とある化学の超ガテン系

実験嫌いの実験化学者が綴る企業の研究員の日常 (このブログはMac OS Xに最適化されています)




Friday, August 13, 2010

戦争と政治

終戦の日が近づくこの時期、例年原子爆弾のネタとか反戦のネタとかで盛り上がるのには辟易させられます。あと、大東亜戦争に係る謝罪ネタにももう飽きました。

学校とか社会からは、「戦争は悪いよね」とか「核兵器の保持は悪いよね」といった洗脳教育を受けますが、果たしてそうでしょうか?

戦争が多くの人命を奪う極めて悲惨なものだということを知らない人は皆無だろう。どんな馬鹿だって知ってる。それなのに未だに戦争が無くならない現実を鑑みると、コンキチは戦争はその悲惨さに係る知識だけでは抑制することができないと思わざるを得ません。

要は、戦争っていうのは政治の一種なんだよね。コンキチは、政治とは妥協の技術だと思ってるんだけど、話し合いによる妥協が困難な場合、どうするかってことですよ。交渉決裂してもそんなにクリティカルな問題でなければ、先延ばしや放置プレイで対応することができます(例えば、北方領土問題とか)。

でも、これを譲ったら国家としての尊厳が著しく損なわれるとしたらどうでしょう?(フセイン政権時のイラクとか、パレスチナ問題とか、戦時下の大日本帝国はどうでしょうか?)

あと、「これを譲ったら国家としての尊厳が著しく損なわれる」っていう事象が発生するのには、仕掛ける側の策謀があったりする場合があると思います。まあ、ザックバランに言えば、それは悪意かもしれません。

まあ、無茶な要求を無抵抗に「ハイハイ」ってきくっていう選択肢もあるかしれませんが、それで人生幸せですかね(場合によっては侵略されて蹂躙されちゃいますよ)?「話せば分かる」なんていう立派な方もいるようですが、話し合っても解決しないから暴力に訴えるわけですよ。っていうか、(個人レベルで)話して分かれば警察機構や司法機関はいらないでしょ。でも、そういったものの存在を否定する人をコンキチはみたことないけどね。

要は、世の中は善良で勤勉で思慮深く純粋で思い有りの有る人間だけで構成されているわけではないんですよ。それに善悪なんていう人間の考えたあやふやなものに絶対的な基準なんてないし。


戦争は政治がパワープレイ化したもの


そういうことでしょ。


ちなみに、オバマ大統領の核廃絶の演説はただのリップサービスだ。はっきいり言って無くす気なんて皆無でしょう(核を超える兵器を手にすれば別ですが)。

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