2006年9月28日木曜日

BASF BORON CONFERENCE II

昨日、一昨日と有給休暇をとってBASF(超デカイ化学会社)主催の「BASF BORON CONFERENCE」(有機ホウ素のレクチャー)に行ってきました(参加費無料。今年で2回目らしい)。

場所は品川の東京コンファレンスセンターという(普段田舎で仕事をしているコンキチが行くことは無いであろう)洒落た施設。田舎者のコンキチはちょっと緊張してしまいました。

この催物は、「鈴木-宮浦カップリング」の話がメインで、鈴木、宮浦両教授の講義とともに、Academia, Industryの有機ホウ素化学の係るトピックスが展開されました。

演題はこちら↓
http://www.inorganics.basf.com/p02/CAPortal/en_GB/portal/Boron_Conference/content/Produktgruppen/Borane_und_andere_Borverbindungen/Boran_Conference

個人的には、

広栄化学の人の「Pd(0)/C, Pd(II)/Cが触媒する鈴木カップリング」と「広栄化学らしい基質にピリジン誘導体を使った鈴木カップリング」の話。あと、住友化学の人の「Niと2座窒素配位子を使った鈴木カップリング」の話が興味深かったです。

ところで、今回の講義は殆どが英語 Death!!!!!(シクシク涙)
日本語と仙台弁しか満足に扱えないコンキチにはかなり厳しいものがありました(脳ミソがとろけました。と同時に劣等感もひしひしと感じました)。まあ、コンキチは有機ホウ素にかなり疎いので、いい勉強になりましたが.....

今回も「ちょっと英語の勉強頑張ろうかな」という気持ちになりましたが、コンキチは意思が弱いので、多分(また)やらないと思います。

P.S.
このCONFERENCEでは、
1) ドリンクフリー(エビアン、おーいお茶、コーラ、オレンジジュース、ホットコーヒ、etc.)
2) ランチ(ビュッフェ形式のレストラン)も無料
3) Boron Reagents in Process Chemistry: Excellent Tools for Selective Reductions (Chem. Rev., 2006, 106 (7), 2617.)の別刷りをくれた。
4) あと、こんなのも貰った↓


それにつけても、BASFは懐の深い会社だなあと思った二日間でした。

さすがは、グローバル・カンパニーです。

2006年9月17日日曜日

「ルアーロック」ショック

今日はちょっとした化学ネタです。

製造業にカテゴライズされる企業に就社すると、KYT(KikenYochiTraining)という、危険予知訓練を行うことになります。職場単位で定期的(コンキチの勤めている会社では月1)に行われることとなるであろういこの訓練では、

第1R (危険作業の列挙) / どんな危険が、ひそんでいるか
第2R (絞り込み) / これが、危険のポイント
第3R (具体的な対策樹立) / あなたなら、どうする?
第4R (行動目標設定) / 私たちは、こうする

という4つのラウンドを順に行って行きます。

はっきり言って意味のある作業とは思いませんが、こういう活動を(一応)やっておかないと

「当社は安全第一をモットーに.....」

なんていうことが言えなくなってしまいますからやっているのでしょう(本気でこんな活動が役に立つと思っている人がいたら、かなりセンスがない人だと思います) 。

さて、先日上述したKYTを行ったのですが、その時のお題が

「ブチルリチウムとかのようなセプタム・キャップつきに試薬瓶から試薬を秤量する」

というものだったのですが、

第2R (絞り込み)

ブチルリチウムをルアーロックタイプのシリンジ(注射針)で秤量中に、ロック針がはずれて試薬がこぼれ薬傷する

というのが(多数決で)ピック・アップされました。っていうかロック針ってどうやったら外れるの?という疑問がコンキチの脳裏に浮かび上がりました。だって、外れないのがロック針でしょ!でも、実際にプレイング・マネジャーの先輩社員が最近起こした実話だそうだったので取り上げられることになりました(普通、第1Rは想定なのです)。

で、第3R (具体的な対策樹立) で出た意見は、
1) しっかりとはめる
2) ロック針の接合部分をビニールテープで巻く     以上

オイ!ピンセットの腹を使って、キュイってキツく締めればロック針って外れないんじゃないの?とコンキチは心の中で50回くらい叫んだのですが、誰もそのことについて言及せず、怖くなって発言を控えてしまいました(だって、目上の人間は、目下の人間の正しい意見を封殺する傾向が強いですから)。

最終的に、第4R (行動目標設定)

ルアーロックタイプのシリンジを使って、試薬を抜き取る際は、ビニールテープを巻いて針を固定する。ヨシ!

になりました。

これって、かなりセンスが無いと思うのですが.....

あんたらホントにこれから、シリンジにテープまくの?

後で、コンキチが唯一先輩風を吹かせることができる後輩に、

コンキチ 「ロック針ってピンセット(の腹)使って締めてる?」

後輩 「いいえ、手でやってますけど」

コンキチ 「手で締めてたら、はすれるかもしれないよね。ピンセット使えば絶対はずれないよ。ほら」

とピンセットを使ってロック針を締めたシリンジを手渡してみると、

後輩 「ホントに(手では)はずれませんねえ」

コンキチ 「(針の締め方って)教えてもらったことないの?」

後輩 「会社に入るまで(シリンジ)を使ったことありませんでしたから」

といった感じでした。おそらく、コンキチの予想ではみんな手締めでシリンジに針をセットしているとみました(そうでなければ、ビニールテープで固定するっていうアホな発想が出てきませんよ)。

-CONCLUSION-
センスのあるヤツは自分で判断して危険を回避していく
どんなに御大層なマニュアルを作ったり、どんなに形だけのトレーニングをしたり、どんなに口を酸っぱくして注意したりしても、
センスの無いヤツは絶対なんかやらかす
そう思います。


どうでしょうか?

2006年9月10日日曜日

群衆心理

久しぶりに、読んでいると超絶眠くなる本を読みました。その本の名は「群衆心理」。ここまで眠くなったのは、平野啓一郎の「日蝕」以来です。何故こんな本を読んだかというと、コンキチがWatchingしているWeb Siteでこの本を紹介していて、ちょっと興味をそそられたからです。

さて、この「群衆心理」という本は、群集の愚かさを謳った書籍で、

群衆の精神は種族性に大きく支配されている
群衆は付和雷同する
群衆は暗示を受けやすく、白痴的
群衆は理屈よりもイマージュ(心象)に影響される
群衆は支配されることを望んでいる
群衆こそがムーブメントを起こす

といったことがひたすら述べられています(多分)。ただ、著者がフランス人で、フランスを中心としたヨーロッパの歴史的事件を引き合いにだして群集の行動を述べているので、世界史の勉強など殆どしたことのないコンキチには、イメージの湧きにくい内容でした。それから、かなり古い本なので、訳文が現代人には堅いかなと思いました。Scientificな例証がなされていなかったりするような気がするのですが、直感的に「それって、あるある!」と感じることは多々ありました。

コンキチのような会社勤めのサラリーマンは、会社組織の中で形成される様々な群衆に気が付くでしょう。例えば、会議中に、労働組合の中に、プロジェクトの中にに、あなたの職場に。そして、これら群衆は時として「何故?」と言いたくなるほど白痴的でおまぬけな決定を行いませんか?

本書を読むことによって、そういった事象を「群衆だから仕方ないよね」といった感じで、鷹揚な大きな気持ちで許してあげることができるようになるでしょう。

とりあえず、眠れない夜には、富に有効性を発揮する本であることは、身をもって体感することができました。



2006年9月9日土曜日

脱自己実現宣言

「自己実現(self-realization)」なんてくすぐったいような言葉が、ビジネス・パーソン対象誌を賑わせたりしていますが、実際に自己実現できている人間なんていったいどれだけ存在しているのでしょう。

ビジネス(啓蒙)誌の記事の中に登場する「働く若者」「働く女性」「働くミドル」達は、皆快活で、バイタリティーがあり、高いモチベーションを有しており、「自己実現」特集なんかを組んだ雑誌を手に取った日には、「世の中にはこんなにも多くの仕事を楽しむできる人材が溢れているんだ。自分もありたい自分になるべく、彼等・彼女等を見習って精進しなければ。」なんていう錯覚に陥りそうになります。

我が国の就労人口(労働統計要覧記載のH.17年の労働力人口2,750万人)に対して、数十頁の特集紙面に登場する人数の割合を冷静になって考えれば、雑誌インタビュアーが、(その時点で)自己実現している(ように見える)人材を選択的に探し出しているだけなのは火を見るより明らかなのですが…..まあ、TVに映し出される女性(お笑い芸人は除く)は可愛い娘ばかりなのに、僕の周囲には不細工な女性しかいないのは何故だろうか?と悩むのに似ています。

「格差社会」「負け組み」「ニート」「不祥事」といった言葉(それ自体は否定されるものではないと思いますが)が世間を跋扈する昨今、「自己実現」とはかけ離れ、現在の己の境遇を嘆きつつも、我慢して与えられた環境に甘んじている人々の方が大勢であるように思います。

ところで、先日、研究開発部門の担当役員と面談がありました。まあ、雑談みたいなもので、面談の代わりにコンキチの仕事をその役員に手伝ってもらいたいぐらいでしたが.....

1人30分の面接時間のはずだったのですが、

役員 「今の仕事は楽しいですか?」

という問いに、つい

コンキチ 「楽しくありませんねえ」

と応答してしまったら、役員が食いついてきて、話がはずみ50分も談笑してしまいました。けっこう自分もキレてるなあとチョット思ったのですが、まあいいでしょう。

件の役員との雑談で、コンキチのあまりのモチベーションのなさ具合に

役員 「人生の大半を占める仕事にやりがいを見いだせないのは哀しいねえ」

みたいなことを言われたのに対して、

コンキチ 「仕事にやりがいを見いだしている人は、ごく一部分の人だけなんではないでしょうか?仕事は(自分にとって)人生のワン・シーンでしかありませんから。だから、毎日早く家に帰りたいですし。」

という返事に、ちょっと哀しそうな顔をしていました(演技かもしれませんが)。

しかも、だめ押しで、

コンキチ 「上の人間は、下の人間が困っていても助けてくれないということを学習しましたから。もう仕事に掛ける情熱も殆ど残っていませんし。」

なんて言っちゃいましたし(これでもかなり遠慮して発言してたんですが)。

曲がりなりにも上場企業の役員ともなれば、どちらかといわれれば、人生の成功者であり、仕事における自己実現を体現してきた可能性が高い人達でしょうが、コンキチのような人材に上述したようなことを言われて、本心ではどう思っているのかに興味をそそれれますが、まあ、本人のみぞ知るというところでしょうか?

序盤、延々と「自己実現」について述べましたが、自己実現なんて耳触りのいい甘い言葉に騙されちゃいけないと思うんですよね。確かに自己実現を目指して努力する姿や、自己実現している人の姿は素晴らしいと思うし、美しくもあると思います(ちなみにコンキチの嫌いな言葉は「努力」です)。だからといって、それを万人に押し付けたり、社会から洗脳されてもいいというわけにはならないと思うんですよね。

結局、仕事での自己実現なんていう言葉は、成功した人にしか当てはまらない。成功者の存在確率なんて数%なんじゃないでしょうか(想像ですが)。

ゴミ収集車の運ちゃんは仕事で自己実現してるのでしょうか?
岐阜県の職員は仕事で自己実現してるのでしょうか?
スーパーでパック酒の銘柄を一生懸命選んでいるおっさんは自己実現してるのでしょうか?
昔の雪印の社員は自己実現していたのかなあ?
etc.

仕事以外にもやりがいや生き甲斐を見いだすことも、人生における重要な処方箋だと思うのです。

2006年9月4日月曜日

「香りの本」でライバル発見?

「香りの本」というマニアックな雑誌があります。日本香料協会が出している季刊の雑誌で、その名の通り香料業界関係者が執筆した記事と業界各社の広告から構成される雑誌なのですが、広く衆人の目に触れるのは殆ど皆無といっていい雑誌かと思います。

余談ですが、コンキチは学生時代に学校の図書館の地下(書庫)でこの雑誌をはじめて発見しました。最新号でさえ地下室に直行してしまう、何のために購読しているのか分からない雑誌だったのですが、香料会社の広告が沢山載っていたので、当時香料業界を志向していたコンキチは就職資料請求の葉書を送る時に重宝しました。

さて、この雑誌には化学系英文誌に掲載された香料関連論文の概要を抄録したコーナーがあるのですが、今回はそのコーナーにまつわる話です。

合成香料の仕事からはずされて5年半、今ではすっかりファインケミカルズのアウトソーシング引き受け部隊になったコンキチではありますが、就社以来7年半ずっと、「香りの本」の抄録の原稿を執筆する任を受けています。この抄録のコーナーは、香料会社各社にWatchingする雑誌が割り振られており、その雑誌の中で香料に関連している論文をピックアップして、概要を紹介するといったものです。

天然香料、合成香料、食品香料、分析法、その他の5つにカテゴライズされて、コンキチのJOBは(一応)有機合成化学なので、当然合成香料の抄録を担当しています。ちなみに、この抄録の原稿料は1本1,111円(税引前)。コンキチの能力はあまり高くないので、時給換算したらかなり割に合いません(でも、業務なので勿論勤務時間内にやっているのでプチダブルインカム状態です)。他の執筆者達は面倒くさがって1~2本くらいしか執筆しないのが常なのですが、コンキチはお小遣い稼ぎの為&こうでもしないとなかんか新着文献を読むための動機付けとして、できうる限り沢山投稿するようにしています(といっても6~8本くらいですが)。

ということで、コンキチは自分が、香料抄録コーナーの投稿数No.1を独走中だぜと勝手に思っていたのですが.....

先日、久しぶりに雑誌「香りの本」を眺めていたら、そうでないことが発覚してしまいました。複数のカテゴリーにまたがって10本超の抄録をUPしている輩が!!!コンキチは自分の担当の合成香料の項しかあまりチェックしていなかったので気付くのが遅れてしまいました。

この人物に対してコンキチの(勝手な)ライバル意識が超燃えてきました。明日から、気合いを入れ直して、バリバリ執筆活動に励みたいと思います(勿論業務なので勤務時間中に)。

2006年8月31日木曜日

BASF BORON CONFERENCE

昨日、月曜日(28日)の日経テレコン21内の日経産業新聞の記事に目を通していたら、

「BASFジャパン、ホウ素化学コンファレンス(短信)」

という記事が飛び込んできました。

9/26, 27に開催される有機ホウ素を用いた反応に関するイベントで、鈴木-宮浦カップリングの鈴木、宮浦両先生も講演予定です(参加費無料)。

コンキチは大の学会嫌いー特に日本化学会の年会は大嫌いーなのですが、こういった催しはけっこう好きです。

今回は、

a)) テーマがしぼられていて、じっくり話しを聞けそう
b) Academyの世界だけでなく、Industryの視点からの話も盛り込まれていること
c) コンキチ鈴木先生を見たことが無い(コンキチは自称著名科学者Watcherです。ノーベル賞受賞者を3人も見たことありますから、って全然威張れません)

という理由から参加を決意し、本日メールで参加を申し込んでみました(密かに〆切は今日までだったようです。定員に空きがあったら鷹揚に対応してくれるかもしれませんが)。
あと、最近有機化学の勉強を全然してなかったので、ちょっくら時間をかけて、合成化学のレクチャーでも聴いて気合いをいれようかなという思惑もあります。

とりあえず、9/26, 27は有給とって品川(会場)まで行ってこようかと思います。

BASF JAPAN Web Siteはこちら↓
http://www.basf-japan.co.jp/apw/Japan/Japan/ja_JP/portal

2006年8月27日日曜日

ブラコンのススメ

今回のお題である「ブラコン」とは、「ブラザー・コンプレックス」のことではありません。「ブラック・コンピテンシー(Black Competency)」の略です。各企業が今流行の成果主義を導入するなかで、目標管理(Managemnt By Objective)とともに注目を集めている(とコンキチは思う)コンピテンシー(Competency)のダークサイド版です。

コンピテンシー(Competency)とは、一言で言えば、「ハイパフォーマーの行動特性に準拠した評価モデル」であり、我が国で最も成果主義導入に成功していると思われ、誰もが認める勝ち組企業の雄である武田薬品工業でも取り入れられている人事評価モデルです。詳しくは「ここが違う!「勝ち組企業」の成果主義」や「正しいコンピテンシーの使い方」を読んで下さい。



ちなみにコンキチの考えるブラック・コンピテンシーを一言で表すならば、
「就業時間を自分の思うがままに支配できる人の行動特性」です。ひらたく言えば、「やりたいようにやらせていただきますと部長(くらい)に言える力」(社長とかに会う機会がないので)であるとコンキチは定義しています。

コンキチがブラック・コンピテンシーに出会ったのは、NIKKEI NET内の悪魔の処世術という記事でした(この内容は「社バイブル」という本のまとめられていますが、WebSiteを見れば充分です)。でも、コンキチに言わせればその内容はまだまだなまぬるいです。件のWebSite及び書籍の記事は、主に上司とに関わりあいについて、上手く立ち回る方法を紹介していますが、コンキチは「会社に対して戦いを挑む」ことを志向したブラック・コンピテンシーの構築を目指しています(笑)。

一昔前(もっと前?)に、「企業戦士」、「エコノミック・アニマル」、「猛烈社員」なんていう言葉がはやったような気がしますが、自分の人生を謳歌する上でそんな標語はいったい何の役に立つというのでしょうか?所詮サラリーマンは大なり小なり会社の歯車でしかありません。

突然襲いかかってくる人事異動、マネジメント能力のない上司からの不条理な指示、ロートル上司との噛み合ないディスカッション、劣悪な労働環境、不毛なセクショナリズム、等々.....自己実現動機やモチベーションの低下を引き起こす因子は枚挙にいとまがありません。

会社に忠誠を誓えば、会社が全ての面倒を見てくれるという思考停止に陥り、会社に滅私奉公するよりも、自分の人生をいかにより良く生きるかということに注力する方が精神衛生上健全であるとコンキチは考えます。

自分の人生をたかが会社ごときにいいように蹂躙されるのにあなたは耐えられますか?コンキチは無理です。

コンキチも大学を卒業して就社した当時は、研究開発部門に配属されたことに感謝し、象牙の塔とは違って、企業というより社会にリンクした場で研究できることの社会的意義に心を踊らせ、社内で着実にキャリアを重ねていうことが是だと思っていました。
しかしながら、しばらく社内での生活を観察してみると、大の大人が挨拶もろくにできず、5S(整理、整頓、清潔、清掃、躾)を励行といいつつ靴を揃えて脱ぐことも出来ない大勢の人々、ダブル・スタンダードが蔓延り、上司は気分屋。「いつか来た道」という経験ばかりを最重要視する気風にうんざりさせられ、目標設定のコミットメントは反古にされ、物理的に不可能な指示。より上位の権力を持つ者のミスはスルーされるのに、弱者もミスは糾弾される。研究開発部門なのにディスカッションは1乃至2分の口頭で終了。こんなうんざりするようなことばかりが目につくようになりました(コンキチが神経質なだけかもしれませんが)。

こんな組織の中で真面目にやっていくのがバカくさくなって、コンキチは自分のブラック・コンピテンシーを志向するようになりました。
そして、その具体的な行動目標は、
1) 残業は1日1時間以内→0でもいいのですが、それではあまりにも露骨なので...自分の時間を大切にしましょう。ちなみにコンキチの7月の残業時間は11.5 hrでした。勿論、サービス残業などという愚挙は決してしてはいけません。
2) 毎月1日は会社を休んで映画を観に行く→毎月月初は朝礼があるのですが、くだらない話を起立して聞くより、1,000円で映画を観に行った方が、精神衛生上有利だし、経済合理的かと思います。9月は「UDON」を観に行きます(既に有給取得すみ)。
3) 有給休暇は使い切る→有給休暇はサラリーマンの唯一の不労所得です。有効利用しない手はありません。
4) 文献をよく読む→なかなか励行できていませんが、趣味で文献を読むようにしています。最近は、Journal of Agricultural and Food Chemistryを重点的にWatchingしようと考えています。
5) 会議は自分の想像力を駆使する時間と心得る→(くだらない)会議(という名の報告会)はその場に存在しさえすれば給料をGETできるという極めて属人的な報酬支払いタイムです。特に大人数が参加する会議は何をやっていてもバレることは皆無に等しいので、エンペラーな時を過ごすことが出来ます。
等です。

さて、ここまで色々と勝手なことばかり述べてきましたが、一つ気をつけなければならないことがあります。それは、あまり調子ばかりこいていると、「あいつは何やってんだ(怒)」ということになりかねないということです。それを回避するには、自分の力を高めることに尽きるとコンキチは考えます。つまり、一目置かれる存在になるのです。そうすれば、「あいつはけっこう調子こいてるけど、きっちりやることはやるからな」ということで、マイナス部分はかなり相殺されます。

高度に知的武装することが大切なのです

それも、自分の専門分野(コンキチの場合は有機化学)にみならず、税金、年金、法律、社会のシステム等といった普通のサラリーマンが面倒くさがって敬遠しがちなことに関して造詣を深めることが有効であると思われます。そして、会社が執り行う、労務管理や年金にかかるセミナーが行われた場合には、積極的に(まともな)質問をすることも、周囲に「こいつは一味違う」と思い知らせるのに有効です。このような行動をとることにより、「一目置かれる」ようになり、発言の重さが増していきます。発言の重みは会社ライフを円滑に送るのに資するのです(多分)。そして、最終的には自分の社内での周辺環境のある程度の部分を支配することができるようになります。そう、支配者(Dominator)になるにが、コンキチのブラック・コンピテンシー道なのです。

どうっですか? 皆さんもブラック・コンピテンシーを志向してみませんか?

以上、所詮二流大出のなんちゃって研究員の独り言でした。

2006年8月12日土曜日

EXECUTIVEがやってきた

先日、コンキチが勤務する事業所において、BIGな会議が実施されました。

総勢50人強(因みに当社の従業員数は285名)
役員全員参加
会議に要した時間はほぼ終日

の研究部門の会議です。

先日行った会議の拡張版です(内容は殆ど一緒)。

中間管理職の役員に対する発表会だったわけです。コンキチのような末端の研究員は、この会議を権威付けする為のギャラリーでした。コンキチが参加するこいとで得られる実務的なメリットは皆無といってさしつかえありませんでしたが、「エアコンのいい感じに効いた薄暗い部屋で、しっかりと休養をとるように」というサービスなのだと好意的に受け取りました(コンキチの隣に座ったおっさんは目つむってましたよ)。

それにつけても、中間管理職のプレゼン資料には辟易させられますね。

辟易ポイント1 文章だけで作成したPowerPointのスライド(っていうか、口頭でいうだけで済むのでは?折角のPowerPointが泣いてます)

辟易ポイント2 エクセルでプレゼン(超ー見づらい)

以上、平たく言えば、無駄な会議だったように思うのです(だって社長にお伺いをたてる報告会ですから)。ついでに言わせてもらえば、上記プレゼン資料しか作れない部下に何も言わない役員のセンスもちょっと疑ってしまいます。

でも、社長の言葉だけは参考になりました(1点だけ)。

以下、参考になった台詞

社長「・・・・した方がいいんじゃない?強要するわけじゃないけれど」

はい、力強く強要してますね。「自分は専制君主じゃないんだぞ」ということをさりげなくアピールしつつ、自分の意思を強制するテクニックなのかなと思いました。

こういった言葉の機微といものは重要ですからね!参考になります。親会社で本流に残れなかったとはいえまがりなりにも社長になる人間は、細かいことにも気を配るんだなと思いました(笑)

2006年7月31日月曜日

中村修二という生き方(2)

先日図書館で借りた、「中村修二の反乱」という本の感想の続きです。
(注: 著者は中村さんではありません。ただの物書きです)

この著書の中で、中村氏のとある講演が取り上げられていて、
氏は、
1) 学校教育(とりわけ我が国の大学受験に係るシステム)と大学の有り様がダメダメ
2) 日本の社会の至る所に蔓延している政治力に辟易。
3) 研究者の待遇もダメダメ。

という主張をしています。

氏の専門分野は応用物理学らしいですが、コンキチの(一応)専門である有機化学でも同様のことに心当たりがあります。以下、コンキチが企業の研究員となるまでの道のりを中村氏の主張と、なんとなく、オーバーラップさせながら展開していきたいと思います。

1) 教育
学校教育には、受ける側、カリキュラム、教える側(教師)のそれぞれに大きな問題があるとコンキチはみています。

a) 受ける側の問題:
「我が子にはよりSteadyな道を歩ませたいという親のエゴ」と、「いい大学(旧帝大)→エリート(生活は安泰)」といった神話とが相まって、いい大学に入ることが最大の目標になってしまったことに学生の質の低下に係る問題があると思いますね。所謂学歴至上主義でしょうか?この流れが受験戦争やお受験なんていう不毛なモノを生み出してしまったのだと思います。これで、大学に入学することが目的化しちゃって、入学後のキャンパスライフは遊び惚けちゃうんですよね。受験で燃えつきちゃうんですよ、多分。で、卒業できる程度の必要最低限の努力しかしない。その結果学生のレベルが下る。でも。ある程度卒業させてやらないと後はつかえるし、学校の評判にも影響するので、卒業の審査を甘くして大体は卒業させてやる。こんな感じで、なんの専門性も持たない人材が世に輩出されていくのです。この現象は特に文系に多いように見受けられます(教育学部は教員免許取得したいというドライビング・フォースがあるのでまだマシです)。コンキチが在籍していた大学では、経済学部と教養学部があったのですが、それぞれ「ヒマ経」、「無教養学部」と揶揄されていました。
あと、受験戦争熱は、特に無学な親にこの傾向が強いとコンキチは感じています。今でこそ大学全入時代なんて言われてますが(くだらない私大が結構ありますが)、コンキチの親の時代なんかは、まだまだ大卒者は少なく、自分が苦労しているのは学が無いからだという、幻想に近い学歴コンプレックスがあるんだろうと思います。話を聞いてると、大学を出てない人(夫婦)は、子供の教育に熱心ですから。単純な費用対効果を考えれば、大学への過剰な期待は禁物だと思うのですがね。
純粋な中村氏は、こういった点については言及していませんでしたが、けっこう由々しい問題だと思います。

b) カリキュラムの問題:
我が国の高校、大学のカリキュラム設定はかなり最悪です。なぜなら、社会生活に必須という訳でもなく、自分が全く興味のない科目でも、ある程度履修しなければ先に進めない仕組みになっているからです。例えば、高校で習う古文・漢文。コンキチは古文&漢文の勉強したことはZEROでした(中間・期末テストは教科書ガイドを丸暗記していました)。  あと、理科もくせ者です。高校理科は「物理」「化学」「生物」「地学」から構成されていますが、それぞれの関連性は必ずしも高くはありません(特に地学は皆無)。にも関わらず、大学受験で「理系」の学部を狙う場合は、複数の理科科目を選択しなければならない学校が多々あります(少なくともコンキチが受験生の頃はそうでした)。ちなみにコンキチは応用化学科卒ですが、「物理」「生物」「地学」はさっぱり分かりません(こんなのばかりだから大学生の学力低下が問題になっているのかもしれませんが)。そして極めつけは社会ですね。特に歴史なんかは、メジャーな出来事の名称、年号、偏った歴史観という愚にもつかないことを教えられ、あまり有益とは言い難いです(はっきり言って「花の慶次」を読んだ方が為になります)。
また、逆もありきで、経済学部で数学が受験科目に無いのも気にかかります。だって、経済に数学は必須でしょ? (しかも、数学は実社会で役に立つ数少ない科目ですし)。
ここまでは、大学以前の話ですが、大学のカリキュラムもなかなかの腐敗っぷりです。まず、一般教養とうのがクセものです。自分の進んだ学部・学科の専門外(全然関係ない)の授業をある一定数以上を履修しなければならないという制度です。まあ、専門だけに偏らす、より視野を広げましょうという感じのお題目で、そのような制度が存在するのだと思うのですが、そんなのはおべんちゃらですね。中村氏も、大学に入れば自分の好きなことがおもいきりできると思っていたのに騙された、とこの制度には辟易していたようです。理想を掲げるのは勝手ですが、ひとりよがりなお題目を強要するのはよくないと思いますね(別に自由意志で専門外の科目を履修するのは良いと思いますが)。自分に全く興味のないことを強要されることとで、ある一分野で尖った才能を持つ人材がやる気がそがれるようなことがあれば、それは重大な機会損失ですよ。そもそも、より多くの知識を広く吸収しようなんていう高邁な精神を持った学生はそんなにいないと思うし(きっと)。

c) 教える側(教師)の問題:
理科離れをなくす法(化学篇)でも述べましたが、(特に)小学校や中学校の先生は皆文系です(かなり独断と偏見がはいってます)。ということは、数学と理科が嫌いな(できない)人間が、チビッコに数学と理科を教えることになります。あなたは、自分が嫌いなものの楽しさを他人に教授することができますか?このことは、我が国の科学技術戦略上の重要な欠陥であるとコンキチは切に思います。さらに、あなたの子息・子女を教えている担任が、数学嫌いだったら目もあてられません。よく数学は四則演算さえできれば社会に出て不自由しない。四則演算以外は実社会に必要ないという発言を耳にしたことがありますが、それは全くのウソです。少なくとも数列はファイナンス(借金)の初歩の初歩で必ず必要になります。最近巷では、住宅ローンの借り換えなんかが流行っていますが、excel等のSpreadsheetと簡単な数列の知識さえあれば、借り換えによる効果を簡単にシミュレートできます(但し、手数料等は別途確認が必要でうが)。最もファンダメンタルな学問であるmathematicsが苦手だなんていう教師予備軍には免許を与えないようにしまければ、青少年の未来は拓けません。

2) 政治
社内政治に関しては、ビジネス書や島耕作なんかに譲るとして、学術の政治について書きたいと思います。
中村氏が国内のJournalに論文を投稿しようとした際、ずっとはねられ続けたそうです。というのも、レフリーがそのスジの所謂"大家"だったらしく、中村氏が論文中で大家の論文をリファレンス(参考文献)として参照していなかったので"大家"がへそを曲げてRejectし続けたということらしいです。アメリカ至上主義という訳では決してありませんが、我が国にこういった非常に稚拙な事例が我が国に存在することは残念です。しかも、これと似たようなことは、他の学術分野にも、程度の差こそあれ存在します。
コンキチが身を置く有機(合成)化学の世界では、二大勢力があります(少なくともコンキチはそう思っている)。一方はノーベル化学賞を受賞した 野依良治先生率いるの「野依派」。もう一方は日本でいち早くタキソールの全合成に成功した向山光昭先生の「向山派」。ちなみにコンキチは、一応「向山派」です(研究内容はかなり亜流といわれていましたが)。で、コンキチが今就社している会社に「向山派」の同期(こちらは正統派です)がいるのですが、彼の出身研究室では、雑誌会である学生が野依先生の論文を発表したら、超怒られたという話を聞きました。コンキチの研究室ではそこまで露骨なことはありませんでしたが、コンキチの指導教授は野依先生のことをあまり快く思っていませんでした。
このように、あらゆるフィールドで村意識を発揮するのは、日本人の特性であり、我が国のお国柄といってしまえば簡単ですが、物事の本質からかけ離れた政治に労力を消費するのは非建設的であるばかりで、研究員のモチベーションを低下させることにしか役立ちません。

3) 「研究」の価値
よく「賃金は労働の対価」という言葉を耳にします。で、コンキチが勝手に思っているだけかもしれませんが、「研究員の労働とは知価を創造すること」であるのに対して、「世間一般の労働とは(ルーチンワークに費やした)労働時間」であるように感じます。まあ、研究の価値なんて愚鈍な一介のマネジャーなんかには評価できないし、こと企業に関しては、研究の成果は、その成果を基盤として造った製品が利益を出すことによってはじめて認識されるのでなかなかリアルタイムに報いることは難しくなります。あと、分業化が進んでいる昨今、研究→製品化プロセス構築→生産→販売といったパスを経るうちに、元の研究の成果のインパクトは希薄化してしまいます(つまり、あんた一人で利益をあげたわけではないでしょということ)。
あと、如何に優秀な研究員といえども、種々の要因によって、目覚しい成果を挙げることなく研究員生活を終えてしまうというリスクが伴います。「じゃ、あんたはあんまりぱっとした成果を挙げれなかったから給料もちょとだけしか支給しないね」というのでは、人生安心して生活できません。
以上、研究成果の評価が難しいことに加えて、研究成果と給料をあまりにリンクさせすぎると、成果ZEROだったときは給料が激減しちゃって生活できないよぉという不安が相まって、「じゃあ給料は安定支給するから、その額はほどほどにね」ということになったんじゃないかとコンキチは考えています(っていうかそこまで複雑じゃなく、ただなんとなくっていうのが本当のところかもしれませんが)。だからといって、コンキチの勤務している会社のように、我が国の最高学府を出ても、歳が同じなら、給料もだいたい一緒というのでは、実際モチベーションは上がりませんがね。

以上はコンキチの個人的な体験と偏見に基づいたものですが、中村氏も上記みたいなことに辟易してアメリカにぴゅーんって行っちゃったみたいです。

世界でも希有な才能を持つ一人の科学者が、日本独特の慣習に基づくしがらみを断ち切って、新天地(アメリカ)で新たな研究に取り組という人生のスタイルは、清々しささえ感じます。一人の力(自分の才能)を信じ(実際、中村氏の場合は実力も裏打ちされていますが)、飄々と生きていくという姿は、凡人には眩しくい映り、自分も斯くありたいと痛切に思います。はっきり言ってカッコいいですよ。しかしながら、そういった生き方を許されるのは、才に明るく、不断の努力を怠らない、ついでにちょっと運がいい人間に限られます(偏見ですかね?)。

某二流大出の二流研究員で、やる気も下降曲線で、研究よりもスコッチが好きというコンキチには望むべくもありません。

でもちょっとここで考えてみて下さい。

我が国「日本」は、世界第2位の経済大国にして、治安も優れ、伝統があり、豊かな四季を持ち、食を文化と語り、ロジスティクスも発達している世界で最も豊かな国です。

そんな恵まれた国に生まれた我々日本人が、

言葉の壁を越え、不味いメシに我慢し、不慣れな習慣や慣習に慣れていかなければならないという苦行を乗り越えてまで海を渡るモチベーションが湧いてきますか?

まあ、普通の人はそんなリスクを犯さないでしょう。当然、日本酒が世界で一番ウマい酒だと信じ、日本人は肉なんか喰わないで、世界で一番ウマい魚だけた食べていればいいと(かなり本気で)思っているコンキチは愛する日本を離れる気は皆無なのです。

ということで提案です。
コンキチのようにやる気を無くし、モチベーションが低下しまくった、そこそこの専門性を持った研究員は、
1) 会社を自分の知的好奇心を満たす場として活用し、
2) サラリーマンの不労所得である有給休暇を力強く活用し、
3) 必要最低限の労力のみを仕事に費やし、
4) 精神を豊かにする文化的なものと親しみ
人生を謳歌する施策の構築に励みましょう。

コンキチは
酒(全般)、読書(ミステリ)、証券取引(知的ギャンブル)、育児(我が子は可愛いんです)、下駄(ジャパニーズ・トラディショナル・シューズ)、腕時計(趣味です)を楽しみ、毎月1日(映画の日)は会社を休んで劇場で映画を観ることにしています(1,000円で観れます)。

以上、本日も他愛のない二流大出のなんちゃって研究員の戯言でした。

2006年7月22日土曜日

中村修二という生き方(1)

先日図書館にコンキチの愛読雑誌であるプレジデントを借りにいいった折、


中村修二の反乱」という本が偶然コンキチの目に飛び込んできました。

中村修二・・・高光度青色LEDを世に送り出した希代の科学者

分野も全く違い、彼は天才、コンキチは
盆栽
凡才ではありますが、希有な研究者を題材にした書籍に、同じ自然科学に携わるものとして、一抹の興味を持つことを禁じざるを得ません。

ということで、借りちゃいました。
で、読んでみた感想はというと、
1) 中村修二の講演内容が少々
2) 大半は著者の感想
といった内容で、ダメダメな本ですね。

中村修二の講演内容は、彼が直接語った事柄で、何かをやり遂げた者が持つ、含蓄や言葉の重さ、真理が感じられてとてもGOODでした。
でもそれはこの本のほんの一部分で、大半は、単なる物書きの感想文といった感じにしかコンキチは受け取れませんでした。

ということで、自腹を切って買う価値無し!図書館等で借りたり、アマゾンマーケットプレイスやBOOK OFFで格安で購入するのがベターでしょう。

でも、中村修二の語った部分だけま読む価値があります。

そして、中村氏の主な主張は

1) 学校教育、とりわけ我が国の大学受験に係るシステムと大学の有り様を批判しています。
2) 日本の社会の至る所に蔓延している政治力に辟易しているようです。
3) また、研究者の待遇にも言及しています。

なんちゃって研究員のコンキチも彼の主張にはある種のシンパシーを感じました。

実感として、大学受験が目的化していることはかなり覆すことは難しいように思うし(だから合格すると勉強しないで遊んじゃうんだよね)、象牙の塔や実社会にも学閥や横並び意識や必要以上に人を立てるということが間々あるように思いますし、我が国の最高学府を出た研究員もそこいらのブルーカラーやホワイトカラーと給料一緒ですから。モチベーションが上がりませんよ、はっきりいって。

あと、中村修二の本を読むんだったら、氏自らが著した



の方が断然オススメだと思います。

今日は疲れたので、後日続きを綴りたいと思います。