2006年6月29日木曜日

WEB 2.0

いつもネガティブなBlogばかり書いているコンキチですが、たまにはポジティブな話題を.....

コンキチが普段Watchingしている複数のWeb Siteで激賞されている本があったので読んでみました。



ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる

です。

久しぶりに、こういうビジネス書系の本で興奮してしまいました。Webの膨大な可能性が垣間見える凄い本です。

コンキチがインターネットにはじめて触れたのは、10年前の1996年。大学4年のときで研究室に配属された年です。Windows3.1から飛躍的にGUIが向上したWindows95(といっても所詮Mac OSの模倣ですがね)発売の翌年で、我が国でパーソナル・コンピュータなるものがコモディティ化する潮流が目覚め始めたころだったと思います。
コンキチがいた大学は首都圏の(二流)国立大学(余談ですが、300MHzのNMRが東大のお下がりだった)だったのですが、当時としてはかなり充実した通信インフラが整備されていましたが、それでも現在に較べて通信速度は死ぬ程遅く、10年でここまでインターネットの使い勝手、サービスが進化するとは夢にも思っていませんでした。

そこから10年、Webの世界でも「ムーア時間」で時間が流れ、インターネットの通信インフラが指数関数的に整備されるとともに、情報までの到達速度が驚異的に速まり、その取得コストが著しく押し下げられ、Webを介した知の集積がじわじわと展開されているように思います。そして、集積された知を効率よく取捨選択するツールがGoogleなのかもしれません。

本書ではWeb 1.0からWeb 2.0へとWebサービスが進化していくプロセスが描かれており、
Web上ではREAL世界とは異なった特有の現象が存在することが詳述されています。

例えば、「ムーアの法則」「ロングテール現象」「チープ革命」「オープンソース」とか

あと、REALな世界では技術(テクノロジー)や知価(情報)の囲いこみにより、収益を確保するのに対して、
Webの世界では技術(テクノロジー)や知価(情報)の開放により、爆発的にリーチを増やし、薄く広く収益を確保するビジネスモデルが成立することに、正直驚きを隠せませんでした。

そして、Web 2.0時代のtoolとして、「Blog」「SNS(コンキチはSNSにはやや懐疑的)」「Wikipedia」「AdSense」「AWS」が紹介されています。

そして、インターネット空間では情報を取得するのみならず、個人が世界に情報を発信する障壁がゼロになっているという現実と、ビジネスのローコストオペレーションが可能になると説きます。

多分間違っていると思うのですが、コンキチは、
Web 1.0→Webを利用した、囲い込みによるサービスの提供
Web 2.0→ロングテールの追求。Web上での知の集積(共有)をベースにして、そこから新たな知価を創造するためのサービスー(nearly無限大)×(nearlyゼロ)=広く薄く=Somethingーの提供
なのかなと感じました。

ちなみにコンキチはGoogleの提供する以下のサービスを利用しています。
Google Spreadsheets(限定テスト)
Google Calendar
Blogger

このいずれもが、Web上での情報(知)の共有を前提に設計されており、知の共有によるシナジーを期待させるサービスであるように思います(但し、コンキチは全然使いこなせていませんが)。

はっきりいって、Googleのガリバーっぷりがいやでも際立ちます!!!

さて、万年五月病で、常に(仕事に対して)ヤル気Nothingのコンキチですが、一応、化学に携わっているモノの端くれで、お仕事は化学工業です。力強くREAL世界に存在する化学工業(製造業)では、サイバー空間の無限の恩恵をあまり活用できそうにありませんが、限定的であっても

「知の集積と、その集積された知を利用した新たな知の創造」

くらいはなんとかできるんじゃないかと考えています。

例えば、OrganicSynthesesの記事検索・閲覧サービスや、 PubMedの文献検索サービスなんかの無料サービスは、Web上で集積された(化学に関する)知を引き出す有効なtoolになっていると思います(無料だし)。そして、最近使い始めたのですが、Google Scolar、これ結構凄いと思います(特に日本語で検索すると結構PDFがヒットしてくる感じ)。

でも、コンキチの周囲では、STNみたいな有料検索サービスは良く使っているんですが、上記サービスを活用している人は見かけないので、まだまだminorityな存在なのかなあとちょっとガッカリです(無料なのに&けっこう使えるのに。しかもSTNよりユーザーフレンドリーだし)。

あと、WikiとかBlogとかを社内(ローカル)で構築できたら、けっこう凄いtoolになると思います。(社内の)色々なキャリアを持っている人の「知」が集積されますから!あくまでも知の創造は、REALな実験を通して最終的に確認されますが、WikiとBlogの相互徹底利用は新たな「知」を創造する為のseedsを育てるプラットホームになり得るんじゃないかなんて思ったりもします(理想論ですかね?)

でも、これって社内の大勢が「自発的に情報を発信してやろう」っていう強烈なモチベーションが前提に無いと上手く機能しないように思いますけどね(っていうか、立ち上げることさえ難しいでしょう)。結構めんどうくさいし。

特に保守的な環境では、こういった比較的新しい試みを導入するのは困難かもしれませんね(研究員は新しいモノを創造するのが仕事のハズですが。ちなみにコンキチは超保守的です)。

でも、グローバルにWeb 2.0の潮流が展開して、いづれはネットの「あちら側」を介したインタラクティブな仕組みが世間に広く受け入れられることを期待してやみません。

以上、某二流大学出の貧乏研究員の寝言でした

2006年6月24日土曜日

労働組合という名の宗教

コンキチの勤務している会社は労使間でユニオン・ショップ協定を締結しています。つまり、基本的に「管理職以外の従業員は皆組合員」でなければならないということです。これは入社と同時に強制的に労働組合に加入させられることを意味し、「組合に加入しない権利」を侵害しているとも思うのですが、ウィキペディアで軽くリサーチしてみると、「憲法は団結権の保障に特別の意味を与え、個々の労働者の組合に加入しない自由よりも労働者の生存の基盤となる組合を強化することを優先していると見るべきであるから、労働協約や労働法制においてユニオンショップ制を採用しても憲法に違反しない」ようなので、これを覆すのは不本意ながらかなり難しいと思われます。

ということで、労働組合嫌い(多分、世界一組合嫌いかも)なコンキチも、やむなく組合員をやっています。当然、目を付けられたくないので、表面上は従順な組合員を演じていますが.....

そもそも何故コンキチが組合嫌いかというと
宗教的
全体主義的
共産思想
に侵されているからです(キット)。

コンキチには労組という集団がカルト宗教的にしか見えません。

コンキチの思う労組の気持ち悪いところ
1) 自己批判は皆無。「自分達(執行部)の思想はは全てにおいて正しい」ということが前提で成り立っている。→これって異常じゃないですか?あなたは自分が100%常に正しいと言えますか?

2) 強制的に組合費を巻き上げる→ユニオン・シュップ協定により、給与天引きで自動的に私有財産を没シュートすることができます

3) (労働)組合の素晴らしさを皆で教育する。組合があるから、賃金UP↑や労働条件の向上が実現すると盲信し、その思想を刷り込む。洗脳ですか?→交渉力のある人間や、ハイパフォーマー、人生を達観している人には無用の長物でウザイだけ。団体交渉権の存在意義は全否定しないが、それをユニオン・シュップ協定により、全ての非管理職に強要するのが怖い。低能な人材を分不相応に高級取りにしてしまう

4) 組合員は皆(結果)平等。年功主体のヒエラルキーにより、給料が規定される。→完璧にモチベーションが下がりますね(年功制もそれなりに合理性があることは全否定しませんが)。「賃金は労働の対価」と唱える組合自体が、その原則を否定しています

5) 上部団体(UIゼンセン同盟)へ収める会費をちょろまかしている。そのクセ、高邁なお題目を唱える。→自分達の組織の繁栄(?)の為なら、何をしてもいいという思想が垣間見えます。

6) 赤いハチマキの着用強制→どこぞのカルト集団の白装束のユニフォームに通じるところがあって怖い。組織の一体感を醸成するためにやるんでしょうな

まあコンキチに言わせれば、労働組合はさしずめ日本賃上教といったところです。賃上げを至上命題として、いかなる状況下でも、手を変え品を変え、ただひたすら賃上げ要求を断行します。

インフレ下では、インフレ率(物価上昇率分)だけベースアップして賃金を上げろと宣い、
好業績下では、組合員の頑張りで業績が良くなったんだから、給料を増やせ!!!とおっしゃります。
さらに、デフレ下では、賃金は生活維持・向上のために安定絵的に支給されるもの&組合員は頑張っているんだから、頑張りに見合う分だけ賃金UP↑を要求します。
あげく、業績が悪かった場合は、その責任は経営サイドのせいにして、組合員は会社に協力してるんだから、その協力分を給料に上乗せすることを求めます。

「いかなる場合も賃上げ」

節操がなくて、マジ恐ろしいです。
これじゃあまるで、「他人のモノは俺のモノ、自分のモノも俺のモノ」と嘯く
ジャイアンですよ!!!
これがいい年こいた大人の行動かと思うと、その良識を疑わざるを得ません。日本人の美徳と揶揄されることもある自省という観点が完璧に欠落していますから。

もしあなたが良識のある人間でユニオン・ショップ制の労組がある会社に就社した場合は、その労働組合の思想に毒されないように気をつけましょう。但し、あからさまに労組を嫌悪する感情をおもてに表してはいけません。その後の人間関係に影響を及ぼしますから。

(この文章は、某二流大出のしがない貧乏サラリーマンの視点で記述されているので、あまり気にしないで下さい)

2006年6月20日火曜日

MONEY GAME

流行ってますねえ。(Share, Srock)

でも、株式インデックスは力強く下落している今日この頃です。

最近巷では、M&Aコンサルティング(村上ファンド)や福井総裁ネタが紙面やお茶の間をにぎあわせているようで、沢山儲けるとマネー・ゲーム扱いされてしまうような勢いです。

福井総裁がM&Aコンサルティングに1,000万円投資して、7年で2,470万円(内270万は途中で払い戻した?らしいですが、簡単のため)になって儲け過ぎだ!!!みたいなことが報道されていますが、これって年率13.8%で運用したってことですよね。(確かに年率13.8%は凄いけど)これってバッシングされるほどのことなのでしょうか?赤提灯に入り浸ってそうな顔の福井総裁をあまりいじめないで欲しいなあ。

ついでに言わせてもらえば、某政治家が、「庶民感覚とは違和感がある、かけ離れている」なんて宣っているようですが、
 
「あんたには庶民感覚があんのか?」と言いたいですねコンキチは。

世間では、リスク資産(主に株式)にお金を預けて(投資して)、(沢山)儲けるとマネー・ゲーム のレッテルを張られるようですが、そうであるならば市場に株券を供給している全株式公開企業はマネー・ゲームの一翼を担っていることになりませんかねえ?社員の平均年収が1,567万円のフジテレビジョン<4676>、平均年収1,462万円の日本テレビ放送網<9404>、平均年収1,443万円のTBS<9401>、平均年収1,357万円のテレビ朝日<9409>のマスゴミ各社の社員の方々は、何を思って報道に携わっているのでしょうか(見識を疑いたくなります)?資本主義(株式市場)を否定するんですか?(日本は社会主義国かもしれませんが)

一般サラリーマンの皆様だって、あなたの年金の一部は株式で運用されているんですよ。じゃなけりゃ、虫眼鏡で見なければわからないような低金利下で、年率5.5%の運用益なんて出せる訳無いでしょ(もっとも最近ではうまく運用できていないようですが...だから、積立て不足があったり、確定拠出年金やハイブリットプランが台頭してくるのです)。

因みにコンキチの勤務する会社では、厚生年金基金(東京薬業厚生年金基金)、適格退職年金、退職一時金といった退職後の
オプションがあります。この中で、厚生年金基金の資料が一番アクセスしやすいので、それを例にとってみると、東京薬業厚生年金基金の年金資産の基本資産配分は、
国内株式/ 25%
外国株式/ 20%
国内債券/ 30%
為替ヘッジ外国債券/ 25%
となっています。
つまり、年金試算の45%(半分弱)が株式で運用されているといった計算になります。

株で儲けて(運用益を出す)ことがマネー・ゲームだったら、一般サラリーマンは、マネー・ゲームを利用して年金をGETしようとしているに他なりません!!!

つまり、
あなたも立派なマネー・ゲーマーです!!!

貧乏人が金持ちを妬む気持ち、僻む気持ちは分からないでもありませんが、自分の立場をわきまえた発言をするのが社会人というものです(ブツブツ文句言うヤツは、株の含み損があるヤツかなあって気がしますが)。

(コンキチは、所詮しがない二流大学出の貧乏サラリーマンなので、上の発言はあまり気にしないで下さい。)

2006年6月18日日曜日

歯車となるも、犬となるなかれ

コンキチはサラリーマン(研究員)です。
サラリーマンとは、己が労働力 or abilityによって創造される知価の供与と引き換えに会社からお金をGETする商売です(とコンキチは考えています)。

よく巷では、
「会社の為」とか
「私の会社」といった
会社に力強く人生をフルコミットするような発言をよく耳にします。

堺屋太一流に言えば、そこには堅牢な「職縁社会」が形成されており、会社は”従業員のもの”といった根拠薄弱(というか全く無い)な主張が垣間見えます(株式会社の場合、その発生の歴史や仕組みを鑑みれば、どう考えても理屈では会社は株主のモノ以外の何者でもないでしょう)。

その様な環境では、
a) 「会社の(利益の)為」なら(バレなきゃ)法を犯してもいい
b) 仕事が期日までに終わらないので(「会社の為」に)遅く迄残業します。
さらには、
c) 「私の会社」の繁栄のために、仕事をお家に持ち帰り、サービス残業致します。
みたいなことが生じることでしょう。だって、会社は人生の一部になってしまっているのだから、そりゃー(逮捕されない程度に)何だってやると考える輩も出てくるでしょう。

事実、コンキチの就社している会社では↓
i) 土日も出勤してくる(気難しい)上司がいます。
ii) 会社で使っているソフトウェアを不正コピーしまっくっていました。
iii) 自発的にサービス残業してる人もいます。
iv) お仕事お持ち帰りも、(一応、会社資料は持って帰れない決まりなので)会社には内緒で、見かけますね。

でもコンキチはそんな所行にはっきり言って吐き気がしますね、気持ち悪くて。
ゴーイングコンサーンたる企業はにとって、従業員はほんの一時の取り替え可能な歯車でしかないのに、自分勝手な誠意が会社に通じるなんていう保障はどこにもないにもかかわらず、「会社の為に」 と勝手に称して「企業戦士」、「モーレツ社員」ぶるのは変質的のようにコンキチには感じられます。しかも、そういう人達はその行為が自分の労働力を安売りしていることに気付いていないのです。

いいこちゃんになる気はさらさらありませんが、
まずaによってあげた利益はズルしてあげた利益です。はっきりいってズルは卑怯です。反社会的です。
次に、bに関しては
無能な
サラリーマンの自己満足(自慰)に過ぎませんね。しかも割増賃金ドロボウです(低い効率で高い時間給を得ている)。
そしてc「自分の時間を犠牲にして(無給で)そこまでしますか?」とあきれます。ズバリ、マゾヒストですね。

上述したような方々は会社のですね。自我を捨て去り、己が精神の全てを会社に捧げる大日本会社教の信者の如しです。カルト宗教の信者が宗教に(ありもしない)自分の支柱を見いだすのに似ている気がします。まるで、会社こそ我が人生(の全て)とでも言い出しそうです。ちょっと異常な感じがしますが、でも、意外とこういう人って周囲にけっこういませんか?(気のせいだったらスミマセン)

そもそも人間の追い求めるものは、「自分の人生を如何に楽しく謳歌するか」ということに尽きるとコンキチは思います。コンキチには、会社にフルコミットすることが必ずしも人生を豊かにするとは思えません。リタイアした後、やることがなくなり、人生の目的を見失い、生気を失って一気に老け込むオヤジにはなりたくないものです。

「サラリーマンとは、己が労働力 or abilityによって創造される知価の供与と引き換えに会社からお金をGETする商売」(よく労働組合=大日本賃上教とかは賃金は労働の対価であるという)なのですから、「会社の為に頑張る」のではなく。「提供する労働力 or abilityによって創造される知価と給料の金額をバランスさせることに注力する」ことが正しい人々の姿だとコンキチは思います。それが健全な経済活動だと思います。

人の人生は短く、一生の中で個人が出来ることは非常に限られていると最近富みに思います。大方の人は、現状の生活を維持する為の日銭をGETする為に、サラリーマンとして自分の時間の多くを消費していることとと思います。ただでさえ、多くの時間を会社で費やしているのですから、必要以上(労働力=給料)に自分の時間を会社に捧げる行為は、経済合理的でないばかりか、人生を謳歌するために与えられた時間を無為に浪費することに他なりません(とコンキチは思います)。

「会社の歯車となるも、犬となるなかれ」

コンキチはこう思いますね。

2006年6月15日木曜日

オセロな人々

人間だれしも、社会に出てゆけば不合理な場面に出会う機会にはことかかないでしょう(多分)。

勤め人ともなれば、より権力を掌握している上位職位の人々(上司)からの
訳分からない
指示に右往左往することは日常茶飯事かもしれません。

しかし、それを嘆いてはいけません。だって、サラリーマンの仕事は
「正しいことをする」のではなく、
「上司が満足することをする」
ですから。

以前、こんなことがありました。

<以下回想>
秋は夕暮れ。酒宴の席での話。

コンキチの勤務する会社には、超意味の無いな研究会(という名の報告会)があって、酒の席で、コンキチは部長に

コンキチ 「だれも何も(意見を)言わないし、部門長に研究テーマの進捗状況を報告するだけで超意味ないじゃないですか。そんなの月報読んでもらえば事足りるじゃないですか。そんなくだらない無駄なものは止めて、もっと建設的なディスカッションができるテーマで会議をしましょうよ。例えば、実機(工場)で流れているtraget moleculeの製造プロセスを解剖して、工程改善(プロセス・イノベーション)の議論をしましょうよ」

部長 「ん~、研究会(という名の報告会)は(人事考課の)査定に使ってるから止めれないんだよ」

コンキチ 「唖然」&馬鹿かテメー(心の中の叫び)

<回想終了>

「会議=査定の場」なんですって。この話を聞いた時は正直言って、そのアホさ加減に笑えましたが、しばらくして、「俺の勤務してる会社ってそんな下んないことに悠長に時間を使ってるアホアホな会社なんだ」と思い背筋がちょっぴり涼しくなりました。

おい部長!会議って(何らかの)意思決定の場だろ!!
査定をしっかりしたいなら、MBOとCompetencyで管理してくれ!!!

それから半年後。「無駄な会議を見直せ」という社長の指示が社内を駆け巡りました。
ほどなく、件の研究会(という名の報告会)は無くなりました。

しかも、無くなる時に言い訳が傑作です↓

「プレゼンテーション技術の向上のために研究会を実施してきましたが、(皆さんのプレゼンスキルも上がってきたので)その役目は十分果たせたと思います。よって、今後研究会を取りやめます」
(プレゼンに関するレクチャーなんて無かったし、ヘタクソはヘタクソのままだよ。)

みたいな内容のメールが配信されました。

まあ、

「研究会(という名の報告会)は無駄だって社長に言われたからやめます」

なんてことは言えませんからね。

結局は。部長、課長、室長とかいっても所詮しがない中間管理職な訳で、彼らも更に上位職位の人間の(訳分からないかもしれない)指示に従っているだけですからねえ。さらに言えば、コンキチの勤務する会社の様に、某王手大企業の子会社の社長だって、親会社の意向に従わなければなりません。しかも2年×2期で交代していきますし。

以上勘案して、オセロの石の様に上(上位職位)からの指示で、舌の根の乾かないうちに方針や指示がころころと変わったとしても不愉快に思ってはいけません。そんな指示を出すオセロな上司だって、さらに上からの命令で仕方なくやっているだけなのですから。しかも、社長でさえも親会社で本流に残れなかった人にあてがわれるポストに過ぎないのですから、長期的な戦略なんてものは期待してはいけません。だって、4年(2年×2期)で辞めていくんだから。サラリーマンとはそんなオセロの様に覆される指示に「ハイハイ」と言って従うことにより給料(Cash)をGETする職業なのですから。

2006年6月13日火曜日

下流研究員

最近、下流なんていう単語が流行っているようですが、企業の研究員にも上流・中流・下流があると思います。

a) 上流研究員: 新しい知価を創造することが研究員の使命だと思っている。
b) 中流研究員: 知価創造が重要なのは理解しているが、思索に耽ってばかりでは(生意気そうにみえて)上司のウケが良くないのでとりあえず実験しますかっていうタイプ。
c) 下流研究員: ただ単に実験することが目的化している研究員

↑こんな感じに(コンキチの全くの独断と偏見です)。

全ての研究員の仕事は創造的で、己が叡智を存分に発揮することが必要とされるチャレンジングなモノだと思ったら大間違いです。少なくとも、二流企業の研究員にはそんなに高度なことは要求されません(コンキチの
所属するセクションではそうです)。

ここで、コンキチが勤務する会社(二流企業)で起こったとある出来事を紹介しましょう。因みに前回のBlogに続いて今回もGrignardネタです。


とある研究会議でのこと、ある先輩がGrignard反応の話をしていたのですが、

メチルGrignardとケトンの反応で、副生成物としてカルボニル基が還元されたアルコールが微量生成しているという報告がなされました。

「何故?」

とコンキチは純粋に思ったので、

コンキチ 「どういう機構でアルコールが生成するんですか?」

と質問してみたのですが.....

先輩 「(Grignard反応の)副生成物としてアルコールができる(のはあたりまえ)だろ」

(おいおい還元のメカニズムを理解してねーのかよと思いつつ)
コンキチ 「それはβ-水素を持つGrignard試薬が擬似6員環遷移状態を経てヒドリドシフトが起こる訳で、メチルGrignardにはβ-水素が無いですよねえ」

上司 「(とりあえず)アルコールができてんだからいいじゃん(みたいなことを言われた)」

とまあこんな感じでお茶を濁されてしまいました。

「オイオイ、他に誰も疑問に思わねーのかよ(全員で10人位いた)?」と思うとともに、「じゃー反応してGrignard試薬は何になるんですか?」というつっこみを入れたくなったのですが、面倒くさくなったのでやめときました。



この事件でコンキチはマジビビリましたね。

論理思考"ZERO".....orzですから!!!

結局、大きなトラブルもなく、結果がそこそこ(スペックイン&ハイ・イールド)なら全てO.K.なんですよね(二流の)企業は。まあ、だからこそ二流大卒のコンキチが能生と研究員をやってられる訳なのですが.....

研究者には知的好奇心が必須であるとコンキチは思います。
何故なら、知的好奇心こそが、自然科学における新たな真理の発見の道しるべとなる唯一の動機だからです(多分)。
だって(知的)好奇心がなければ、「ある現象の合理的な理由付けを求めよう」っていうモチベーションが発現しないでしょ。

上記エピソードでNO REACTIONだった研究員(達)は、知的好奇心が欠落している下流研究員か会議で発言するという無駄なenergyを使うのが勿体ないと思っている達観した研究員のどちらかに違い有りませんね(コンキチは前者だと思いますが)。

研究活動こそ、鈴木敏文会長が宣っておられる「仮説と検証」のPDCAサイクルが端的に求められる職種だと思うのですが、現実はそうではないのです。特に二流企業の下流研究員がやることはDo Do Do!!!!!だけです。平たく言えば、「下手な鉄砲なんとやら」ってな感じです。

二流企業の研究員を狙っている二流大学の学生諸氏はその辺にも留意して就社を決断するようにしましょう。二十歳を過ぎたら自己責任です。


2006年6月8日木曜日

有機人名反応におもう

「職業: 有機人名反応(Named Organic Reaction)を使うお仕事」のコンキチです。

偉大なる先人達の努力によって、(実際に数えたことは無いですが)数多の有機人名反応(Named Organic Reaction)がこの世に産み落とされてきました。

(ちょっと)複雑な構造の分子をターゲットに設定し、有機人名反応(=有機化学反応)というツールを存分に駆使し、あたかもパズルを解くように、エクセレントな収率と選択性でスマートなSchemeを構築する作業に、合成化学者は無常の歓びを感じるかもしれません。「全ての反応を使いこなしたい」なんて思うはりきりボーイな研究員もいるかもしれません。

しかしながら、生涯を賭したとしても、一人の研究員がこなせる反応の数はたかが知れています。ついでに言わせてもらうと、全ての反応を熟知している人もこれまた皆無なのであります(多分)。

思い起こせば12年前。大学ではじめて有機化学を学んだころのコンキチは、

「有機化学反応って、高収率で、完全な選択性の制御が可能で、なんて凄いんだ!
これさえあれば、どんなものでも想像力さえあればちょちょいのちょいで出来ちゃうぜ!!
(有機)化学ってホントにいいものですね!!!」

なんて(チョット本気で)思ってました。

だって教科書(入門書)には、典型的な好例だけしか載っていないから...
純朴な田舎の青年は有機化学反応には100%の汎用性があることを信じて止まなかったのです。

時は流れ、純朴な田舎の青年も(有機化学系の)研究室に配属され、なんとなく修行を積むうちに、「有機化学反応には100%の汎用性は無い」という、今となっては至極当たり前のことに気付くのでした。

教科書では、High Yieldを叩き出している官能基変換であっても

i) Very Low Yieldなんてことや、
ii) 全然違うものが出来てます
iii) 全くの原料回収(No Reaction)Death!!!!!(涙)

なんてことがしばしばありました。

現実問題として、立体的、電子的及び立体電子的な要請や各種条件(温度、反応時間、molar ratio、溶媒効果)などによって反応の進み具合は千変万化します。

-----コンキチの学生時代の話-----
後輩がGrignard反応という、超メジャーな有機人名反応を実施し、「Grignard反応がこれ以上進まず(Grignard試薬を過剰に使っても)原料が残るんです」と研究会で発言しました。
それはおかしいということで、(後輩が)どういった操作をしたのか根掘り葉掘り聞かれて、最終的には先生の「なんでかな~」で幕が下りました(合成が専門の研究室ではないので)。
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当時はコンキチも分かりませんでしたが、

Grignard反応には
a) エノール化、β-ヒドリド還元などの副反応が存在する
ので、おそらく原料回収と思われていた部分は、生成したエノレートがクエンチしたときに元に戻り、あたかも"未反応"のようにみえただけなのではないかと推測されます。

また、Grignard反応には
b) 極性溶媒は負電荷を安定化し、Grignard試薬の塩基性が増加、THFとかHMPAはモノマーを安定化(モノマーのGrignard試薬は塩基として効果的に働く)→付加 vs エノール化の選択率は溶媒効果の影響をけっこう受ける
c) 電気陰性の高いハロゲンの方が求核性&塩基性大(Cl>Br>I)→付加 vs エノール化の選択率はハロゲンの種類の影響をけっこう受ける

という特性があるので、b, cに関してなんらかの対策をとっていたならもっと収率UP↑したかもしれません。

パズルを解ためのツール(有機人名反応)の(数の)ストックも大事だと思いますが、一つの反応に対しての理解を深めていくという作業もプロ(それを生業とし給料をGETする人)には要求されるのです。

上手くいかなかったときこそ、思考プロセス、アプローチの仕方が試されるのだと思います。

以上、某二流大学出の戯言でした(一流大出の研究員には常識ですよね)。

2006年6月1日木曜日

官僚を探せ!

世間では「官僚的」なものがいささか嫌悪されすぎている嫌いがあるように思われます。
無責任なマスゴミどもは、我先にと官僚機構を諸悪の根源のように、その舌鋒で集中砲火します。

しかしながらコンキチ(の漠然としたイメージによれば)は、官僚機構自体はそれなりに優れた組織形態であると思います。
だって、
1) 明治維新を経て、日本を近代国家へと伸し上げたのは他ならぬ官僚機構でしょ?(勘違いだったらスミマセン)。
2) 戦後、日本を世界第二の経済大国へと復興させたのは官僚機構によるところも大きかったのでは? (勘違いだったらスミマセン)。

上記1)&2)が正しいとすれば、「官僚機構」=「悪」という図式は成り立ちません。
では何故、世間様から「官僚的」は嫌悪されているのでしょうか?

そもそも官僚機構とは…

そもそも官僚組織の特徴って何でしょう?
a) 集権化
b) マニュアル化
c) 専門化

こんなところかなあとコンキチは思います。でもこれって、組織には普通にあるものなんじゃないの?

a) 集権化→強力な求心力(強力なトップダウン)が無いと、組織は烏合の衆となってしまうでしょう?組織の長(リーダー)に権力は集中化するはずです(多分)。

b) マニュアル化→均質な品質の維持、サービスの維持には必要不可欠でしょう?マクドナルドが成功したのは優れたマニュアルのおかげというのは周知の事実はないでしょうか?

c) 専門化→分業っていうことだと思うのですが、分業は人類が生み出した偉大な発明の一つでしょう。分業によって効率的な生産性が確立されたのですから。

どうですか?官僚機構とは粛々とオペレーションを展開していくのに適した機能を具備しているように思いませんか?

批判されるべきは.....
では、何故「官僚的」という言葉は、ネガティブな意味合いで使われるのでしょうか?

それは、官僚機構の逆機能が原因ではないかと思われます。

例えば、

a) 集権化→上位職位が(下位職位に対して)より強力な力を持つ→下位職位の者は長いものに巻かれる(上意下達)→自発的な行動が抑制される(だって上位職位の思うように動くことが求められるから)→いわゆる指示待ちになる(言われたこと以外のこと=勝手なことをやると怒られる)→さらに、上位職位の指揮・命令が下々の者にまで浸透する(はず)ので、トップの判断が正しくない場合は悲しい結果になりそう。

ついでに言うとコンキチの勤務する会社では、「残業時間を管理」(人件費削減のため)し「作業内容を掌握」(安全面の管理と称して)しようとし、「アングラ実験をしろ」という意味不明なことを上司は宣います。
あと、社長は親会社から来る人が2年2期=4年で交代してしまうので、 4年おきにその時々の社長の方針に我々は踊らされるのでしょう。

b) マニュアル化→マニュアルさえ守っていればO.K.(らくちん)・マニュアル以外のことをやると怒られる→マニュアルを遵守することが目的化する→マニュアルが陳腐化したとしても、既にマニュアルを遵守することが目的になっているので、絶対改革してやるぜという超強力なはりきりボーイが現れない限り、そのマニュアルによって為される陳腐化したサーヴィスは改善されることはない。

コンキチの勤務する会社では、マニュアル(ルール)は気が付くと、勝手に(自分の都合のいいように)破られ、風化します。マニュアルやルールを遵守せよといっている上司がマニュアル(ルール)破ってますからね(笑)。まだ、守るべきマニュアルがあるだけマシというものです。

c) 専門化→専門家集団の村が形成される→村意識が醸成(自分達は正しい)→セクショナリズムの完成→なんでも自前でやりたがる(同じリソースが重複して存在し、非効率・不経済になるかも)

コンキチの勤務する会社では、上司は他部署を官僚的だと批判しながら、官僚並みに年度末に余った予算を消化しようとラストスパートをかけます。だって、余ると予算削られちゃいますから(どこかの国のお役所みたいです)。

とりあえず無理矢理まとめます
以上、勘案すると、

1) 官僚機構はあらゆる組織に内在する(可能性が極めて高い)
2) 僕の会社、あなたの会社は官僚組織である
3) ということは、僕の会社、あなたの会社は「官僚的(逆機能)」である可能性が高い

どうでしょう?
あなたの会社は大丈夫ですか?

「官僚」を批判する前に、自分の所属する組織の姿を顧みてみましょう。人のふり見て我がふり直せです。