企業で生み出された知価の集積っていうのは、他の会社ではどのように行われているか興味があります。
コンキチは転職経験が無いので、自分が今勤務している会社しか知りません。ちなみに、コンキチの勤務する会社では、研究開発活動によって生み出された知価は、垂れ流しするだけで、集積されていないように見えます。
で、何故「知の集積」が進まないかを考えてみました↓
1) セクショナリズム
生み出した知価を、そのセクション内で囲いこんでしまう。自分の部署でだけ把握しておけばいいという発想なのでしょう(っていうか、その部署内でも必ずしも把握できてないと思いますが)。逆に、他部署の成果なんて(柴田強兵ばりに)「関係ないね」という無関心っぷりもあいまって、知価の普及が進みません。
2) 年中忙しい症候群
仕事(=実験と言う名の肉体労働)が忙しいから、報告書とか書く暇なんかない(上司の場合は、意味の無い会議とか、会議の資料造りとかが忙しくて、部下の挙げた報告書に目を通してる暇なんてないよ) とか言って、報告内容が(松田優作ばりに)「なんじゃこりゃー」となる現象。
研究員の仕事とは「思考して知価を創造すること」だとコンキチは考えています。なので、会社に行ってする「いわゆる仕事」とは、自分アイデアを単に具現化するだけのことであって、はっきり言って、頭なんか全然使わなくたっていい作業です(ある意味ルーチィンです)。しかしながら、とりあえず勤務時間に何か実験やって、(たとえそれがあまり意味を成すものでなあかったとしても)なんらかにデータを出した方が、「おっ!仕事してるな」というこなる。昔ながらの、とりあえず手を動かせという安直な発想が、研究員を年中忙しい症候群に駆らせ、本来の仕事である知価の創造と集積を怠らせているのだと思います。「○○君は遅くまで熱心に仕事をして関心、感心」なんて宣う上司がいたら要注意でしょう。(裁量労働でない場合)残業時間は法定で25%の割増賃金を支払わなければなりません。つまり、残業とは割増分を加味した効率で仕事をするか、割増分と同等以上の価値の時間を買う価値がなければ、生産性の低下を招くことでしょう。
ちょっと話が横道にそれましたが、分かり易い忙しさのために、本来の任務である「知価の集積」を怠ってしまうという現象ですね。
3) インセンティブの欠如
暗黙知をわざわざ形式知化するインセンティブがない。
a) わざわざ暗黙知を形式知化するという面倒な作業をしたからといって、それを十分に評価するシステムがない
b) 自分の強みである暗黙知を皆に開示してしまうと、自分の競争優位を失ってしまうという矮小な考え
4) インフラの欠如
形式知として知価を効率的に集積するツールがなかった。
以上のようなことが起こっているのではないかとコンキチは考えています。
上記1)-3)は企業風土に起因するものだとコンキチは考えています。数冊の書籍に目を通してみると(例えば、「なぜ会社は変われないのか」、「わかりやすい人事が会社を変える」、「ここが違う!「勝ち組企業」の成果主義」、「内側から見た富士通「成果主義」の崩壊」、「トヨタ式最強の経営」、「トヨタはいかにして「最強の社員」をつくったか」、「トヨタ生産方式、一応、「トヨタの労働現場」)、停滞した企業風土を改革するのにいかにトップの強い意志と、多大な労力を必要とするかが記述されていて、コンキチの勤務するような、社長が親会社から2期4年の任期で送り込まれる会社では、おそらく望むべくも無いこでしょう(予想)。
で、4) については、最近個人的に。「社内ブログ」や「社内Wiki」等の活用が問題解決につながると思います。ちょっとググッてみたところ、社内ブログに関しては、企業の導入例がけっこうあるようで驚きました。
社内ブログに関して言えば、ブログの持つインタラクティブ性やカテゴリ、時系列の把握の容易さといった特性が「知価のログ」として蓄積するのがとても容易になるんだろうと思っています。実際にブログ運営しているブロガーの方なら容易に理解してもらえると思うのですが、ブログの持つ情報集積機能というのはとてもスゴイです。
ただ、ブログを書く(自発的に情報発信する)ためには結構なエナジーが必要だと思うし、(特にトップに)新しいものを受け入れる精神がなければ社内導入されることもないえしょう。
しかも、社員(研究員)にブログを書かせるインセンティブ(評価システム)や、利用上のガイドラインを整備しなければ社内ブログが活用されることはないでしょう。
ブログを書く時間があれば、仕事(=実験と言う名の肉体労働)をっしていた方がいいという障壁を打破しなければいけません(きっと)。
古い記事ですがGoogleの社内ブログに関する記事を発見しました↓
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0411/19/news086.html
ただ、Googleがブログを有効に活用できるのは、画期的サービスを生み出していという20%ルールに代表されるように、グーグラーという人種は極めて高度に自律的に働くことができるからなのだと思います。で、ここまで高度な自律を具現化する環境は、はっきりいってGoogle特有の企業風土なのだと思います。
何事にも保守的で、他社追随型の経営を指向し、博士研究員を満足に使いこなすことができない(とコンキチは思っている)(コンキチの勤務するような)日本企業には夢のまた夢の制度なのだと思います。
トヨタを礼参する訳ではありませんが、常時「カイゼン」を促す企業風土がなければ、古典的産業を営む企業が「社内ブログ」のような新しいことトライし、成功を勝ち取ることは難しいと思います。
で、結局は、4)を補完するツールが出現したとしても(っていうか出現しているとおもう)、それを活かす企業の文化が醸成されていなければダメだと思うんですね。つまり、「仏(ハード)造って魂(ソフト)入れず」ではダメなんじゃないの?ということです。で、ソフトとは自律的な企業風土であって、その独自のカルチャーを造り出す人なんだろうと思います。
人は城 人は石垣 人は堀(なさけは味方 あだは敵なり)
なんだろうと思う二流大卒のなんちゃって研究員の戯言でした。
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2006年11月4日土曜日
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