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2006年12月15日金曜日

マネロン入門

最近発売された、橘玲著「マネーロンダリング入門」を読了しました。

本書では、近年発覚したマネロン事件の内幕が、門外漢にも分かりやすく、スリリングに展開されていて、この手の本にしては、めずらしく興奮してしまいました。

密かにコンキチは、橘氏の著作や、氏と関連の深い「海外投資を楽しむ会」の著作(「ゴミ投資家シリーズ」、「小富豪シリーズ」とか)を読み漁っています。

それらの本には、(特に橘氏の単独名義のものには)声を大にして放言するにはいささかはばかられるような「本当のこと」が赤裸々に描かれているようにコンキチには思えます。

例えば、本書は著者あとがきは、

「いつの時代でも、理想や正義を声高に語る人の後をついていくとろくなことはない。この本に書いたのは、たとえば、そんな単純な真理である。」

という言葉で締めくくられています。

コンキチはこのフレーズに、人生におけるリアルを感じざるをえません。

「正義」、「理想」、「宗教」といったものは、結局は我々人類が(勝手に)生み出した幻想に過ぎないと思うし、政治は所詮妥協の技術に過ぎないと感じています。

「自由」なんていう言葉も、この世に生を受けた時点で、その国に束縛される現実を鑑みると、空虚な響きがします。

高邁な理想を声高に謳うのは気分がいいかもしれませんが、そういうヤツに限って二律背反する事象を、口当たりのいいフレーズにのせて喋っているだけで、矛盾を孕んだ幻惑の呪文を詠唱しているように感じてなりません。

コンキチがぶつぶつ文句を言いながらも、(一応)研究員を続けているのは、虚構の蔓延るたまゆらなこの世界にあって、少しでも真実らしいものを見出したいからなのかもしれません。

今日はちょっと沈んでいます。

2006年12月3日日曜日

知財を志向してみる

知財・特許業務マニュアル〈上巻〉」という本を読んでみました。


社会に出て、企業の研究員として働き始めてから7年半。恥ずかしながら、この間コンキチは知的財産権に関して殆ど無知であり続けました。まあ、ここしばらくアウトソーシング引受隊として働いているので、知価を生み出すようなことは全然していないからという言い訳はありますが、仮にも研究員である者がこんな様ではいただけません。

ということで、ちょっと知財について勉強してみますかということで、上記書籍を読んだという次第です。

で、この本の感想なんですが↓
1) あんまり上手い文章ではない(っていうか意味が通じない箇所もある)
2) 結構誤植がありますね
3) 戦略的なノウハウの保全(先使用権の確保)が重要
4) 発明(によってもたらされる製品)のマーケットボリュームの予測、製品寿命の予測が大事
5) 他社の知財を戦略的に有効利用すべき
6) 他社の特許権侵害は把握できるか?ということを考えるのは重要

構成は2部構成で、第1部は特許権の基本的な約束事の説明で、第2部はより実務的手続きの解説になっています(第2部の続きが〈下巻〉に続きます)。

第1部は退屈な文章が延々と続いていきますが、第2部はちょっと戦略的な話も入ってきて少し楽しめます。コンキチはこういった類いの本を読んだことが皆無であるので、なんとも評価し辛いところがあるのですが、はっきりいって読む価値はあったと思います。

とりあえず、「〈下巻〉」も買って読んでみようかと思っています。

2006年11月18日土曜日

製薬業界のラスト サムライ

わかりやすい人事が会社を変える」という本を読了しました。


この本は「勝ち組企業の成果主義」の姉妹本(とコンキチは思っている)です。著者は武田薬品工業の元人事部長(専務まで上り詰めた)で、タケダの十余年に渡る構造改革を記した著作です。

出版された順番は、「わかりやすい人事が会社を変える」(2001年5月)→「勝ち組企業の成果主義」(2003年6月)なのですが、コンキチは逆の順に読了しました(「勝ち組企業の成果主義」は2年くらい前に読了済み)。

勝ち組企業の成果主義」は紙面の全てを成果主義のあり方=従業員の処遇制度に費やしていますが、「わかりやすい人事が会社を変える」は、武田薬品の構造改革への道程が綴られていて、興味深いものがありました。

特に、本書では、当時の社長である武田國男氏(現会長)に関するエピソードがけっこう出てくるのですが、その部分に最も興味をそそられましたね。武田國男社長(現会長)の「意志の強さ」、「業績が悪くないときのも危機意識を持つというセンス」、「遂行力」、「理念」がひしひしと伝わってきました。失われた10年と揶揄される時代に、武田薬品が地道に粛々と改革の種を育てることができたのも、武田國男社長のなせる技だったのだと思います。コンキチが不勉強なだけかもしれませんが、武田國男会長が名経営者としてフォーカスされたことが印象に(全然)亡いのですが、本書を読んで、はっきり言って名経営者だとコンキチは思いました。

高い地位にあって、自らを率先して律することのできる、希有な人物だという印象を受けましたね。探せば、ひとかどの人物とはまだ世の中にいるのだなあと久しぶりに素直にフレッシュな気持ちになったコンキチでした。

まあ、本書は経営サイドから見たものなので、その点を割り引いて考えなければならないと思いますが、そういった部分を差し引いて武田國男はひとかどの人物だと思います。そして、自社の改革の内幕と、人事制度改革のノウハウを世に広くさらけだすことを許す武田薬品は懐の広い会社だと感じました(っていうかノウハウだけ知っても到底真似できませんが.....)。

同書をコンキチの会社の社長をはじめ、役員、管理職に読ませたいと思う、二流大出の窓際研究員でした。

2006年10月10日火曜日

企業が魅力的であるために

Harvard Business Reviewのバックナンバー

「P. コトラーのマーケティング論」
(2004年2月号)

を読んでいます。

その中で、マネジメントの父と呼ばれるピーター F. ドラッカー(Peter F. Drucker)の表題の論文が載っていました(ちなみにコンキチはドラッカーの著作を読んだことはありません)。

発表時期は1965年11月と(とっても)古いのですが、その中で論じられていることは、21世紀が到来した現在にあっても、考えさせられること請け合いだとコンキチには思われました。

例えば(左:ドラッカ−の論文の小見出し、右:コンキチが現在の企業に思うこと)

1) 昇進の制限→先がつかえていると昇進できない。昇進待ちの人間のためにポストをつくる。
2) 手応えに欠ける仕事→大学院(我が国の最高学府)をでているのに、さして頭をつかわない仕事しかしていない現実。
3) 研修制度の陳腐化→会社の用意した研修で役に立った試しなし(良質な本を読んでた方が全然まし)。
4) 知的幻滅→ロジックよりも、いわゆる「いつか来た道」が大事。

等々

最近愚痴っぽい、二流大卒のなんちゃって研究員の独白でした。

2006年10月2日月曜日

「ものづくり」の戦略モデル

業種/製造業の会社に勤務する、なんちゃって研究員のコンキチです。

最近、コンキチが購読している某メルマガの影響でHarvard Business Review(以下HBR)を読み始めています。

同雑誌に対するコンキチの率直な感想は↓

かなりレベルが高い

と思います。

以前は、
日経ビジネスAssocieや、日経ビジネスPRESIDENTといった雑誌を読んでいたのですが、HBRとは内容に天と地程の開きがあると思いました(広告が多すぎで、矮小な内容も多く、変にライターの個人的思想を刷り込むような内容が鼻につくんですよね)。

とまあ前置きはこれくらいにして本題に入ります。


先日HBRの8月号を読了したのですが、その特集が製造業のイノベーションでした。一製造業会社員として感じることがあったので、そのメモがてらブログってみたいと思います。

1) コネクト・アンド・ディベロップ(C&D)戦略
P&Gが展開するコネクト・アンド・ディベロップ(Conect & Develop)戦略という、系統だった、コラボレ−ションからインベーションを生み出すシステム。アイデアを生み出しても、自社にそのアイデアを実現するだけのリソースが(完全には)無い場合、それを補完するリソースを外部に求め、開発コストと時間を節約するイノベーション・モデル。自社に足りない技術的リソースを見つけ出すことを常態化しているところが凄いと思いました(といっても社内のイノベーションを疎かにしているわけではない)。

そういえば、何年か前に読んだ「キヤノン高収益復活の秘密」にも似たようなことが書いてあったような気がします。確か、昔のキャノンはなんでも自前主義でやろうとしていて、研究開発費が嵩む割には利益につながらなかった。で、「何でも自前主義」を改めることで(他社の技術的リソースを導入)、製品開発の速度が上がり、高収益体質になったというようなことが書いてあったと思います(うろ覚え)。


P&Gはそういった行動をシステムに組み込んでいることが凄いのだと思いました。

あと思ったのが、こういうC&Dが有効に機能するのは、P&Gが強力な財務基盤を擁していることに加えて、B to Cビジネスにおける強力な販売チャネルをおさえている(牛耳っている)からかなと思いました。つまり、

a) 強力な財務基盤が無いと、こいういったシステムを構築しようと思う心の余裕が出てこないと思う
b) 製品は結局P&Gの商品として上市されるわけで、P&Gを介さなければ製品を販売しCASHを回収することは不可能だし、P&Gというブランド力は絶大(だと思う)。しかも、プロジェクトはP&G発であり、圧倒的に主導権を握り易い立場にあると思う。

ということです。研究開発型の企業であっても、企業の目標は、技術の自己満足(自慰行為)ではなく、利益を生み出すことなのだとしみじみ感じた論文でした。

2) イノベーション・エコシステム
定義は

「複数の企業がそれぞれ持てるものを提供し合い、一つのソリューションにまとめて顧客に提供するコラボレーション」

だそうです。本論文の言葉を借りれば、

「ガソリンや高速道路(といった補完的イノベーション)が整っていないことろにフェラーリ(というエクセレントな技術
を備えた製品)を売り込むことはできない」

ということで、

本論文でのアップル・コンピュータiTunes Music Storeの例が分かりやすかったかなと思います。

デジタル著作権の管理に対するソリューションやブロードバンドネットワークのいった補完的イノベーション普及を待つという「機が熟すのを待つ」戦略が成功をもたらしたという話です。

相互補完関係を必要とする技術を売るときは、補完関係にある他社技術の普及・整備がクリティカルになる場合があるということです。良い技術であれば売れるというわけではなく、その技術を活かす基盤が整備されていなければ、顧客はその技術を買っても、宝の持ち腐れとなるばかりになるということで、技術の独りよがりは禁物ということでしょうか。

3) スマート・サービス
ITを駆使してハードにネットワークを組み込み、様々なサービスをタイムリーに提供する機会をとらえ、顧客を囲い込む戦略。はっきりいって、コンキチの従事する化学工業には適用不可な戦略だと思いますが、製造業であっても「サービス」で利益を挙げるという考えが興味深かったです。

こんなところが、一製造業の研究員がちょっと思った所感です。

化学の本ばかり図書館に揃えすに、こういった一流の経営雑誌を購読した方が、研究員の利益に資する効率的研究に役立つのではないかととても思う最近のコンキチです。

(でも、殆どの人は読まないでしょうけれど)

以上、二流大卒のなんちゃって研究員の独白でした。


2006年9月10日日曜日

群衆心理

久しぶりに、読んでいると超絶眠くなる本を読みました。その本の名は「群衆心理」。ここまで眠くなったのは、平野啓一郎の「日蝕」以来です。何故こんな本を読んだかというと、コンキチがWatchingしているWeb Siteでこの本を紹介していて、ちょっと興味をそそられたからです。

さて、この「群衆心理」という本は、群集の愚かさを謳った書籍で、

群衆の精神は種族性に大きく支配されている
群衆は付和雷同する
群衆は暗示を受けやすく、白痴的
群衆は理屈よりもイマージュ(心象)に影響される
群衆は支配されることを望んでいる
群衆こそがムーブメントを起こす

といったことがひたすら述べられています(多分)。ただ、著者がフランス人で、フランスを中心としたヨーロッパの歴史的事件を引き合いにだして群集の行動を述べているので、世界史の勉強など殆どしたことのないコンキチには、イメージの湧きにくい内容でした。それから、かなり古い本なので、訳文が現代人には堅いかなと思いました。Scientificな例証がなされていなかったりするような気がするのですが、直感的に「それって、あるある!」と感じることは多々ありました。

コンキチのような会社勤めのサラリーマンは、会社組織の中で形成される様々な群衆に気が付くでしょう。例えば、会議中に、労働組合の中に、プロジェクトの中にに、あなたの職場に。そして、これら群衆は時として「何故?」と言いたくなるほど白痴的でおまぬけな決定を行いませんか?

本書を読むことによって、そういった事象を「群衆だから仕方ないよね」といった感じで、鷹揚な大きな気持ちで許してあげることができるようになるでしょう。

とりあえず、眠れない夜には、富に有効性を発揮する本であることは、身をもって体感することができました。



2006年7月31日月曜日

中村修二という生き方(2)

先日図書館で借りた、「中村修二の反乱」という本の感想の続きです。
(注: 著者は中村さんではありません。ただの物書きです)

この著書の中で、中村氏のとある講演が取り上げられていて、
氏は、
1) 学校教育(とりわけ我が国の大学受験に係るシステム)と大学の有り様がダメダメ
2) 日本の社会の至る所に蔓延している政治力に辟易。
3) 研究者の待遇もダメダメ。

という主張をしています。

氏の専門分野は応用物理学らしいですが、コンキチの(一応)専門である有機化学でも同様のことに心当たりがあります。以下、コンキチが企業の研究員となるまでの道のりを中村氏の主張と、なんとなく、オーバーラップさせながら展開していきたいと思います。

1) 教育
学校教育には、受ける側、カリキュラム、教える側(教師)のそれぞれに大きな問題があるとコンキチはみています。

a) 受ける側の問題:
「我が子にはよりSteadyな道を歩ませたいという親のエゴ」と、「いい大学(旧帝大)→エリート(生活は安泰)」といった神話とが相まって、いい大学に入ることが最大の目標になってしまったことに学生の質の低下に係る問題があると思いますね。所謂学歴至上主義でしょうか?この流れが受験戦争やお受験なんていう不毛なモノを生み出してしまったのだと思います。これで、大学に入学することが目的化しちゃって、入学後のキャンパスライフは遊び惚けちゃうんですよね。受験で燃えつきちゃうんですよ、多分。で、卒業できる程度の必要最低限の努力しかしない。その結果学生のレベルが下る。でも。ある程度卒業させてやらないと後はつかえるし、学校の評判にも影響するので、卒業の審査を甘くして大体は卒業させてやる。こんな感じで、なんの専門性も持たない人材が世に輩出されていくのです。この現象は特に文系に多いように見受けられます(教育学部は教員免許取得したいというドライビング・フォースがあるのでまだマシです)。コンキチが在籍していた大学では、経済学部と教養学部があったのですが、それぞれ「ヒマ経」、「無教養学部」と揶揄されていました。
あと、受験戦争熱は、特に無学な親にこの傾向が強いとコンキチは感じています。今でこそ大学全入時代なんて言われてますが(くだらない私大が結構ありますが)、コンキチの親の時代なんかは、まだまだ大卒者は少なく、自分が苦労しているのは学が無いからだという、幻想に近い学歴コンプレックスがあるんだろうと思います。話を聞いてると、大学を出てない人(夫婦)は、子供の教育に熱心ですから。単純な費用対効果を考えれば、大学への過剰な期待は禁物だと思うのですがね。
純粋な中村氏は、こういった点については言及していませんでしたが、けっこう由々しい問題だと思います。

b) カリキュラムの問題:
我が国の高校、大学のカリキュラム設定はかなり最悪です。なぜなら、社会生活に必須という訳でもなく、自分が全く興味のない科目でも、ある程度履修しなければ先に進めない仕組みになっているからです。例えば、高校で習う古文・漢文。コンキチは古文&漢文の勉強したことはZEROでした(中間・期末テストは教科書ガイドを丸暗記していました)。  あと、理科もくせ者です。高校理科は「物理」「化学」「生物」「地学」から構成されていますが、それぞれの関連性は必ずしも高くはありません(特に地学は皆無)。にも関わらず、大学受験で「理系」の学部を狙う場合は、複数の理科科目を選択しなければならない学校が多々あります(少なくともコンキチが受験生の頃はそうでした)。ちなみにコンキチは応用化学科卒ですが、「物理」「生物」「地学」はさっぱり分かりません(こんなのばかりだから大学生の学力低下が問題になっているのかもしれませんが)。そして極めつけは社会ですね。特に歴史なんかは、メジャーな出来事の名称、年号、偏った歴史観という愚にもつかないことを教えられ、あまり有益とは言い難いです(はっきり言って「花の慶次」を読んだ方が為になります)。
また、逆もありきで、経済学部で数学が受験科目に無いのも気にかかります。だって、経済に数学は必須でしょ? (しかも、数学は実社会で役に立つ数少ない科目ですし)。
ここまでは、大学以前の話ですが、大学のカリキュラムもなかなかの腐敗っぷりです。まず、一般教養とうのがクセものです。自分の進んだ学部・学科の専門外(全然関係ない)の授業をある一定数以上を履修しなければならないという制度です。まあ、専門だけに偏らす、より視野を広げましょうという感じのお題目で、そのような制度が存在するのだと思うのですが、そんなのはおべんちゃらですね。中村氏も、大学に入れば自分の好きなことがおもいきりできると思っていたのに騙された、とこの制度には辟易していたようです。理想を掲げるのは勝手ですが、ひとりよがりなお題目を強要するのはよくないと思いますね(別に自由意志で専門外の科目を履修するのは良いと思いますが)。自分に全く興味のないことを強要されることとで、ある一分野で尖った才能を持つ人材がやる気がそがれるようなことがあれば、それは重大な機会損失ですよ。そもそも、より多くの知識を広く吸収しようなんていう高邁な精神を持った学生はそんなにいないと思うし(きっと)。

c) 教える側(教師)の問題:
理科離れをなくす法(化学篇)でも述べましたが、(特に)小学校や中学校の先生は皆文系です(かなり独断と偏見がはいってます)。ということは、数学と理科が嫌いな(できない)人間が、チビッコに数学と理科を教えることになります。あなたは、自分が嫌いなものの楽しさを他人に教授することができますか?このことは、我が国の科学技術戦略上の重要な欠陥であるとコンキチは切に思います。さらに、あなたの子息・子女を教えている担任が、数学嫌いだったら目もあてられません。よく数学は四則演算さえできれば社会に出て不自由しない。四則演算以外は実社会に必要ないという発言を耳にしたことがありますが、それは全くのウソです。少なくとも数列はファイナンス(借金)の初歩の初歩で必ず必要になります。最近巷では、住宅ローンの借り換えなんかが流行っていますが、excel等のSpreadsheetと簡単な数列の知識さえあれば、借り換えによる効果を簡単にシミュレートできます(但し、手数料等は別途確認が必要でうが)。最もファンダメンタルな学問であるmathematicsが苦手だなんていう教師予備軍には免許を与えないようにしまければ、青少年の未来は拓けません。

2) 政治
社内政治に関しては、ビジネス書や島耕作なんかに譲るとして、学術の政治について書きたいと思います。
中村氏が国内のJournalに論文を投稿しようとした際、ずっとはねられ続けたそうです。というのも、レフリーがそのスジの所謂"大家"だったらしく、中村氏が論文中で大家の論文をリファレンス(参考文献)として参照していなかったので"大家"がへそを曲げてRejectし続けたということらしいです。アメリカ至上主義という訳では決してありませんが、我が国にこういった非常に稚拙な事例が我が国に存在することは残念です。しかも、これと似たようなことは、他の学術分野にも、程度の差こそあれ存在します。
コンキチが身を置く有機(合成)化学の世界では、二大勢力があります(少なくともコンキチはそう思っている)。一方はノーベル化学賞を受賞した 野依良治先生率いるの「野依派」。もう一方は日本でいち早くタキソールの全合成に成功した向山光昭先生の「向山派」。ちなみにコンキチは、一応「向山派」です(研究内容はかなり亜流といわれていましたが)。で、コンキチが今就社している会社に「向山派」の同期(こちらは正統派です)がいるのですが、彼の出身研究室では、雑誌会である学生が野依先生の論文を発表したら、超怒られたという話を聞きました。コンキチの研究室ではそこまで露骨なことはありませんでしたが、コンキチの指導教授は野依先生のことをあまり快く思っていませんでした。
このように、あらゆるフィールドで村意識を発揮するのは、日本人の特性であり、我が国のお国柄といってしまえば簡単ですが、物事の本質からかけ離れた政治に労力を消費するのは非建設的であるばかりで、研究員のモチベーションを低下させることにしか役立ちません。

3) 「研究」の価値
よく「賃金は労働の対価」という言葉を耳にします。で、コンキチが勝手に思っているだけかもしれませんが、「研究員の労働とは知価を創造すること」であるのに対して、「世間一般の労働とは(ルーチンワークに費やした)労働時間」であるように感じます。まあ、研究の価値なんて愚鈍な一介のマネジャーなんかには評価できないし、こと企業に関しては、研究の成果は、その成果を基盤として造った製品が利益を出すことによってはじめて認識されるのでなかなかリアルタイムに報いることは難しくなります。あと、分業化が進んでいる昨今、研究→製品化プロセス構築→生産→販売といったパスを経るうちに、元の研究の成果のインパクトは希薄化してしまいます(つまり、あんた一人で利益をあげたわけではないでしょということ)。
あと、如何に優秀な研究員といえども、種々の要因によって、目覚しい成果を挙げることなく研究員生活を終えてしまうというリスクが伴います。「じゃ、あんたはあんまりぱっとした成果を挙げれなかったから給料もちょとだけしか支給しないね」というのでは、人生安心して生活できません。
以上、研究成果の評価が難しいことに加えて、研究成果と給料をあまりにリンクさせすぎると、成果ZEROだったときは給料が激減しちゃって生活できないよぉという不安が相まって、「じゃあ給料は安定支給するから、その額はほどほどにね」ということになったんじゃないかとコンキチは考えています(っていうかそこまで複雑じゃなく、ただなんとなくっていうのが本当のところかもしれませんが)。だからといって、コンキチの勤務している会社のように、我が国の最高学府を出ても、歳が同じなら、給料もだいたい一緒というのでは、実際モチベーションは上がりませんがね。

以上はコンキチの個人的な体験と偏見に基づいたものですが、中村氏も上記みたいなことに辟易してアメリカにぴゅーんって行っちゃったみたいです。

世界でも希有な才能を持つ一人の科学者が、日本独特の慣習に基づくしがらみを断ち切って、新天地(アメリカ)で新たな研究に取り組という人生のスタイルは、清々しささえ感じます。一人の力(自分の才能)を信じ(実際、中村氏の場合は実力も裏打ちされていますが)、飄々と生きていくという姿は、凡人には眩しくい映り、自分も斯くありたいと痛切に思います。はっきり言ってカッコいいですよ。しかしながら、そういった生き方を許されるのは、才に明るく、不断の努力を怠らない、ついでにちょっと運がいい人間に限られます(偏見ですかね?)。

某二流大出の二流研究員で、やる気も下降曲線で、研究よりもスコッチが好きというコンキチには望むべくもありません。

でもちょっとここで考えてみて下さい。

我が国「日本」は、世界第2位の経済大国にして、治安も優れ、伝統があり、豊かな四季を持ち、食を文化と語り、ロジスティクスも発達している世界で最も豊かな国です。

そんな恵まれた国に生まれた我々日本人が、

言葉の壁を越え、不味いメシに我慢し、不慣れな習慣や慣習に慣れていかなければならないという苦行を乗り越えてまで海を渡るモチベーションが湧いてきますか?

まあ、普通の人はそんなリスクを犯さないでしょう。当然、日本酒が世界で一番ウマい酒だと信じ、日本人は肉なんか喰わないで、世界で一番ウマい魚だけた食べていればいいと(かなり本気で)思っているコンキチは愛する日本を離れる気は皆無なのです。

ということで提案です。
コンキチのようにやる気を無くし、モチベーションが低下しまくった、そこそこの専門性を持った研究員は、
1) 会社を自分の知的好奇心を満たす場として活用し、
2) サラリーマンの不労所得である有給休暇を力強く活用し、
3) 必要最低限の労力のみを仕事に費やし、
4) 精神を豊かにする文化的なものと親しみ
人生を謳歌する施策の構築に励みましょう。

コンキチは
酒(全般)、読書(ミステリ)、証券取引(知的ギャンブル)、育児(我が子は可愛いんです)、下駄(ジャパニーズ・トラディショナル・シューズ)、腕時計(趣味です)を楽しみ、毎月1日(映画の日)は会社を休んで劇場で映画を観ることにしています(1,000円で観れます)。

以上、本日も他愛のない二流大出のなんちゃって研究員の戯言でした。

2006年7月22日土曜日

中村修二という生き方(1)

先日図書館にコンキチの愛読雑誌であるプレジデントを借りにいいった折、


中村修二の反乱」という本が偶然コンキチの目に飛び込んできました。

中村修二・・・高光度青色LEDを世に送り出した希代の科学者

分野も全く違い、彼は天才、コンキチは
盆栽
凡才ではありますが、希有な研究者を題材にした書籍に、同じ自然科学に携わるものとして、一抹の興味を持つことを禁じざるを得ません。

ということで、借りちゃいました。
で、読んでみた感想はというと、
1) 中村修二の講演内容が少々
2) 大半は著者の感想
といった内容で、ダメダメな本ですね。

中村修二の講演内容は、彼が直接語った事柄で、何かをやり遂げた者が持つ、含蓄や言葉の重さ、真理が感じられてとてもGOODでした。
でもそれはこの本のほんの一部分で、大半は、単なる物書きの感想文といった感じにしかコンキチは受け取れませんでした。

ということで、自腹を切って買う価値無し!図書館等で借りたり、アマゾンマーケットプレイスやBOOK OFFで格安で購入するのがベターでしょう。

でも、中村修二の語った部分だけま読む価値があります。

そして、中村氏の主な主張は

1) 学校教育、とりわけ我が国の大学受験に係るシステムと大学の有り様を批判しています。
2) 日本の社会の至る所に蔓延している政治力に辟易しているようです。
3) また、研究者の待遇にも言及しています。

なんちゃって研究員のコンキチも彼の主張にはある種のシンパシーを感じました。

実感として、大学受験が目的化していることはかなり覆すことは難しいように思うし(だから合格すると勉強しないで遊んじゃうんだよね)、象牙の塔や実社会にも学閥や横並び意識や必要以上に人を立てるということが間々あるように思いますし、我が国の最高学府を出た研究員もそこいらのブルーカラーやホワイトカラーと給料一緒ですから。モチベーションが上がりませんよ、はっきりいって。

あと、中村修二の本を読むんだったら、氏自らが著した



の方が断然オススメだと思います。

今日は疲れたので、後日続きを綴りたいと思います。

2006年7月16日日曜日

理科離れをなくす法(化学篇)

昨今我が国では、青少年をはじめとする国民の「科学技術離れ」「理科離れ」が指摘されている
(文部科学省Web Siteより)

ようです。

コンキチは、個人的には、「理科離れ」なるものは憂慮に値するとは考えていません。だって、量より質が大事ですから。「理科がお気に入り」程度の使えない人材を多数世に輩出したところで、科学技術立国なんて夢のまた夢ですよ。

コンキチが就社している企業は所謂「化学」に分類されるセクターに属する企業なので、化学系研究員(理系)が沢山います。しかも、使えないのがいっぱい(はっきりいってコンキチも使えません)。だから先進的な1流の研究はおろか、2流の研究(普通の研究)さえもできていません。R&DはPDCAサイクルを回すことが重要だと思うのですが、コンキチの所属する会社ではDO! DO!!DO!!!のみキック(とりあえず実験しろっていうスタンスです)で結果オーライ(3流の研究)です。

あと、化学系の学部や大学院(修士)を出ても、フリーターや異業種で働いているヤツ(大学の同期とか)も結構います。こういった現象は、インプットの数に対してアウトプットの数が足りてないことの証左ではないでしょうか?

さて、身も蓋もない話はこれくらいにして、以下どうすれば「理科離れ」を解消することができるかについて考えてみましょう。

ところでそもそも論なのですが、「理科離れ」は実際に進行しているのでしょうか?コンキチは現在31歳ですが、コンキチが若いころも文系優勢な学校環境だったように思います。「理系」「文系」が顕在化するのは(少なくともコンキチの世代は)高校です。で、コンキチが高校生だったころ、1学年は全部で6クラスあって、その内「文系」4クラス、「理系」2クラスで力強く文系優勢な環境でした。このことから、「理科離れ」が進行しているのではなくて、元来理科系より文科系の方が優勢で、今も変わらず続いているのではないかというのがコンキチの独断と偏見による意見です。

「理科(自然科学)離れ」の進行の真偽はあやしいとコンキチは睨んでいますが、今回はおいておきます。とりあえず理科系は少数派であるという(多分)事実は存在しているようなので、どうして人々は理科(自然科学)に興味(好奇心)をあまり示さないのかということについて考えてみたいと思います。以下、思いつくままにその要因らしきものをコンキチの独断と偏見により二、三挙げてみたいと思います。

まず第1に思い浮かぶのが、学校の先生は皆「文系」だからダメだということです。チビッコに理科(自然科学)の楽しさを伝え、理科に対する興味を喚起することが、将来の理系人口を増やすために有効であるというなら、教師(特に初等教育に携わる)は、チビッコに理系の楽しさを享受できる絶対的な役割を果たすことになります。となると絶望的な現実が目の前に現れます。それは教員養成課程なんていうのは理系の人間が行くところではないからです。そこは、自然科学とは無縁な or 興味のない or ついていけない文系の園なのですよ。つまり、理系の楽しさを理解できない文系教員は、理系の魅力をチビッコに伝導することはできないのです。
修士号以上の学位を持つ教師を増やすなんていう策を提言する輩もいるようですが、教育学部の修士なん所詮文系なんだから意味ありません。

次に理科に必要な論理思考は面倒くさいというのも人々を理系から遠ざける要因であるようにコンキチは思います。
コンキチが社会に出てから(会社に就社してから)感じたことですが、社会は論理思考よりも感情を優先するきらいがあるようです。典型的な理系思考である論理思考は、データを集め、読み、再構築し、新たな着想を創造しなければならず、ちょっと面倒です。はっきりいって、感情で適当に判断して意思決定する方が、時間もかからず楽チンです(その正否は保証されませんがね)。水が高きより低きに流れる様に、人も面倒くさいことから楽チンなことに逃れようとするのが大勢でしょう。となると、論理思考を要求される理系を人々が敬遠するのは自然なことなのかもしれません。

我が国の行政は、「科学技術・理科大好きプラン」と称して、効果のあやしい施策を行っているようです。コンキチはこんなうっとおしい企画はさっさと止めた方がいいと思いますが、政府も、世間で騒がれている「理科離れ」に対して、何らかの施策を施しているところをアピールしなければ、世間の風当たりが強くなるのでいたしかたないのかもしれません。
そもそも、「理科に対して興味を持たせる」という発想がダメダメだと思いますね。文部科学省のWeb Siteでは、

「科学技術に対する志向を高めていくことが重要」
「理科好きな児童生徒を増やすため」
「科学技術・理科に対する関心を高め」

なんていうことが謳うわれていますが、

「科学技術に対する志向が(自発的に)高まっていくこがと重要」
「理科好きな児童生徒が(自発的に)増える」
「科学技術・理科に対する関心が(自発的に)高まる」

ことが重要なのだとコンキチは思います。
志向・興味・関心を高める(増やす)ためにはどういう施策をぶつかというのではなく、
志向・興味・関心が高まる(増える)ような環境をどう用意すればいいか
なのだと思うのですが.....

あまりウマく言えてないですが、人からあーだこーだ言われてやらされるのではなく、自らの自由意志に基づいて興味を持たなければ意味がないと思うのです。他人から与えられたかりそめの意識の高揚は、持続性があまり期待できず、長期的にみて消失してしまうのがオチではないでしょうか?人からヤレっていわれたことを、あなたは長く続けられますか?

さて、以上まとめると、
1) 「文系人口 > 理系人口」これを「文系人口=理系人口」くらいにしたい(?)
2) 学校の先生は皆「文系」だからダメダメ
3) 理系は論理思考が必要。でも面倒くさい
4) 自発的に理科に興味を持つことが大事

とりあえず、理系人口を増やしたいけど、学校の教員に期待するのは無理そうで、社会も理系思考を素直には受け入れ難い状況。自発的に理科(自然科学)に興味を持たせるにはどうしたらいいの?っていうところでしょうか。

こうなると、解決策は
チビッコが自発的に手に取ってみたくなるような分かりやすく、興味深い、良質な書籍に頼るしかないとコンキチは考えます(「わたしは本を読まないけどどうしてくれるの?」なんていう戯けた人は本質的理系に向いてないと思うので却下します)。

こと化学に限って言えば、

日本化学会化学・意表を突かれる身近な疑問

こいつ↑を小学校の適当な時期に一人一冊配ってやれば、政府の施策なんかよりもよっぽど多くのチビッコ達が理科に食いついてくるに違いありません(この本に食いついてこないチビッコは、本質的に理系には向いてないと思うので、そういう児童には心置きなく文系に進んでもらいます)。

さて上記本のコンテンツは
1) 台所の疑問
2) 食卓の疑問
3) 身近な道具の疑問
4) 部屋まわりの疑問
5) 街の疑問
6) 自然界の疑問
7) からだの疑問
8) 身づくろいの疑問
9) 外食・おやつの疑問
10) あやしい話への疑問
という10章からなり、息子(推定小学生)の疑問にお父さんが答えるとういう形式で話が進んで行きます。
具体的には、

「コンビーフの缶詰は、なぜあんな形なの?」(台所の疑問)
「黒鉛筆は消しゴムですぐ消せるのに、色鉛筆はなぜ消しゴムで消しにくいの?」(身近な道具の疑問)
「昆布はなんでダシが海水に溶け出さないの?」(食卓の疑問)
「お酒を飲むとなんでラーメンを食べたくなるの?」(外食・おやつの疑問)

といったチビッコが疑問に思いそうなトピックスに対して、お父さんがScientificにバシッと回答していきます。一見子供っぽいお題ではありますが、けっこう本格派です。
はっきりいって、

大人も買いです!

2001年ノーベル化学賞受賞の野依良治先生も(多分)激賞です。
(帯にコメント書いてたし。2002年度の日本化学会会長だし。この本は日本化学会編だし。)

少しでも興味をもった方は、まあ騙されたと思って買ってみて下さい(ちなみに上記画像をClickして購入していただけると、コンキチはAmazon.co.jpからお駄賃をGETすることができます)。あなたの子息・子女は明日から理系になること間違いなしです(結果は保証いたしかねますが)。

以上、「理系の文系」と揶揄される化学系研究員のコンキチの讒言でした。


2006年6月29日木曜日

WEB 2.0

いつもネガティブなBlogばかり書いているコンキチですが、たまにはポジティブな話題を.....

コンキチが普段Watchingしている複数のWeb Siteで激賞されている本があったので読んでみました。



ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる

です。

久しぶりに、こういうビジネス書系の本で興奮してしまいました。Webの膨大な可能性が垣間見える凄い本です。

コンキチがインターネットにはじめて触れたのは、10年前の1996年。大学4年のときで研究室に配属された年です。Windows3.1から飛躍的にGUIが向上したWindows95(といっても所詮Mac OSの模倣ですがね)発売の翌年で、我が国でパーソナル・コンピュータなるものがコモディティ化する潮流が目覚め始めたころだったと思います。
コンキチがいた大学は首都圏の(二流)国立大学(余談ですが、300MHzのNMRが東大のお下がりだった)だったのですが、当時としてはかなり充実した通信インフラが整備されていましたが、それでも現在に較べて通信速度は死ぬ程遅く、10年でここまでインターネットの使い勝手、サービスが進化するとは夢にも思っていませんでした。

そこから10年、Webの世界でも「ムーア時間」で時間が流れ、インターネットの通信インフラが指数関数的に整備されるとともに、情報までの到達速度が驚異的に速まり、その取得コストが著しく押し下げられ、Webを介した知の集積がじわじわと展開されているように思います。そして、集積された知を効率よく取捨選択するツールがGoogleなのかもしれません。

本書ではWeb 1.0からWeb 2.0へとWebサービスが進化していくプロセスが描かれており、
Web上ではREAL世界とは異なった特有の現象が存在することが詳述されています。

例えば、「ムーアの法則」「ロングテール現象」「チープ革命」「オープンソース」とか

あと、REALな世界では技術(テクノロジー)や知価(情報)の囲いこみにより、収益を確保するのに対して、
Webの世界では技術(テクノロジー)や知価(情報)の開放により、爆発的にリーチを増やし、薄く広く収益を確保するビジネスモデルが成立することに、正直驚きを隠せませんでした。

そして、Web 2.0時代のtoolとして、「Blog」「SNS(コンキチはSNSにはやや懐疑的)」「Wikipedia」「AdSense」「AWS」が紹介されています。

そして、インターネット空間では情報を取得するのみならず、個人が世界に情報を発信する障壁がゼロになっているという現実と、ビジネスのローコストオペレーションが可能になると説きます。

多分間違っていると思うのですが、コンキチは、
Web 1.0→Webを利用した、囲い込みによるサービスの提供
Web 2.0→ロングテールの追求。Web上での知の集積(共有)をベースにして、そこから新たな知価を創造するためのサービスー(nearly無限大)×(nearlyゼロ)=広く薄く=Somethingーの提供
なのかなと感じました。

ちなみにコンキチはGoogleの提供する以下のサービスを利用しています。
Google Spreadsheets(限定テスト)
Google Calendar
Blogger

このいずれもが、Web上での情報(知)の共有を前提に設計されており、知の共有によるシナジーを期待させるサービスであるように思います(但し、コンキチは全然使いこなせていませんが)。

はっきりいって、Googleのガリバーっぷりがいやでも際立ちます!!!

さて、万年五月病で、常に(仕事に対して)ヤル気Nothingのコンキチですが、一応、化学に携わっているモノの端くれで、お仕事は化学工業です。力強くREAL世界に存在する化学工業(製造業)では、サイバー空間の無限の恩恵をあまり活用できそうにありませんが、限定的であっても

「知の集積と、その集積された知を利用した新たな知の創造」

くらいはなんとかできるんじゃないかと考えています。

例えば、OrganicSynthesesの記事検索・閲覧サービスや、 PubMedの文献検索サービスなんかの無料サービスは、Web上で集積された(化学に関する)知を引き出す有効なtoolになっていると思います(無料だし)。そして、最近使い始めたのですが、Google Scolar、これ結構凄いと思います(特に日本語で検索すると結構PDFがヒットしてくる感じ)。

でも、コンキチの周囲では、STNみたいな有料検索サービスは良く使っているんですが、上記サービスを活用している人は見かけないので、まだまだminorityな存在なのかなあとちょっとガッカリです(無料なのに&けっこう使えるのに。しかもSTNよりユーザーフレンドリーだし)。

あと、WikiとかBlogとかを社内(ローカル)で構築できたら、けっこう凄いtoolになると思います。(社内の)色々なキャリアを持っている人の「知」が集積されますから!あくまでも知の創造は、REALな実験を通して最終的に確認されますが、WikiとBlogの相互徹底利用は新たな「知」を創造する為のseedsを育てるプラットホームになり得るんじゃないかなんて思ったりもします(理想論ですかね?)

でも、これって社内の大勢が「自発的に情報を発信してやろう」っていう強烈なモチベーションが前提に無いと上手く機能しないように思いますけどね(っていうか、立ち上げることさえ難しいでしょう)。結構めんどうくさいし。

特に保守的な環境では、こういった比較的新しい試みを導入するのは困難かもしれませんね(研究員は新しいモノを創造するのが仕事のハズですが。ちなみにコンキチは超保守的です)。

でも、グローバルにWeb 2.0の潮流が展開して、いづれはネットの「あちら側」を介したインタラクティブな仕組みが世間に広く受け入れられることを期待してやみません。

以上、某二流大学出の貧乏研究員の寝言でした