カミさんと子供たちのみ実家に帰省し(連休が始まる前に帰っていった)、お盆の連休は一人孤独に過ごした、なんちゃって研究員のコンキチです。
さて、連日の猛暑日の中、帰省ラッシュ & U ターンラッシュで、我が国の高速道路網は渋滞の様を呈していたみたいですが、コンキチは、蕎麦を食べにいったり、ビリーズブートキャンプをやったり(一応7日間やった)、近所のショッピングセンターで涼みながら本よんだり、エアコンの効いた部屋でカウチポテトに勤しんだり(DVD 6本観た)とそれなりに孤独の生活をエンジョイしていました。
で、おもったことですが↓
やっぱり人(大衆)と同じことばかりしてたらダメだな
ということです。
しかも、盆と正月のラッシュに巻き込まれることほど滑稽なことはないと思うのです。サラリーマンには「有給休暇」という不労所得があるんだから、それを力一杯有効活用しない手はないと思うのですがねえ。より具体的には、普通の平日にバシッと休みをとって帰省なり旅行なりするということです。
ちなみに、コンキチの勤務する会社では、年間の有給休暇の付与日数は20日で、有効期限は2年(未消化分は翌年まで繰り越せる。買い上げはなし)。調子こきすぎなければ少なすぎるということはないと思います(去年は調子扱きすぎて年間20以上休んだけど) 。
人間とは忘却を得意とする種ではあると思うけれど、毎年2回も衆愚の極み(盆と正月のラッシュ)がデモンストレートされています。しっかりと自分の脳みそにインプリント(imprint)して人(大衆)とは異なる行動をするように心がけていきたいと思います。
それが、自分のエッジを磨くことになると思うから。
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2007年8月21日火曜日
2007年8月6日月曜日
KYT再び
以前このブログで、KYT (Kiken Yochi Training)に関するアポアポな出来事を書きましたが(see http://researcher-station.blogspot.com/2006/09/blog-post_17.html)、その第2弾です。
「GCの(キャピラリー)カラム交換」というお題で、某マネジャーがこうのたまいした↓
カラムの接続がしっかりできていなかったため、キャリアガスが漏れて酸欠状態になり、めまいがする。
っていうか、カラムがしっかり装着されていても、そうでなくても、キャリアガスっていうか、トータルフロー104 ml/min (にだいたい設定している。)は常に変わらず流れてますから!!!!!
残念!!!!!!!!!!
つまり、カラムが外れた状態でキャリアガス流してても、そのこと自体が原因で酸欠にはならないのです。
コンキチはすぐに気づいたのですが、そのことについて誰も何も言いませんでした。まあ、コンキチが指摘してあげてもよかったのですが、ダークサイドに堕ちてやる気ナッシングだし、その発言した人はちょっと気難しいので、黙秘してしまいました。
空恐ろしい脳みそしか持ってない人たちの中で仕事するのに辟易している某二流国立大卒のなんちゃって研究員の毒づきでした。
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「GCの(キャピラリー)カラム交換」というお題で、某マネジャーがこうのたまいした↓
カラムの接続がしっかりできていなかったため、キャリアガスが漏れて酸欠状態になり、めまいがする。
っていうか、カラムがしっかり装着されていても、そうでなくても、キャリアガスっていうか、トータルフロー104 ml/min (にだいたい設定している。)は常に変わらず流れてますから!!!!!
残念!!!!!!!!!!
つまり、カラムが外れた状態でキャリアガス流してても、そのこと自体が原因で酸欠にはならないのです。
コンキチはすぐに気づいたのですが、そのことについて誰も何も言いませんでした。まあ、コンキチが指摘してあげてもよかったのですが、ダークサイドに堕ちてやる気ナッシングだし、その発言した人はちょっと気難しいので、黙秘してしまいました。
空恐ろしい脳みそしか持ってない人たちの中で仕事するのに辟易している某二流国立大卒のなんちゃって研究員の毒づきでした。
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2007年8月5日日曜日
まっとうな経済学
まっとうな経済学を読了しました。

ちなみに原題は「The Undercover Economist」(覆面経済学者)っぽいです。
この本、著者の元々の文章が悪いのか、訳者の訳文が悪いのか、コンキチの国語の読解能力が低いのか、読み辛かったです。
さて簡単な本書の内容ですが、「希少性」、「外部性」、「情報の非対称性」が基本的なキーワードになっていて、これらに係る要素が市場を規定する的なことが書かれていたと思います。特に、「希少性」が最も繰り返し使われていて、その力の持つ支配力の大きさが力説されていますね。実際、ラグジュアリー・ブランドはその希少性を利用して、割高なプライシングを実現しているというのは周知のことでしょう。
それから、「価格ターゲッティング」というアイデアが興味深かったです。ベースとなる商品と割高なオプションを加えた商品ラインナップし、顧客の価格感度を測り、価格感度毎に顧客を選別するということだと思うのですが、そういう価格戦略は興味深かったです。(価格感度の低い顧客はオプション沢山のプレミア商品を買う。また、プライベート・ブランドはナショナル・ブランドの見せ玉につかわれる。)」
あと、本書で語られている「誘因」は、多分インセンティブのことだと思うのですが、設定された「誘因」により、その「誘因」の支配下にある人々の行動が規定されるということは、「ヤバい経済学 -悪ガキ教授が世の裏側を探検する」と同じ主張のように思いました。ただ、本書ではカメルーンや中国という国家を引き合いにだして説明しうていることが興味深かったですね。
個人的に読むのに難儀しましたが、図書館で借りて読んでも損しないくらいの価値はあると思いました。
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ちなみに原題は「The Undercover Economist」(覆面経済学者)っぽいです。
この本、著者の元々の文章が悪いのか、訳者の訳文が悪いのか、コンキチの国語の読解能力が低いのか、読み辛かったです。
さて簡単な本書の内容ですが、「希少性」、「外部性」、「情報の非対称性」が基本的なキーワードになっていて、これらに係る要素が市場を規定する的なことが書かれていたと思います。特に、「希少性」が最も繰り返し使われていて、その力の持つ支配力の大きさが力説されていますね。実際、ラグジュアリー・ブランドはその希少性を利用して、割高なプライシングを実現しているというのは周知のことでしょう。
それから、「価格ターゲッティング」というアイデアが興味深かったです。ベースとなる商品と割高なオプションを加えた商品ラインナップし、顧客の価格感度を測り、価格感度毎に顧客を選別するということだと思うのですが、そういう価格戦略は興味深かったです。(価格感度の低い顧客はオプション沢山のプレミア商品を買う。また、プライベート・ブランドはナショナル・ブランドの見せ玉につかわれる。)」
あと、本書で語られている「誘因」は、多分インセンティブのことだと思うのですが、設定された「誘因」により、その「誘因」の支配下にある人々の行動が規定されるということは、「ヤバい経済学 -悪ガキ教授が世の裏側を探検する」と同じ主張のように思いました。ただ、本書ではカメルーンや中国という国家を引き合いにだして説明しうていることが興味深かったですね。
個人的に読むのに難儀しましたが、図書館で借りて読んでも損しないくらいの価値はあると思いました。
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2007年7月29日日曜日
侍はいた
「構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌
」(竹中平蔵著)を読了しました。

以下、徒然なるままに、とりとめもなくまとまりもない感想をメモしてみます↓
我が国で、大臣経験(しかも常に主要な大臣)者であり経済学者である氏の著作というのは非常に価値があると思い、同書を手に取りました(経済学者で大臣は竹中さんと現経済財政政策担当大臣の大田さんしかいないと思う)。
タイトルからも明らかなように、同書は5年5ヶ月に渡る小泉内閣においての氏の仕事を著したものです。内容がコンキチの想像以上に生々しく描かれていて、この手の書籍としては読んでいて珍しく興奮しましたね。で、率直に思ったのは、我が国にも「侍」と呼べるような人物(政治家、学者、経済人、官僚)がいるのだなあと感じ、柄にも無くちょっと胸が熱くなるのを感じてしまいました。
小泉内閣発足時、日本は「失われた10年」などというキャッチ・フレーズに表されるように、これまでの超バラマキによる財政政策の失敗(流動性の罠)によって、経済の閉塞感に覆われていました。実際、小泉内閣発足前夜に就職したコンキチ達の時代は「就職氷河期」などと言われ、労働市場(っていうほどの市場は形成されてないよ思うが)は、企業業績の悪化を背景に空前の買い手市場でもありました。
巨額の不良債問題、巨額の財政赤字といった非常に好ましくない状況の中にあって、敢えて火中の栗を拾おうとし、そして、我が国の経済を回復の方向に向かわせたのが、小泉純一郎内閣総理大臣と竹中平蔵大臣であり、彼等を真剣に支え続けた気骨あるスタッフでだったのだなと同書を読んで改めて感じました。
まあ、本人の手による著作なので、ある程度は割り引いて考えなければならないかとも思いますが.....
小泉内閣発足時から、竹中大臣の語り口は、他の政治家などに比べて、極めて分かり易く、はっきりいって氏は「まともなこと」を言っているように聞こえました。それなのに、「いつか来た道」を繰り返そうと刷るばかりの抵抗勢力のオウム返しのような台詞にはTVの前で辟易させられました。
また、国民の意を得た(ような)場合は「ポピュリズム(衆愚)」と、リーダーシップを発揮するときは「国民不在(ファシスト)」とヒステリックに叫ぶ、そして歪曲報道と掌を返したような発言をし、自分達があたかも正義の使徒であるかのように振る舞うマスゴミの醜悪な姿を忘れることができません。
まあ、反体制的な発言をおもしろおかしく公共の電波で流さないと視聴率が下がりそうだからしかたありませんかね。
ところで、この本を読んでコンキチが一番印象に残ったのは、「官僚の無謬性」という言葉が連呼して使われていたことです。官僚(組織)は、自分達がこれまでに行ってきたことは全て正しいと考え、自己否定することは皆無であるとうことです。で、これまでの行いが正しいのだから、現在・未来の施策もその延長上にあるものしか採用されないということです。これってちょっと(新興)宗教チックなところがありますよね。まあ、宗教に限ったことではありませんが、あるものに自分がのめり込めばのめり込むほどに、(例えそれが間違っていたり、アホアホなことであっても)そこから抜け出せなくなっていくという心理に似ていませんか?このことは、人間は自己を否定することが本質的に辛いということを表していると思います。そもそも、人間は神ではなく、間違いをしょっちゅう犯すのは周知の事実でしょう。となると、自己を否定できる文化を持ち、自己を修正できる組織は強いという結論に達することができるのではないでしょうか(例えば、トヨタとか)。
それから、所謂「政策通」とか「経済通」と言う言葉は、官僚の"冷やかし"用語であって、官僚から見て、自分たちの都合をよく聞いてくれる人、言いなりになる人なのだそうです。思わず「道理でな」と思ってしまいました。
あと、小沢一郎が「豪腕」とかと称されたようですが、ちょっと集金が上手だっただけでしょ。真の豪腕とは、政府主導の改革と意思決定プロセスを成し遂げた竹中平蔵であり、小泉純一郎であるとコンキチは思いました。
PS
コンキチは竹中平蔵教授の著作・訳本を何冊か読んだことがありますが、ホントに人に読ませる文章が上手だなあと思いました。竹中平蔵は政策造らせてよし、(大臣として)人を使わせてよし、本を書かせてよし、火中の栗を拾える剛胆さを持った希有な人材だと思いました。そして、小泉前総理の最大の功績は、小泉内閣の要所要所で、竹中平蔵という優れた才能を内閣のキーポジションで使い続けたことにあると思います。そういう意味で、小泉純一郎もまた希代のリーダーだったと思いますね。
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以下、徒然なるままに、とりとめもなくまとまりもない感想をメモしてみます↓
我が国で、大臣経験(しかも常に主要な大臣)者であり経済学者である氏の著作というのは非常に価値があると思い、同書を手に取りました(経済学者で大臣は竹中さんと現経済財政政策担当大臣の大田さんしかいないと思う)。
タイトルからも明らかなように、同書は5年5ヶ月に渡る小泉内閣においての氏の仕事を著したものです。内容がコンキチの想像以上に生々しく描かれていて、この手の書籍としては読んでいて珍しく興奮しましたね。で、率直に思ったのは、我が国にも「侍」と呼べるような人物(政治家、学者、経済人、官僚)がいるのだなあと感じ、柄にも無くちょっと胸が熱くなるのを感じてしまいました。
小泉内閣発足時、日本は「失われた10年」などというキャッチ・フレーズに表されるように、これまでの超バラマキによる財政政策の失敗(流動性の罠)によって、経済の閉塞感に覆われていました。実際、小泉内閣発足前夜に就職したコンキチ達の時代は「就職氷河期」などと言われ、労働市場(っていうほどの市場は形成されてないよ思うが)は、企業業績の悪化を背景に空前の買い手市場でもありました。
巨額の不良債問題、巨額の財政赤字といった非常に好ましくない状況の中にあって、敢えて火中の栗を拾おうとし、そして、我が国の経済を回復の方向に向かわせたのが、小泉純一郎内閣総理大臣と竹中平蔵大臣であり、彼等を真剣に支え続けた気骨あるスタッフでだったのだなと同書を読んで改めて感じました。
まあ、本人の手による著作なので、ある程度は割り引いて考えなければならないかとも思いますが.....
小泉内閣発足時から、竹中大臣の語り口は、他の政治家などに比べて、極めて分かり易く、はっきりいって氏は「まともなこと」を言っているように聞こえました。それなのに、「いつか来た道」を繰り返そうと刷るばかりの抵抗勢力のオウム返しのような台詞にはTVの前で辟易させられました。
また、国民の意を得た(ような)場合は「ポピュリズム(衆愚)」と、リーダーシップを発揮するときは「国民不在(ファシスト)」とヒステリックに叫ぶ、そして歪曲報道と掌を返したような発言をし、自分達があたかも正義の使徒であるかのように振る舞うマスゴミの醜悪な姿を忘れることができません。
まあ、反体制的な発言をおもしろおかしく公共の電波で流さないと視聴率が下がりそうだからしかたありませんかね。
ところで、この本を読んでコンキチが一番印象に残ったのは、「官僚の無謬性」という言葉が連呼して使われていたことです。官僚(組織)は、自分達がこれまでに行ってきたことは全て正しいと考え、自己否定することは皆無であるとうことです。で、これまでの行いが正しいのだから、現在・未来の施策もその延長上にあるものしか採用されないということです。これってちょっと(新興)宗教チックなところがありますよね。まあ、宗教に限ったことではありませんが、あるものに自分がのめり込めばのめり込むほどに、(例えそれが間違っていたり、アホアホなことであっても)そこから抜け出せなくなっていくという心理に似ていませんか?このことは、人間は自己を否定することが本質的に辛いということを表していると思います。そもそも、人間は神ではなく、間違いをしょっちゅう犯すのは周知の事実でしょう。となると、自己を否定できる文化を持ち、自己を修正できる組織は強いという結論に達することができるのではないでしょうか(例えば、トヨタとか)。
それから、所謂「政策通」とか「経済通」と言う言葉は、官僚の"冷やかし"用語であって、官僚から見て、自分たちの都合をよく聞いてくれる人、言いなりになる人なのだそうです。思わず「道理でな」と思ってしまいました。
あと、小沢一郎が「豪腕」とかと称されたようですが、ちょっと集金が上手だっただけでしょ。真の豪腕とは、政府主導の改革と意思決定プロセスを成し遂げた竹中平蔵であり、小泉純一郎であるとコンキチは思いました。
PS
コンキチは竹中平蔵教授の著作・訳本を何冊か読んだことがありますが、ホントに人に読ませる文章が上手だなあと思いました。竹中平蔵は政策造らせてよし、(大臣として)人を使わせてよし、本を書かせてよし、火中の栗を拾える剛胆さを持った希有な人材だと思いました。そして、小泉前総理の最大の功績は、小泉内閣の要所要所で、竹中平蔵という優れた才能を内閣のキーポジションで使い続けたことにあると思います。そういう意味で、小泉純一郎もまた希代のリーダーだったと思いますね。
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2007年7月27日金曜日
GC in CHEMICAL REVIEWS (2)
コンキチは工学部出身です(ほんとは理学部の方がよかった)。で、工学とは実学であると考えています。
先のブログで、Chemical ReviewsのGreen Chemistry特集に触れ、環境志向の高まりを感じた旨を記しました。ただ気になるのは、Green Chemistryとお題目を銘打つと、各々にカテゴライズされた、ぱっと聞いてみてグリーンちっくなテーマにスポットが当たりがちのような気がして、その辺りがちょっと気にかかります。
例えば、
Organocatalystを使ってメタル・フリーな反応を開発しました。でも、CH2Cl2溶媒Death!!!!!(涙)
とか、
イオン性液体中で反応を行うことで、素晴らしい反応性と選択性で反応が進行します。でも、使ってる触媒が超絶高価で有毒なんだよね(テヘヘ)
といった、カテゴリにこだわるあまり、根底にあるコンセプトとの整合性を欠いている論文とかは –勿論そういった新たな知見は有益であるとは思うけれど-果たして実学たりえるのだろうかと思うわけですよ。
あと、
超臨界CO2ってとってもクリーンだよね!でも、当社では設備投資できませんから!残念!!!
というような実行の容易さに係る問題とかが軽視されがちなような気がするのです(そんなこと気にするのは自分だけかもしれませんが…..あんまり勉強してないし)。
あと、コンキチは所謂カテゴライズされたGreen Chemistryに関して、はっきり言って門外漢なので、
例えば、
他品種少量製造を行っていて、扱う化合物の頻繁な切り替えが必要となる場合、イオン性液体なんか使ったときの釜の洗浄ってどうなの?
とか、
何回リユースできるの?繰り返しリユースしてたら、不純物が蓄積して反応に悪影響を与えたりしないの?なんていうことも気になりますね(この辺は要勉強ですかね)。
で、何が言いたいかというと、カテゴライズされたGreen Chemistryでなくても、より実学を志向した、しかも導入が容易な”Green”な反応にもっと光をあててもいいんじゃないの?ということです。
例えば、このブログでも過去に取り上げた↓
「Trialkylzinc(II) ate complex」なんかは、簡便な方法で収率が向上し、精製も容易になり、E-ファクターを低減させ、コスト的にも優位性があそうだし、RMEも向上するでしょう。そして、これまでのやり方を大きく変えなくてもよいというこいとに価値があるとも思いますね(教育も少しですむし、やり方を変えることに伴う心理的バイアスも少ない)。
それからこの論文↓
Trichloroisocyanuric/TEMPO Oxidation of Alcohols under Mild Conditions: A Close Investigation
J. Am. Chem. Soc., 2003, 68, 4999-5001.
プール水処理剤とかに使用されていて安価なTCCA(trichloroisocyanuric acid)を共酸化剤に使って、TEMPOを触媒で回すという反応で、溶媒もアセトン水溶液で取り扱い易い。マイルドな条件でけっこうクリーンな気がします。(アニソール骨格を持つ基質だと、アルデヒドで酸化が止まる。また、オレフィンを含む基質だとジクロロ化も進行するとようです。系内に水が存在しないと、アルデヒドで反応が止まる的な記述もあり、興味深いです)
リファレンスに同じ著者が投稿した「アルコール→カルボニル化合物」というトランスフォーメーションに関する論文(Org. Lett., 2001, 3, 3041.)があるので、チェックしてみたいのですが、Organic Lettersはコンキチが勤務する会社では購読してないのですぐには入手できず残念です。
あと、Jacobsenの開発した、Hydrolytic Kinetic Resolutionなんかは、Chem-Stationで「触媒が安価・無害・空気/水に安定、触媒使用量は少なく(0.5-5mol%程度)回収再利用が可能、基質一般性は高く選択性はほぼ完璧、ほぼneat条件の溶媒量、バルクスケールでも実施可能(実際に本反応はRhodia Chirex社(USA)およびダイソー株式会社(日本)により工業化されている)など、不斉触媒の要請条件をほとんど満たす、現時点では最も理想に近い不斉触媒反応といえる。」と絶賛されています。
ref.
J. Am. Chem. Soc., 2002, 124, 1307-1315.
Org. Synth., 2006, 83, 162-169.
上記反応は、catalysisにカテゴライズされるのかもしれませんが(でもcatalysisはカテゴリ的には極めて広範すぎると思う)、反応を環境調和型にブラッシュ・アップしていく研究っていうのが、もっと大々的にとりあげられてもいいんじゃないかなあと思う次第なのです(コンキチが知らないだけで、既に十分注目されているのかもしれませんが…..)
以上、ダークサイドに墜ちた、某二流国立大でのなんちゃって研究員の呟きでした。
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先のブログで、Chemical ReviewsのGreen Chemistry特集に触れ、環境志向の高まりを感じた旨を記しました。ただ気になるのは、Green Chemistryとお題目を銘打つと、各々にカテゴライズされた、ぱっと聞いてみてグリーンちっくなテーマにスポットが当たりがちのような気がして、その辺りがちょっと気にかかります。
例えば、
Organocatalystを使ってメタル・フリーな反応を開発しました。でも、CH2Cl2溶媒Death!!!!!(涙)
とか、
イオン性液体中で反応を行うことで、素晴らしい反応性と選択性で反応が進行します。でも、使ってる触媒が超絶高価で有毒なんだよね(テヘヘ)
といった、カテゴリにこだわるあまり、根底にあるコンセプトとの整合性を欠いている論文とかは –勿論そういった新たな知見は有益であるとは思うけれど-果たして実学たりえるのだろうかと思うわけですよ。
あと、
超臨界CO2ってとってもクリーンだよね!でも、当社では設備投資できませんから!残念!!!
というような実行の容易さに係る問題とかが軽視されがちなような気がするのです(そんなこと気にするのは自分だけかもしれませんが…..あんまり勉強してないし)。
あと、コンキチは所謂カテゴライズされたGreen Chemistryに関して、はっきり言って門外漢なので、
例えば、
他品種少量製造を行っていて、扱う化合物の頻繁な切り替えが必要となる場合、イオン性液体なんか使ったときの釜の洗浄ってどうなの?
とか、
何回リユースできるの?繰り返しリユースしてたら、不純物が蓄積して反応に悪影響を与えたりしないの?なんていうことも気になりますね(この辺は要勉強ですかね)。
で、何が言いたいかというと、カテゴライズされたGreen Chemistryでなくても、より実学を志向した、しかも導入が容易な”Green”な反応にもっと光をあててもいいんじゃないの?ということです。
例えば、このブログでも過去に取り上げた↓
「Trialkylzinc(II) ate complex」なんかは、簡便な方法で収率が向上し、精製も容易になり、E-ファクターを低減させ、コスト的にも優位性があそうだし、RMEも向上するでしょう。そして、これまでのやり方を大きく変えなくてもよいというこいとに価値があるとも思いますね(教育も少しですむし、やり方を変えることに伴う心理的バイアスも少ない)。
それからこの論文↓
Trichloroisocyanuric/TEMPO Oxidation of Alcohols under Mild Conditions: A Close Investigation
J. Am. Chem. Soc., 2003, 68, 4999-5001.
プール水処理剤とかに使用されていて安価なTCCA(trichloroisocyanuric acid)を共酸化剤に使って、TEMPOを触媒で回すという反応で、溶媒もアセトン水溶液で取り扱い易い。マイルドな条件でけっこうクリーンな気がします。(アニソール骨格を持つ基質だと、アルデヒドで酸化が止まる。また、オレフィンを含む基質だとジクロロ化も進行するとようです。系内に水が存在しないと、アルデヒドで反応が止まる的な記述もあり、興味深いです)
リファレンスに同じ著者が投稿した「アルコール→カルボニル化合物」というトランスフォーメーションに関する論文(Org. Lett., 2001, 3, 3041.)があるので、チェックしてみたいのですが、Organic Lettersはコンキチが勤務する会社では購読してないのですぐには入手できず残念です。
あと、Jacobsenの開発した、Hydrolytic Kinetic Resolutionなんかは、Chem-Stationで「触媒が安価・無害・空気/水に安定、触媒使用量は少なく(0.5-5mol%程度)回収再利用が可能、基質一般性は高く選択性はほぼ完璧、ほぼneat条件の溶媒量、バルクスケールでも実施可能(実際に本反応はRhodia Chirex社(USA)およびダイソー株式会社(日本)により工業化されている)など、不斉触媒の要請条件をほとんど満たす、現時点では最も理想に近い不斉触媒反応といえる。」と絶賛されています。
ref.
J. Am. Chem. Soc., 2002, 124, 1307-1315.
Org. Synth., 2006, 83, 162-169.
上記反応は、catalysisにカテゴライズされるのかもしれませんが(でもcatalysisはカテゴリ的には極めて広範すぎると思う)、反応を環境調和型にブラッシュ・アップしていく研究っていうのが、もっと大々的にとりあげられてもいいんじゃないかなあと思う次第なのです(コンキチが知らないだけで、既に十分注目されているのかもしれませんが…..)
以上、ダークサイドに墜ちた、某二流国立大でのなんちゃって研究員の呟きでした。
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2007年7月15日日曜日
GC in CHEMICAL REVIEWS (1)
CHEMICAL REVIEWSの6月号を見てみたら、「Green Chemistry (GC)」特集でした(表紙の色も緑色)。
目次をながめてみると、所謂グリーン・ケミストリーの範疇でカテゴライズされたテーマ(超臨界CO2とか、aqueous reactionとかionic liquidとかmicrowaveとか) がいっぱい並んでいました。
ChemRev.1冊まるまるGC特集が刊行されるぼどに、世間の環境志向の高揚を(それなりに)感じます。
コンキチが学校を卒業してから8年が経過しましたが、学校教育におけるその辺のことはどのように教育されているのか興味あります。
コンキチが通っていた学校では、コンキチが入学する前年に「応用化学・環境化学工学科」が「応用化学科」に名称が改変されました。教員(教授とか助教授とか)の配置転換があったわけではなく、ドラスティックにカリキュラムが変更された訳ではないようで、環境科学概論なんていう授業とかもありました。
当時としては、「環境」なんてビジネスにならないよ(従って、そんなの勉強して就職できるの?)なんていう空気を感じましたが、翻って現在はどうでしょう?環境ビジネスが隆起してるではないですか。
当時としては「環境」を(多少なりとも)志向した数少ない学科だったのかもしれませんが、先に触れた「環境科学概論」とか「環境アセスメント」などといった環境系の授業の内容は、化学合成プロセスに対してスポットをあてたものではなく、環境科学に焦点をあてた内容でした。なので、その先生の研究室(環境計測研究室とか循環制御研究室とか環境保全研究室とか)の卒論とかは、エアロゾルの話とか河川の環境の話とか人口光合成システム構築を目指したレドックス系の話(だったような気がする)とかでした。
「グリーン&サスティナブル合成研究室」とか、「サスティナブルプロセスデザイン研究室」とか、そんな名称の研究室や講義があってもいいんじゃないかと思うのですが、どうでしょう?(ひょっとしたら結構あるのかもしれませんが)
ちょっとした二流大出のなんちゃって研究員のつぶやきでした。
続く.....
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目次をながめてみると、所謂グリーン・ケミストリーの範疇でカテゴライズされたテーマ(超臨界CO2とか、aqueous reactionとかionic liquidとかmicrowaveとか) がいっぱい並んでいました。
ChemRev.1冊まるまるGC特集が刊行されるぼどに、世間の環境志向の高揚を(それなりに)感じます。
コンキチが学校を卒業してから8年が経過しましたが、学校教育におけるその辺のことはどのように教育されているのか興味あります。
コンキチが通っていた学校では、コンキチが入学する前年に「応用化学・環境化学工学科」が「応用化学科」に名称が改変されました。教員(教授とか助教授とか)の配置転換があったわけではなく、ドラスティックにカリキュラムが変更された訳ではないようで、環境科学概論なんていう授業とかもありました。
当時としては、「環境」なんてビジネスにならないよ(従って、そんなの勉強して就職できるの?)なんていう空気を感じましたが、翻って現在はどうでしょう?環境ビジネスが隆起してるではないですか。
当時としては「環境」を(多少なりとも)志向した数少ない学科だったのかもしれませんが、先に触れた「環境科学概論」とか「環境アセスメント」などといった環境系の授業の内容は、化学合成プロセスに対してスポットをあてたものではなく、環境科学に焦点をあてた内容でした。なので、その先生の研究室(環境計測研究室とか循環制御研究室とか環境保全研究室とか)の卒論とかは、エアロゾルの話とか河川の環境の話とか人口光合成システム構築を目指したレドックス系の話(だったような気がする)とかでした。
「グリーン&サスティナブル合成研究室」とか、「サスティナブルプロセスデザイン研究室」とか、そんな名称の研究室や講義があってもいいんじゃないかと思うのですが、どうでしょう?(ひょっとしたら結構あるのかもしれませんが)
ちょっとした二流大出のなんちゃって研究員のつぶやきでした。
続く.....
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2007年6月24日日曜日
シャドー・ブランド戦略
「Harvard Business Review 2007年2月号」の記事です。
この記事では、あえて商品やサーヴィスの闇の部分(Dark Side)に焦点をあてることによって成功した広告戦略を紹介しています。
以下、事例↓
1) リプトンの<カップ・ア・スープ>
当初(70年代以前)、「やさしいママとにこにこ笑う子どもたち」というイメージで売られてきたが、現在の常識に照らし合わせれば、当該商品は塩分が高く、栄養価も低いというのが実態で、当初のコンセプトとは明らかに異なる性質の商品となってしまっていた。
そこで、「オフィスで食べるスナッック」と位置づけ、<スニッカーズ>や<コカ・コーラ>の代替商品としてプロモートすることにより、20%の値上げにもかかわらず、売上げが60%伸びたそうです。
2) ユニリーバのパスタ・ソース<ラグー>
ライバルとの競争の過程で、パスタ・ソース全般がどんどん濃厚な味になっていたが、<ラグー>はライバル商品ほど濃厚ではなく、味わいも貧弱だったといいます。
そこで、濃厚スープは大人にはいいかも知れないが、子供には向かないという視点から、「ボリュームたっぷりで食べ応えのあるソース」に見せかけるのをやめ、「子どもたちが大好きなパスタ・ソース」というポジショニングで販促を展開したそうです。
結果→10年に渡って落ち込んでいた売上げが一転して上昇↑
3) ロサンゼルス市警の警察官募集広告
輝かしいキャリアや優れた技能、子どもたちの憧れといった要素をいっさい排除し、「警察官の仕事がいかに困難か」ということを遡及したという。
その結果、応募者は殺到し。広告を見たグループでは、警察への尊敬の念が高まったという。
誰もが進んではやりたくない、それでいて誰かがやらねばならない仕事を粛々と遂行する警察官の姿をアピールすることにより、リアルな警察官の崇高な姿がブランドとして遡及した結果だといいます(あと、社会的インセンティブから道徳的インセンティブへのインセンティブの移転を起こした例だと思う)。
商品やサーヴィスの良い点(明るい点)ばかりにスポットを当てたプロモーションに消費者は辟易しているといいます。筆者は完全無欠は独自性に欠けると述べています。。少なくとも、商品の性質を的確に表した広告でなければ、消費者はいずれそのウソに気が付き、その商品から離れて行くのでしょう(少なくともコンキチは、そういう商品に出会ったら、二度と買わないリストにランクインさせます)。
当たり障りの無い、ステレオタイプの単に商品を褒めたたえるばかりで、その商品に実が伴っていない場合、所謂誇大広告は、長期(中期)的にみて、解約率(そっぽを向かれる率)が上昇し、その商品が市場から駆逐さてしまうことを示唆しているように思いました。
商品特性に合ったセグメントをターゲットにすべしということなのでしょう。
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この記事では、あえて商品やサーヴィスの闇の部分(Dark Side)に焦点をあてることによって成功した広告戦略を紹介しています。
以下、事例↓
1) リプトンの<カップ・ア・スープ>
当初(70年代以前)、「やさしいママとにこにこ笑う子どもたち」というイメージで売られてきたが、現在の常識に照らし合わせれば、当該商品は塩分が高く、栄養価も低いというのが実態で、当初のコンセプトとは明らかに異なる性質の商品となってしまっていた。
そこで、「オフィスで食べるスナッック」と位置づけ、<スニッカーズ>や<コカ・コーラ>の代替商品としてプロモートすることにより、20%の値上げにもかかわらず、売上げが60%伸びたそうです。
2) ユニリーバのパスタ・ソース<ラグー>
ライバルとの競争の過程で、パスタ・ソース全般がどんどん濃厚な味になっていたが、<ラグー>はライバル商品ほど濃厚ではなく、味わいも貧弱だったといいます。
そこで、濃厚スープは大人にはいいかも知れないが、子供には向かないという視点から、「ボリュームたっぷりで食べ応えのあるソース」に見せかけるのをやめ、「子どもたちが大好きなパスタ・ソース」というポジショニングで販促を展開したそうです。
結果→10年に渡って落ち込んでいた売上げが一転して上昇↑
3) ロサンゼルス市警の警察官募集広告
輝かしいキャリアや優れた技能、子どもたちの憧れといった要素をいっさい排除し、「警察官の仕事がいかに困難か」ということを遡及したという。
その結果、応募者は殺到し。広告を見たグループでは、警察への尊敬の念が高まったという。
誰もが進んではやりたくない、それでいて誰かがやらねばならない仕事を粛々と遂行する警察官の姿をアピールすることにより、リアルな警察官の崇高な姿がブランドとして遡及した結果だといいます(あと、社会的インセンティブから道徳的インセンティブへのインセンティブの移転を起こした例だと思う)。
商品やサーヴィスの良い点(明るい点)ばかりにスポットを当てたプロモーションに消費者は辟易しているといいます。筆者は完全無欠は独自性に欠けると述べています。。少なくとも、商品の性質を的確に表した広告でなければ、消費者はいずれそのウソに気が付き、その商品から離れて行くのでしょう(少なくともコンキチは、そういう商品に出会ったら、二度と買わないリストにランクインさせます)。
当たり障りの無い、ステレオタイプの単に商品を褒めたたえるばかりで、その商品に実が伴っていない場合、所謂誇大広告は、長期(中期)的にみて、解約率(そっぽを向かれる率)が上昇し、その商品が市場から駆逐さてしまうことを示唆しているように思いました。
商品特性に合ったセグメントをターゲットにすべしということなのでしょう。
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2007年6月19日火曜日
誤謬の発現
先日、「5Sの誤謬」と題したブログを書きましたが、その誤謬が現実の現象としてどのように反映されるかをコンキチの身の周りで起きることを例にとって示したいと思います。
1) 使用して洗ってないガラス器具を1ヶ月くらい放置プレイ
2) 洗浄済みのはずのフラスコにMgっぽい金属粉が付着していた
3) ガラス器具にマジックでなんか書いて、そのまんま
4) 劇毒物だって机の上に放置プレイ
5) 長期間使用しないHPLCカラムもバッファーが入ったままで放置プレイ
6) こぼした試薬は拭き取りません
7) 報告書にGC分析条件が詳述されてない(カラムの種類しか書いてないとか)
etc.
これって研究者としてというより、人としてどうなんですかね。上記事例が頻発するので、コンキチは(他人が洗った)ガラス器具は、自分が使う前に洗ってから使用しますから。
コンキチは自他ともに認める神経質なので、上述したようなことは、コンタミとか分析の再現性とか気になって気になって仕方が無いのですが.....
正直、自分の勤務する部門の研究開発力の低さ(ちゃんと洗いものとか装置のメンテがでいない輩は、研究開発能力に長けているとは思えない)に自分で辟易して哀しくなってしまいます。
学生時代、師匠(コンキチが研究室に配属された時D1だった)から、「使った器具はその日のうちに洗ってから帰れ」と指導されたものですが.....
他社さんはどんな感じなんですかね?
最近、転職の「テ」の字が頭をもたげる、某二流国立大卒のなんちゃって研究員のコンキチの戯言でした。
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1) 使用して洗ってないガラス器具を1ヶ月くらい放置プレイ
2) 洗浄済みのはずのフラスコにMgっぽい金属粉が付着していた
3) ガラス器具にマジックでなんか書いて、そのまんま
4) 劇毒物だって机の上に放置プレイ
5) 長期間使用しないHPLCカラムもバッファーが入ったままで放置プレイ
6) こぼした試薬は拭き取りません
7) 報告書にGC分析条件が詳述されてない(カラムの種類しか書いてないとか)
etc.
これって研究者としてというより、人としてどうなんですかね。上記事例が頻発するので、コンキチは(他人が洗った)ガラス器具は、自分が使う前に洗ってから使用しますから。
コンキチは自他ともに認める神経質なので、上述したようなことは、コンタミとか分析の再現性とか気になって気になって仕方が無いのですが.....
正直、自分の勤務する部門の研究開発力の低さ(ちゃんと洗いものとか装置のメンテがでいない輩は、研究開発能力に長けているとは思えない)に自分で辟易して哀しくなってしまいます。
学生時代、師匠(コンキチが研究室に配属された時D1だった)から、「使った器具はその日のうちに洗ってから帰れ」と指導されたものですが.....
他社さんはどんな感じなんですかね?
最近、転職の「テ」の字が頭をもたげる、某二流国立大卒のなんちゃって研究員のコンキチの戯言でした。
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2007年6月18日月曜日
Freakonomics
「ヤバい経済学
」を読了しました。
若干ふざけたタイトルと感じるかもしれませんが、はっきり言って良書と思います。著者の一人のスティーブン・D・レヴィットはジョン・ベイツ・クラーク・メダルを受賞した気鋭の経済学者らしいです。
で、レヴィットが経済学というか、人々の行動を支配し規定するもの、その結果具現化される世界の有様の根底にある最も主要なものは、
インセンティブ
であると言います。
<以下引用>
インセンティブは現代の日常の礎である。そして、インセンティブを理解することが-おうおうにして壊してしまうことにもなるけれど-凶悪犯罪からスポーツの八百長、出会い系サイトまで、どんな問題もほとんど解決できる鍵になる。
<引用終了>
コンキチも同感ですね。正と負のインセンティブ(飴とムチ)の与奪こそが、人の行動を制御すると常々感じています。
で、本書で最もコンキチの心に残った事例は、保育園の事例でしたね↓
親が午後4時に子供を迎えにこなければならないという決まりの保育園があり、親達はよく遅れてくると言う。で、10分以上遅れた場合は、その親には毎回3ドル(子供1人あたり)の罰金をとることにしたところ、
週に8件の遅刻が20件に増えた
そうです。
それからもう1例。
献血をした人に小額の奨励金を払ったところ、献血は減る傾向がある。
さらにもう1例。
売春と戦っているアメリカの街には、売春した男と売春婦の写真をWebで晒していることろがあるという。
最後にもう1例。
レヴィットの娘(当時2歳)がおまるを使わなくなった時、おまるでおしっこをしたらチョコレートをあげることにしたといいます。最初の2、3日は思惑は達せられミッション・コンプリートの様相を呈してたそうです。がしかし、4日目になると、娘は数滴おしっこしてはチョコをせしめ。またすぐにおしっこしたいといっては数的しかおしっこをしなかったと言います。
さて、インセンティブには下に示す4つのインセンティブがあると言います。
1) 経済的インセンティブ
2) 社会的インセンティブ
3) 道徳的インセンティブ
4) インセンティブの暗黒面(ダークサイド)
保育園の例は、罰金3ドルが安すぎるというプライシングの問題と、道徳的インセンティブから経済的インセンティブへのインセンティブの転移が起こったことが、現実の結果を誘起した例。
献血の例も、道徳的インセンティブから経済的インセンティブへのインセンティブの転移の例。但し、プライシングがより高額になれば、インセンティブの暗黒面が発現して輸血ビジネスのブラックマーケットが生成するかもしれない(本書でも言及している)。
売春の例は、負のインセンティブを罰金という経済的インセンティブから「晒し者」の刑という社会的インセンティブに移転した例で、Web上で晒された写真が家族や知人に見つかったら超はずかしいという恐怖に訴えた抑止策の例。
そして、レヴィットの娘の例は、インセンティブの暗黒面(ダークサイド)の発現の例。
ですね。
人は常に日々の生活を送る上で裁定取引を行っていると思います。経済性、道徳、社会性を考慮して最も自分に有利な選択肢は何か? とうことを考慮して行動に移すわけです。個々人の(経済性、道徳、社会性に対する)価値観は、必ずしも一致する訳ではないので、一見すると「なんでそんなアホなことするの?」という疑義が発生するかもしれませんが、当人にとっては、インセンティブのトレード・オフをはかりながら(一般的にはそうではにかもしれないけれど)それなりの合理的な判断をした結果なんだろうと思います。
かなりまとまりがなくなってきましたが、要は
インセンティブの支配
こそが現世で人々の行動を規制するの最も重要な事柄なのではないかなということです。
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若干ふざけたタイトルと感じるかもしれませんが、はっきり言って良書と思います。著者の一人のスティーブン・D・レヴィットはジョン・ベイツ・クラーク・メダルを受賞した気鋭の経済学者らしいです。で、レヴィットが経済学というか、人々の行動を支配し規定するもの、その結果具現化される世界の有様の根底にある最も主要なものは、
であると言います。
<以下引用>
インセンティブは現代の日常の礎である。そして、インセンティブを理解することが-おうおうにして壊してしまうことにもなるけれど-凶悪犯罪からスポーツの八百長、出会い系サイトまで、どんな問題もほとんど解決できる鍵になる。
<引用終了>
コンキチも同感ですね。正と負のインセンティブ(飴とムチ)の与奪こそが、人の行動を制御すると常々感じています。
で、本書で最もコンキチの心に残った事例は、保育園の事例でしたね↓
親が午後4時に子供を迎えにこなければならないという決まりの保育園があり、親達はよく遅れてくると言う。で、10分以上遅れた場合は、その親には毎回3ドル(子供1人あたり)の罰金をとることにしたところ、
週に8件の遅刻が20件に増えた
そうです。
それからもう1例。
献血をした人に小額の奨励金を払ったところ、献血は減る傾向がある。
さらにもう1例。
売春と戦っているアメリカの街には、売春した男と売春婦の写真をWebで晒していることろがあるという。
最後にもう1例。
レヴィットの娘(当時2歳)がおまるを使わなくなった時、おまるでおしっこをしたらチョコレートをあげることにしたといいます。最初の2、3日は思惑は達せられミッション・コンプリートの様相を呈してたそうです。がしかし、4日目になると、娘は数滴おしっこしてはチョコをせしめ。またすぐにおしっこしたいといっては数的しかおしっこをしなかったと言います。
さて、インセンティブには下に示す4つのインセンティブがあると言います。
1) 経済的インセンティブ
2) 社会的インセンティブ
3) 道徳的インセンティブ
4) インセンティブの暗黒面(ダークサイド)
保育園の例は、罰金3ドルが安すぎるというプライシングの問題と、道徳的インセンティブから経済的インセンティブへのインセンティブの転移が起こったことが、現実の結果を誘起した例。
献血の例も、道徳的インセンティブから経済的インセンティブへのインセンティブの転移の例。但し、プライシングがより高額になれば、インセンティブの暗黒面が発現して輸血ビジネスのブラックマーケットが生成するかもしれない(本書でも言及している)。
売春の例は、負のインセンティブを罰金という経済的インセンティブから「晒し者」の刑という社会的インセンティブに移転した例で、Web上で晒された写真が家族や知人に見つかったら超はずかしいという恐怖に訴えた抑止策の例。
そして、レヴィットの娘の例は、インセンティブの暗黒面(ダークサイド)の発現の例。
ですね。
人は常に日々の生活を送る上で裁定取引を行っていると思います。経済性、道徳、社会性を考慮して最も自分に有利な選択肢は何か? とうことを考慮して行動に移すわけです。個々人の(経済性、道徳、社会性に対する)価値観は、必ずしも一致する訳ではないので、一見すると「なんでそんなアホなことするの?」という疑義が発生するかもしれませんが、当人にとっては、インセンティブのトレード・オフをはかりながら(一般的にはそうではにかもしれないけれど)それなりの合理的な判断をした結果なんだろうと思います。
かなりまとまりがなくなってきましたが、要は
こそが現世で人々の行動を規制するの最も重要な事柄なのではないかなということです。
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2007年6月17日日曜日
5Sの誤謬
企業の研究員のコンキチです。
企業に就社すると、研究員に限らず、誰しもが安全教育の一環と称して「5S」を励行するようにというふうに指導を受けることと思います。
周知とは思いますが、「5S」とは、整理、整頓、清掃、清潔、躾のことで、職場環境の維持改善活動のようです。ご多分に漏れず、コンキチの勤務する会社でも「5S」というスローガンが声高に謳われていますが、はっきり言っておべんちゃらで、実行が伴っていません。
コンキチは幼少の時分に、「挨拶をしっかりすること」と「脱いだ靴は揃えて並べること」を強く躾られてきました。なので、現在でもこの2点だけはしっかり励行しています。
で、「5S」を声に叫ぶ会社では、挨拶もろくに出来なく、靴なんて変な方向に脱ぎっぱなし(女性社員であってさえ)です。靴が並んでないのは気になるので、その都度気付けばコンキチが揃え直しておくのですが、そのことに関して言及されたことは一度もありません。
別に、労いや感謝の言葉が欲しい訳ではありませんが、仮にも「5S」活動を活発に実施していると嘯く会社にしては、なんともお粗末と言わざるを得ず、その無頓着ぶりにはいささか辟易させられてしまいます。
さて、本ブログタイトルの「5Sの誤謬」ですが、整理、整頓、清掃、清潔、躾があたかも並列の関係であるかの如く記されているのがそもそもの間違いなのだとコンキチは考えています(ついでに、順番も納得いかない)。
だって、従業員を躾て、清掃させることによって、整理がなされ、整頓という状態が具現化し、清潔な環境が保たれると思うから(「躾」→「清掃」→「整理」→「整頓」→「清潔」)。
なので、躾こそが「5S」の要諦中の要諦であり、「躾なくして他の4S無し」と思います。はっきり言って、「5S」なんてまどろっこしいことを言ってないで、徹底的に「躾」るべきと思います。「躾」がなってないから、いろんな不祥事が起こったり、犯罪が起こったりするのではないでしょうか。モラルが躾けられていないの一語に尽きると思います。
そして、躾のなってない組織というのは、礼節をわきまえた怖い(指導力のある)大人(上司)がいないからだと思います。
でも、
1) 真の礼節を備えた人が圧倒的に少ない
2) 組織(会社)に対する強烈なコミットメントがなければ、そこまで御節介じみた行為は面倒臭すぎる
3) 魅力ある組織でなければ、フルコミットできない。
なんていう理由で「躾」を伝播する礼節をわきまえた怖い(指導力のある)大人(上司)の圧倒的に存在しないのかなというのがコンキチの考えです。
また、コンキチの勤務している会社に限って言えば、人を育てるという哲学の欠如も「躾の無い文化」に拍車をかけているのだろうと思います。
会社は社会の公器
という言葉が懐かしく感じられる、今日この頃の二流大出のなんちゃって研究員でした。
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企業に就社すると、研究員に限らず、誰しもが安全教育の一環と称して「5S」を励行するようにというふうに指導を受けることと思います。
周知とは思いますが、「5S」とは、整理、整頓、清掃、清潔、躾のことで、職場環境の維持改善活動のようです。ご多分に漏れず、コンキチの勤務する会社でも「5S」というスローガンが声高に謳われていますが、はっきり言っておべんちゃらで、実行が伴っていません。
コンキチは幼少の時分に、「挨拶をしっかりすること」と「脱いだ靴は揃えて並べること」を強く躾られてきました。なので、現在でもこの2点だけはしっかり励行しています。
で、「5S」を声に叫ぶ会社では、挨拶もろくに出来なく、靴なんて変な方向に脱ぎっぱなし(女性社員であってさえ)です。靴が並んでないのは気になるので、その都度気付けばコンキチが揃え直しておくのですが、そのことに関して言及されたことは一度もありません。
別に、労いや感謝の言葉が欲しい訳ではありませんが、仮にも「5S」活動を活発に実施していると嘯く会社にしては、なんともお粗末と言わざるを得ず、その無頓着ぶりにはいささか辟易させられてしまいます。
さて、本ブログタイトルの「5Sの誤謬」ですが、整理、整頓、清掃、清潔、躾があたかも並列の関係であるかの如く記されているのがそもそもの間違いなのだとコンキチは考えています(ついでに、順番も納得いかない)。
だって、従業員を躾て、清掃させることによって、整理がなされ、整頓という状態が具現化し、清潔な環境が保たれると思うから(「躾」→「清掃」→「整理」→「整頓」→「清潔」)。
なので、躾こそが「5S」の要諦中の要諦であり、「躾なくして他の4S無し」と思います。はっきり言って、「5S」なんてまどろっこしいことを言ってないで、徹底的に「躾」るべきと思います。「躾」がなってないから、いろんな不祥事が起こったり、犯罪が起こったりするのではないでしょうか。モラルが躾けられていないの一語に尽きると思います。
そして、躾のなってない組織というのは、礼節をわきまえた怖い(指導力のある)大人(上司)がいないからだと思います。
でも、
1) 真の礼節を備えた人が圧倒的に少ない
2) 組織(会社)に対する強烈なコミットメントがなければ、そこまで御節介じみた行為は面倒臭すぎる
3) 魅力ある組織でなければ、フルコミットできない。
なんていう理由で「躾」を伝播する礼節をわきまえた怖い(指導力のある)大人(上司)の圧倒的に存在しないのかなというのがコンキチの考えです。
また、コンキチの勤務している会社に限って言えば、人を育てるという哲学の欠如も「躾の無い文化」に拍車をかけているのだろうと思います。
という言葉が懐かしく感じられる、今日この頃の二流大出のなんちゃって研究員でした。
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