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2008年5月12日月曜日

多悪化の理由

大前研一 戦略論―戦略コンセプトの原点」を読んでいます。

この本の第8章「事業文化ユニットの構築」(Planting for a Grobal Hervest)」(1989年発表)に、事業文化ユニット(事業を繁栄に導く共通の土壌)の違いに基づく多悪化(コア・事業やコア・技術と関係ない分野への多角化)の理由が述べられています(少なくともコンキチはそう思った)。

どういうことかというと、事業文化が違えば、時間軸、(最適な)経理システム、計画立案、コスト照準がこ異なるからオペレーション効率が下がるということだと思います。
例えば、

航空機や船を製造するメーカー
a) R&Dは10-20年先を見据えている
b) 受注生産。
c) 1-2年後といった短いスパンでの需要予測など必要ない。
d) コスト削減が利益の源泉(総コストの90%が製造コスト)

エアコンメーカー
a) 計画見通しは1年先まで
b) マス・マーケットがターゲットの大量生産
c) 製造コストは総コストの30%
d) 市場予測して、年2回のギャンブルで継続して完全試合を続けることが事業成功の鍵(笑)
e) 流通チャネルの整備が重要

航空機や造船メーカーとエアコンメーカーとでは、事業を取り巻く環境が大きくことなり、ベストなオペレーション効率を具現化するためのシステムが大きくことなるということですね。で、経営者が両者の事業文化の違いをよく理解せずに多角化すると、一方の事業に非効率的なシステムを押しつけてしまい、オペレーション効率を損ね、事業が衰退していく多悪化に陥るのではないかと感じました。


さすが、日本が誇る世界のストラテジストです。大前氏の世界的評価(英「エコノミスト」誌グールー特集で選ばれたり)に比べて、日本での知名度は格段に低いと思うのですが、出る杭は打たれる、出過ぎた杭は善くも悪くも無視されるということかななんて思う二流大出のなんちゃって研究員でした。


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2008年5月11日日曜日

コカ・コーラ VS グッチ

大前研一の「大前研一 戦略論―戦略コンセプトの原点」を読んでいます(前回のつづきです)。

コカ・コーラとグッチ。いずれも巨大なブランド・エクイティを誇る企業であり、その製品はグローバル製品である。しかし、両者の企業展開には決定的な相違があるといいます。

グッチのようなラグジュアリー・ブランドは、世界中の高額所得者層というセグメントがターゲットである。そして、製品、売り方、マーケティングのやり方は世界中で同一。

他方、コカ・コーラのようなコモディティ商品は、各展開地域においてインサイダーとなることが肝要といいます。すなわち、重要市場の一つ一つに、自国と同じビジネスシステムをそっくりそのまま、長い時間をかけて作り上げるのだといいます。

コカ・コーラが日本市場で大きなシェアを獲得した理由は、複雑な流通システムを理解し、日本中に散らばったボトラーの現地資本を活用し、強力な販売部隊を構築したからだといいます(ルートセールス販売部隊、フランチャイズによる自販機設置といった、現地機能を強化したらしいです)。コカ・コーラ型商品の場合、(ブランド構築のためには宣伝も重要と思いますが)巨額の広告費よりも、(なんでも販売できる)堅固な流通チャネルを構築しインサイダー化することの方が重要だと述べています。例えば、小売店のコカ・コーラのフェイスや販促キャンペーンとかによってその売上げが、グッチの場合よりも、大きく左右されるということかな?


ラグジュアリー・ブランドとコモディティ・ブランドにおける戦略の違いを明確に述べたこの論文は、「ボーダレス・ワールドの経営 (Managing in a Borderless World)」(1989年発表)として「大前研一 戦略論―戦略コンセプトの原点
この本↓


の第4章に収録されています。

2008年5月7日水曜日

競争は戦略の目的ではない

大前研一 戦略論―戦略コンセプトの原点」という本を読んでいます。

過去(1982-1995)に英語で発表された10本の論文と5本のコラムから構成される全11章の訳本です(8本の論文は今回初の邦訳)。

ちなみに、本書の第1章「競争は戦略の目的ではない (Getting Back to Strategy)」は、1988年にHarvard Business Reviewに発表された論文で、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2007年2月号にその邦訳が初めて掲載されました。この論文はDIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2007年2月号で1度目を通していた論文で、今回は再読ということになりました。この間、M. E. ポーター教授の著作をはじめとする幾冊かの経営学&戦略論チックな書籍に目を通してきたのですが、そのためか(どうかは分からないけど)新たな気付きがあったように思います。なので、とりあえず気になったことをメモしてみようと思います。

1) 競争のない市場の創造
「同業他社との競争」を演じるよりも、「競争のない市場の創造」の方がより優れた戦略だということを述べています。まさにブルー・オーシャン!「ブルー・オーシャン戦略」のように具体的な方法論は書いてなかったけど、1988年の時点で、腕自慢の経営者が競争に打ち勝とうとする傾向諌め、競争のない市場で先行者利益の恩恵に預かる戦略を提案しているという慧眼ぶりには敬意を表さずにはいられません。

2) 事例研究 <ヤマハ>
(当時)ピアノの販売市場は縮小の一途を辿っていたそうです。ジリ貧ってやつです。ここで、ヤマハの経営陣は顧客と製品(ピアノ)の置かれている現状を観察・熟慮するし次のことに気が付いたそうです。
a) 自動演奏ユニット (かつてのそれは音質が悪かったが、デジタル技術と光学技術で高音質を実現。イノベーション・エコシステムに似てるなあと思った。)
b) 気付かれずに埋もれていた調律市場(さらにピアノ職人に調律師というチャンスを提供できる)
で、大前氏はこんなことを宣っています。
「音楽鑑賞は以前より人気がある。多くの人々が通学中も通勤中もイヤホンをつけて、四六時中音楽を楽しんでいる。けっして音楽への関心が低下したのではなく、何年もかけて演奏の練習をすることに興味がないだけだ。」
と。

3) 帰納的アプローチ
大前氏は、
ポーター流のポジショニング論は演繹的アプローチ(コンキチは必ずしもそうとは思わないが、どちらかといったら力強く演繹的かな)で、顧客ニーズありきの戦略を帰納的なアプローチ(確かにそうだね)であるといっています。戦略とは競合企業を打つまかすことにあるのではなく、顧客を満足させることにその本質があると言います。全くの正論ですが、このことを理解していない人がけっこういると思う。顧客ニーズへの対応なんていうことは、口では簡単に言えます。誰にでも言える。でも、重要なのはそれを実際のオペレーションにブレーク・ダウンしていくことだと思う。顧客ニースと声高に叫んで、他社製品の分析におあけくれていては論外ということでしょう。例えば(バブがメガヒットした当時の)花王は、肌や毛髪のケア、血行促進に関するR&Dに多大な投資を傾ける一方、他社のトイレタリー製品にはあまり注意を払っていなかったのだっそうです。

4) 付加機能をつけることが有効な場合
同業他社の製品を模倣してあれもこれもと必ずしも必要ではない機能を付与する戦略の誤謬は氏も指摘するところですが、機能の詰め込みが有効な例が示されています。例えば、日本の家庭のように狭い住環境においては、機能を集約したコンパクトな家電製品が受け入れられ易いかもしれない。
(でも当然、模倣容易なものだったら長期的な競争優位は確立できないよね。あと、アメリカとかのリッチマンの大邸宅にはそぐわない。)


とまあ、今回(第1章)の感想はこんなところです。

今、半分くらいこの本を読み進めましたが、かなり凄いことが書いてあると思います(発表されたのがかなり昔であるにもかかわらず)。全ての社会人が一読すべき本といっても過言ではないと思う。っていうか、高校とか大学で訳分かんない授業されるより、この本を与えて生徒にディスカッションさせた方が全然いいと思う二流大しか入れなかったなんちゃって研究員なのでした。

あと、M.E.ポーター、大前研一の論文が読める一流経営誌「ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー」を定期購読したいという軽くマニアックなアナタはココから↓




を買ってもらえるとウレシイです。

2008年5月2日金曜日

パワープレイ

スティグリッツ教授の経済教室―グローバル経済のトピックスを読み解く」という本を読んでみました。

2001年にノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・E・スティングリッツ教授の著作で、我が国では週刊ダイヤモンドに掲載されたコラムをまとめた本なのだそうです(書き下ろし論文あり)。
コンキチは経済学を勉強したことがないので、本書でスティングリッツ教授が述べている経済トピックスへの考察は、「はあ、そうなんですか。勉強になります。」としか言えませんが、純粋な経済に問題とは別に、幾つかの重要な教訓をこの本から受け取った気がします。なので、それらをメモしてみますか。

この本を読んで初めて知ったのですが、
a) アメリカが世界銀行総裁を選出する
b) ヨーロッパがIMFの専任理事を選出する
c) アメリカはIMFで拒否権を行使できる唯一の国
d) 貿易協定には、パワーポリティクスや偽善が横行しているという。
例えば、
・先進国の農業補助金が、先進国の少数の豊な農家を潤している一方で、途上国の貧しい生産者の競争力を奪っている。
・3%ルール(最貧国に自国市場の97%を開放するというアメリカの決定)→残り3%は途上国が実際に生産している財だとか(意味ないジャン)
・生産効率高いブラジル産エタノールに高い関税をかけ、高コストの自国のエタノールを補助金で保護している。


凄げ~!完璧、アメリカに牛耳られてますね。正に、強き者の弱き者に対するパワープレイ!!っていうかヤクザそのもの。


規模やコミュニティーは違えど、強者が自分の都合の良いようにルールをつくり、弱者をやんわりと虐げるという図式は普遍性が高いななんてひねくれたことを思う二流大出になんちゃって研究員なのでした。

2008年4月11日金曜日

社会調査のウソ

という本を読んでみました。
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本書の主な内容は↓

(1) くだらない社会調査が、マスコミとか学者といった権威の威を借りて世間に垂れ流されていることを、具体的な事例(名指し)で例証している(アポな学者もけっこういるらしいです)。
(2) 調査実施時に見られる様々なバイアスについての分かり易い説明

です。

社会調査に無意味なものがけっこうあるということは風の噂で知っていましたが、この本ではけっこうな量の具体的事例で例証されており、なかなか良いです。

コンキチが一番印象に残ったのは、本書の冒頭で紹介されているforced choice (強制的選択)です。forced choiceとは、特定の選択肢が上位にくる恣意的な質問の設定のことで、回答者にforced choiceと気付かせないように設問をつくることで、回答者の回答をコントロールできます。自分、機会があったら是非使ってみたい(試してみたい)テクニックと思いました(悪な考えですが)。

でも実際に、設問者が意図しているかどうかは別にして、出来の悪いアンケートとかでforced choiceライクな設問を見かけたりしますね。その度にアホくさとか思って、適当なこと書いちゃいますが。やっぱり、気取られない様な設問の設定が重要なんでしょうね。逆に自分はそういうのにひっかからないように気をつけたいと思います。

それから、どうすればマスコミとかで垂れ流されるゴミ社会調査(権威に対する服従や社会的証明による説得)を見破れるかということですが、当たり前のことで恐縮ですが、思考停止に陥らず、考える力を養うことが重要と思いました。


最後に↓

著者曰く、米国と日本の社会調査に質は段違いだそうです(勿論、アメリカの方が良質)。社会調査に基づいて論を展開している本(経営学の本とか)を買うときは、アメリカの訳本(英語が得意な方は原書の方が良いよ思います)を買った方がよさそうだなと思う次第なのです(日本の本ですが、例外的にこの本はオススメと思います)。

2008年4月1日火曜日

The Winner’s Curse

行動経済学に関する本を読んでみました。「セイラー教授の行動経済学入門」という本で、原題は

The Winner’s Curse
Paradoxes and Anomalies of Economic Life


です。

「勝者の呪い」ということですが、これは本書の第5章で解説されているテーマで、オークションの勝者は敗者になる呪いをかけられているというパラドックスです(競売の勝者は、常に平均的な入札額から最も乖離した、どの入札者が推定した市場価格よりも高値で落札することになる)。

例えば、小銭が詰まった広口瓶をセリにかけると、
(1) セリ値の平均値は、硬貨の総計額をかなり下回る
(2) セリに勝った者の言い値は、広口瓶の中身の価値を上回る
こと請け合いなのだそうです。

鍵を握るのは、認知上の錯覚だとか。

ちなみにこの本は13の経済理論のパラドックスを扱っており、経済学スーパー初心者級のコンキチの脳ミソには難しい内容で、帯に書かれている軽そうな文言とは裏腹にけっこう硬派な内容と思いました(コンキチには難しかった)。

まあ、その中でも、

a) 産業間賃金格差(第4章)→均等性に引きずられる
b) 損失回避(第6章)→現状維持バイアス、保有効果(機会費用の軽視)、損失回避性(損失が利益より強く評価される)の解説
c) 選好の逆転現象(第7章) →選好順位は、選択や判断を下すプロセスのなかで構築されていく
d) 期間選択(第8章)→割引率は時間の経過とともに低下する。人々は常に以前立てた計画以上に現在の消費をしてしまうという現在志向バイアスとかの解説。また、人びとの割引率は、損失よりも利得の方がはるかに大きいという。

は比較的容易に理解でき、かつ興味深いトピックスであると重いました。コンキチ的には「選好の逆転現象」が一押しですね。全く同じ内容の質問でも、文脈の違いで、その問いに対する回答(選好)が逆転するという奇異的事実が例証されています。とても興味深いです。

例えば、

H: 4ドル当たる確率が9分の8 (期待値 3.6ドル)
L: 40ドル当たる確率が9分の1 (期待値 4.4ドル)

という二つの賭けの一方を選ばせた場合、

実験参加者の多く(71%)がHの賭けを選ぶ

のだそうです。

一方、それぞれの賭け札を自分が持っているとして、いくらなら売っても良いかという最低価格の値段を求めると、

大部分の実験参加者(67%)がLの賭けに高い値をつける

という結果だったそうです。

正しく、人は必ずしも合理的ではないということの証左です。はっきり言って、なんて人間は不完全で、情緒的なのだろうという事実が窺えて楽しいです。

ついでに、期待値マイナスの宝くじに大勢の人々が群がるのは、「Lに高い値をつける」と同義なのかななんて思っちゃいました。

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2008年3月17日月曜日

ノー・マネー、ノー・フリーダム

先日発売された、橘玲著の「黄金の扉を開ける賢者の海外投資術」を読んでみました。

(密かにコンキチは、橘氏の著作、ゴミ投資家シリーズ、小富豪シリーズをコンプリートしています)

かなり俗っぽいタイトルですが、過去の著作同様に硬派な内容に仕上がっていると思います。道徳的に声を大にしていうのは憚られるようなことが、率直に語られている良書と思いました。

今回の著作では、(過去の著作と重複する部分もけっこうありますが)FXやオプションを題材とした知的パズルとして面白い読み物もあり(一生やることはないと思うが)、軽い頭の体操にもなって楽しいです。

では、以下にコンキチの心の琴線に触れた部分(赤)コンキチのコメントをメモしてみようと思います↓

1) ノー・マネー、ノー・フリーダム
著者がカンボジアを訪れた折、操舵手兼ガイドの若者が著者へのセリフです。
人が働く動機というのは、総括的には様々あると思いますが、最もファンダメンタルな部分は、生活の糧である「マネー」を得るためでしょう。「仕事は自己実現」なんていう台詞を吐く人も多数いるかもしれませんが、仕事で自己実現でない状況に陥ったからといって、マネーを得る手段を放棄してしまう人は少数派でしょう。嫌な会社でバカな上司のアホな指示に従順に従うのも、そこから得られるキャッシュ・フローにより、生活の自由度を確保するためでしょう。
人生金じゃないなんて言葉も耳にしますが、潤沢なマネーは、人生における選択肢を広げ、自由の範囲を拡大させることができるというのが、貨幣経済における真理だと思いましたね。

2) 貨幣経済というのは、信仰によって支えられている。
高度に洗練された貨幣経済の発達により、世界中の取引が簡便かつ効率的になり、豊かさが広く衆生に行き渡る。それが、「貨幣経済への信仰」による救いなのだと思います。
世界最大宗派は、世界三大宗教のいずれでもなく、「貨幣経済への信仰」なのです。
資本主義は貧富の格差は広げていくかもしれないけれど、「貧」の部類であっても、その経済力の絶対量を増加たらしめるものであると思います。

3) 保険とは、不幸なことが起きると賞金がもらえる宝くじの別名なのだ。
氏の過去の著作においても、折りをみて触れられていることですね。お金の流れを鑑みると、保険と宝くじは全くの同義としか言いようがありません。道徳的な見地から、「保険=宝くじ」なんてことを言う輩は不謹慎と思われるかもしれませんが、こういった真理を学校教育で教えて欲しいものです。

4) リタイアメントとは、生活資金の源泉を労働市場から資本市場に移すことをいう。
言われてみてはじめて認識しましたね。確かにそういうことです。ファイナンシャル・インテリジェンスとファイナンシャル・リテラシーを磨くことなしに、ハッピー・リタイアメントは実現しそうにありませんね。こういう真理を学校教育にも期待したいものです(絶対無理でしょうが.....)。

5) 自由とはたんなる観念ではなく、個人の経済力から生み出されるのである。
人はこの世に生まれ落ちた瞬間から、多くの外的要因に束縛され、支配されることとなります。国家に支配され、家庭環境に束縛され、慣習に支配され、社会規範に束縛され…..みたいな感じで。そして、人生を歩んで行く上で、どうしても世界最大宗派である「貨幣経済という信仰」=「マネー」に頼っていかざるを得ない。
人生とは経済的独立をゴールとしたゲームに近しいと強く思うのです(まさに人生ゲーム)。

こんなところが、コンキチの心に深く刻みこまれた部分でしょうか。それにつけても、氏の文章って、分かり易くて、冷笑的で、読者を引き込んで行く魔力を感じます。

ちなみにコンキチは、橘氏の著作の中では、「雨の降る日曜は幸福について考えよう Think Happy Thoughts on Rainy Sundays」が一番好きです。理由は、「シニカルな真理」がよく表現されているから。二流大出の窓際研究員的には、とってもオススメの本です。買うのが嫌だったら、図書館で借りて読んでみるといいかと思います。

2008年2月22日金曜日

推理小説からの示唆

久しぶりにクリスティーを読んでみました。読んだのはエルキュール・ポアロシリーズの「晩餐会の13人」(創元推理文庫)です(原題は、LOAD EDGWARE DIES (Thirteen at Dinner)で他の出版社からは「エッジウェア卿の死」というタイトルで出版されている)。

密かにコンキチはミステリ好きで(マニアの域には達してません)、けっこう読みます。昔は海外の古典をよく読んでいましたが、最近は有栖川有栖とか綾辻行人の作品を好んで読んでいます。






最近コンキチが読んだオススメミステリ↓

山伏が探偵&語り部となる異色の短編集。









学生アリスシリーズ第4弾(最新作)。設定はバブル期付近。宗教団体の支配する街を舞台にしたクロズドサークル内での犯人当て。主要メンバーが学生なためか、甘酸っぱい気分になります。







綾辻行人の館シリーズ。殺人の舞台はパラノイア的主人がかつて住んでいた屋敷。物語は、ある老人の手記に沿って進んで行く。伏線に次ぐ伏線、錯綜する容疑者の思惑、スケールの大きなトリック。いい仕事してますね。







閑話休題

ところで、コンキチは良質なミステリは最も優れたエンターテイメントだと思っています。その理由は↓

1) お高くとまっていない
2) 「犯罪」という「毒」が絶妙のスパイスになっている
3) 物語の展開が分かり易い (最終目的は犯人当てに収斂している)
4) 欺かれる快感がある

といったところでしょうか。


それから、良質なミステリは優れたエンターテイメントであるだけではなく、社会生活において示唆に富んだ教書でもあるのです(多分)。

例えば、「晩餐会の13人」には次のような記述があります。

自分の主張や意見や、それらの根本的な正しさを確信しているために、こまかな点を問題にしないというのは<中略>とりわけ正直な人間の特徴なのだ。<中略>理性や覚えている事実にもとづいて質問に答えるのではなく、自分の観念にたよって答えるのだ。確証のある証人は常に疑いをもって扱う必要があるのだよ、きみ。
(ポアロのヘイスティングズに対する言葉)

それから、

きみは確信を持っている-いつだって確信だ!きみはわが身を省みて自問することがない-はたしてそうだろうか、とね。疑うことをしない-あやしむことをしない。
(ポアロのジャップ警部に対する言葉)


これって日常的によく目にすることありませんか?コンキチはよく目にします。根拠もないのに、自信いっぱいに話をする人達を。


例えば、ある反応中に生成するこのピークは「コレ」だから…なんていうふうに自信満々に言われて、その後よくよく分析してみると、全然違う化合物なんですけど…なんてことがあったりします。

あと、絶対この化合物は(微量不純物として)できませんから…なんて大して検討してないくせに言う輩がいます。

反応のメカニズムとかから推察することは非常に大事だとは思いますが、Scientific Factなしに、ある種の思いこみに近いことを根拠に力強く断定するのはいかがなものかと思いますね。理論的枠組みからの考察は有用と思いますが、「100%」とか「絶対」ということを科学的事実という裏をとることなしに断言することはあまり価値の無いことであり、そういう輩は科学者としての資質を欠いていると思うのです(まあ、三流研究員の私見なので軽く流して下さい)。

自分、科学者の役目っていうのは実験事実を疑うこととの戦いだと考えています。

なにか見落としはないか?
分析方法は本当に適切か?
その手法の限界はないのか?

みたいに、疑って疑って疑いつくして、それでもなお生き残っている事実を現時点の科学の力の範囲内で確度の高いデータ(科学的事実)として提供するのが科学に携わるものの役割のように思います(トヨタの何故を5回繰り返すってヤツに似ていると思っています)。

そういう意味で、クリスティーの本作品は示唆に富んだものなのではないかと思った次第です。

まあ、三流窓際研究員のたわごとと思って、軽く聞き流してもらえれば幸いです。

2008年2月16日土曜日

トレードオフ : ジャパン・アズ・ナンバーワンの誤謬

M. E. ポーター教授の「日本の競争戦略(CAN JAPAN COMPETE?)」(2000年に邦訳が出版れました)を読了しました。

かつて、我が国が高度経済成長の真っただ中にあった折、Japan as No. 1などともてはやされた時期がありました。

当時の我が世の春は、日本的経営と政府の政策が原動力になったと一般的には理解されているのかどうかコンキチにはよく分かりませんが、決してそうではないとポーター教授は説きます。

当時の多くの日本企業は、オペレーション効率とシェアの追求にやっきになっていて戦略がなかったと結論づけています。つまり、選択と集中であったりSTP(セグメンテーション、ターゲッティング、ポジショニング)といった戦略がなく、全ての顧客に全てのモノを提供するという非効率的な模倣合戦に終止し、結果過度の価格競争に陥り、利益を失っていったということです(勿論、戦略のあった成功産業のことは誉めている)。

で、ポーター教授はこう宣います。

戦略とはトレードオフである。戦略は何をしないかという選択であると。

そして、

日本企業のもつ卓越したオペレーション効率と戦略のシナジーが日本企業の国際競争力を強化すると。

また、政府の、国内市場での競争を抑制する保護政策や市場をコントロールしようとする政策(合法カルテルとか)が、国内企業の健全な競争を阻害し、イノベーションを阻害し、国内の要素要件を高コスト化した失政であると評しています(大前研一氏も自身の著作「日本の真実」で政府が介入するとろくなことがないといっていた)。そして、我が国の失敗産業(農業、金融、化学、チョコレートとか)に政府に政策を色濃く受けたものが多く、成功産業においては、政府の政策が意味をなさなかったと分析しています。そして、競争を阻害するような政策下において、よく成功したとも(勿論、全てが悪い政策だったとは言ってませんが…)。

で、ポーター教授はこう宣います。

健全な競争を強い産業クラスターを形成し、イノベーションを加速し、国際競争力を高めると。企業の健全な競争を促す政策を取るべきだと。


「Japan as No.1」とは、一握りの戦略を持った成功産業の大いなる成功の影に、数多くの失敗産業があることを見逃していたための言葉なのかもしれません(自分、当時は生まれていないorチビッコだったので全部想像ですが)。

それにつけても、ポーター教授の論は凄いですね。理路整然で読み易いし(訳がよかったのか?でも原文がよくないとよい訳は生まれないと思う)。世界一のストラテジストですよ。

本書は、ファイブ・フォース・モデル、ダイヤモンド・フレームワーク、クラスター理論が一通り解説されていて、しかも、ポーター教授による日本企業のケース・スタディーが聴講できる希有な本かと思います。

2008年1月14日月曜日

ポーター教授とフロリダ教授


M.E.ポーターの競争戦略論 I競争戦略論 II
を読んでみました。「I」は企業の競争優位の源泉に関しての論文集で、5フォースモデ ル、活動間のフィット(活動間の相互補完性とシナジー)、多悪化(本業と全然関係ない事業への多角化)等について書いてあります。「II」ではイノベーションに関する論文集で、ダイヤモンドフレームワークと立地の優位性(クラスター理論)を用いてイノベーション効率の高低について論じています。

で、思ったのが、ポータ-教授のクラスター理論って、(以前のブログで書いた)フロリダ教授のクリエイティブ・クラスの世紀で言っていることと凄くオーバーラップしているところが多いなと感じました(実際、フロリダ教授は著作の中でポーター教授のクラスター理論にも言及していましたが)。



誤解を恐れずバッサリ言うと、両者の最大の共通点は、

競争力を測る基本ユニットは「都市」であるということです。

で、

ポーター教授の本では、クラスターが形成されている都市では、激しい競争によりイノベーションが加速され、イノベーションが競争優位となるということと、「情報の集積」に大きなアドバンテージがあるということが述べられていたと思います。

一方、フロリダ教授の本では、テクノロジー、タレント、トレランスが競争力の源泉であり、トレランスな都市にクリエイティブ人材が引き寄せられる。クリエイティブ・クラスは多くのモノを受け入れる柔軟性のある都市を魅力的と感じる。世界各国の優秀な人材(タレント)が集まるハイレベルな大学の存在は優位。教育への投資はクリエイティブ人材の底上げにつながり有効。そして、クリエイティブ人材によりテクノロジーが開発されイノベーションが加速する。と述べていたように思います。

コンキチのような三流研究員ごときがこんなこと言うのも生意気で、憚られますが、フロリダ教授の言っていることが原因で、ポーター教授の言っていることがその結果を解説しているように思います。

つまり、(多分間違ってるとおもうけど)クリエイティブ・クラスが集積する都市で、競争によりイノベーションが促進され、競争優位が確立される。「クリエイティブ・クラスを引きつける都市づくり」と「クリエイティブ・クラスを育成する政策」が重要ということと思います。

うまくまとめられませんでしたが、

競争戦略論 IIクリエイティブ・クラスの世紀は相互補完的な本かなと思ったのでメモしてみた次第です。

以上、二流大出のなんちゃって研究員のちょとした思いつきでした。

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