2006年10月8日日曜日

ロードレースに学ぶ会社の不思議

今日は、コンキチ(31歳)が居を構える某県某市のロードレース大会に参加してきました。約1,500人の老若男女が参加したこの大会におけるコンキチの成績は↓

タイム/ 49分8秒(10 km)
一般男子(18~39歳)の部/ 190位/379人
総合順位/ 695位/約1,517人

ダメ夫Death!!!!!(シクシク涙)

だからといってその結果を受け入れないわけではありません(っていうか当たり前)。

明らかに60歳過ぎの爺ちゃんや、良い年こいた中年のオバちゃんに追い抜かれもしたコンキチは、自らの修行の足りなさを反省するのでありました。そして、自分のふがいない結果を甘んじて受け入れ、次への糧へとする所存なのです。そしてこの、「世代を超えてあるがままの結果を受け入れる姿勢」という心情は、コンキチのみならず、ロードレース大会に参加した皆が当然の如く受け入れるものであるに違いありません(だって事実だから)。

翻って、会社に勤めるサラリーマンの身の処し方というか、内なる心情はどうでしょうか?
上述した大会では、結果は全てオープンにされ、評価は誰が観ても公正(ドーピングしてたら別ですが)、そして出された(厳然たる)結果には誰しもが従う。

それに対してコンキチの勤める会社では、

1) 評価を下すものは評価能力が皆無(考課者訓練は0.5回/年以下)。つまり、評価結果は密室で決定される。
2) 労働組合は結果平等(という共産主義的な評価)を求める。つまり、とりあえず給料で差をつれるのは止めてくれということ。
3) 個人は自立できない(文句は陰で言うばかり)
4) 年功的な給与、属人的な手当がバシッとあるのに「成果主義」といって憚らない誤謬
5) 一応成果主義ということでMBOによる管理をしようということになっているのに、コミットメントラインはいいかげん、RESULTのフィードバックはフィードバックになってない。
6) 大して仕事もしてないのにビッグマウスな人々。
7) 亀の甲より単なる年の功が決定的に支配的。
8) 上司や先輩社員は、より上位になるほど奢り高ぶる

という現実をコンキチは感じています。

評価も不透明なら、自信過剰な人々は提示された成績(給料)にプンプン。

いささか、日本人の美徳である謙虚な精神が欠如しているように思います。

コンキチは無駄な努力はしない主義なので、上記のような事柄には関与せず、「いかに自分がDominatorたることができるか」ということを志向して行動するようにしていますが.....

-今日思ったこと-

人間、金がからむと感情的になり易い


以上、二流大卒なんちゃって研究員の愚痴でした。

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