2006年5月16日火曜日

私はサラリーマン

私は企業の(なんちゃって)研究員です。そして、自分では自分のことを(残念ながら)研究者だとは認識していません。

「研究員」と「研究者」。世間一般の定義はおいといて、コンキチ流には
1) 研究員→肩書き的名称。
2) 研究者→(理系の場合は自然科学の)真理を探求する者。研究を通して自己実現を志向する者。
と定義付けされます。

研究者は就社に伴い給料と引き換えにその魂を(雇用主に)売り渡し、サラリーマン(企業の研究員)へと成り下がるのです。

そもそも、企業に就社し労働者となることで様々な制約に縛られることになります。法律(労働基準法とか)に縛られ、労働組合(コンキチが勤務している会社は労使間でユニオン・ショップ協定を締結しています)に縛られ、人間関係(気難しい上司とか)に縛られ、研究テーマ(会社の方針)に縛られ、「純粋に研究活動を通して自己実現する(=コンキチの定義する研究者の活動)」ことは困難を極めます。

それに、我々企業の研究員に求められるものは、「正しいこと」では断じてありません。上位職位にある人間(上司)が望むこと(正しいか正しくないかは全く関係ない)が求められるのです。また、効率的に仕事をしても往々にして高い評価は得られないでしょう。高評価を得るためには(非効率的な)残業の量がモノをいいます。だって、考課者(上司)に(労働)時間以外のファクターを評価する能力なんてありませんから。それに、古い人間は「一生懸命やってます」といった浪花節を好みます(ただ単に一生懸命やることと成果には何の関係もありませんが...)。「楽して勝つ(=効率的に成果を挙げる)」は認められません(テーマが簡単だったんだねということになる)。この辺でモラールが低下します。

ついでに言わせてもらえば、残業(時間外労働)時間には法定で(確か)25%の割増賃金が支給されます(ちなみにコンキチの勤務する会社では33%)。ということは、割増分の効率で仕事ができなければ、もしくは割増分に見合う時間を買うことができなければ残業する価値は無いはずです。普通の人(凡人)の集中力ってどれくらい持続するの?という至極単純な問いによって、25%増しの効率で残業を行うことなど皆無に等しいということが分かります(無駄な残業っていうことですね)。また、残業してまでも時間を買わなければならない機会って何? & そう頻繁にあるの?(コンキチは無いと思いますね。単にタイム・マネジメントが下手なだけなのでは?)。本来、評価は単位時間当たりの生産性(成果)をもってなされるべきだと思うのですが(当然残業時間分は割増率で割り引きます)、そんなことは7年間勤めてきて一度もありませんでした。しかしながら、そのことを責めてはいけません。コンキチが考課者だったらそんなめんどくさいことしたくないですから。

このようにモラールダウンにモラールダウンが重なり、真理を探求するという高邁な理想は地に落ち、「いかにして効率的(会社にとっては非効率的)に給料をGETするか」ということが焦点になってきます。こうして「沢山仕事(無駄な残業)をして割増賃金をGET」+「一生懸命やっている(フリ)をさりげなくアピールして上司の心証UP↑でボーナス査定GET」=ウハウハ年収UP↑という黄金スキームが完成します。

以上、研究者の目的は「研究を介した自己実現」から「Cash」にシフトし、サラリーマン研究員が製造されていくのです(多分)。

だから私はサラリーマン。企業の研究員なのです。

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