2009年4月29日水曜日

不格好なメディア

朝、通勤時に電車で新聞を読んでいる人をよく見ます。でかい紙面を起用に折り畳んで記事に目を走らせているわけですが、コンキチにはその姿は不格好この上なく見えます。

っていうか、何故混雑する車中で無駄に大きい新聞を必死になって(?)読まなければならないのか意味不明です。

コンキチは数年前に日経テレコン21を使って、日経四誌を読み漁っていた時期がありました。結構面白かったのは日経産業新聞とMJ。でも、今は殆ど新聞を読みませんね(iPhoneで産經新聞をたまに読んだり、日経テレコン21でたまに記事検索する程度です)。理由は、「新聞を読む」ということよりも費用対効果が高くて面白いものがあるから。例えば、ハーバードビジネスレビューとか経営学の本とか農芸化学の雑誌(これはPDFをiPhoneに仕込んで読んでいる)とか海堂尊の本の方が断然面白いし、メディアの形態も断然優れている(手に取って読み易い)。そして、その情報に素晴らしく価値の高いものが多い。

よく社会人になって日本経済新聞を読み出したという人の話を聞くけど、彼等彼女等は日経のどの辺りに価値を見いだしているのか聞いてみたい。(日経)新聞が無価値とまでは思わないけど、満員電車でその無駄にでかい紙面を器用に折り畳んでまで読むほどの貴重な情報はコンキチには見いだせないので。それに多く新聞記事が他のメディア(TV、雑誌、インターネット)で重複して流れるし。

それにつけても新聞紙面の形状と内容に全く変化が見られないのは新聞社の怠慢だとコンキチは思います。つまり、コンパクトな新聞があってもよいのではないかということ。媒体が紙である必要があるのかということ。それから、株価とかテレビ•ラジオ欄とか必ずしも必要か?ということ。そもそも新聞の価値は情報の一語に集約される。そして、情報はITとの親和性が非常に高い。実際、金融(銀行、証券会社)や音楽分野ではインターネットを介したサービスが隆盛を極めている。なのに、情報のど真ん中である新聞が、まだあんなにも多くの紙に媒体をばらまいていることにコンキチなどは驚きを隠せません(そういえば、我が国ではe-bookの普及も全然進んでないような気がするな)。

経営努力が足らないんじゃないの?と言いたいですね。


以上、二流大出のなんちゃって研究員の呟きでした。

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