2006年7月16日日曜日

理科離れをなくす法(化学篇)

昨今我が国では、青少年をはじめとする国民の「科学技術離れ」「理科離れ」が指摘されている
(文部科学省Web Siteより)

ようです。

コンキチは、個人的には、「理科離れ」なるものは憂慮に値するとは考えていません。だって、量より質が大事ですから。「理科がお気に入り」程度の使えない人材を多数世に輩出したところで、科学技術立国なんて夢のまた夢ですよ。

コンキチが就社している企業は所謂「化学」に分類されるセクターに属する企業なので、化学系研究員(理系)が沢山います。しかも、使えないのがいっぱい(はっきりいってコンキチも使えません)。だから先進的な1流の研究はおろか、2流の研究(普通の研究)さえもできていません。R&DはPDCAサイクルを回すことが重要だと思うのですが、コンキチの所属する会社ではDO! DO!!DO!!!のみキック(とりあえず実験しろっていうスタンスです)で結果オーライ(3流の研究)です。

あと、化学系の学部や大学院(修士)を出ても、フリーターや異業種で働いているヤツ(大学の同期とか)も結構います。こういった現象は、インプットの数に対してアウトプットの数が足りてないことの証左ではないでしょうか?

さて、身も蓋もない話はこれくらいにして、以下どうすれば「理科離れ」を解消することができるかについて考えてみましょう。

ところでそもそも論なのですが、「理科離れ」は実際に進行しているのでしょうか?コンキチは現在31歳ですが、コンキチが若いころも文系優勢な学校環境だったように思います。「理系」「文系」が顕在化するのは(少なくともコンキチの世代は)高校です。で、コンキチが高校生だったころ、1学年は全部で6クラスあって、その内「文系」4クラス、「理系」2クラスで力強く文系優勢な環境でした。このことから、「理科離れ」が進行しているのではなくて、元来理科系より文科系の方が優勢で、今も変わらず続いているのではないかというのがコンキチの独断と偏見による意見です。

「理科(自然科学)離れ」の進行の真偽はあやしいとコンキチは睨んでいますが、今回はおいておきます。とりあえず理科系は少数派であるという(多分)事実は存在しているようなので、どうして人々は理科(自然科学)に興味(好奇心)をあまり示さないのかということについて考えてみたいと思います。以下、思いつくままにその要因らしきものをコンキチの独断と偏見により二、三挙げてみたいと思います。

まず第1に思い浮かぶのが、学校の先生は皆「文系」だからダメだということです。チビッコに理科(自然科学)の楽しさを伝え、理科に対する興味を喚起することが、将来の理系人口を増やすために有効であるというなら、教師(特に初等教育に携わる)は、チビッコに理系の楽しさを享受できる絶対的な役割を果たすことになります。となると絶望的な現実が目の前に現れます。それは教員養成課程なんていうのは理系の人間が行くところではないからです。そこは、自然科学とは無縁な or 興味のない or ついていけない文系の園なのですよ。つまり、理系の楽しさを理解できない文系教員は、理系の魅力をチビッコに伝導することはできないのです。
修士号以上の学位を持つ教師を増やすなんていう策を提言する輩もいるようですが、教育学部の修士なん所詮文系なんだから意味ありません。

次に理科に必要な論理思考は面倒くさいというのも人々を理系から遠ざける要因であるようにコンキチは思います。
コンキチが社会に出てから(会社に就社してから)感じたことですが、社会は論理思考よりも感情を優先するきらいがあるようです。典型的な理系思考である論理思考は、データを集め、読み、再構築し、新たな着想を創造しなければならず、ちょっと面倒です。はっきりいって、感情で適当に判断して意思決定する方が、時間もかからず楽チンです(その正否は保証されませんがね)。水が高きより低きに流れる様に、人も面倒くさいことから楽チンなことに逃れようとするのが大勢でしょう。となると、論理思考を要求される理系を人々が敬遠するのは自然なことなのかもしれません。

我が国の行政は、「科学技術・理科大好きプラン」と称して、効果のあやしい施策を行っているようです。コンキチはこんなうっとおしい企画はさっさと止めた方がいいと思いますが、政府も、世間で騒がれている「理科離れ」に対して、何らかの施策を施しているところをアピールしなければ、世間の風当たりが強くなるのでいたしかたないのかもしれません。
そもそも、「理科に対して興味を持たせる」という発想がダメダメだと思いますね。文部科学省のWeb Siteでは、

「科学技術に対する志向を高めていくことが重要」
「理科好きな児童生徒を増やすため」
「科学技術・理科に対する関心を高め」

なんていうことが謳うわれていますが、

「科学技術に対する志向が(自発的に)高まっていくこがと重要」
「理科好きな児童生徒が(自発的に)増える」
「科学技術・理科に対する関心が(自発的に)高まる」

ことが重要なのだとコンキチは思います。
志向・興味・関心を高める(増やす)ためにはどういう施策をぶつかというのではなく、
志向・興味・関心が高まる(増える)ような環境をどう用意すればいいか
なのだと思うのですが.....

あまりウマく言えてないですが、人からあーだこーだ言われてやらされるのではなく、自らの自由意志に基づいて興味を持たなければ意味がないと思うのです。他人から与えられたかりそめの意識の高揚は、持続性があまり期待できず、長期的にみて消失してしまうのがオチではないでしょうか?人からヤレっていわれたことを、あなたは長く続けられますか?

さて、以上まとめると、
1) 「文系人口 > 理系人口」これを「文系人口=理系人口」くらいにしたい(?)
2) 学校の先生は皆「文系」だからダメダメ
3) 理系は論理思考が必要。でも面倒くさい
4) 自発的に理科に興味を持つことが大事

とりあえず、理系人口を増やしたいけど、学校の教員に期待するのは無理そうで、社会も理系思考を素直には受け入れ難い状況。自発的に理科(自然科学)に興味を持たせるにはどうしたらいいの?っていうところでしょうか。

こうなると、解決策は
チビッコが自発的に手に取ってみたくなるような分かりやすく、興味深い、良質な書籍に頼るしかないとコンキチは考えます(「わたしは本を読まないけどどうしてくれるの?」なんていう戯けた人は本質的理系に向いてないと思うので却下します)。

こと化学に限って言えば、

日本化学会化学・意表を突かれる身近な疑問

こいつ↑を小学校の適当な時期に一人一冊配ってやれば、政府の施策なんかよりもよっぽど多くのチビッコ達が理科に食いついてくるに違いありません(この本に食いついてこないチビッコは、本質的に理系には向いてないと思うので、そういう児童には心置きなく文系に進んでもらいます)。

さて上記本のコンテンツは
1) 台所の疑問
2) 食卓の疑問
3) 身近な道具の疑問
4) 部屋まわりの疑問
5) 街の疑問
6) 自然界の疑問
7) からだの疑問
8) 身づくろいの疑問
9) 外食・おやつの疑問
10) あやしい話への疑問
という10章からなり、息子(推定小学生)の疑問にお父さんが答えるとういう形式で話が進んで行きます。
具体的には、

「コンビーフの缶詰は、なぜあんな形なの?」(台所の疑問)
「黒鉛筆は消しゴムですぐ消せるのに、色鉛筆はなぜ消しゴムで消しにくいの?」(身近な道具の疑問)
「昆布はなんでダシが海水に溶け出さないの?」(食卓の疑問)
「お酒を飲むとなんでラーメンを食べたくなるの?」(外食・おやつの疑問)

といったチビッコが疑問に思いそうなトピックスに対して、お父さんがScientificにバシッと回答していきます。一見子供っぽいお題ではありますが、けっこう本格派です。
はっきりいって、

大人も買いです!

2001年ノーベル化学賞受賞の野依良治先生も(多分)激賞です。
(帯にコメント書いてたし。2002年度の日本化学会会長だし。この本は日本化学会編だし。)

少しでも興味をもった方は、まあ騙されたと思って買ってみて下さい(ちなみに上記画像をClickして購入していただけると、コンキチはAmazon.co.jpからお駄賃をGETすることができます)。あなたの子息・子女は明日から理系になること間違いなしです(結果は保証いたしかねますが)。

以上、「理系の文系」と揶揄される化学系研究員のコンキチの讒言でした。


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