2006年6月18日日曜日

歯車となるも、犬となるなかれ

コンキチはサラリーマン(研究員)です。
サラリーマンとは、己が労働力 or abilityによって創造される知価の供与と引き換えに会社からお金をGETする商売です(とコンキチは考えています)。

よく巷では、
「会社の為」とか
「私の会社」といった
会社に力強く人生をフルコミットするような発言をよく耳にします。

堺屋太一流に言えば、そこには堅牢な「職縁社会」が形成されており、会社は”従業員のもの”といった根拠薄弱(というか全く無い)な主張が垣間見えます(株式会社の場合、その発生の歴史や仕組みを鑑みれば、どう考えても理屈では会社は株主のモノ以外の何者でもないでしょう)。

その様な環境では、
a) 「会社の(利益の)為」なら(バレなきゃ)法を犯してもいい
b) 仕事が期日までに終わらないので(「会社の為」に)遅く迄残業します。
さらには、
c) 「私の会社」の繁栄のために、仕事をお家に持ち帰り、サービス残業致します。
みたいなことが生じることでしょう。だって、会社は人生の一部になってしまっているのだから、そりゃー(逮捕されない程度に)何だってやると考える輩も出てくるでしょう。

事実、コンキチの就社している会社では↓
i) 土日も出勤してくる(気難しい)上司がいます。
ii) 会社で使っているソフトウェアを不正コピーしまっくっていました。
iii) 自発的にサービス残業してる人もいます。
iv) お仕事お持ち帰りも、(一応、会社資料は持って帰れない決まりなので)会社には内緒で、見かけますね。

でもコンキチはそんな所行にはっきり言って吐き気がしますね、気持ち悪くて。
ゴーイングコンサーンたる企業はにとって、従業員はほんの一時の取り替え可能な歯車でしかないのに、自分勝手な誠意が会社に通じるなんていう保障はどこにもないにもかかわらず、「会社の為に」 と勝手に称して「企業戦士」、「モーレツ社員」ぶるのは変質的のようにコンキチには感じられます。しかも、そういう人達はその行為が自分の労働力を安売りしていることに気付いていないのです。

いいこちゃんになる気はさらさらありませんが、
まずaによってあげた利益はズルしてあげた利益です。はっきりいってズルは卑怯です。反社会的です。
次に、bに関しては
無能な
サラリーマンの自己満足(自慰)に過ぎませんね。しかも割増賃金ドロボウです(低い効率で高い時間給を得ている)。
そしてc「自分の時間を犠牲にして(無給で)そこまでしますか?」とあきれます。ズバリ、マゾヒストですね。

上述したような方々は会社のですね。自我を捨て去り、己が精神の全てを会社に捧げる大日本会社教の信者の如しです。カルト宗教の信者が宗教に(ありもしない)自分の支柱を見いだすのに似ている気がします。まるで、会社こそ我が人生(の全て)とでも言い出しそうです。ちょっと異常な感じがしますが、でも、意外とこういう人って周囲にけっこういませんか?(気のせいだったらスミマセン)

そもそも人間の追い求めるものは、「自分の人生を如何に楽しく謳歌するか」ということに尽きるとコンキチは思います。コンキチには、会社にフルコミットすることが必ずしも人生を豊かにするとは思えません。リタイアした後、やることがなくなり、人生の目的を見失い、生気を失って一気に老け込むオヤジにはなりたくないものです。

「サラリーマンとは、己が労働力 or abilityによって創造される知価の供与と引き換えに会社からお金をGETする商売」(よく労働組合=大日本賃上教とかは賃金は労働の対価であるという)なのですから、「会社の為に頑張る」のではなく。「提供する労働力 or abilityによって創造される知価と給料の金額をバランスさせることに注力する」ことが正しい人々の姿だとコンキチは思います。それが健全な経済活動だと思います。

人の人生は短く、一生の中で個人が出来ることは非常に限られていると最近富みに思います。大方の人は、現状の生活を維持する為の日銭をGETする為に、サラリーマンとして自分の時間の多くを消費していることとと思います。ただでさえ、多くの時間を会社で費やしているのですから、必要以上(労働力=給料)に自分の時間を会社に捧げる行為は、経済合理的でないばかりか、人生を謳歌するために与えられた時間を無為に浪費することに他なりません(とコンキチは思います)。

「会社の歯車となるも、犬となるなかれ」

コンキチはこう思いますね。

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