2007年12月31日月曜日

Productivity

コンキチの勤務する事業所では、週に一回ノー残業デーがあります。まあ、研究開発部門でそれを励行しているのはコンキチだけですが.....

月当たりの残業時間規制が敷かれたこともありましたが、今やどこゆく風の様相を呈しています。

はっきり言って、残業タイム中にチンタラとまったりトークしている輩とか、「それってホントに今やる必要があるの?」的に残業が半ば習慣化しているような輩をよく見受けるような気がします。

ちなみに、コンキチの過去1年間(2006年12月-2008年11月)の総残業時間は、

91.35時間

月平均7.6時間です。1月20営業日とすると、1日当たり23分くらいの残業ですが。

平たく言えばコンキチは殆ど残業していません。

コンキチの個人的な独断と偏見によると、残業を習慣化している人って、「仕事が忙しくて終わらない」とか言って一生懸命仕事してるフリしてますが、時間外労働(残業)を行ったときの割増賃金狙いの人もけっこういるんじゃないかと思います。

そういえば、以前、会社が賃金処遇制度を能力主義から(かりそめの)成果主義に移行して、実質の賃下げを断行した際、労働組合の反応は、「従来の給与水準を維持するためにはもっと残業しなければならない」的なことを組合幹部が発言していたことを記憶しています。

(普通の残業)の割増率って(確か)25%(コンキチの勤務する会社は33%)ですからね。でかいですよこれは。

コンキチが思うに、残業って

1) 割増された賃金以上の生産性で働く
2) 時間を買う(残業をして早期に仕事を処理することで得られるベネフィットが割増された賃金を上回る)

という2点においてのみ価値があるものと思っています。

で、1)は即却下です。理由は、残業っていうのは通常時間の労働に比べて圧倒的に高コストなんですよね。ただでさえ賃金が割増させるのに加えて、既に8時間くらい仕事をした後(本来へとへとになっているはず)にしている仕事なわけだから、残業タイムには生産性(労働効率)も相当落ちているはずです。

次に2)ですが、これはあり得ると思いますね。ただ、そう頻繁にあるものではないはずと思います(超成長産業だったら定常化するかもしれませんが、コンキチの勤務する会社の業務は超成熟産業に属しています)。つまり、習慣化することはない。っていうか習慣化しているんだったら、事前のプランニングに問題があると思う。あと、管理監督者の管理監督能力の欠如ですかね。

あと、

ホワイトカラー・エグゼンプションが世間の話題にのぼったとき、マジでこの制度が普及しないかなあと真剣に思ったものです。だって、残業代がゼロになったとき、習慣残業してる人達の行動がどう変化するか楽しみだからです。つまり、ホワイトカラー・エグゼンプション導入後も勤務態度が変わらず、バリバリ残業しまくっている人はワーカーホリック。残業を殆どしなくなった人は、割増賃金ゲッターだったという裁断が下るのです。まあ、上司の目をかいくぐって会社に存在しているだけで残業代が支払われる制度の下でのうのうと生きている人間にとっては、従来の圧倒的に優位な既得権が侵される訳ですから、何が何でも反対して、ホワイトカラー・エグゼンプションが日の目をみることはないように思いますが。

裁量労働制という別のツールもあるので、研究員は全員裁量労働にして欲しいと思うのですが、コンキチの勤務する事業所では、何年か前から適用対象社がいなくなってしまいました(理由は測りかねますが) 。

割増賃金ゲッター(生産性の低い従業員)の峻別の瞬間は当分みれそうにないようで残念でなりません。

2007年12月26日水曜日

研究員の品格

なんちゃって研究員のコンキチです。はっきり言って自分、研究員として三流だと思っています。まあ、研究員としてかなり下流の部類っていうことですね。ただ、研究員としての品格だけは、一応、持ち合わせているつもりです。

で、研究員といして三流という自覚のあるコンキチとしては、自分より下流(四流、五流)の研究員っていうのは存在しないと思っていました。

が、よく考えてみたら、自分の身近にいました。さらに下流の研究員が。以下に例を挙げます。

1) ドラフトの外で臭素を使っていた
コンキチは社内で虐げられているので、デスクワークをする居室(事業所に入場してすぐのところにある)と(居候させてもらって)実験をする部屋(事業所の一番奥にある)が事業所内で最大距離にあります。で、居候先の実験室の先輩社員が臭素を使って反応をしていました。ドラフト外で、ついでにオープンエアで(ドラフトは回ってたけど)!!!っていうかマジ勘弁して欲しいです。ベーパー吸っちゃうかもしんないジャン!

2) 水銀が散乱しています
しばらくデスクワークが続いたコンキチが、久方ぶりに上述した居候先の実験室なで実験を始め2週間くらい経った日のこと、水銀が散乱しているのに気が付きました。っていうかなんで真の室員じゃないコンキチが気付いちゃうの?っていうか、なんでこぼしたヤツはちゃんと水銀を回収しないの?っていうかコンキチはまだ健康障害に陥りたくありません。

3) HPLC用の溶媒の蓋あけっぱなしだし
また居候先の実験室での話なんですが、液クロ用のアセニトの蓋が開けっ放しなんですよ。1日以上(コンキチは人が悪いのでちょった観察してました)。コンタミとか気にならないの?

4) オープンエアのMg
アセニトの蓋開けっ放しの先輩社員が、こんどはMgの蓋を開けっ放しで放置プレイです。もう、手がつけられません。

5) 臭い化合物を窒素シールして、部屋中に臭気をまき散らす
化合物名は言えませんが、グラッシー系のかなり臭いのキツい刺激的な香りのする化合物をドラフトの外で窒素シールしている先輩社員がいました。当然、その臭気は実験室中に広がります。で、コンキチは咳き込みました。これと全く同じことが数回起こりました。さすがにたまりかねて、「ドラフトの中で窒素シールしてもらえませんか?」と(一応先輩なので)下手にお願いしました。その後は改善されたのですが、こちとら何回も咳きこんでるのが気付かねーのかよ(怒)。っていうか軽い嫌がらせなのかと思いました。

etc.

とまあ、研究員として最低限持っていなくてはならない「安全意識」=「研究員の品格」さえも持ち合わせていない人がいることにマジであきれるとともに。身の危険を感じましたね。そのうちなにかに巻き込まれそうで怖いです。

いずれ(近い将来)何らかのアクションをとろうかと思っています。

2007年12月25日火曜日

土地真理教

土地真理教というクエリでI'm Feelig Luckyすると、こんなウェブ・サイトに飛びます↓

http://www.alt-invest.com/pl/opinion/tochi.htm

コンキチの愛読書である「ゴミ投資家シリーズ」や橘玲で有名なAIC(Alternative Investment Culb)のホームページです。

コンキチは5年半前から住宅ローンを組んで集合住宅に住んでいます。理由は↓

1) カミさんの虚栄心を満たすため & 超高い物件をおねだりされる前にこの辺(2,500万位)で手を打っておくか。

2) 金利も低いし、税金の優遇措置(住宅借入金等特別控除)もあるし。

3) 集合住宅だから、なんかあったときの訴訟は集団で対応できる。

4) インターネットやり放題。

等です。

まあ、正直上記見通しというか思惑は、はっきり言って甘かったことがAICの「人生設計入門」を読んであきらかになりましたが.....

平たく言えば、住宅ローンを組んだのは、コンキチの人生最大の失敗と思います(機会費用の発生とか、持てるリスクとか、集合住宅ならではのマジョリティーの意見に従わざるを得ない)。残念かな、「ゴミ投資家シリーズ」に出会ったのは、ローンを組んだあとでした。

さて、コンキチの軽い身の上話はこの辺にして、本題に入りたいと思います。

先日、コンキチの勤務する会社の同期が住宅の購入を検討しているそうです。で、その理由なんですが、

「もう30半ばだし、子供(2人いる)の部屋を用意したいし、庭付きの家で犬を飼いたいし、まあ、そういう年になってきたよ。」

というものでした。で、そんなメルヘンな理由で高い借金しちゃっていいの?ちなみにその理由に異を唱えるものなどいようはずはありません。


真剣恐ろしいですよ、土地真理教!


ここまで世間に広く根深く浸透しているとは!実際、他の先輩社員をはじめとする同僚達は、ご多分に漏れず「俺のマイホーム」についてちょっぴり誇らしげに話します。そして、それがあたかも万人の成功スキームの1プロセスのように。


正に洗脳


そう思いました。しかも、極自然に浸透しているところが凄いです。

まあ、確かに人はなんらかの思想に多かれ少なかれマインド・コントロールされていると思います。我々が生活している現在の文明や文化は先達達の歩んだ長い道程の礎の基に成り立っているわけです。1から全てを構築するなんていうのは、不効率だし不可能です(言語の構築とか一人じゃ絶対無理でしょ)。で、我々は、偉大な先達の積み重ねてきたツールを拝借して浮き世を渡っているわけで、人として生を受けた以上は、先達達が(勝手に)構築した規範・規制・道徳に強制的に従わされて生活することを余儀なくされます。そういうのが幼少の頃から行われるので、多分全ての人類はそれなりに洗脳(マインド・コントロール)されていると思います。

ただ、マインド・コントロールの全部が全部悪いとはコンキチは思っていません。例えば、「人を(みだりに)殺してはいけない」&「殺しちゃったらそれ相応の罰則が待ってますよ」というインプリントは、我々が円滑な社会生活を送る上で有効に機能していると思います。それから善悪という(人間が勝手に決めた)概念とかもかなり有効に機能していると思う。

しかしながら、オウム真理教とかの新興宗教といったマイノリティーにありがちな洗脳を、所謂善良な市民といったマジョリティーは好みません。

ちょっと長くなってきたので、強引にまとめたいと思います。

a) 全ての人間はマインド・コントロールされている。

b) 洗脳にはマジョリティーのマインド・コントロールとマイノリティーのマインド・コントロールがある。

c) マイノリティーのマインド・コントロールは積極的にマインド・コントロールと呼ばれたり(マジョリティーのマインド・コントロールはマインド・コントロールとは呼ばれない)、洗脳と呼ばれる。

d) 日本人の(ウサギ小屋のような)持家信仰(土地真理教)は、マジョリティーの洗脳(マインド・コントロール)であり、夢(Dream)と称されることもある。

こんな感じなのではと思います。で、我が国に於ける土地真理教(持家信仰)は、完璧なマジョリティーのマインド・コントロールと思います。しかも軽く有害な。

2007年12月24日月曜日

利他主義 vs 利己主義

先日、週間東洋経済(2007 12/15増大号)を読んでいたら、行動経済学に関する特集記事が組まれていていました。で、その中の一記事に「利他主義」は得をするというのが有りました(北大大学院の教授が担当)。古来から伝わる「情けは人の為ならず」っていうやつです。

記事の内容ですが、「人間は必ず合理的で利己主義的な行動をとる」という経済学の前提が誤りであり(っていうか、株式市場の短かいスパンでの乱高下が、投資家は必ずしも合理的でないということをとうの昔に例証していると思うが.....)、人間は利他的な行動をたくさんとるという反証がたくさんでてきたそうで、利他的な人にだけ利他的に行動する「選択的利他性」を、ある割合以上の人々が持っている限り、利他主義者の利益は利己主義者の利益を上回ることがよく知られているそうです。

まあ、短絡的・短期的利益に基づいた自己の利益のみをベースに行動することは、社会システムが許しませんがね。
(例えば、金が欲しいからといって窃盗とかしてばれると、お巡りさんに捕まえられる。あと、面倒くさいからといってコミュニティーの決まりに従わす、調子こきすぎると村八分とか、場合によっては提訴されたりするかも。)

人生を長期に渡って謳歌しようと思ったら、ある程度は周囲と足並みを揃えなければならないということは、感覚的に納得するところではあります。自他共栄ってやつですね。

逆に完全に利他的というのも現実的ではないような気がします。誰しも自我(欲望)があると思いますからね。

故に、人は利他主義と利己主義のバランスをとって、時にはトレードオフの選択をして生きているのでしょう。

さて、ここで利他主義と利己主義を会社生活にてはめてみたいと思います。一般的な会社員は自分の他に先輩社員(上司)、同輩社員、後輩社員がいることと思います。さらに、各カテゴリーの社員には「良い(つかえる)社員」と「悪い(つかえない)社員」がいるはずです。で、コンキチの感触では、これらの社員ミックスに対して以下の様に接するのが良いのではないかと思っています↓

a) 良い(つかえる)先輩社員
希有な存在ですが、もし見つけたら積極的に利他主義光線を発して、濃密にコミュニケイトすべきでしょう。

b) 悪い(つかえない)先輩社員
けっこう繁殖しており、ついでに厄介な存在でもあると思います。コンキチの場合、彼等に対しては徹底的の利己主義を貫きます。自分の利益を守るというのが基本と思います。組織内での利害関係が強い場合は、「さかわらす いつもニコニコ 従わず」的スタンスで接するのがベターかと思います。積極的にけんかを仕掛けるのは得策ではないと思います。むしろ、所詮上司も組織の一歯車なんだから、慇懃のちょっとだけ困らせてやろう的な気構えが良いのではないかと思いますね(コンキチはそうしています)。それから利害関係が比較的希薄な先輩社員に対しては、「(必要最低限のやりとり以外は)無視」と「慇懃無礼」をタイプによって使い分けるのがよいと思います。より具体的には、傍若無人タイプには「無視」で、普通タイプには気分に応じて「無視」&「慇懃無礼」が良いと思います(傍若無人に慇懃無礼やったら火に油注いじゃいそうですからね)。まあ一言で言うと、こういうタイプには心を滅すということでしょうか。機械的に対応するということです。バカな上司や先輩にまともに対応することくらいアホくさいことはないということを、コンキチは社会に出て学びました。それから、情けを与えても(利他的に接しても)、情けの見返りが全く期待できない人間にあいもかわらず情けを与え続けるのは、労力と時間の無駄でしかありません。フリーライダーを懲らしめるのは当然のことです。

c) 同輩社員
密かに、コンキチは同輩とのつきあいが苦手ですね。っていうかより具体的には「同期のよしみ」っていうのが苦手です。なんでたまたま入社時期が偶然一緒だっただけなのに、「同期のさくら」とか「同期のよしみ」的雰囲気が勝手に醸成されるのが嫌です。あまり深入りしてトラブルに巻き込まれたときに、人情に訴えかけられると嫌なので、つかず離れずのスタンスで付き合うのがベターかと個人的に思っています。正直言って、コンキチは、入社したのが一緒だっただけの人間を友達とは考えていませんね。ドライなようかも知れないけれど、なにかしらの共有体験がある訳でもないし。当然、うわべの良さは必要かつ重要と思いますが。

d) 後輩社員
つかえるつかえないに関わらず、先輩は後輩を育成する立場なので積極的にコミットし、社内のリソースも出来る限り優先して融通してやるできと思います。後輩に対しては完全利他主義で接するべきでしょう。先輩に利己的に接せられたら、きっと彼等彼女らも利己的になるんじゃないかなあ。あと、後輩に対して利己的だと、はっきり言って弱いものいじめだから。それは美しい生き方じゃないよね。

以上がコンキチ流「利他主義と利己主義の使い分け」ですね。

利他主義には利他主義を。
利己主義には利己主義を。

と言ったところでしょうか(ハンムラビ法典みたいですが)。その方が精神衛生上もいいと思います。利他主義に対して利己主義で返したら相手にされなくなるし(コンキチならそうする)、(筋金入りの)利己主義に利他主義っで答えたら、こっちの精神が疲弊します(精神科に行かないといけなくなるかも)。

2007年12月15日土曜日

DEPT

先日、NMRをとっていたときのことです。

とある化合物のDEPT90のスペクトルを解析していると、CH2のシグナルがなぜか検出されているではありませんか(CHとは逆の位相で)

NMRスーパー初心者級のコンキチは、

Why? That's not acceptable!

ってな気持ちになりました。

で、どうにも気になって仕方がなかったので、

「DEPT NMR」というクエリーで、軽くI'm Feeling Luckyしてみると.....

見事ヒットです。北大のWeb SiteのNMR解説ページに飛ばされて、見事コンキチの疑問に答えてくれましたよ↓
http://www.agr.hokudai.ac.jp/ms-nmr/nmr/dept.htm

なんでも(以下引用)
DEPTはCH, CH2, CH3, C(四級)の区別をパルス幅βによっておこなっているため、1JCHがふぞろいでも影響は少ないが、それでも1JCHが極端に大きなメチレンはDEPT90スペクトルにピークを与え、DEPT135では強度が弱くなる。下図は、大きな1JCH(173Hz)が知られているメチレンジオキシを有する化合物(セサミン)のDEPT90(下段),DEPT135(上段)スペクトルである。メチレンジオキシ由来のシグナルがDEPT90においてかなり強くでており、DEPT135では強度が小さい。

なんだそうです。実際、コンキチの測定したDEPT135のCH2の強度はこころなしか小さかったです。

はっきり言って、言っている意味は哀しいくらいチンプンカンプンチンプンカンプンイェーイ!といった感じなのですが、そういうことがあるんだと脳ミソにはインプットしておきました。

やっぱNMRとかのプロは、理系の文系と揶揄される化学の世界にあっては異彩をはなっているなと思うなんちゃって研究員のコンキチでした。

2007年12月14日金曜日

堕落

なんちゃって研究員のコンキチです。

先日、とある先輩社員がソリティア(フリーセル?)をやっていました。残業時間中に
オイオイ。それって服務規律に違反してるでしょ。勇気あるなあ。っていうか、仕事さぼるにしてもやりかたってもんがあるよね。せめてゲームはやめて欲しい(バカっぽいから)

あと、残業時間中にゲームするのはやめてほしいな(1万歩譲って割増賃金がつかない時間帯にさぼってよね)。どうせさぼるなら、仕事と関係性の薄い(趣味の)文献読むとか、本とかを読んでサボタージュしてほしいな。

ゲームやって残業代もらうところまでは堕ちたくないなと思うコンキチでした。

2007年12月8日土曜日

研究開発職はクリエイティブか?

香料会社で有機合成やってるコンキチです。

さて、今回のお題は、

「研究職って皆が皆、クリエイティブ(クリエイティブ・クラス)な訳?」

というものです。

ズバリ、コンキチは受託合成やってるのですが、業務フローはフレームワーク化(というほどでもないですが)しています(少なくともコンキチはそう思っている)。

より具体的には、

1) 顧客企業がラボで開発した合成スキームを、プラントで動かせる条件を設定する。
2) 資材の使用量について検する。
3) 反応温度について検討する
4) ワークアップを最適化する
5) 精製条件を検討する

っていう感じで、ルーティーン(定型的な作業)を幾つか組み合わせた労働集約的な業務です。

正直言って、JACSとかJOCの新着記事とかを読んでも、役に立ったことは皆無です。ッ自分で言うのもなんですが、深い思考・思索・考察が完璧に欠落しているんですよね。
(なので、雑誌読んでると少し空しくなります)

実際、合成香料は、かなりやり尽くされた感があり、残されているのは、軽微なプロセス改善を継続的に実施していくことと、不斉合成領域における破壊的イノベーションを期待することぐらいではないかとさえ思われます。合成香料に大きな伸びしろがないから、化成品受託合成に多角化して行くのでしょう。

で、何が言いたいかというと、コンキチは肩書きこそリサーチャーですが、ルーティーン・ワーカーなのだということです。実際、あんまり頭使ってませんし。

(そんな環境の中にいると、自分がゆっくりと緩慢に腐れていくような気がします。)

で、研究開発職というとクリエイティブ・クラスの代名詞的な響きがあると思いますが、実際は必ずしもそんなことはないということです。

2007年12月2日日曜日

クリエイティブ・クラスの世紀

という本を読みました。著者は、リチャード・フロリダ。今年の春のダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビューで彼の特集やってたと思います。


一応、コンキチは企業で研究員をやってるので、クリエイティブというタームに興味をそそられ(研究員だからといって、必ずしも仕事がクリエイティブなわけではありませんが...)、この書を手に取ってみることにしました(ちなみに市立図書館で借りました)。

で、氏の主張するところは、昨今、世界では工業化社会からクリエイティブ社会へとパラダイム・シフトしていると言います。また、クリエイティブ経済の発展には、三つのT(テクノロジジー、タレント、トレランス)が重要であると主張しています。その中でも、「トレランス」の重要性を重点的に取り扱っています(新しい主張だからかな)。そして、クリエイティブ経済(頭脳労働がベースとなる経済)下では「都市」が重要なユニットになると言います。

平たく言えば、あらゆる人種、思想、民族、あとゲイに寛容な都市は、才能ある人材(クリエイティブ人材)を引きつける(クリエイティブ人材を排除しない)からだそうです(多分)。で、国策としてクリエイティブ人材を引きつける都市を多く造りだすことが、その国の発展につながると主張しているようです。

具体的には、クリエイティブな社会資本への投資、っていうか教育システムへの投資が重要です(クリエイティブ人材の底上げになる。あと、魅力的な大学は優秀な人材を吸い寄せる)

クリエイティブ経済の基本ユニットが「都市」なのは、多分、クリエイティブ経済を牽引するのはクリエイティブ人材を多く輩出する可能性の高い「大学」ベースで考えているからだと思います。仮に日本で考えてみた場合、我が国最高の頭脳が集積する東京大学がカバーできる地域は、東京であると考えるのが妥当なような気がします。

あと、格差の過度な拡大は、クリエイティブ経済に悪影響を与えると言います(著しい格差は経済成長阻害するという研究成果がけっこうあるそうです。賃金・給与の平準化が購買力のある中産階級(クリティカル・マス)を台頭させる。)。著しい格差社会下では、下層階級の子供は充分な教育をい享受できす、階層間の移動(下層階級→クリエイティブ・クラス)がより困難になり、それが教育の機会が与えられていればなりえたであろうクリエイティブ人材の機会損失につながるからのようです。(そういった観点から考えると、戦後の日本の復興も理解しやすいような気がします)

一方、クリエイティブ経済の創世記(現在)においては、所得格差が進み易いそうです。理由は、経済を牽引するであろうクリエイティブ人材の大規模な移動によるもので、クリエイティブ人材を引きつける地域(高所得の労働者を集めている)とそうでない地域(低所得の労働者を集めている)での地域間格差が進行するから。それから、クリエイティブな地域内でも格差が進行しているそうです。クリエイティブだからといって、クリエイティブな産業のみでは地域社会がなりたちませんからね。多分、非クリエイティブなサービス業とか小売業とかに従事している人(マックの店員とか)もそれなりにいるからでしょう。

まあ、ユニフォーメーションな社会は気持ち悪いけど、格差のバランスをはかっていかなければならないということでしょうか?「中庸」ですね。

本書では、国のクリエイティビティを計測する指数は幾つか開発されているらしいのですが、その中でグローバル・クリエイティビティ・インデックス(著者らが開発した)とううのがあって、グローバル・クリエイティビティ・インデックスを基にした国別のランキングは↓

1位 スウェーデン
2位 日本
3位 フィンランド
4位 アメリカ
5位 スイス
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ということでした。正直、我が国が第2位にランクしているのには驚きました(完璧予想外でした)。だって、三つのTのうちテクノロジーんは光ってるかもしれないけど、タレントはイマイチでトレランスに至っては、かなり偏屈なのではないかと思っていたからです。

ただ、ダメダメだと思っていたトレランスについては、
a) 移民政策に対して否定的。
b) 前例主義的。官僚主義的。
c) 実益よりも儀式を重んじるところがある。
d)エスタブリッシュメント(っていうか頭の堅い爺さん)が幅を効かせている。

といったマイナス要素に

a) 宗教に対して寛容(っていうか関心がない?)。
b) 世界に冠たるオタク文化がある(最近富みに市民権を得てきたと思う)。
c)過去においては大陸からの文化を柔軟に吸収してきた。
d)気が弱く自虐的なせいか、他国の人と激しく対立しない(=仲良くなる確率が上がる)。和を持って尊しとなす。
e) 原爆を落とした国とも仲良く出来る。

的なプラス要因を加味すると、日本もそれなりに寛容性がある国家なのかもしれません。