2008年10月11日土曜日

日本国の賢者

司馬遼太郎の「花神」(上)(中)(下)を読了しました↓


花神とは中国の言葉で花咲爺を意味する言葉で、本書は、幕末から維新初期にかけて、日本全土に革命の花を咲かせて回っる中心的役回りを演じた我が国の近代兵制の創始者といわれる大村益次郎(村田蔵六)の生涯を描いた小説です。

大村益次郎は山口(長州藩)の百姓上がりの村医の子として生まれますが、数奇な運命を歩んでいく事になります↓
a) 大阪大学の前身である適塾(緒方洪庵が創始)に学ぶ
b) 一旦は山口に戻り家業(医者)を継ぐ
c) ほどなくして宇和島藩に召し抱えられ、兵学書の翻訳や軍艦の設計にたずさわる
d) 東京(江戸)に出て幕府講武所の教授どかをやる
e) 桂小五郎に見いだされ、長州藩に召し抱えられる(しばらく冷や飯をくわされる)
f) 幕長戦争(第2次)で長州軍を指揮する。
g) 戊辰戦争で新政府の総司令官
h) 西南戦争を予言
j) 刺客に襲われ命を取り留めるも、その後様態が悪化して死去(享年46)


大村益次郎は百姓あがりで、撃剣•抜刀の経験はなく、馬にも乗らないとい人物で、戦の経験もなかったにも関わらす、幕長戦争におて見事な采配をふるって幕府軍を撃退します。戦の経験もないのに、何故見事な采配をふることができたかというと、宇和島藩以降の彼の処遇に理由があります。欧米列強の武力の脅威から、最先端の軍事情報の入手が喫緊の課題となった。で、適塾で身につけた蘭学を使って、兵術や砲術といった先端の軍事技術を翻訳しまくることになります。結果、先端軍事技術に超詳しくなった。

ところで、読書っていうのは歴史を顧みる作業と同義だと思います。実体験(経験)以外に、先達の辿ってきた道を知る術は読書以外にないでしょう。

ということで、大村益次郎は、読書を持って歴史に学び、その知恵を実践に落とし込んだのでしょう。


「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

という有名な言葉がありますが、大村益次郎はその賢者を地でいく人物だと思います。明治維新というと、西郷隆盛が筆頭に思い起こされる人物と思いますが、コンキチは大村益次郎を第1等に挙げたいな。

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