昨日(7月1日、映画の日)、M:i:IIIを鑑賞してきました。ご存知、トム・クルーズ主演のスパイ映画の第3弾なわけですが、期待を裏切らない面白さで、コンキチは超満足でした。
主人公のイーサン・ハントは、IMF(Impossible Mission Force)の超腕っこきのエージェントで、絶対無理だろっていう任務を次々とこなしていきます(フィクションなんでなんでもありです)。時には超絶ピンチに陥ることもしばしばですが(アクション映画にピンチはつきものですから)、その都度不死鳥の様に復活を遂げ、大逆転劇を演じ、最終的には勝利を掴み取ります。
さて、何故彼は幾多に渡る過酷な任務を常に全うし、成功し続けることができるのでしょうか?
「主人公なんだから(最終的に)勝つのは当たり前じゃん」なんて身も蓋もないことを言ってはいけません。そこには成功に至る迄の重要なエッセンスが隠されているのです。そして、そのエッセンスはおそらあく研究員が研究活動に従事し、成果を導きだすサクセス・ストーリーにも通じるところがあるのです。
エッセンス1_努力
成功の陰には必ず努力が存在します。あまりに成功の光の部分が強すぎると、努力なんていうドロくさいものは見えなくなってしまいがちですが、「成功とは厳然たる努力の賜物」なのです!!!
例えば、イーサンは、人を欺く変装技術を身につけていますが、これは超緊張状況下(バレたら殺される)での強力な演技力が要求されます。生半可な鍛錬では身に付くものではないでしょう。圧倒的な体術は、気の遠くなるほどの研鑽と反復練習が無ければ、超緊張状況下のイザというときに力を発揮することは出来ないでしょう。銃器を扱うテクニックも同様です。さらに、読心術や多言語にも精通し、物理学にも深い造詣を持っています。メチャメチャ勉強しているハズです。こういった常日頃からの努力・研鑽が、実践でモノを言うのです(きっと)。但し、膨大な鍛錬の成果が発揮されるのは、ほんの僅かな時間でしかありません。そのため、「努力すんのはメンドクセーなあ」なんて思う人のいるかもしれませんが、努力無くして何も為し得ることはできません。
我々研究員も、不断の知の蓄積を怠らずに継続していくことによって、膨大な知が集積させます。その集積から、一握りの綺羅星たる成果が導きだされるのです。知の蓄積の無い者に、知価を創造することは決してできません。
不断の鍛錬を怠ったエージェントには死が訪れ、知の蓄積を怠った研究員は何の成果も出せずに仲間内から馬鹿にされるのです。
エッセンス2_信頼
人類の作り出した最も偉大な発明の一つが「分業」です(おそらく)。いくら超人的な人間であっても、個人で身につけらえる能力というのは限界があるし、一人で一度に出来るタスクも限られています。よって、それぞれの専門的な特殊技術をもつ複数の人間がタスク・フォースを組んで協同的にタスクに取り組むことにより、効率的・補完的にタスクを遂行することができ、スペシャリストのシナジーが発揮されることでしょう。M:i:IIIでも、イーサンをリーダーとするスペシャリストチームが、それぞれのメンバーの持つ一流のスキルを駆使してイーサンを的確にサポートして、不可能ミッションを完遂していきます。ただここで注意しておかなければならないことがあります。そこには強烈な「信頼」関係が存在しているということです。チーム内に信頼関係がなければ、自分に命運を他人に預けなければならない不可能ミッションにおいては、心に動揺が生まれ、心に隙ができます。隙が露になれば、そこを敵に突かれます。
研究活動においても、タスクチームのメンバー内で、信頼に足る能力・データ・人間性が十分に担保できなければ、ちゃんとやっている人のモチベーションが低下します。ついでに、信頼できないデータがプロジェクトの根幹部分に組み込まれてしまった暁には、目も当てられない状況に陥ることは火を見るより明らかでしょう。また、信頼できない上司の下では、部下は十分なモチベーションを維持することは困難になるでしょう。モチベーションの低下は業務効率の低下を意味します。
タスクフォース内に信頼関係を醸成できないエージェントには死が訪れ、信頼関係を構築することのできない研究チームは、業務効率が低下し、仕事が遅々として進まず、他部署から馬鹿にされるのです。
エッセンス3_精神
最後の最後まで絶対に諦めない精神。これが、任務必達成の必要条件です。「不撓不屈の精神」というヤツです。諦めたらそこでTHE ENDですが、諦めなければそこから道が開ける可能性はZEROではありません。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という捨て身(自暴自棄ではありません)の精神が、死中に活を見いだすチャンスを作るのです。 要は信念と覚悟が重要だということです。
研究活動においてもこの精神は重要です。諦めることを知らない飽くなき探究心こそが、新たな発見を生み出す原動力となるのです。
諦めたエージェントには死が訪れ、諦めた研究員は何の成果も出すことができず、仲間内から馬鹿にされます。
勿論、間違った努力や無駄な努力は全く意味を成しませんし、人を見る目が無ければ、信頼しても裏切りの憂き目にあうこともあるでしょう。そして、最後まで諦めない精神を具備していたとしても必ず成果がえら得るとは限りません(自然科学に従事する者は、自然の法則には逆らえませんから)。
物事の是非を判断する的確な目を養うことも、努々忘れてはなりません。
以上、昨日まで、作中のIMFを「International Monetary Fund(国際通貨基金)」だと思っていたお馬鹿な二流大卒のコンキチの日記でした。
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2006年7月2日日曜日
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