2010年9月20日月曜日

PDCAは金科玉条か


ランチにパスタをいただいてみました。これ、野田市のパスタ (780 JPY)っていう名前で、醤油モロミを使用した一品だそうです。
-Rating- ★★★★☆
はっきり言って美味しいんですが、銀杏にも似たソースの香りはかなり野趣的で食欲をそそるものの、若干紙一重的な臭気です。あと、しらがネギがとてもよい薬味になってますね


閑話休題


さて、なんか企業の研修とか、所謂ビジネス書チックな本を開くと、PDCAなんていう仮説-検証のフレームワークがよく紹介されます。で、ついでにそのプロセスの出来が良いので、金科玉条のように取り扱われている節が散見されるように思います。

ちなみに、このブログでもPDCA cycleに言及した記事を書いたこともあります↓
see
http://researcher-station.blogspot.com/2006/07/blog-post.html
http://researcher-station.blogspot.com/2006/06/blog-post.html


でも、最近思うんですよね、「PDCAってそんなに言うほど重要か?」って。

実際、フレームワークっていうのは良く出来ているものが多いと思うし、コンキチもファイブ•フォースとかSTPとか好きです。でも、何年か前からPDCAにはなんか違和感を覚えています。

多分、PDCAっていうプロセスがあまりにファンダメンタルなものだからそう感じるのかなって思うんですよ。要は、思考プロセスという人の知性に係るあまりに根幹的なところにフレームワークを適用することにより、思考方法の思考停止が起きるんじゃないかななんて考えています。

っていうか、フレームワークってなんだかんだ言って抽象的思考を補完するものでしかないじゃないですか。抽象的思考が難しいからフレームワークに頼るんだよね。そもそも、フレームワークって抽象的思考から導きだされた汎用性の高い考え方の型だと思うんだよね。

で、PDCAに話を戻すと、このフレームワークは仮説(Plan)と検証(Check)のプロセスと思うんですが、そのプロセス自体は良いと思います。でも、その目的っていうのは、仮説(Plan)の確度や精度を上げることじゃないですか?だったら、「より高度な抽象的思考により、最初の仮説(Plan)の段階でその確度や精度を上げた方が手っ取り早くねえ?」とか、「ローパワーなPDCAってトロ過ぎるよね」とか思うわけなんですよ。

なので、コンキチは抽象的思考を鍛えて行きたいと思います。


2010年9月12日日曜日

メディカル•エンターテインメントの粋

コンキチが心酔している作家、海堂尊の小説(2冊)を読んでみました。

まずは、「ブレイズメス1990」。この作品は桜宮年代史のはじまりを飾る「ブラックペアン1988」の続編で、キーパーソンは、世良雅志医師(東城大学付属病院, 後に極北クレーマーで病院再生請負人として登場)と、神の手を持つ天才心臓外科医•天城雪彦医師(多分、須磨久義医師がモデル)。

ストーリーは、モンテカルロで優雅な医師生活を送っていた世界的な天才心臓外科医•天城雪彦モンテカルロ・ハートセンター外科部長が東城大学に招聘され、心臓血管専門病設立を依託されたことに端を発する。天城医師の医師ライフは優雅でゴージャスであり合理主義。ある意味拝金主義に近しい印象をも受け、我々庶民が抱いている医師像とはひどくかけ離れている。はっきり言って、大学病院であくせく働く医師にとっては破壊神だ。高階講師(田口•白鳥シリーズでは病院長)との「医療と金」に関する医療観のせめぎ合い、日本初の天城医師にしかできない独自技術による公開手術といったイベントを経て、心臓血管専門病院「スリジエ・ハートセンター」設立への道は続編へと引き継がれていきます。 

で、感想ですが、この作品の醍醐味っていうのは、「医師(医療)の価値」に関する表現を堪能することなんじゃないかなとコンキチは感じました。ボクたちって、お金の話とかするとすぐ金に汚い的な発想をしがちなような気がしますが、生きていく為には金が必要だし、経済問題は国家の重要課題です。医師っていうのは、秀才で、高度な専門知識が必要とされ、新しい技術をキャアッチ•アップしていかなければならないと思います。要は、知識集約•労働集約的職業と思います。それなのに、最近のニュースでは、一部の美容整形外科医を除いては、医師の報われないニュースしか聞こえてこないような気がします(特に地方医療の現場のドキュメントでは)。

ところで、豊かな先進国「日本」では、医療っていうのは至極当たり前に提供されていると皆が感じているように感じます。そして、病気や怪我は根治するのが基本で、出産は安全に子供が生まれて来るのが標準というふうに考えられているのではないでしょうか?そう、「医師は聖人君主でなければならず、一片のミスも許されす、患者に奉仕しなければならない」っていう雰囲気が蔓延しているようにコンキチには感じられます。

つまり、愚鈍で怠け者でミスを良く犯す衆生は、自分のミスは棚に上げて、「医師」には決してミスは許さず、もしミスを犯したら徹底的に断罪し、怠け者な自分に奉仕させようとしていると言えるんではないでしょうか?はっきり言って、イジメに近しいですよ。コンキチには、正に医療は共有地の悲劇と化しているように思われます。

コンキチは、この作品の中で天城医師が発するこの言葉に対して、強くシンパシーを覚えます↓
医療は医療に専念すべし、などというしみったれた考えに洗脳され、医療とカネを分離しては、パラダイスは私たちのてのひらからこぼれおちていく。そして医療従事者は低額所得のブルーカラーへ転落し、自由と力を失っていくだろう

はっきり言って、有能で才能ある医師は、人生を満喫し、ウハウハする権利と義務があるとコンキチは思います。医師への道っていうのは、労が多いでしょう。また、獲得できる技術も希少なものだ。それなのに自由と力を引きはがされ、タイトな勤務スケジュールの中で疲弊していくだけしか道が無いのなら、若者は誰も医師(産科医、過疎地医療)への道を目指さなくなるでしょう。なんてね


お次は先週発売されたばかりの最新作「アリアドネの弾丸」。「チームバチスタ」の田口•白鳥シリーズの最新版になります。「ジェネラル・ルージュの凱旋」、「イノセント・ゲリラの祝祭」とミステリ色が薄くなってきたと囁かれてきましたが、本作は久々にミステリ色全開の作品になっていて、白鳥圭輔技官の独壇場です。しかも、彼のロジカル•モンスターぶりがシリーズ中、最も発揮されているのではないかと思います。

で、舞台は勿論、東城大学医学部付属病院。鍵となるのは高分解能MRI(Magnetic Resonance Imaging, 核磁気共鳴画像法)。テーマは司法と医療の対立&対決。要は、Aiを普及させされると困る勢力との決闘です。そして、事件は殺人事件。話はスピーディーでスリリングかつエキサイティング。正にメディカル•エンターテインメントの真骨頂と呼ぶに相応しい作品に仕上がっていると思いました。そして、死因不明社会へのアンチテーセでもある作品と思います。とってもオススメ。

ところで、海堂尊って現役の医師で、独立行政法人放射線医学総合研究所重粒子医科学センターで病院臨床検査室病理医長でAi情報研究推進室室長らしいんだけど、さらに超面白い小説を短期間でいっぱい書けるバイタリティーとプロダクティビティには、ただただ感服するばかりです。
(ちなみに、コンキチは海堂作品の中では「イノセント・ゲリラの祝祭」が一番好きです)

2010年9月11日土曜日

小沢一郎の器

最近、烏合の衆(民主党)の代表選が世間を賑わせているようですね。そんな折、こんな本を読んでみました↓

1993年に上梓された小沢一郎の著作「日本改造計画」です。

なんか巷では、この本の評判が結構良いらしいですが、はっきり言って基本的に駄本と思いましたね、コンキチは。確かに評価できる部分もあます。例えば、冒頭の「グランドキャニオンの柵」の話とか、自由貿易推進、法人税減税、規制緩和、官邸機能強化、労働市場の流動化(規制をかければ下々の者は、100%お上にひれふすことを前提にして制度設計しようとしている点も現実的ではないように思いました)、個人の税制、あと、一応「小さな政府」を標榜しているところでしょうか。但し、その他はちょっと思いつきの域を出ないような気持ちでいっぱいになります。

特に最悪なのが、地方分権及び地方の活性化策と思います。『全国を三百の「市」に』とかいって三百に市を基本自治体(市部と郡部、農業と工業、生産地と消費地、労働の場とレジャーの場、職場と住居を包含する)とするとかいう思いつきです。はっきり言って、それじゃー細切れにしすぎと思います。ついでに、東京の一極集中はもう限界とか言ってるけど、東京以外にも、大阪=名古屋、九州北部、広域札幌圏っていう経済圏があると思うんですが(確かに東京の集積度はピカイチだけど)。で、各地方に産業活動の分散をはかるそうです。危ういね。ポーター教授の産業クラスターの話とかフロリダ教授の都市社会学の話をお勉強した方がいいと思いました。大前研一も言うように、道州制の導入こそが望ましいと思うんですけど。あと、国立大学を地方に移すことも考えるべきとか言ってるけど、当時から各県に最低一つは国立大ってありますから。

それから、国連の指揮下にはいる国連待機軍とか、核を国連管理とかいう夢物語もやめて欲しいです(国連が絶対的正義になれるとでも思ってるんでしょうか)。

挙げ句の果てには、
ある著名なアメリカ人の識者が「私たちは日本人のようになりたくない」といっていた。そのときはムッとしたが、冷静に考えれば、当たり前だと思う。
とかいう自分の勝手な思い込みを前提に、日本人の豊かさはかりそめだみたいなこと言うのも止めて欲しいですね。
(っていうか、コンキチは日本の生まれてラッキーと思ってます)

あと、この本では、一見、「小さな政府」を志向しているように見えますが、必ずしもそうではないと思います。だって、地方への公共投資で内需拡大とか言ってるし、あと学校の教員を国家公務員に丸抱えしようとしてるし、そもそもの制度設計が破綻している年金制度(賦課方式)を強化しようとしているところもトリップしちゃってますから。

とまあ、ここまでは1993年という昔に書かれた本の内容に軽くツッコミを入れてみました。翻って、今現在の小沢一郎は何を言っているのか↓

a) 農家への戸別所得補償制度といった保護主義に走ったり
b) 地方自治体へは追加の徴税権ではなく、一括交付金の支給だという
c) 子供手当は満額支給で高速道路は完全無料化ですか

気がつけば、いつの間にか小沢一郎は「大きな政府」推進派に宗旨替えしてしまったようです。って本当か?コンキチの解は「否」です。ここでちょっと「日本改造計画」の上梓された時期をチェックしてみましょう↓


1992年   経世会の会長争い(権力闘争)で小渕恵三に敗れる
1993年5月 「日本改造計画」上梓
1993年6月 宮沢内閣不信任案が可決(羽田・小沢派ら自民党議員39名が賛成、16名が欠席する造反)→衆議院解散
1993年6月 自民党を離党し、新生党結成


どうですか?要は、小沢一郎は権力闘争に敗れて自民党の傍流となってしまった。そこで、自身のプレゼンスを高めるためのマーケティング•ツールとして、反対圧力が高くて自民党主流派が打ち出す事が難しいまたは実現困難な政策をあえて無責任に掲げた「日本改造計画」を上梓したとは考えられませんか?

そう仮定すると、小沢一郎は権力フェティッシュで、権力奪取のためには手段を選ばないという「解」がコンキチの脳裏に浮かび上がってきます。だから、「小さな政府」から「大きな政府」への転換も宗旨替えではなくて、プロモーション上そっちの方が都合がよさそうだっていうだけだと思います。

で、コンキチの結論です。小沢一郎の器は一国の宰相に器にあらず。でも、菅直人の器が小沢一郎以上とも思えないし、凄ぉくちっちゃな器と思われる宰相(宇野宗佑、海部俊樹、細川護煕、村山富市、森喜朗、安倍晋三 etc.)も沢山いましたからねえ。

まあ、どちらにせよ、カタストロフの足音が近づいてきたっていう印象を受けますね、コンキチは。

2010年9月5日日曜日

政治屋の偽術

こんなラーメン食べてみました↓

<CHABUTON>の野菜系らぁ麺 (780 JPY)です。
-RATING- ★★★★☆
spicyな香り。極細麺が好きです。塩味とスパイスの効いたあっさりスープ。あと、具は人参、筍、ベビーコーン、あつあつのプチトマト、パプリカ、里芋。


閑話休題


どうでもいいけど、最近テレビ観てると政治家(屋)が五月蝿いです。あいつら、自分が調子こいてるときは、派手なパフォーマンスと、無駄にデカい声で(根拠のない)歯切れの良い発言で自分をアピールするくせに、一旦都合がわるくなると、だんまりや話題のすり替えでごまかそうとして人として恥ずかしくないんですかね?

あと、彼等の政策論議では、絶対パワポとか使った分かり易く、洗練されたグラフィカルなプレゼン資料は出てこない(コンキチの知る限り)。まあ、へたなこと書いて、言質とられるのが嫌なんだろうと思います。はっきりいって、テレビ番組に限らず、彼等が政策論争するときは、パワポとかキーノート使ってプレゼンして、その資料は後日可及的速やかに自信のウェブサイトにアップロードして、公衆の面前にさらすべきと思いますね(それが、自分の政治的発言に責任を持つことと思います)。

結局、奴等がメディアでだらだらと抽象的な話しかしないのは、自分の不勉強さを隠すため、それからいつでも逃げれるようにしておくためとしか思えませんね。偽術として参考になるところはあるけど、政治屋さんには切に襟裳を正してもらいたいものです。

小沢一郎の偽術

こんなラーメンも食べてみました↓

<CHABUTON>のベーコンとズッキーニの洋風コンソメらぁ麺 (750 JPY)です。
-RATING-★★★☆☆
spicyで微かに酸を想起させる香り。あと、極細麺が好きです。野菜由来と思われる甘さが際立つスープで、表層が油が浮かんでいるためかoilyです。麺に対するスープの絡み具合は弱く感じる(根本的にスープのボディーが弱いのが問題か)。ライムがついてくるんだけど、ライムの絞り汁とのシナジーは全く感じられない。


閑話休題


今朝、菅直人と小沢一郎がテレビで話をしていたんだけど、小沢一郎って相当人が悪いね

自分も大したこと言ってないのに、菅直人の発言の後には必ず彼の発言を小馬鹿にしているような含み笑いを見せて、

小沢>菅


を視聴者に印象付けようとする偽術がコスいね

それにつけても、小沢一郎のさして根拠のない抽象的な発言に全然ツッコめていなかった菅直人に、コンキチはホントにプロ市民だったのかよというツッコミを入れたいくらいでした。やっぱ、菅直人にリーダーシップを期待するのは無理かな。ついでに、日本には「第二の道」なんて存在しないのに、その存在しないもの(まだまだ道半ばだった)を否定して、意味不明な「第三の道」なんか掲げてる時点で終わってるし、小泉政権下で「実は経済は成長してない」なんていうウソついて相当ヤバいと思うんですけど、このオッサンは。
(しょせんプロ市民は反対運動やってるときしか存在感示せないしね)

まあ、菅直人の考えってその支柱が間違ってるからだめなんだよね。っていうか、連合が支持母体じゃ無理か。
(そういう意味では、小沢一郎には民主党をぶっ壊すことだけは期待できるかな?)

2010年9月1日水曜日

Question 6

Question 最高にクールでカッコいい存在は何ですか?

Answer (特攻野郎)Aチームです

Question 5

Question 4年制大学を卒業した学生の就職率が低下していますが、どうしてですか?

Answer バカだ大学が乱立し、大学の定員が増えたためです。要は、「大学の定員増加 >> 企業の採用枠の増加」ということでしょう。

就職戦線異状有り! (2)

さっきのブログの続きだけど、

 今春の卒業生の就職内定率(3月末現在)が約8割にとどまる東北学院大。現在も求職中の卒業生の一人「今まで以上に多くの企業に応募できる」と期待する。現役学生にも緊急対策は朗報のようで、法学部4年の女子学生(22)も「就職浪人は学費が掛かる。卒業しても新卒者として就職活動ができるのはありがたい」と話す。



 東北大の男子大学院生(25)は効果に懐疑的だ。就職できずに修了を見送って就職活動を続けた経験を基に「新卒一括採用の慣行がなくならない中で、既卒者が就職活動を続けるのは厳しい」と強調。「政府の理念はいいが、企業が従うかどうかは疑問だ」とみる。

の間に知性の差を感じますね。


就職戦線異状有り!

こんな記事を見つけました

大卒者の就職難解消などを目的に、政府が卒業後3年以内の既卒者も新卒扱いとする緊急対策をまとめたことに対し、東北の学生からは歓迎する声が上がる一方で、実効性を疑問視する見方も出ている。雇用した場合の助成制度については「魅力が薄い」と言い切る企業もある。(河北新報, 2010年9月1日)
http://www.kahoku.co.jp/news/2010/09/20100901t72011.htm

それにつけても、政府はよくもまあおバカな政策を矢継ぎ早に策定できるね。「卒業後3年以内の既卒者も新卒扱い」って意味が分かんないんだけど。卒業年次みれば既卒か新卒かなんてあっという間に丸分かりでしょ。「みんな新卒扱いして厳正に審査した結果、採用したのはたまたま全て新卒でした。」なんていう採用担当者の声が聞こえてきそうです。

あと、「雇用した場合の助成制度」なんて超笑えますね企業が人を雇用するのにかかるコストがどれほど莫大か分かって言ってんのかね?端た金渡すから多めに人を採してよ(その後の膨大コストを負担してよ)なんて言われても、そんな話に聞く耳なんかもてないでしょう。

実際、

これに対して宮城県内のメーカーの採用担当者は「国の助成金も、人材を育てる経費を考えると魅力が薄い」。別の企業の担当者も「新卒者と比べてよほど優秀だと思えなければ、既卒者を採るメリットがない」と語る。

だそうですし。


要は、労働市場の流動化を促進する気のない現政権は、大企業の生産性の低いジジーやババーの味方ってことです。