2008年3月11日火曜日

不言実行の価値

最近、教育関係の不祥事が熱いです。

ごく最近のニュースだと、川口高校の馬鹿な校長が脅迫メールおくって逮捕されましたね。

あと、先日大人のいじめをネタにした番組をやっていて、学校の先生の間でもいじめがあるとか。

不謹慎かもしれないけれど、マジ、笑えます。


大人が、しかも実際に子供を説教する教育者が、

自分はいじめしといて、生徒にいじめは良くないと言う。
自分は脅迫しといて、立派な大人になろうねと言う。
ウソは良くないといいながら、自虐的プロパガンダ史観を植え付ける。


まあ、全部が全部ダメダメな教師とは思いませんが、イメージ的には完璧に、



有言逆実行


まっしぐらですよ!

「自分ができもしないことを、人に強制する」

誰も言うこと聞かねーだろっつーの!臍が茶沸かしそうです。

こういうのって、教育の場だけじゃなくて、会社等の一般社会にもよく見受けられるような気がします(コンキチはよく見かける)。

先生や上司といった立場がより上位の者は、生徒や部下から(面と向かって)批判されたり、注意されたりするということは皆無でしょう。実質、下の立場の者からのチェックが機能しないのです。なので、上に立つもには、厳しく自己を律していく必要があるのだと思います。でなかったら、ただのワガママ大王になっちゃいますからね。

ところで、コンキチが小学生の時分、チェッチェコリが得意な強面の担任だった先生が、

「日本人は不言実行を美徳としてきたが、これからはそれではダメだ。有言実行でなければいけない。」

的なことを言っていたことを記憶しています。

そのこと自体を否定するものではありませんが、有限逆実行が跋扈する中では、有言実行よりも、不言実行の美徳の輝きが増しているように思います。

言葉にせずに、阿吽というか、俺の背中についてこい的な無言の言葉の重みというんでしょうか、そういうのが重みを増していると思う。言葉を丹田におとして重みをつけるような感じで。

そういった姿に、部下や生徒が気付くと、より精神に響くと思いますね。

変な懐古趣味にはしるつもりはありませんが、かつての日本人の美徳はそう捨てたものではないと考えます。

薄弱な自己主張より、重たい不言実行。それが日本人の良さであり、強みであると思うから。

なんてちょっぴりセンチな気持ちになって幻想語っちゃいましたが、そういう世の中が戻ってくる、というか日本人がかつてのアイデンティティーを取り戻す日が来るといいなと思う、二流大出の窓際研究員なのでした。

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