会)は無駄だって社長に言われたからやめます」

なんてことは言えませんからね。

結局は。部長、課長、室長とかいっても所詮しがない中間管理職な訳で、彼らも更に上位職位の人間の(訳分からないかもしれない)指示に従っているだけですからねえ。さらに言えば、コンキチの勤務する会社の様に、某王手大企業の子会社の社長だって、親会社の意向に従わなければなりません。しかも2年×2期で交代していきますし。

以上勘案して、オセロの石の様に上(上位職位)からの指示で、舌の根の乾かないうちに方針や指示がころころと変わったとしても不愉快に思ってはいけません。そんな指示を出すオセロな上司だって、さらに上からの命令で仕方なくやっているだけなのですから。しかも、社長でさえも親会社で本流に残れなかった人にあてがわれるポストに過ぎないのですから、長期的な戦略なんてものは期待してはいけません。だって、4年(2年×2期)で辞めていくんだから。サラリーマンとはそんなオセロの様に覆される指示に「ハイハイ」と言って従うことにより給料(Cash)をGETする職業なのですから。